まだ一ヶ月にもならないが、id:kotobuki_84氏にはてな匿名ダイアリーで下記のように批判された。
法華狼さんへの反論①
まあそら「暇空への批判よりも法華狼イジリを優先するのは優先度が逆だ」という話をするなら、それはまあ確かにそうだと思うけど。
ただまあそれについては、左派やジェンダークレーマの度を超えた性的揶揄など加害行為を差し置いてオッタウヨクこそどーなんだ💢みたいなのが挙動の過半数を占める優先順位テレコマンこと法華狼さんに言われたくねーな少なくともお前より遥かにマシじゃいの気持ちが勝つかな
それを受けて、私自身は優先順位は個人の自由だと表明したうえで、下記エントリのコメント欄で以下のようにやりとりした*1。
「暇アノンと草津叩き界隈は同様のカス」と自認しているkotobuki_84氏だが、かつて暇な空白氏の支持者を「気持ちも分からんわけでは無い」と評していたことは忘れたのだろうか - 法華狼の日記
hokke-ookami
「お気持ち」にもとづく要望は問題ありませんが、具体的根拠をいっさい出さずにそういう気持ちを書かれても、私としてはあらためようがありませんね……
kotobuki_84
例えば高市早苗が女性差別的侮辱を受けているのをスルーしてジェンダーギャップ指数に話題を限定したり、例えば吉田恵里香を擁護する時だけは未成年女子キャラのスク水デカケツドアップ入浴シーンが地上波放送した点を問題視しなかったり、最近見ただけでも複数ありますが。(まあ過半数呼ばわりは誇大表現がすぎたかも知れませんね。別に統計とったとかでも無いので。ネット仕草が染み付いててすみません)
hokke-ookami
高市氏が与党自民党総裁に選出されて私が最初にふれたのは、正確性が疑われている「立法調査官」という肩書きについて、高市氏にとっても重視する必要はなかろうという話ですよ。
高市早苗氏のデビュー書籍を国会図書館デジタルコレクションの無料送信サービスで読むと、当初の本人は「米連邦議会立法調査官」という肩書を思ったよりアピールしていない気がした - 法華狼の日記
ジェンダーギャップ指数についてはフェミニストに対する批判が事実にそっていないという指摘であって、高市氏個人についてはあまり論じていませんし、フェミニストが受けている女性差別的な侮辱も同時にスルーしています。
フェミニストによる高市早苗政権への批判に、ジェンダーギャップ指数を反論としてもちだす反応がよくわからない - 法華狼の日記
おそらく原理的に、高市氏よりフェミニストが受けている女性差別的な侮辱が多いだろうに、そちらへのスルーを貴方がとがめないのはなぜでしょうか?
例えば吉田恵里香を擁護する時だけは未成年女子キャラのスク水デカケツドアップ入浴シーンが地上波放送した点を問題視しなかったり
ええと、それはつまり、未成年女子キャラのスク水デカケツドアップ入浴シーンが地上波放送された時に常に私が問題視してきたと貴方は主張するのですか? そうでなければ「だけ」という表現を使いませんよね?
むしろ私は、性的描写を削ったというアニメスタッフの話題でも、『ぼっち・ざ・ろっく』の話題でも、そこで抑制する制作者の意図はくみつつ、同時に消費者として抑制をはなれた表現を好むことを明言しているくらいです。
いちいち指示しないとアニメーターが手癖で女性の胸をゆらしてくるというディレクション体験談が、異論が殺到するほど信用できないものとも思えない - 法華狼の日記無責任な消費者のひとりとしては、失敗も覚悟してカットごとのアニメーターの裁量の自由度は高くあった方がTVアニメは楽しいことが多いとは思う。同時に、そうした冒険はディレクターからの否定を覚悟してやるべきとも思う。
『ぼっち・ざ・ろっく』のTVアニメ化で性的な描写を抑制したことが、関係者の合意でおこなわれたとなぜ考えられないのだろうか? - 法華狼の日記
消費者としての私的な心情をいえば、性的描写にかぎらず越権行為をはたらくくらいの末端の情熱は好ましいと思ってしまうし、そこで作品の完成度が多少は落ちるくらいがTVアニメは楽しくなるとは考えている。
そもそも下記エントリで言及した話題と同じく、私は性的描写の良し悪しは作品個々の企画や文脈にそって決まっていくと思っています。そこで個別の性的描写の巧拙は論じても、性的描写全般を問題視したことは一度もないと思います。
アニメを見る時に、女体のエロティックな表現がノイズになったりならなかったりするという話題 - 法華狼の日記
上記のようなエントリを読んだ上で、貴方の主張が維持できるというなら、その根拠と論理を示してください。
私の高市氏への言及がジェンダーギャップ指数関係だけのようにkotobuki_84氏が誤認したのは、はてなブックマークが集まったエントリしか目に入らなかったためだろう。ブログ内を検索すれば、それ以前に言及した事例がすぐ見つかるのだが。
アニメの性的描写にしても、直近ではてなブックマークが集まったエントリだけを見て、そのエントリのリンク先で表明した考えを確認しなかったのだろうと思う。複数のアニメ作品の感想を書いてきたが、性的描写そのものを嫌悪したことはないし、当然『ぼっち・ざ・ろっく』を例外あつかいした認識はない。
他人の優先順位すなわち党派性をはかろうとすれば、同時に自分自身の党派性が問われるのだ。
くわえてkotobuki_84氏とは以下のようにもやりとりした。
hokke-ookami
以上の流れで分かって欲しいんだけど、法華狼は仁藤夢乃とColaboの味方みたいな自認だろうと思うけど、実際にやってるのは「俺を批判したやつは即ち仁藤夢乃の敵であり暇アノンだぞ」なんだよな。
そうなのですか? そのようなことをされて一部でも撤回をすることになった貴方はいったい何なのですか?
kotobuki_84
例えるなら、「壊れた時計が偶然正しい時刻を指しているのを見て、特に逆張りするでもなく素直に正しい時刻を指していると認識し、それはそれとして壊れた時計は捨てるべきだよな」と考える人間です。
偶然にも正しい時刻を指した事を、壊れた時計として誇ってください。
これは党派性の比喩としては興味深いところがある。
正しい時刻を指している壊れた時計を見たことで正しい時刻に気づくことは難しい。基本的には他の時計で正しい時刻を知ってから、壊れた時計が偶然に正しい時刻を指していることに気づくものだろう。
しかし時計の正しさが人間の正しさの比喩であれば、完全に正しい時刻を指せる時計はきっと存在しない。太陽が出ている時だけ使える日時計、一定の短時間のみ正確にはかれる砂時計、人間の体調にとって役立つ腹時計、そんなさまざまな時計の得意不得意をてらしあわせて、正しい時刻がいつなのかをさぐっていくしかない。
だから党派性というものも、人間の興味関心や得意不得意から必然的に生まれるものであって、それを理解して議論するしかないのではないか。他人の優先順位を問題視したいなら、ただ優先順位があるというだけでは根拠として弱い。