【全編公開!】時代の気分を伝えることば/からだ――岐路に立つ小説家たちの「新しい文体」(町屋良平×山内マリコ×笠井康平)
はじめに
今年の3月にいぬのせなか座が刊行した笠井康平さんの作品集『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』には、小説家の町屋良平さんと山内マリコさんから推薦文をいただきました。
そのおふたりをお招きし、笠井康平さんが司会をつとめた鼎談が、2025年10月10日に収録されました(会場:ゆる学徒カフェ)。
テーマは、現代小説の「文体」。
小説を書くときの身体感覚から、フィクション/アーカイブの倫理、日本語による現代文芸の未来まで、幅広く意見が交わされました。
小説を書くときは「書いたものを忘れる」ようにするという町屋さん。睡眠を挟んで身体感覚を「更新」するために、その日に思いついたことをなるべく書き切るようになったといいます。
折しも収録日は、批評プロジェクト「小説の死後――(にも書かれる散文のために)」をめぐる論争がひと段落したばかり。現代小説の方法を新発明した作品について、時代のアーカイブを残す難しさも語ってくださいました。
山内さんは、時代ごとのリアリティラインを大切にし、無名の声を丹念に拾いながら、丁寧な取材・調査のもとで作品を書きつづけています。
山内さんは依頼に応じて「引き出し」を巧みに使い分け、自作をとことん「読みやすく」する日々に誇りを抱きながらも、己のすべてを使い果たせる小説は「圧倒的に疲れる」、ただそれでももっとも「元気で、楽しい」もののひとつだといいます。
鼎談後半では、おふたりから『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』の感想も伺いました。
町屋さんは、笠井さんが「膨大な情報」を強い意志で取捨選択し、「普通の小説家が飛びつくことに全く飛びつかない」と驚いていました。
山内さんは、純文学の制約からも、エンタメ小説の制約からも「自由度が高い」書き方で、インディーズの最高峰と商業出版のメインストリームを「いいとこ取り」していると評価します。
つづいて、現代小説の「文体」について話題になりました。
町屋さんは2015年を境にトレンドが変わり、作家たちに文学とエンタメの両立が求められるようになったと感じていて、その変化を象徴するのが2015年の又吉直樹『火花』と、2016年の村田沙耶香『コンビニ人間』だったのではないかと予想しています。
それを受けて笠井さんは、ケータイ小説ブーム以降の「第三勢力」として、ウェブ小説やインフルエンサー文芸が躍進し、別個の生態系を育んできたと指摘。川端康成の文芸時評にふれながら、おふたりに「現代小説の将来はどうなると思いますか」と問いかけました。
意外にも、3人の問題意識は大きく重なっていました。
韓国文学が日本市場で存在感を持った2010年代後半のトレンドは落ち着き、女性作家を中心に日本の現代小説が世界で評価されるようになった一方で、次なる「新発明」はいまだなされず、いくつもの「伸びしろ」が未開拓ではないか。
新刊書店の「文学」市場が縮小するなか、これからの小説家に求められる役割とは何か。あらゆるフィクションが情報を「面白く」してしまう時代に、「良心的な嘘つき」であるには、どのような正しさがありうるのか。
日本語による現代文芸の行方を前向きに展望した約3.4万字。動画版もYouTubeに全編無料公開しているので、お好みの形式でぜひ最後までご覧ください。
動画版
出演者プロフィール
笠井康平:1988年生まれ。作家・編集者、東京大学大学院博士後期課程(文化経営学)。主著に『私的なものへの配慮No.3』、『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』(いずれもいぬのせなか座)。近著に「作者再評価のダイナミクス:ジャパンサーチを用いた近世日本文学史の時系列分析」(人工知能学会)。
町屋良平:1983年生まれ。小説家。2016年に『青が破れる』で文藝賞。2019年に『1R1分34秒』で芥川賞。2021年『ほんのこども』が注目される(野間文芸新人賞、9月に文庫化)。近刊に『生きる演技』(2024年、織田作之助賞)、『私の小説』(2024年、川端康成文学賞・芸術選奨文部科学大臣賞)、『生活』(2025年)、「小説の死後――(にも書かれる散文のために)――」(書肆侃侃房ほか)など。『クイック・ジャパン』で「発光する、ら」、『文學界』で「無限水晶」連載中。
山内マリコ:1980年生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞。2012年の『ここは退屈迎えに来て』が注目される(2018年に映画化)。『アズミハルコは行方不明』『あのこは貴族』が映画化された。近刊に『一心同体だった』『逃亡するガール』『結婚とわたし』など。『すばる』で「アンダーステア」連載中。日本文藝家協会常務理事。
目次
現代小説の「文体」について
笠井:こんにちは。私が笠井康平です。今日は『さみしがりな恋人たちの履歴と送信』の刊行記念として、町屋良平さんと山内マリコさんにお越しいただきました。
町屋・山内:よろしくお願いします。
笠井:この本の刊行記念という名目で、これまで4組の方にお話を伺ってきました。小説家の青木淳悟さん、詩人の文月悠光さん、SF作家の樋口恭介さん、ヴァーバル・アート・ユニット「TOLTA」の河野聡子さんと山田亮太さん。そして、本日が最終回です。
ラストを締めくくるのは、この本の推薦文を書いてくださったおふたりです。
せっかく現代文芸の最前線で活躍されるおふたりをお迎えしましたので、今回は(小説家が出演するYouTube動画で)よくある「純文学とは何ですか?」とか「小説家の私生活とは?」といったトピックではなく、小説を読み・書く技術と感覚に踏み込んだ話を伺えたらと思います。
シンプルに言えば、今日のテーマは「文体」です。
曖昧な言葉ですから、私から辞書的な意味をざっくりと話しますと、まず第一に、言葉の「ドレスコード」を指すことがあります。敬体(です・ます)か、常体(だ・である)か。文語か、口語か。小説家の丸谷才一が歴史的仮名遣いを使い続けたように、フォーマル/カジュアルの選択でもあります。
また、「スタイル」の使い分けも文体だと言われます。日記、書簡、対談、演説、論文、物語など、場面に応じて意識して/せずに使い分けられています。文体は「キャラクター」の形容でもありますね。「村上春樹っぽい」とか「太宰治っぽい」みたいに、有名作家の文章論や、AIによる模倣といった場面で使われます。
より文学部っぽい話をすると、時代ごとに流行った表現の「モード」を指すこともあります。もはや僕らには想像しづらいですけど、かつてはひらがなと漢字を混ぜて書くこと自体が新しい文体でした。20世紀初頭には「言文一致体」と呼ばれる新たな表現が模索されました。第二次世界大戦後には、「昭和軽薄体」――喋り言葉っぽさを狙った、特徴的な語尾の書き方なども生まれました。
書き手(個人)の文体という言い方もします。書き手の身体性を、「私らしさ(自分らしさ)」をどう作り上げるか。そして、それを「どう見られたいか」。サイコグラフィック(心理的)なアイデンティティも、文体という言葉で語られます。……と、このままいくと込み入った話になりすぎるので、今日はおふたりに共通する質問を投げかけて、現代小説の「文体」についてお話を伺います。
「小説の死後」をめぐる論争
笠井:本題へ入る前に、山内さんは町屋さんをご存知でしたか。
山内:初めてお会いしたのは、安堂ホセさんが『DTOPIA』で芥川賞を受賞された際に、授賞式の後に版元主催の二次会へ連れていってもらったときですね。著作は文芸誌でよくお見かけしていて、すごく働いている方だなと思っていました。ちょうど私が『マリリン・トールド・ミー』を『文藝』に連載していたとき、『生きる演技』が一挙掲載されて(編注:『文藝』2023年秋号)。それが衝撃的だったのを覚えています。今回の対談がきっかけで、芥川賞を受賞された『1R1分34秒』をはじめ、過去作もさかのぼって読ませていただきました。
