田代まさし・街録chで意外と歴史的なこと喋ってるのに山下達郎ファンも大瀧詠一ファンも話題にしてない件
田代まさし、世間的には無限に逮捕と釈放を繰り返しているピーチ姫の如き人物としてお馴染みであろう。しかし……私に言わせれば田代まさしの真髄は犯罪ではない。実は日本ドゥーワップ史に残る偉大なミュージシャンであるのだが、数々の犯罪により偉業も消し飛んでいるのだ。もっと再評価されるべきではないか? そのために本稿を書いてみよう。
犯罪以外の田代まさしの所業をよく知らないという人でも、「め組のひと」はご存知の方が多いのではないだろうか。実はあれは田代まさしが構成員メンバーだったex.シャネルズ、ラッツ&スターのシングルだ。
「ランナウェイ」でスマッシュヒットを飛ばす前のシャネルズに目をつけていたのが何を隠そう日本有数のドゥーワップ狂いである山下達郎。友達もおらず1人でドゥーワップ道を探求していた山下達郎的には、ドゥーワップ集団の出現は到底信じられなかったらしく、存在そのものを当初は疑っている。
達郎「シャネルズってアマチュアバンドだったんですよ、最初」
— 山下達郎-bot / unofficial (@tatsurotalkin) February 5, 2020
桑田佳祐「はいはい、それは存じております」
達郎「それでドゥー・ワップやってるアマチュアバンドなんて当時、絶無でそんなのなかったんです。私は友達いないから一人でアカペラやってたんですからね」
意外と令和の若者の皆様はご存知ないだろうが、鈴木雅之と田代まさしというのは同じグループのメンバーであり親友であったのだ。鈴木雅之には謎の行動力があった模様で、大瀧詠一ファンにはお馴染み・福生のスタジオに突撃及び出待ちを敢行している。
優れたハーモニー・ワークでドゥー・ワップを歌う。そんなシャネルズにデビュー前から着目していたのが大滝詠一と山下達郎だった。マーティンはまずシャネルズの音楽を直接聴いてもらおうと、“福生の御隠居”と言われていた大滝詠一のもとを訪ねることにした。マーティンの生家から、ようやく探し当てた東京・瑞穂町の大滝邸までは50kmくらい離れている。そこへオートバイを走らせた。けれども、いきなり見ず知らずのオートバイ青年が訪ねて行っても、すぐに会ってくれる訳が無い。何度か訪ねて、雨の日には門の外で待った。後に大滝詠一は、“あの根気は凄かった”と教えてくれた。
そして2024年1月1日に更新された田代まさしの「街録ch」。田代まさし的には山下達郎・大瀧詠一にお世話になった過去は別に黒歴史でもないらしく、普通に名前を出して喋っている……のだが観測範囲にある山下達郎ファン・ナイアガラー、びっくりするほど誰も話題にしてない。
令和の世に田代まさしの動向を真剣に気にしているのはもしかして私だけなのだろうか?
該当部分は動画の28分付近からだ。
だから後に山下達郎さんとか、大瀧詠一さんに、お前達のおかげで自分たちの好きな音楽が作れるようになってありがとうなってお礼言われたことがあるから。俺たちがデビューしてなかったらアカペラのアルバムとか出してないから。(中略)で、後に鈴木雅之のアルバムを山下達郎さんとか大瀧詠一さんがプロデュースするようになる。
このくだり、私が勝手に推測するにアカペラのアルバムというのは恐らく山下達郎「ON THE STREET CORNER」シリーズを指しているのであろう。「ON THE STREET CORNER」第一弾がリリースされたのは1980年12月。シャネルズのレコードデビューは1980年2月だ。大瀧詠一とシャネルズが初めて仕事で絡んだのは記録を見るに1978年「LET'S ONDO AGAIN」なので、時系列的には辻褄は合っている。山下達郎がシャネルズの存在を発見したのが具体的に何年何月なのかは現在調べられる一次資料には示されていないが、山下達郎と大瀧詠一はマジの親友なので、状況証拠からして大瀧詠一がシャネルズと絡んでいればイコールで山下達郎も1978年には存在を知っていると認定しても良いと思われる。
つまり……田代まさし、2024年の世に意外な角度から「ON THE STREET CORNER」の制作秘話を明かしてくれたのでは?
しかしこの件を誰も指摘していない。「田代まさし 山下達郎」などでツイート検索しても、本当に誰1人として言及していない。
「お前達のおかげで自分たちの好きな音楽が作れるようになってありがとうな」の発言が山下達郎からされたのか、大瀧詠一からされたのかは田代まさしから具体的に示されていないが、後段の「アカペラのアルバム」発言に繋がりそうなのは山下達郎か大瀧詠一かの50%でいえば明らかに山下達郎だ。
もし山下達郎が「シャネルズのおかげ」と認定して「ON THE STREET CORNER」を制作したエピソードを田代まさしを信じて真実だと認定するなら、裏話として非常に興味深いものとなってくる。もちろん田代まさしが盛っている可能性もあるのだが……現在の田代まさしが当時の山下達郎に関して特に「話を盛る必要」があるとも思わないので、案外このエピソード、真実に近いのではないだろうか。
「ON THE STREET CORNER」の意外なる裏話。この件に関しては山下達郎に対してサンソンにご質問のおたよりを何度かお送りしたのだが特に応答はない。サンソンのハガキ……それは壮絶な倍率なのだ。
まあ、もし間違ってたらご意見を表明してくれる気がするので、合ってる……のかも……?
という旨を書き上げた後、「古の世を知る山下達郎オタクの意見が1人くらい欲しいな……」と思い、とある人物に上記の原稿を送りつけた。
実の父である。
普段私の繰り広げている数々の暴挙をお読みの皆さんは驚愕そして横転するかもしれないが、実は私がインターネットに書いていることというのは概ね父公認なのだ。
以前「山下達郎ガチオタになるまでの壮大なあらすじ」の記事でも書いたが、身も蓋もないことを言ってしまうと元々父が山下達郎ガチオタな私。見解を聞いてみよう。
こちらの記事でも書いているが、父のライブ初参戦は「POCKET MUSIC」を引っ提げたツアー・PERFORMANCE'86。70年代後半〜80年代のファンたちの歴史認識に関しては恐らく私より詳しいのでは? と思い、問い合わせてみた。
父「達郎さんは鈴木雅之とは(シャネルズの)デビュー前から接点があったとどこかで読んだ気がする。中古レコード屋で同じジャンルを漁る同士で顔見知りだったとかそんな記事じゃないかな? なので80年代からの達郎ファンには、シャネルズの面々と達郎さんは旧知の仲という歴史認識だと思う」
このエピソードの初出がいつなのかは不明だが、山下達郎と鈴木雅之の出会いがレコードショップである件については2024年5月25日、鈴木雅之への音楽ナタリーのインタビューにも掲載されている。
大阪の「FOREVER RECORDS」が年に1回、神保町にレコードをいっぱい持ってきてバーゲンセールをやるんだけど、そこで僕は同じくレコードを買い漁ってる山下達郎さんと出会ってるんです。
また、2000年3月4日放送「LOVE LOVE あいしてる」鈴木雅之ゲスト回のフジテレビwebサイト公式書き起こしでもこのエピソードは語られている。鈴木雅之が「20歳ぐらい」と言っているので、鈴木雅之の記憶が正しければ2人の出会いは1976〜77年頃ということになる。
ちょうどね,僕が二十歳ぐらいかな?大阪のほうのこういう当時のプレミアがついてるようなレコードを年に一回だけ東京でセールみたいのがあってね.そこで初めて山下達郎さんと知り合ったのがそこだったのね.知り合ったというよりは,達郎さんもそのセールに来てて,あの人は軍手をはめてレコードを買い漁ってたの.軍手をはめて買い漁ってるから「誰だろう?こいつ」って思ったわけ,最初.そしたら「あ,山下達郎さんだ」って.これは後で聞いたんだけど,「なんで軍手はめてたの?」って聞いたら,軍手はめてるとね,めくるのが早いらしいの.あと,手が汚れるでしょ.その二つで.やっぱり1枚で1万か2万とか.これでも俺が19か二十歳の頃で2万ぐらいしたかな.これ,ドゥ・ワップのグループでキャデラックスっていうんだけど.達郎さんも買い漁りながら自分の手元に「これとこれと」って寄せてるわけでしょ.そうすると,だいたい俺が欲しいなと思ってるレコード全部買い漁ってるわけ.
父「シャネルズの登場により『ON THE STREET CORNER』の企画が通りやすくなったというのは確かにあるだろうね。田代まさしが盛って話してるわけでもないんじゃないかな。まあでも(一次資料の文献でも参照できるが)『ON THE STREET CORNER』を出せた一番の理由は『RIDE ON TIME』が売れたからでしょう」
で、これはあくまでも山野家・父の個人的見解であるが、数々の大犯罪を繰り広げすっかりイメージが変わってしまう前の田代まさしのリアルを「お笑い芸人」というより「ミュージシャン」の側面から知る山下達郎オタクの意見として貴重ではないだろうか?
父「シャネルズと達郎さんを同時代で見てきた者の肌感覚としては、確かにドゥーワップというジャンルを広めたシャネルズの功績は大きいけど割と歌謡曲に寄せたそれで、達郎さんのアプローチと方向が違うから、『お前達の……』発言は、『シャネルズ頑張ってるね』とか『同好の士』としての連帯からの発言、あといつもの『シャレですシャレ』のニュアンスが含まれているのかなあと感じました」
わからず読んでいる方のために注記すると、「シャレですシャレ」というのは江戸っ子・山下達郎がラジオやMCなどで頻繁に放つ「全てをいい感じに収束させる」キーワードであり、なんと公式LINEスタンプにまで収録されている。山下達郎は、何を発言しようとも「シャレですシャレ」で話をまとめればオチると思っている節がある。
父「達郎さんがあえて田代まさしの名前をメディアで取り上げることがないのは、単に鈴木雅之ほどの音楽的接点が無いって感じなのかもね? あとまあ相手方……(以下今や地獄にいるジジイの起こした事件に関する親子論考になってしまうため自粛)」
……というオタクの意見であった。地獄にいるジジイに対する親子論考については本稿にあまり関係ないので全カットしたが、そのうち奇妙な家庭内朝まで生テレビとしてどこかの世に出そう……かな……?



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