母親を倒すと人生はボーナスタイムに突入する。
東京在住の女性R様から「母親の呪いにかかって自分には力がないと思い込まされている。常に頭の片隅に母親がいて『ほらまたできなかった』とか『そんなんだからダメなんだよ』と言われる。頭の中の消えない母親を倒して欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。何をやるにも母親の許可が必要で、やりたいことをやる時も「なんて説明しよう」と考えてしまう。母親のために生きていたら反抗期を経由することもできず、逆らえない体になった。笑いたくないのに笑ってしまう。R様はそのようなことを言った。
愛は信頼。情は心配。いくら「あなたのため」と言われても、心配ベースの言動は人の力を奪う。信頼されていないという不信感が蓄積し、罪悪感を植え付けられて、自分一人ではなにもできない人間なのだと思い込まされる。女の愛は深い。深いからこそ、呪いに転じると相当やばい。説明するのは愛ではない。義務でやるのは愛ではない。母親を倒すと人生はボーナスタイムに突入する。呪いをぶっち切ると愛になる。愛想をぶっち切ると愛になる。いい子になるのは愛ではない。いい子をやめて、自分の道を生きることが愛になる。
母親の呪いにかかるといい子になる。常に笑顔で愛想を振り撒き「みんなから愛されたい」と承認や評価を求める媚び媚びの嘘つき女になる。支配者にとって、いい子ほど扱いやすい人はいない。みんなから愛されるより好きな人から愛される方が嬉しい。いい子にはそれができない。本音を押し殺し、八方美人になり、どうでもいい人からは好かれるが、本当に好きな人と出会った時に本音がなかなか言葉にならなくて惨めな思いをする。結局「誰といたいか」だと思う。どうでもいい人から好かれるための努力より、好きな人と生きるための工夫の方が、面白いし、続く。みんなから愛されたいなんて嘘。好きな人から好かれたいが本当。人に興味はないが本当。興味のある人にしか興味がないが本当。愛想は嘘。愛想は媚び。愛想は愛ではない。愛想をぶっち切ると愛になる。
私が一番最初に母親を倒したのは五歳の時。悪さをした私は、寒空の下、母親から「あんたは外で反省していなさい」とリビングの窓から放り出された。リビングの窓に鍵をかけた母親は、玄関の鍵もかけるために玄関に向かった。すると、驚きの速さで家の周囲を疾走し、母親が玄関に着く頃にはすでに玄関に到着して、玄関でギャン泣きをしていた私を見て「速っ!!」と言って笑った。笑ったことにより怒りを忘れてしまった母親は、結局、私を許すしかなかった。この時けいご坊や(俺)は「怒る人をなだめるためには、怒りを忘れるほどの笑いを提供すればいい」と学習した。
中学生の頃、両親が「離婚するんじゃないか」と思われるほど険悪になった。母親は覇気を失い、笑うこともなくなっていた。その時期、テレビでめちゃめちゃイケてるが放送されていた。巨大なボールが岡村隆史に激突して吹っ飛ばされるシーンが映し出されて、それを見た母親が爆笑した。久し振りの爆笑だった。それによりスコーンと抜けた母親は、これまでの険悪なムードが嘘であったみたいに、明るく陽気なキャラクターを取り戻した。私は「笑いの力ってすごいな」と思った。岡村隆史が母親の憂鬱をぶっ飛ばした。私は「笑わせれば許される」ことを学習した。いい子になることではなく、笑えるほど自分を生きる姿を見せることによって、母親をぶっ倒し続けた。いい子にはならない。笑えるくらい、自分を生きる。母親を倒すと人生はボーナスタイムに突入する。
おおまかな予定
12月20日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


涙が出ました😢笑うことって、自分らしさを取り戻すのにほんとうに大切。ありがとう✨✨