こんにちは。ぱなしのお玲です。
今日の目次です。
ご意見を頂きました。
先日私が書いた「しゅんき氏の文章が、発達障害すぎて辛い。」に対して、しゅんき氏の関係者の方(以下X氏)から、丁寧なメッセージを頂きました。
簡潔に言うと、X氏の「心が傷ついた」ために私に配慮を求める、という内容でした。
それぞれの配慮
私は、X氏の心が傷ついた事実にお詫びをし、当該箇所の修正を申し出ました。しかし、X氏は、記事の修正・削除は望んでおらず、代わりに「多方面への配慮」を求める、ということでした。
不可能な指示
正直なところ、私は困惑してしまいました。X氏の指示がひどく曖昧なものに感じたからです。
「多方面への配慮」とは、あまりに内容が抽象的であり、定義が不明確です。
また、X氏の要求を完全に履行するのは、誰にも不可能だとも感じました。
なぜなら、世の中は想像を超える多様性に満ちており、どんなに気を配っても、誰かの気持ちを少しも損ねないような文章を書くことは不可能である、と私は思っているからです。それはまた、しゅんき氏の文章に賛否両論あるのと、まったく同じことです。
誠実さの違い
恐らく、定型発達の世界では、X氏の要求に「わかりました」と答えるのが期待されているマナーであり、「誠実な」態度なんだろうな、というのはなんとなくわかります。
つまり、その場を収めるために「わかりました。以後気をつけます」と答えるのがマナーであり、「波風を立てない」ことを最重要視するコミュニケーションスタイルのことです。
定型発達が多数派を占める社会で何十年と生きてきたので、私でも推測はできます。
ただ、発達障害である私にとって「できない約束をする」ことはとても不誠実なことです。そんな誠実みに欠けること、私には出来ません。
私の回答
そのため、X氏には要望には同意しかねる旨、その理由を添えてお伝えしました。すると、残念なことに、二晩続けて頂いていたメールが、そこで途絶えてしまいました。
恐らく、がっかりさせてしまったのだと思います。ご期待に添うことができず、非常に申し訳なく思っています。
境界線の違い
もう1つ、私が感じたことがあります。X氏と私の「境界線」の引き方に関する決定的な違いについてです。
私は理解不能なものに「恐怖」を感じたら➡距離を置く(関わらない)、という選択をすると、当該ブログで申し上げました。これは、相手を尊重しつつ、自分を守るスタイルです。
一方X氏は、自分の感情が揺さぶられたら➡相手に配慮(是正)を求める、という選択を取りました。相手に働きかけることで、自分の感情を解決しようとするスタイルです。
私は、相手と自分との間に境界線を引きますが、X氏は自分と相手との境界線が曖昧な人物のように感じました。
それは例えば、自分のことではないことで今回X氏が傷ついてしまったことからも類推することができます。
境界線について、ここでは詳しく解説するのを避けます。気になる方は、ご自身でお調べ頂くことをオススメします。
まとめます
X氏と私との間には、次の相違点があったために、議論が平行線になってしまったと考えています。
■誠実さの違い
私の誠実さ:できないことは約束せず、自分ができる範囲での配慮(謝罪と修正)を申し出ること。
X氏の誠実さ:相手と同じ気持ちであると示すこと(例えそれが嘘でも、「多方面への配慮」を約束すること)。
■境界線の違い
私の境界線:自分の感情は自分のもの、他人の感情は他人のもの。不快な感情が湧いたら、対象から離れることで解決を図る。
X氏の境界線:自分と他人の境界線が溶け合っているため、関係者が批判されると自分が攻撃されたと感じ、自分の感情を鎮めるために相手に働きかける。
上記2つの違いから、お互いが満足できる着地点を見い出せなかったのだろうと思います。そのことは、非常に残念に感じています。
最後に
ただ、X氏とのメールのやり取りは、私にとってはとても刺激的で、示唆に富んだものでした。貴重な体験をさせていただき、大変感謝しています。ありがとうございました。
当該記事です。