吐き出し | 睡蓮のひとりごと(仮)

吐き出し

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すごく書きたくなっていて、書いたい時って解決には向かっているけれど苦しいんだということもわかってきて。

 

あと、ネットがある時代なので似た境遇を探すと結構楽になったりして。書くの我慢しないで書いた方がいいと思ったりして。

 

30代くらいの時って。まだそこまでネットがなくて。スマホで見るなんてこともなくて。正しいものも正しくないものもある、ネットだから信じちゃいけないとか言われることはまだ多いけれど、一般的にはみんな親が好きなこと、あと自分が親になった人は自分が責められたくないというのがあるということ。

 

家族で話し合うとか口論するというのを聞いたことがあるけれど、こちらから感情を出すことはなく、一方的に怒鳴られるだけ、バカにされるだけ、そういう人が体験談を書いていたりする、その人たちもみんな私と同じ状況なんだろうけれど、それが助け合える何かなのかもしれないとか思ったり。

 

今怖いのは。生活できなくなったら実家に連絡がいって「お金がないのだからいうこと聞け、反論するな」って。昔から母と兄がセットだったので、2対1ではどうにもならない。さらに親戚も母と兄側なので決定的に言いつけられた時に連絡をとりたくなくなった。

 

共感性のないおかしい人はある程度存在するし、あとは自分の子供は体の一部と思って粗末に扱う、それって自分を粗末に扱うから子供を粗末に扱うということなんだと思います。だから親も可哀想といえば可哀想なんだけれど、そうなると「お母さん可哀想だから一切ストレスのない状態にしてあげなさい」と知らない人からも言われる。サンドバッグにもならなきゃいけない、誰も助けてくれる人はいない、そういう状態。

 

今で言うと、恋愛結婚だったりお見合いだったりして、きちんとした家ならちゃんと性格をみて結婚するんだけど、親が強いと問題があってもなんとか結婚させられてしまう、本人の意志ではないし、相手を思いやると言うことも教わっていないので、本当にお金のために結婚するような。そして「私の人生可哀想」ってずっと言い続ける、それが毎日だときつい。

 

あとは。親がなんでも与えてしまうと。友達いなくてもお金があればなんでもいいってなる。そうすると、やりたいこととか興味があることはおかしいとなってしまう。何より好きなのはお金でしょってなってしまうのは、戦後生まれでバブルのおかしい時代にいた人たちかもしれないです。

 

それと。良妻賢母で「模範的な母親として称賛されたい」「他のお母さんたちを指導する立場で尊敬されたい」。テレビの情報だったり、自分の感覚だけだったりするので。心というものは1円にもならないもの、医療保険をかけていれば病気になってくれた方が保険金が入って、口答えも自由にお金をつかうこともなくて、管理できてちょうどいい。

 

まともな人は「いるわけないじゃん、そんな母親」ってなるけれど、最近情報が増えてきた、共依存とか、親が発達障害とか、共感性がないとか。情報が増えたので助かってはいるけれど、仕事探さなきゃの焦りが死にたいくらいの不安になっていて、これが困りもの。ものすごい怪獣みたいな大きい存在の不安と恐怖。これをずっと感じているとリラックスできないし、体もものすごく痛くなったり、自分がとっても攻撃的になってしまうのが辛かったりする。「自分が悪いんでしょ」って言われて解決がないなら、1番の罰として死にたいけれど、死ぬのは親不孝とか、結局母親が中心にしかならないし、生きても死んでも「可哀想なお母さん」には変わりなくて、私自身の存在はなかったりする。

 

死ねば私自身は、無になってしまえば誰が何言おうと関係ないですが、死に損なうと世の中全体から悪人として、かといって自殺未遂だと刑務所にもはいれない。普通に生活している状態で前科持ちみたいな生活になって、会う日と会う人から責められ、私と仲良くしてくれる人とは永遠に引き剥がされる。生き地獄。

 

家族は、自分が悪いとは微塵も思わないし、気持ちを聞いたりもしないし、聞いても「何いってるのかわからないのよ」って思うので、勝手に「お友達にいじめられたんだわ、お友達をやめて家族とだけ接するようにして、教育しなおそう」となってしまう。

 

ずっと、繰り返し。私が辛い顔になると、ちゃんと子育てした感覚になるんだと思う。禁止して悲しむといいことをしたと思う、笑わないと精神科医に「最近笑わないんでニコニコと笑うようになる薬欲しいです、不機嫌な顔されるの嫌なんです」って薬で解決しようとする。ないので断られるけど、「なんでかしらん??」と笑っていたりする。

 

人の気持ちは、薬ではどうにもならないことが理解できない。理解できないけれど自分が正しいと思っているので薬を出さない先生が悪いとなってしまう。びっくりするほど自然に、相手がなんで暗い顔しているかわからず、笑って欲しいのは「自分の機嫌をとってほしいから」という都合でしかない。でなければ、そういう薬をくださいとはならない。あるとしたら覚醒剤くらい。

 

今日思い出して、これだと思ったのは。誕生日だったか、成人の日だったか。成人の日はバイトしていたんだけれど、誕生日にしても、成人式にしても、友人が花束をくれて、お祝いでお話ししていて帰宅が遅れた。帰宅が遅れた私がいけないんだけれど、「あんたは他人様にいただいたそんなものが嬉しいの」って泣き叫んだんだよね。泣きながら、夕食を食べた。家族で夕食を食べるのがお祝いでそれ以外があってはいけない。お祝いする日なのに、暗く泣きながら、反省しながら何時間も食卓を囲む、それが20歳の節目の日だった。

 

恨み言ではなく。普通は。誕生日とか成人とか、そういう時には主役がとにかく楽しめるように、とは思うよね。最近、ライブでお誕生日とか周りのもお祝いする機会が増えたけれど、やはり主役を怒鳴りつけたり悲しませたりというのはしないと思う。周りの方がお祝いしていたら、一人でも多く祝福されるのはいいことだよねって思う。

 

30過ぎてから、誰でもいいから子供作ってきてあんたは離婚して働いてくれればいい、なんなら結婚しなくていい、子供作ってよ。って無邪気な顔で言われたのも、深い傷で残っているのだけれど、それって、私が父を亡くして泣き言言わずに耐えてきたのも全くわかってないし、さらに両親の愛情をうけられずにおばあちゃんの思い通りにだけ育つ子供が欲しかっただけ、自分の欲を満たすだけって思ったら、どうしても忘れられなくて、自分の欲のためならという行動。

 

それでいて、友達もいないのに「みんな私と一緒にいたいのよ」という妙な自信があったりして。

 

思いつくまま書いてみたが、他のブログに書いてあった通り、50年なり、60年なり、それで生きてこられた人の考え方を周りが変えるのは不可能、だから離れるしかないのと、それで耐えてしまった考え方のクセを直さないといけない。いまはそれを一人でやらなければいけないという苦しさと、いつ抜けられるかわからないまま、もう死んでもいい年齢ではあるので、モチベーションが下がっているのはある。

 

まだ若い時は、そのうち道が開けるかもとモチベーションがあったんだけど、子供は産んだとして早く死ぬ親を持たせたら可哀想だなって気持ちがあるし、性格がこうだから、それ以前にパートナーがみつからないというのがあり。

 

母が60くらいの時「お母さんを変えるのは無理だから我慢するしかない」と言われたけれど、あれから20年。もっと変えられない、なんなら認知症が入ってくる年齢だし、生きているのが怖いというのがあったりする。

 

微妙な認知症になったらもっとわがままになるだろうし、傷つくことしかいわなくなるだろうし、自分が上と思っているから認知症なのに周りを管理したりキレたりするだろうし。

 

耐えるしかないと毎日自分に言い聞かせてはいるけれど、あと、考えを修正できない限り、仕事に就いても繰り返すから自分を変えなきゃと焦ってはいるけれど、同じパターンを繰り返して同じことを考えて、考えている自分が悪いといういつもの繰り返し。自分が悪いというところから抜けなければ、本心から変わらないといけないんだけれど、気をつければ気をつけれるほど、パニックを起こしてしまい、器の広い人たちに迷惑ばかりかけて、今の救いはそれでも否定しないでいてくれるところ。

 

依存するのではなく、身元引受人として名前が書けるようなパートナーがいればいいとか、その程度のあんまり欲のない願望はあるんだけど、要は今の戸籍から抜けたいのがあるんだけれど、後見人は結構お金がかかるし。それすら難しい。という、悩み。そうでないと、何かあった時には事情関係なく、実家に返される、母と兄が好きに管理できるという状況にしかならないし、そうなったら私の気持ちは全て無視されてしまう。楽しいと思うと「躁状態」と判断されて取り上げられてしまうので、仕事と家事以外は禁止になると思う。欲しいものも「私がいらないから欲しいと思うのはおかしい、無駄遣い」とされてしまうと思う。

 

希望も解決もない暗い内容のブログでオチはないんですが。誰かに聞くだけでも聞いて欲しい気持ちがあるんだろうと思うので、下書きにしないで公開してみます。明日の朝、削除するかもしれません。

睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮

ひとりごと、むにゃむにゃ

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