《バンドウイルカの「スリム」はその後、「偉業」を成し遂げる》
平成2年、スリムは再び赤ちゃんを産みました。このころ、別のバンドウイルカ「ヘレン」や「ノーマ」も赤ちゃんを産んでいます。3頭が続けて無事に出産を終えたことは画期的で、当館のバンドウイルカの繁殖がようやく軌道に乗ったことを意味していました。
そして15年7月、人工授精によるバンドウイルカの繁殖に、国内で初めて成功したのです。
母親となったのは、ほかでもないスリムです。当館は日本動物園水族館協会(JAZA)の繁殖賞と、古賀賞(繁殖で特に功績のあった水族館や動物園に贈られる同協会の最高賞)を受賞しました。
25年には、このときに生まれた「サニー」が赤ちゃんを産み、国内で初めて人工授精で生まれた個体による繁殖に成功します。おばあちゃんとなったスリムは、搬入から43年後の26年10月、亡くなりました。
《イルカの人工繁殖は鴨川シーワールド初代館長、鳥羽山照夫氏の悲願だった》
鳥羽山館長は、サニーが人工授精で誕生する少し前の15年2月に亡くなりました。スリムの出産を見届けられなかったのは残念ですが、スリムの妊娠中、胎児のエコー写真を見て、それはもう喜んでいました。昭和45年に開業したころから、将来イルカを海から搬入できなくなる時代が来ると、人工繁殖の研究を進めてこられました。今まさにその時代となり、その先見の明に改めて驚いています。実行部隊は鳥羽山館長の指示に対し一生懸命に課題を解決し、取り組みましたが、成功までには20年という歳月が流れました。
鳥羽山館長が亡くなる1年ほど前、会議に同行しました。帰りのタクシーで鳥羽山館長が別の水族館の館長に、「うちの獣医師は何でも繁殖させちゃうから動物が増えちゃうんだよ」と私のことを話したんです。鳥羽山館長に褒められることはほとんどなかったのでうれしく、今でもその情景を覚えています。
鳥羽山館長は動物の命についてすべて責任を持ってくださっていましたので、私は思い切って仕事をさせてもらいました。鳥羽山館長が亡くなってからは、自分で判断し、動物の命に責任を持たなくてはいけません。一生懸命に取り組みましたが、あるとき父に、「頭に十円ハゲがある」と心配されました。やはり重圧だったのでしょうね。
《バンドウイルカの飼育や繁殖は他施設との協力も》
日本の水族館では10年前から、野生からの搬入よりも飼育下での繁殖を推進する方針となりました。つまり繁殖は、重要なミッションとなったわけです。そのころ、当館は繁殖に関するワークショップや人工授精の研修会に協力し、実際の作業を希望する水族館関係者に見学してもらいました。近年は水族館同士の協力関係が進んでいます。
《令和元年5月、今度は人工授精によるカマイルカの赤ちゃんが国内で初めて誕生した》
赤ちゃんは無事に誕生しましたが、上手にお乳を飲むことができません。やむなく人工哺育に切り替えることを決め、結果として、世界初のカマイルカの人工哺育にもなりました。カマイルカでは昨夏に国内で初めて、飼育下3世の赤ちゃんも誕生しています。
《動物の世話に明け暮れる勝俣さん自身は、平成2年に結婚した》
結婚願望はあった方ですが、やはり獣医師の仕事も続けたかったので、自分の母親のようにはなれないだろうと思っていました。周りからは「毛利(旧姓)さんはイルカと結婚したら?」なんて言われたり。そんな私ですが30代後半に、それでもいいと言ってくれる人が現れました。(聞き手 金谷かおり)