Post

Conversation

これは、かなり危ういメッセージだと思う 正直に言うと、この記事を読んで、少し嫌な既視感があった。 表向きは 「個人の見解」「政権内で議論はない」 と距離を取っている。 でも、政治的にはこれで十分だ。 空気は、もう作られている。 辛辣に言えば、これは—— 責任を取らずに核武装を言い始めるための、いちばんずるいやり方だと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーー 《「議論はない」と言いながら、言うことは全部言っている》 官邸がこの記事でやっていることは、驚くほど単純だ。 ・安全保障環境は厳しい ・中国・ロシア・北朝鮮が脅威 ・米国の核抑止は揺らいでいるかもしれない ・日本独自の核保有を「考える必要」はある ——ここまで並べておいて、 最後にこう言う。 「ただし、政権内で議論しているわけではない」 これは 議論していないのではなく、 責任を引き受けないまま、世論に投げているということだ。 政治の世界では、 「議論はしていないが、論点は提示する」というのは、 ほぼ例外なく、観測気球の初期段階だと思っている。 ーーーーー 《「個人の見解」という便利すぎる言葉》 ここで言う「個人」は、普通の個人じゃない。 官邸幹部で、 首相に安全保障について意見具申する立場で、 メディアからは「官邸の声」として受け取られる存在。 この人の発言は、 制度上は個人でも、政治的には準公式だ。 本当に思いつきなら、 なぜ官邸が説明するのか。 なぜNPTや非核三原則まで持ち出すのか。 答えはシンプルで、 世論の反応を測っているだけだと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 《非核三原則は、もう静かに削られている》 特に気になったのは、最後の部分だ。 「持ち込ませず」の見直しには触れる。 でも「非核三原則の堅持」を引き継ぐかは、はっきり言わない。 これはつまり、 核武装は無理でも、核との距離は縮めたいというメッセージに見える。 想定されているのは、 ・核共有 ・核持ち込みの黙認 ・抑止の拡張解釈 核武装の是非以前に、 戦後日本が大事にしてきた安全保障の倫理が、 音を立てずに削られている気がする。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 《一番の問題は、「戦略」がまったく見えないこと》 日本が核を持った場合、 ・外交的な代償 ・経済制裁のリスク ・NPT体制への影響 ・アジアでの核ドミノ ・そして、国民的合意の不在 こうした話は、ほとんど出てこない。 語られるのは、脅威だけだ。 それは戦略というより、 不安を材料にした政治に見える。 核は「持てば安心」な兵器じゃない。 むしろ持った瞬間、 日本は今よりずっと不安定な立場に置かれる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 《結局、これは何なのか》 この発言は、 現実主義でもなく、 腰を据えた安全保障論でもない。 責任を取らずに空気だけを動かそうとする政治だと思う。 本気で核を論じるなら、 首相自身が、 国会で、 正面から、 国民に説明し、 代償も含めて議論するしかない。 それをせず、 幹部の「個人の見解」で探りを入れる。 これは、 成熟した民主主義国家の姿には見えない。 むしろこの一件は、 日本が「正面から議論することを避け続けてきた国」だということを、 あらためて示してしまっているように思う。