❶就活→入社・研修→配属
JS146(日本国債5年146回債)が今月20日でいよいよ償還を迎える。
就活ならぬ終活として、自分の社会人人生を振り返り、JS146に幕を閉じる事とする。記憶とは曖昧なものであり、全てフィクションだと思って読んで頂ければ幸いである。
就活をしたのがもう25年近くも前になるのか。それを考えるとゾッとする。
大阪から夜行バスで東京に来て、赤坂のカプセルホテルに泊まり、神谷町辺りにある外資系証券のセミナーに行った記憶があるのだが、どうしても詳細を思い出せない。そんな大昔だ。米国大使館宿舎や六本木の街並みには、やっぱり東京ってスゲェなぁ、と感じさせられた。就職活動をするまで東京に来た事の無かった田舎者の感想である。
で、就活。まずはリテールとホールセールが分社化されていた国内大手証券会社(ホールセール)を受けた。大阪での3次or4次面接を無事突破し、東京での最終面接に呼ばれた。確かその頃は永代通り沿いに本社が有った気がする。東京駅近くのホテルRが待機場所だったはずだ。信じられないかも知れないが、最終面接の最中に上着のボタンが飛んだ。理由は定かではないが、太り過ぎていたのが一因だろう。それで完全にテンパってしまい、敢えなく不合格となった。
その後、某証券を受け、大阪で最終面接まで行って無事合格。当時はインベストメントバンキング(IB・投資銀行)&フィナンシャルエンジニアリング(金融工学)全盛で、書籍もかなりの数が出ていた記憶がある。採用はコース別に別れており、オープン(営業・ソルジャー)コース、IBコース、FEコース、クオンツコースの4つだった記憶で、私はオープンコースに応募し、そこで内定を頂いた。ウチの大学では4人内定を貰っていたと聞いたが、実際に入社したのは私1人だった。他の3人は皆、銀行に行った。まあそんな時代ではあった。
確か内定式後のタイミングだったと思う。配属面談?という名目は明かされていなかったと思うが、再度、東京に呼ばれた。3人1組だった。この時の人事部の方に、数年後の人事異動でもお世話になるとは、当時は思いも寄らなかった。私は「支店で営業を経験した後、最終的にはディーラーをやりたい」と素直な希望を出した。スロットで旅打ちをしていたという、余計な話を挟んだ記憶も残っている。あとの2人がどういう話をしていたのか覚えてはいないが、1人は支店営業後、退社し海外留学、で某テレビ通販社長。もう1人は本社で営業後、海外MBAを経て、順調に偉くなっている。
その後、2月だったか?いや3月に入ってからだったか、会社から連絡が来た。「ココ」に荷物一式を送ってくれ、と。住所を調べると神奈川県の田園都市線沿いだった。「神奈川県もしくは東京都の何処かの支店への配属なのかな?」という漠然とした不安を抱えながら、4月の入社式を迎える事となる。
入社式後は都内某所の研修センターで、1ヶ月程度の研修を行った記憶がある。これについては色々な方が書かれていると思うので、詳しくは触れないが、早朝に受付まで日経新聞を取りにいくアレである。頭は良くないが、要領は良い方だったので、新聞を取りそびれる事もなく、外務員試験のテストで赤点を取る事もなく、地下?部屋に呼ばれるような問題も当然起こさなかった。
総合職全員で150人前後だった。東大早慶で半分は流石に居なかったかもだが、50人は居た印象で、やはり東京採用の人数が圧倒的に多く、関西採用の人間は多少肩身が狭かった。そんな中でも何人か友人は出来たのだが、その1人はGW明けだったか、いやもうちょっと後で夏休み明けだったか、1年目で退社してしまった。同期で一番最初だったと思う。確か日本海側の支店だった記憶が残っている。
そういえば研修センターで初めて体験した事がある。喫煙だ。学生時代は一度も喫煙した事が無かったのだが、慣れない生活によるストレスが原因だったのか、人生で初めて喫煙したのが研修センターだった。自販機があり、赤LARKをいつも買っていた。当然このご時世なので、とうの昔に研修センター内の喫煙室は無くなっている。そう考えると、もう煙草とも25年弱の付き合いになるのか。
で、研修の最後に配属発表があった(いや途中だったかも知れない。最初では無かった記憶。正直あまり覚えていない・・)。最前列の左から支店配属(北海道から順に)でその後に本社配属、という席順だった様で、真ん中よりは後ろだった記憶が残っている。配属は「◯◯市場部」だった。当然聞いた瞬間は理解出来ず、後に債券の部署だと認識する事となる。ここから私の20年超に及ぶ債券畑のキャリアが始まった・・・。


就職が1番厳しかった25年前に、証券会社へ入社とは、 氷河期世代の中でも選りすぐりの勝ち組ですね...。
数年前までは勝ち組だったのかもしれませんが、今やド底です...