職場に、なぜか雑用が全部集まる女性がいた。
コピー。
来客対応。
議事録。
後片付け。
誰もやらない仕事が、
気づくと自然に、彼女の席に積まれていく。
本人は文句を言わない。
頼まれたら、淡々とやる。
だから余計に、「お願いしやすい人」になっていた。
ある日、課長が
周りに聞こえる声で、こう言った。
「まあ、放っといていいでしょ。
どうせ〇〇さんがやるから。」
その場は、変な笑いで流れた。
誰も止めなかった。
本人も、反論しなかった。
顔色も変えなかった。
ただ、その一言を
静かに、録音していた。
数週間後。
その音声は、人事に提出された。
ハラスメント案件として、正式に扱われた。
怒鳴り返す必要もなかった。
泣く必要も、感情をぶつける必要もなかった。
ただ、
事実を出しただけ。
人事として一番重く受け取るのは、
こういう何気ない一言だったりする。
「困るのは本人だから」
「どうせやる人がいるから」
この言葉、
配慮でも冗談でもない。
私はこう感じている。
これは、
責任放棄と支配を、同時に言語化してしまった発言なんだと。
業務の偏りを是正しない。
本人の意思も確認しない。
でも結果だけは利用する。
それを、
笑い混じりで正当化している。
怖いのは、
言った側に悪意の自覚がほとんどないことだ。
だからこそ、
構造として止めないといけない。
あのとき、彼女が選んだのは、
声を荒げることでも、
我慢し続けることでもなかった。
記録して、提出する。
それだけで、
空気は一変した。
あの対応を、とても冷静で、賢い選択だったと思っている。
覚えておいてほしい。
「どうせあの人がやるから」という言葉が出る職場は、すでに公平さを失っている。
そして、
静かに証拠を残す人ほど、
本当は一番、追い込まれている。
もし今、
「これっておかしくない?」と
胸の奥で引っかかる言葉があったら。
それは気のせいじゃない。
構造が歪み始めているサイン