インターネットを見ていると、LTは5分だ、とか、アドベントカレンダーは25日だ、といった主張がある。
LT (Lightning Talk) は5分派の意見
LT (Lightning Talk) は YAPC 19100 で初めて使われた呼称で、5分間のトークのこと。
近年は10分LTなんかもあるが、5分がちょうどよいと感じている人が多い。
LTの歴史は daiksy さんのブログに詳しい。
「LT5分でないとだめ」という原理主義的な発言も見られる。
5分だから面白いという意見も。
10分トークとかにしてLTとは呼ばない
LTは5分だからこそ面白い - An Epicurean
という提案がなされたりもしている。
アドベントカレンダーは25日派の意見
技術系アドベントカレンダーが近年流行っている。何ならこの記事もその文脈で書かれている。
英語のPerl Advent Calendarが発祥である。
さらに元を辿ると、キリストの降誕を待ち望む期間の日めくりカレンダーである。
技術系アドベントカレンダーの歴史は Songmu さんの記事に詳しい。
アドベント期間を外れているのにアドベントカレンダーを名乗るのは良くないと私は考えています。それは元の文化への理解に欠ける行為に感じるからです
という考えが述べられている。
一方、当社(株式会社はてな)では、はてなエンジニア Advent Calendar 2024往復しました! - Hatena Developer Blogというように、一般的な12月1日~24日(あるいは25日)を外れた期間まで50日もアドベントカレンダーを続けている。
起源への敬意
LTの起源はこちらとされている。
The YAPC (Yet Another Perl Conference) 19100 Conference came up with the term "lightning talk" at Carnegie Mellon University in Pittsburgh.
Lightning talk - Wikipedia
冒頭に書いたように、Lightning Talk という言葉が初めて用いられた YAPC 19100 において、その制限時間が5分だったことは記録に残っている事実であり、自分はそこに疑義はない。
また、LTの特徴として、Songmu さんは以下のように書いている。
LTは「失敗しちゃって良い」フォーマットなのだ。5分なのだからそこまで準備もちゃんとしなくて良い。スライド無しでやっても良いし、楽器を弾いたって良い。登壇者が緊張してしまっても5分経てば切ってもらえる。聴衆にとってnot for meな発表であっても5分だけ我慢すれば良い。
LTは5分だからこそ面白い - An Epicurean
自分も、Songmu さんのこの話に共感している。
考案者の Mark J. Dominus さん自身が「準備も簡単出し、失敗してもすぐ終わる」という説明をされている。
Maybe you're nervous and you're afraid you'll mess up. It's a lot easier to plan and deliver a five minute talk than it is to deliver a long talk. And if you do mess up, at least the painful part will be over quickly.
Lightning Talks
こうした起源や、考案者の考えには一定の敬意を払うべきだ、という考えも理解できる。
さて、共感も理解もあるが、「一定の敬意」が「押し付け」になってしまうことには疑問がある。なんで疑問があるかということをこれから述べていく。
そもそもそんなに厳密なものだっけ
たとえばLTについて、英語版 wikipedia にも 「few minutes」とか「between five and ten minutes long」という記述があり、定義としては緩い。
A lightning talk is a very short presentation lasting only a few minutes, given at a conference or similar forum.
Lightning talk - Wikipedia
Lightning talks are designed to be short presentations between five and ten minutes long, but are usually capped at five minutes.
Lightning talk - Wikipedia
また、アドベントカレンダーについても、例えば市販されているチョコを開けていくようなカレンダーは24日だが、技術系ブログにおけるそれは25日書くものが多い。
そもそも、宗教的な文脈における本来のアドベントは、クリスマス前の4回目の日曜日から始まるため、その開始日は11月27日から12月3日の間で毎年変動する。
西方教会では、教会の1年は待降節から始まる。11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まる。
アドベント - Wikipedia
これは西方教会におけるアドベントで、さらに言えば東方教会では11月15日あたりが待降節の始まりであるらしい。
守るべき「アドベント期間」があるとしたらどれを指すのか。
どの時代の誰に向けての敬意なのか
LTの起源である YAPC 19100 での発表時間が5分であった。またそれが盛り上がり、今日まで続く技術系カンファレンスの文化にまでなったことには敬意を払うべきである、ということには自分も共感・理解がある。
しかし、LTはまさに「文化」としての広がりを見せたからこそ、10分や3分で行われる事も増えてきた。YAPC 19100 は 2000年開催で、まだ25年の歴史しかない。株式会社はてなの歴史と1年程度の差だ。
「手に届く過去」だから敬意を示すべき、と思ってはいないだろうか?
アドベントカレンダーの歴史を簡単にまとめるとこんな感じになるだろう。
- 19世紀
- キリストの降誕を待ち、チョークの線やろうそくでカウントダウン
- 20世紀初頭
- ゲルハルト・ラングによる商業化。印刷された絵入りアドベントカレンダー
- 20世紀中期
- 菓子メーカーによる、チョコレート入りアドベントカレンダー。小さな玩具入なども
- 現代
- コスメ、アルコールなど多様なアドベントカレンダー
- 技術コミュニティにおける技術ブログ
起源を尊ぶなら、技術系アドベントカレンダーがアドベント期間外に書かれることよりも、「商業化」の方が本来の降誕節への敬意に欠けていると言えないだろうか。
実際、クリスマスの世俗化、降誕祭の商業化にはそれぞれ、当時の教会が歓迎しなかったという記録も残っている。さて、我々は過去に敬意を払う時に、どの時代の誰に敬意を払えばいいのだろうか。繰り返すが、「手に届く過去」に敬意を示すべき、と思ってはいないだろうか?
また、「宗教的な催し」であるから尊重すべきという主張には、非宗教的な催しは尊重すべきでないのかという疑問もある。
それは盗用なのか、変容なのか
ここまで書いてきた通り、この技術系アドベントカレンダーは、元々宗教色のある物がアレンジされ、日本で独自発展しているものです。私はこれが文化の盗用(cultural appropriation)のような形で批判されないか少し心配しています。
技術系アドベントカレンダーの歴史に思うこと | おそらくはそれさえも平凡な日々
Appropriation(流用・盗用)と対を成す言葉に、Acculturation(変容)という言葉があると思う。(cf. Cultural Appropriation or Acculturation? 2 Critical Insights)
文化は変容するものであり、ある瞬間に置いて正しい言説が、時間を置くとそうではなくなっていることも多々ある。
「誤用警察」という言葉がある。インターネット上で言葉の誤用を指摘する人たちを指す言葉である。
たとえば「入籍する」という言葉は本来は「すでにある戸籍に入ること」を指すが、婚姻するという文脈で誤用されることが多い言葉であった。現代においては、誤用が一般化しつつあり、一部の辞書・辞典には俗語として「婚姻する」の意味が載せられるケースも増えてきている。
2 俗に、男女が婚姻届を出して新しい戸籍を作り、そこに入ること。
入籍(ニュウセキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
言葉の意味は変容するもので、「確信犯」なども元々は誤用とされていた用法が俗語として国語辞典に掲載されたなど枚挙にいとまがない。
これまで岩波国語辞典が「全くの誤用」としていた「確信犯」の新しい使い方は、8版で俗用扱いになりました
あの言葉の「誤用」 岩国8版ではどうなった? – 毎日ことばplus
言葉の意味や文化が変容するものであるという前提に立つと、「オリジンと異なる」という指摘はある期間までは有効だが、別の用法が一般化した場合はそれを受け入れるという姿勢も必要であろう。
まとめ:意見は自由だが、バイアスに気をつけたい
「アンカリング効果」や「ナイーブ・リアリズム」という認知バイアスがある。
アンカリングとは認知バイアスの一種であり、先行する何らかの数値(アンカー)によって後の数値の判断が歪められ、判断された数値がアンカーに近づく傾向をさす。
アンカリング - Wikipedia
私たちは、自分は客観的に現実を認識しており、客観性のある人は、自分と同じように現実を認識するはずだと信じています。そして、この信念ゆえに、他の人の認識が自分と異なると、その人の考え方は不正確で、歪んでいるように感じるようです。このような信念を、ナイーブ・リアリズムと言います。
ナイーブ・リアリズム | 他者・自己に関する認知バイアス | 錯思コレクション100
先に得た情報によって、のちの判断が歪んでしまっていないか。また、自分の客観性を過信しすぎていないか、といったことに気をつけたい。
長々と書いてきたが、自分も「LTは5分がよい」と思っているし、このアドベントカレンダーも24日で終えようと思っている。それらの起源に敬意を払いたいし、それが自分にとって気持ち良いからだ。一方で、LTが10分でもいいし、アドベントカレンダーを50日書いてもいいと思う。
「LTは5分でなければならぬ、それ以外は認めない」「アドベント期間を外れているのにアドベントカレンダーを名乗るのは良くない」といった意見を持つのも自由だが、それを押し付けないようにしたいな、と思う。文化の変容に寛容でいたいし、それがバイアスに囚われていないか、自覚的になろうと思っている。
知り合いの発言を引用しケチをつけるような記事を書いてしまったが、繰り返し書いているように、意見を持つことは自由であるし、尊重する。「宇宙世紀しかガンダムとして認めない」という意見もあろうが、「Gガンダムも面白いよ」という意見もあるよ、みたいな話である。
意見OK、押し付け・バイアスには注意しようぜ、というonishiアドベントカレンダー19日目でした。