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さらに続報・「台湾有事」の高市答弁資料。 公開したのは、答弁資料に付けられていた「参考資料」です。 内閣官房は、ただ原稿を渡して「読んでください」でなく、過去の安倍総理答弁などを示して、高市総理に答弁資料の背景やロジックを説明しようと試みています。 しかし12月16日の参議院予算委員会で、広田一議員に答えて、高市総理は「官僚レクをしていない」と明言しました。 この資料は高市総理の元には届いているようですが、内閣官房は口頭での説明や補足はかなわなかったということになります。 <「台湾有事答弁問題」で発生したこと> 答弁資料を公開して以降、「野党は『官僚答弁を読むな』と批判してきた」「官僚の作文に縛られろというのか」という声をいただきます。 起きたことはシンプルです。 ①官僚が「これだけは言わないで」と書いたことを ②総理が公式の場で発言したことで ③他国とトラブルになった。 ここまでは、共通認識だと思います(違うのは、高市答弁が政府見解に即しているか、短期長期で国益を損ねたかどうかの評価)。 議論が混乱している原因は、いくつかの前提が整理されていないことです。 長くなりますが、「国会質疑の場で何が起きているのか」を理解していただく上で重要かと思うので、掲載します。 ★★★★★★★★ 私は、答弁には大きく2種類あると考えています。 <① 積み重ねに縛られない答弁> 行政の専門的・技術的観点とは関係がない典型的な案件として、例えば「政務案件」があります。 私が副大臣時代も、「これは政務案件」と判断された質問通告には、官僚はノータッチで、自分や秘書で答弁を作成していました。 また、政策論の中には、政治家が踏み込むことで行政組織のアクセルやブレーキを踏める政策課題(例えば、今年3月に私たちが質疑した「高額療養費問題」など)があり、与野党議員はそのために質疑の場を活用します。 これらは「積み重ねに縛られない答弁」です。 「官僚答弁を読むな」は、上記のように、本来政治家が政治家の決断として踏み込めるはずの議論にも関わらず、自分の言葉で語らない場合に起きる批判です。 <② 積み重ねに縛られる答弁> 一方、専門的・技術的観点から官僚が用意した資料には、従来の政府の法解釈に則した「現時点での政府の立場」が書かれているものがあります。 これらは「積み重ねに縛られる答弁」になります。 当たり前ですが、総理といえども勝手に法律の解釈を変えることはできません。 「ガチガチの法律論」である安保法制に関わる議論がこれです。 また様々な政策の中でも、特に相手が存在する「外交」においては、国際法や条約などに縛られるほか、外交の継続性も重視されます。 締結した条約や共同声明などを無視して、いきなり政策を変更したのか? と相手国などに受け取られる言動には、とくに内閣のメンバーは慎重にならなければなりません。 だからこそ、内閣総理大臣には、最低限「従来の政府の法解釈と政策を理解する意思と能力」の両方が必要になるのです。 これら「積み重ねに縛られる答弁」を変更したいのなら、外務省、内閣官房、防衛省など政府内や場合によっては同盟国などと議論し、周到な準備をした上で、政治家の責任として発言すべきです。 そうした問題を扱っているという覚悟が、あのときの高市総理にあったのか? <高市総理は「内閣の一員である自分」をわかっているはず> 過去に、高市総理は一議員として村山談話や河野談話を「問題だ」と言い続けてきました。 それらを、総務大臣や総理になったら「引き継ぐ」と表明したのは、突然覆すことへのリスクなどに配慮し、歴代内閣の継続性や外交問題となることを重視したからでしょう。 「内閣の一員」であるご自分の立場をよく理解していたからこその判断であり、評価されていいと思います。 それだけに今回、中国との関係をどのようにマネジメントするかの充分な戦略を持たず、政府内の調整もないまま、国会の公式の場でいきなり持論を展開した姿勢が、「国家を運営する立場としては相応しくないのでは」と問題になっているのです。 もちろん相手国は、中国だけに限ったことではありません。 これは、「官僚答弁だけを読むのなら国会論議はいらない」ということとは、次元が違う「政治の要諦」の論点だと考えています。 新しい政権ができるたび、私たち立法府のメンバーが持ち時間を使って行政府に質問するのは、国の基本姿勢が変わっているのかいないか(変えようとする意思があるのかないのか)を確認するためです。 ここは国民には見えづらため、質問という形で「行政監視」をしています。 微妙でも答弁に変化があれば、何らかの検討が水面下で行われていることが明らかになるし、変化がなければ「ない」ことがニュースになるのです。 私たちが目を凝らしておくべきは、権力者が「官僚答弁を読むかどうか」ではなく、「官僚答弁を理解する意思と能力があるか」です。 「意思と能力」があった上で、政治家としての信念に基づき、官僚答弁を踏み越えるのは、政治家が自らの言動に全責任を負う、政治責任の問題だと考えます。
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