❸外債営業
その当時でチームは10人程度だっただろうか。機関投資家営業という事でベテラン揃いであった。20代は私1人だけだった様な記憶が。このチームで中央機関投資家及び主要な地銀・信金の外債フローをカバーしていた。
20代半ばのペーペーで何も分かっていなかったという事もあり、先輩方には本当に色々と「教育」して頂いた。持っているのはカラーシャツばかりだったので、白のワイシャツも買い揃えた。私の結婚式には皆様に出席して頂いた。今となっては本当に感謝しかない。
そういえば「ト◯箱事件」というものが有った。いや、事件ではなく自爆か。課長がロンドンへご栄転されるという事で、その送別会が開催された。8時過ぎには既にタバコを逆に咥えているような状態だった。「◯酎茶漬け」のせいだろう。一人につき一升瓶が1本置かれていたような気がする。いや流石に720milだったか。
翌日の部の歓送迎会の司会に備え、先輩方を差し置いて21時過ぎにはタクシーに乗っていた。当時は浦安に住んでいたのだが、家まで辿り着けなかった。雨の中、木場公園の植木にぶっ込んでいたらしい。その後はタイトル通りである。なお翌日はなんとか時間通りに出社し、司会も無事にこなした。若かったので体力はあったのだろう。
さて本題に戻る。チームもベテラン揃いだが、投資家さんも当然ベテラン揃い。20代半ばでは、自分より歳が下であるお客様はほぼ皆無。加えて日系証券であり、外資系証券と比較して圧倒的に海外時間のフローが少ない。当然レポートも多くはない。
ただディーラー時代にマーケットを見ていた感覚であったり、テクニカル分析であったり、海外ベンダーの情報であったり、先輩方のセールストークであったり、色々なものを参考にしながら、がむしゃらにやっていた。「JGBは放っておいても引合の電話が鳴るが、外債は全く違う」と言われ、必死に電話をしていた記憶がある。
担当直後に担当を変えてくれ、と上司経由でお客様からクレームが入った事があった。その当時は腹が立ったが、振り返って見ると当然な部分もあった。果たして自分が担当されたいセールスであったか、と言われると間違いなくNOなので。ただ上席に色々と説明して頂いて何とか担当変更は免れ、その後も異動まで継続する事が出来た。
若手のセールスなので当然年金・投信のお客様がメインなのだが、当時担当していたFMの方々には色々と教えて頂き、本当に勉強になった。プライスでしか返す事が出来ないので、トレーダーの方から来る引合を頑張るほか無かった。ディーラーの経験があった分、ディーラーとのプライス交渉は強みだったように思う。
地銀・信金さんには新発債購入で大変お世話になった。『発行体ハンドブック』のお陰が8割超だった感じがしないでもないが。地方の金融機関を担当していた時期が自分のキャリアではこのタイミングしか無いので、北海道や大阪、四国、九州への地方出張経験は貴重だった。
担当していた中でも一番お世話になったのは生保さんだ。当時は外貨建ての変額年金商品がよく売れていた事もあり、その裏で米国社債の買付けが有った。よく米国時間まで残って引合をしていた記憶が今でも鮮明に残っている。セールスとしての実績という点では、かなりの部分を占めていたフローだった。
機関投資家営業では新規顧客という概念はほぼ無いので、基本的には決められたパイを各人へ配分する形となる。当然、大きいアカウントを持っていないと数字はあげにくい。またパイが限られているが故に人事異動(もしくは転職等)の際、担当アカウントをどう振り分けるか、という点が非常に重要となる。まずは担当させて頂いた投資家さんで実績を作らないと、次の展開(大手機関投資家の担当割り当て)が無いのである。そういった意味ではその後のキャリアがあったのも、間違いなく担当させて頂いた生保さんのお陰だったと思う。
一方でディーラーに戻りたい、という気持ちも何処かで芽生え始めていた。欧州債ディーラーをやりたい、という事で外資系を何社か受けた記憶がある。おそらく英語力が足らなさ過ぎて落とされた。そんな最中に異動の事例が降る。全く予想だにしなかったJGBディーラーの部署であった・・・。


コメント