グッバイ、祖母の運命の家はウチじゃない(前編)
80歳になるばあちゃんが、施設へ行く日がついにやってきた。
施設というと、なんか薄暗いイメージを持たれるかもしれない。「認知症対応型共同生活介護(グループホーム)」という、立派な名前がついている場所だ。
最初、様子がおかしいことに気づいたのは、母だった。
5年前のことである。
わたしは東京に住み、母と弟とばあちゃんは神戸に住んでいた。
母は大阪にある会社まで、片道一時間半ほど車を運転して帰っていた。夜7時をすぎて仕事が終わると、いつも祖母に電話をする。
「お母さん、なんか食べるもんある?」
忙しかった母は、昼ごはんを食べそこねることも多かった。お腹はペコペコだ。
すると、祖母は答える。
「夕飯作ったし、冷蔵庫にもなんなと(なんでも)あるで」
その言葉を信じ、母は一目散に家へ帰る。
すると、21時前にしてすでに床へ入っていた祖母が、沼の妖怪のようにズル…ズル…と這い出てきて、面倒くさそうに母を見る。
「ご飯、食べてきたんか?」
「食べてきてないで。電話したやん」
「そやったか?」
祖母は台所に立ち、冷蔵庫を開けてガチャガチャとなにかを探っている。
「はい」
ドンッと、母の前に皿が出される。
きゅうり一本だった。
「あとこれも」
茶碗に盛った白米が追随してくる。
「これだけ?」
「これしかないで」
火曜サスペンス劇場のテーマが、母の意識で鳴り響く。ジャンジャン、ジャーン!ジャンジャン、ジャーン!
へとへとになるまで働いて、夕飯を目当てにお腹ペコリーヌで帰ってきた母を待っていたのがきゅうり一本である。
かっぱ寿司の地下で、コストパフォーマンス維持の企業努力でかっぱたちが安価で働かされてたとしても、もう少し栄養のあるまかないを食べていると思う。
「文句言うなら食べんでいい!」と祖母が寝室に消えたあと、シャリ…シャリ…ときゅうりをかじる音が岸田家には響いていたという。いつかこれをサンプリングして『寂寥』という曲を作りたい。
またある日は、祖母によって肉を食べ尽くされた肉吸い(関西名物で肉うどんのうどん抜き料理)を、夕飯として出されたそうだ。それはただの吸いである。吸い。
ご飯があると思って家に帰ったら、ない。
この絶望感は、シロアリのごとく地味かつ確実に人の精神力を削っていくらしい。母はきゅうりの臭いをかぐだけで「ウウッ」とくぐもった声を漏らすようになった。
パッとコンビニへ買いに出りゃ済む話のように思えるが、歩けないので車いすに乗っている母にとっては、家から出るのも、車から降りるのも、一苦労だ。おまけにうちは田舎で、コンビニまでの道がそこそこ険しい。
電話ではシャッキリしてるはずのばあちゃんが、帰るとちぐはぐ。
きゅうりが、始まりの合図だった。
冷蔵庫の食料が、異常な速さで減るようになった。
イチゴジャムひと瓶が三日でなくなり、アルトバイエルンひと袋は三時間でなくなり、ミカン五個は三分でなくなる。
座敷わらしでも棲みついてんのかと思うが、ばあちゃんである。
弟が大好物であるニチレイの冷凍本格炒め炒飯をスーパーで買ってきて、ホクホク顔で冷凍庫に入れたら、一時間後にこつ然と姿を消していて膝から泣き崩れ、怒り狂ったことがある。
ダウン症でうまく話せないが、言葉を越えたなにかで人に好かれまくるとても温厚な弟だったので、あまりの様相にこれを岸田家炒飯事変と呼んでいる。
犯人は、ばあちゃんだ。
「なんで食べるん!」
一週間分の食料をやっとの思いで買ってきた母は、ばあちゃんを問いただす。
「食べてへんわ!」
「食べてるやん!」
「食べてへんっちゅーてるやろ!いやらしいこと言いなさんな!」
その数分後、ばあちゃんがタッパーいっぱいのお砂糖を全部ぺろりしたことが発覚した。死ぬで。
その年の健康診断で、ばあちゃんは医者が二度見するほどの血糖値を叩き出した。
「普通はこういう時、糖尿病予備軍って脅すんですけど……」
「はい」
「予備軍とはいえない数値です」
異例の最強傭兵が誕生してしまった。いきなり投入された本隊で、敵大将の首をお土産にしてくるやつ。
それでも、ばあちゃんの食欲は止まらなかった。
というか、食べたことを覚えていないのだ。本人は一日三食バランスよく食らってるつもりで、実際は八食くらい飲み込んでいる。
ばあちゃんの血糖値が右肩上がりするかわりに、母の体重が大暴落しはじめた。
これはあかんと思って、苦肉の策で作ったのが
「食べちゃダメ!」シールだ。AdobeのIllustratorで作った。罪悪感をフランクに誘発するよう、ギリ産んだ覚えはあるであろう母の顔写真を採用した。
20枚くらい印刷したつもりが、まちがえて200枚も届いたので母が「こんなにぎょーさん作ってどないすんねん!」と笑っていたが、一年で200枚を使い切ってしまうことを僕たちはまだ知らない。
このように使った。
最初はこれでなんとかなったが、それでもばあちゃんはたまに食べた。
母の大好物はイチゴのあまおうだ。しかしあまおうは高い。980円もする。毎晩、毎晩、一粒ずつ大切につまんで頬張るのが人生の楽しみらしい。
一度、深夜に起きたとき母があまおうを食べてるのを見たが、なんというか、インディー・ジョーンズかハムナプトラに出てくる呪いの宝石に魅了されている商人と同じ目をしていたので怖くて声をかけられなかった。
もちろんシールを貼っていたが、翌朝起きると、あまおうは無かった。
母は泣きながら
「やられた!」
と叫んだ。もうそれはネズミか何かに使う表現ではないのか。しかし悲しみと戸惑いに沈む岸田家では「ばあちゃんにやられた」が流行語大賞となってしまった。
一般的にこういうときは、冷蔵庫をわけたり、冷蔵庫に鍵をかけたりするのも良いらしいが、岸田家ではスペースの問題でそれは叶わなかった。
なんで、こんなにも食べることにこだわるのか。
不思議に思った。
昨年、わたしはばあちゃんがかつて住んでいた大阪の家を売る手続きをかわりに引き受けた。
ばあちゃんは、納豆についているカラシの小袋や、そばについているネギの小袋をすべて取っておいて、冷蔵庫にねじこむクセがある。そのおかげでうちの冷蔵庫は空っぽのくせに、どこもかしこも破裂した小袋でネトネトのベトベトだ。
大阪の家のなかは、その冷蔵庫とほぼ同じ状態になっていた。
業者に10万円ほど払って、中のものを引き取ってもらうことになったが、貴重品がないかだけ、ざっと確認した。
すると、ばあちゃんの昔のアルバムが出てきた。
ばあちゃんは、自分のことをあまり語らない。母も聞いたことがないそうだ。自分どころか、他人のことも。趣味もない。じいちゃんは早くに亡くなったが、それをどう思ってるのかもわからない。
ばあちゃんは、わたしが物心ついたときからばあちゃんで、過去も未来もないもんだと思っていた。だからアルバムに貼られた白黒写真は新鮮だった。
「お母さんと、お父さんと、きょうだいと」
手書きのふせんが貼られた、一枚の写真。
三重県の田園風景を背に、10人ほどの家族が映っている。一番、背の低いのがばあちゃんだった。
こんなに家族がいたのかとびっくりした。どこにいるんだ。会ったことないぞ。
もしかして、ばあちゃん、食べるのに苦労したのかな。兄弟が多いと、食卓は戦場って言うしな。
台所へ行く。生まれたときからマンションに住んでいたわたしにとって、ばあちゃんちの床下収納は斬新だったのでよく覚えている。ここへ入って閉じ込められる想像をしては、おしっこをちびり倒していた。
ばあちゃんは、昔からここになんでも食料を溜め込むクセがあった。
近所のじいさんがやってる商店で、巾着に入った中華そばとか、缶詰のミカンとかを買っては、冬眠前のクマみたいにここへ投げ込むのだ。
わたしのAmazonのアカウントのカートには、ずっと、冷蔵庫用の鍵が入っていた。
どうしても、どうしても、それを買う勇気が出なかった。
とぼとぼと家に帰ったら、お楽しみにとっておいた塩元帥の冷凍塩らーめんが、ばあちゃんにやられていた。
ばあちゃんに、食べ物をわけてもらえることもある。
ばあちゃんはりんご、スイカ、パンが好きだ。
それらをムシャムシャと食べる。すると、皮や耳が残る。
「ほれっ」
その皮や耳をフォークに突き刺して、よこすのだ。
孫をカブトムシかなにかだと思ってらっしゃる?
弟はまじめなので、最初はパンの耳を丁重に受け取ってトースターで焼くなどしておやつにしていたが、さすがにいたたまれなくなって、止めた。
「なんやねん、もったいない!」
立腹したばあちゃんは、犬の梅吉にあげるようになった。
やめろ。
やっていいことと、悪いことがある。犬には毒だ。わたしは怒った。
この頃には怒っても、1日で記憶がリセットされるようになってるので、毎日怒った。リビングのホワイトボードにも「やめましょう 犬には毒だよ その皮は」と標語をでかでかと書いた。
しかし、目を離すとすぐ、ばあちゃんは梅吉に皮をやった。わたしと母の気は休まらなくなり、冷蔵庫をあける音がすると、寝床から飛び出て、梅吉を回収した。
「何十年も前、うちに犬がいて」
母が、おもむろに語りだす。
「メグちゃんっていう、おじいちゃんがどこからかもらってきた犬やねんけど」
「うん」
「エサ、あげた記憶がないねん」
「えっ?」
「実家の長屋の前で放し飼いにされてて。誰かが小さいほったて小屋みたいなん作って、長屋の住民が適当に夕飯の残りをあげたり、ホースで水あげたりするっていう」
「ええ……」
「今となっちゃありえんけど、昔は、下町にはそういう犬がいっぱいおったんよ」
すごい話だ。たしかに、その時の記憶が色濃く染み付いているのであれば、犬というのは残飯を食べさせるものだと思っているのかもしれない。ここは昭和ではないのだ。
幸いにも梅吉はお腹をくだしたこともないし、今の内蔵の数値も良好である。しかし梅吉をばあちゃんから守る、という任務が加わった岸田家は、倍速で疲弊していった。
おばあちゃんは、たぶん、認知症がはじまっている。
なぜか「認知症」よりも「ボケ」の方が、重々しくない気がして「ボケがはじまってると思う」という言い方をした。
母は
「そうやんなあ」
悩みながらも
「でも、もの忘れは、年いったらみんな出てくるし……まだ、まだ大丈夫やと思うねん。まあ、もうちょっとしたら、ちゃんと考えよ」
と言った。
いま思うと問題を先延ばしにしてただけだが、母を責めることはできない。
なんというか、こう、緩やかに問題が悪化していくと、気づけないのだ。変化が怖かった。
ばあちゃんが認知症という事実を認めたら、うちはどうなるんだろう。いま、仕事や生活でいっぱいいっぱいなのに、その変わりように耐えられるだろうか。
なにかが大きく変わってしまうのであれば、ちょっとぐらいしんどくても、現状維持でいいや。だって、どうにかなってんだし。そんなことより、明日の仕事のタスクはなんだっけ?週末はスーパーでなにを買うんだっけ?
そんな気持ちだった。
家族は、いうても集団だ。死ぬ確率を少しでも下げるための集団だ。変化に弱い。緩やかに悪い方向へ向かっていったとしても。できるだけ変化せずに、なんとかしようとするし、なってしまう。
そんな状態を打破せざるをえなくなったのが、2021年2月の事件だった。
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コメント
9認知症って、始まりは ほんのちょっとした変化なんですよね。義父がそうでした。変化は加速度的に増して言って 気がついたら私、着のみ着のまま追い出されてましたもん。「大丈夫、これくらい、大丈夫」って全然 大丈夫じゃなかった。今なら分かるわ。
人は変わる。50年もあれば,町も変わる。家なんて10年あれば変わるし、部屋だって5年で十分かわる。冷蔵庫もかわるし洗濯機もかわる。食べもんなんて3日で変わる。そして、人の心なんてコロコロ瞬時に変わるから「ココロ」というなんて、俗説もあるくらいで。鳴いたカラスがもう笑う。おしゃかさまは、こういうの「諸行無常」とまとめてくださったんですな。
私の友達で子どもいる人みーんな、全員、自分がボケたり、介護が必要な病気になったら施設行きたいって言ってるよ。その方が自分も心置きなく過ごせるし、第一に子どもに自分のことで苦労かけたくないからね。きっとばーちゃんもそう思ってたはず。はずはず。ぜったい。
祖母は転んでから動けなくなり施設に入りました。
父が亡くなっているから祖母よりも小さい母では立たせたりも無理で。施設の方々は本当に温かく、祖母もゆっくり過ごせたとおもいます。
離れる方がいいこともありますよね。
ご家族のみなさんが心穏やかに過ごせますように。
タイトル、ヒゲダンですね♪何回か読んでやっと気付きました🤣