「後悔はいっぱいあるけど」バブル崩壊で翻弄 酒を片手に路上でぼやく68歳の自由と孤独

釜ケ崎こもごも

大阪・釜ヶ崎の三角公園で過ごす工藤雄二。部屋も借りているがめったに帰らない=大阪市西成区(安元雄太撮影)
大阪・釜ヶ崎の三角公園で過ごす工藤雄二。部屋も借りているがめったに帰らない=大阪市西成区(安元雄太撮影)

「朝までずっと歩いてることあるしな。ぶらぶらしてるわ。明るくなってから寝るんや。寝とったら嫌がらせされるやろ。生活保護をばかにする奴おるからな」

すっかり日が落ちた、大阪・釜ケ崎。コンビニの明かりに照らされた路上で、酒を片手に工藤雄二(68)がぼやく。2キロほど離れている場所に部屋を借りているが、めったに帰らない。

「家出してるんや」とのことで、寒い夜も外で過ごす。話の内容は深刻なのだが、いつも笑っている。「俺、結構人気者なんやで」と胸を張る。

日が暮れた後、コンビニの明かりで照らされる路上で過ごす=大阪市西成区(安元雄太撮影)
日が暮れた後、コンビニの明かりで照らされる路上で過ごす=大阪市西成区(安元雄太撮影)

父親と同じ瓦ぶき職人に、青春満喫

熊本市生まれ。父親は瓦ぶき職人で、4歳で釜ケ崎の隣に引っ越してきた。「人いっぱいで商店街も歩けなかった。酔っ払いがよう寝とったんや」と60年ほど前の風景を教えてくれる。

深刻な話をしながらも「俺、結構人気者なんやで」=大阪市西成区(安元雄太撮影)
深刻な話をしながらも「俺、結構人気者なんやで」=大阪市西成区(安元雄太撮影)

大学入試に失敗し、工業高校を卒業後、父親と同じ瓦ぶき職人となった。当時は稼ぎもよく、高校時代の同級生と繁華街・ミナミで当時流行していたジャズ喫茶へよく遊びに行った。洋楽が流れ紫煙が立ち込める店内で、青春を満喫した。

結婚したのは30代半ば。ときどき一緒に飲みに行っていた女性に自宅を教えたら同棲(どうせい)が始まり、そのまま籍を入れた。子供は3人。順調だった。

50代前半で引きこもりに

だが、平成に入ってすぐのバブル崩壊で人生が一変した。建売住宅が売れなくなり、仕事が激減。保育所の遠足を終えた一番下の子を迎えに子供2人を連れて出た妻は、帰ってこなかった。一番下の子供は30歳くらいになっているはずだ。

「それっきり~これっきり~、や。寂しかったけどな、自由になったわ」

釜ケ崎にほど近い歓楽街「飛田新地」で、これまで通り遊んでいたが、次第に飽きてくる。家に帰ってもひとり、仕事でも不満が爆発、50代前半で引きこもりになった。テレビで漫才を見ても笑えなくなり、何も考えられなくなった。

還暦を迎え「生き直す」

再び外に出られるようになったのは還暦を迎えてから。「還暦はな、1周回ってまた1歳になるんや。生き直すいうかな、1歳になろ思たんや」と笑う。最初に行ったのはやっぱり飛田新地だった。その後、老朽化した家から追われるように今の生活が始まり、数年になる。

重い荷物を手に、釜ケ崎の商店街を歩く=大阪市西成区(安元雄太撮影)
重い荷物を手に、釜ケ崎の商店街を歩く=大阪市西成区(安元雄太撮影)

今は自由になる金は少ないが、街を歩けば誰かが酒をおごってくれる。落ちている新聞も読める。悩みは抱えている荷物が重いこと。どこかでカートが手に入らないか考えている。

「後悔はいっぱいあるけどな。家族が出てったこととかな。過ぎたことやからな、捨て去ったわ。ただ生きるのみや。楽しくな。あと10年は生きるで」

行き当たりばったりだが、笑顔を絶やすことはない。=敬称略

大阪市西成区の「釜ケ崎」。かつて「労働者の街」と呼ばれたが、今では高齢化が進む。労働者向けの安宿「ドヤ」も、インバウンド(訪日客)の増加でゲストハウスとなるなど景色も一変した。故郷を離れ、名を変え、この街で生きる人々の悲喜こもごもの姿を追った。(写真報道局 安元雄太)

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