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【web再録】ただいまと、おかえりと、ありがとうと/Novel by 瀬古透矢

【web再録】ただいまと、おかえりと、ありがとうと

66,658 character(s)2 hrs 13 mins

みのはるwebオンリー「Blooming Flowers」開催に伴う再掲です。
pixiv上で2022年くらいに3ヶ月だけ連載した、同棲シリーズの完成版でもあります。

2024年夏コミc104?にて頒布した小説本のweb再録です。当時お手に取っていただいた方、本当にありがとうございました。
WL1が終わったくらいの頃の設定準拠です。
webオンリー終了後もずっと公開していますので、お暇なときにどうぞ。
(シリーズ跡地⇒novel/series/8860902

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「娘夫婦に言われちゃったのよね、そろそろ歳なんだし一緒に暮らさないかって」

 梅の花が咲き始めた、三月上旬のこと。
 モアモアハウスのオーナーさんからそんな話を持ち掛けられたのは、わたし・花里みのりが高校二年生の頃から借り続けていたレッスン室の契約更新のために、住居スペースのリビングに通された日のことだった。

「……あまりお年の話をするのもなんですが、もう古希なんでしたっけ?」

 遠慮がちに問いかけるのは、わたし達『MORE MORE JUMP!』の頼れる敏腕マネージャー、斎藤彩香さんだ。
 初のイベントからずっとわたし達を支えてくれていて、お金周りやスケジュール管理、最近ではテレビ局や出版社への企画持ち込みにワンマンライブのメインスタッフ……と挙げればキリがないくらい大活躍中!
 今日もモアモアハウスの契約のため、レッスン室に顔を出してくれています。

「古希……っていくつだったかしら?」
「確か七十歳のお祝いよ雫。というかオーナーさん、そんな御歳だったんですか!?」
「ありがとう愛莉ちゃん。オーナーさん、もっとお若いのかと思ってました」

 口々に言葉を交わすのは、次の四月から大学二年生になる我らがメンバーの上級生組・日野森雫ちゃんと桃井愛莉ちゃん。

『MORE MORE JUMP!』の大切な仲間であり、大好きな先輩でもあり……なんて今更思い返すとくすぐったいくらい長い時間を一緒に過ごしてきた二人は、今日も息ピッタリだ。
「ふふ、ありがとう。でも娘夫婦の言う通りでもあるのよねぇ。もう重い荷物は持てないし、いつボケが始まるかも分からないでしょう?」
「そんなことないとは思いますけど……でも娘さんご夫婦と一緒に暮らすのは、すごく楽しそうですね」

 オーナーさんの自嘲を微笑みながらフォローしたのは、我らが国民的アイドル・桐谷遥ちゃん! 今日も今日とて可愛すぎる遥ちゃんは、この春からわたしと同じ大学の一年生になるのです!

「それもそうだよね! 家族で一緒に暮らせるなら、あんまり悩むようなことはないと思いますけど……」
「そうもいかないのよ、みのりちゃん。この家……モアモアハウスをどうしようか迷っているの」

 オーナーさんのその言葉にハッとする。
 何故思い至らなかったのか不思議なくらいだ。
 わたし達が初対面からの流れでそう呼んでいるように、オーナーさんが所有している一軒家であり、レッスンルームや配信部屋、事務スペースとは別に、住居として使っている部屋が半棟くらい存在している。
 ときどきお泊まりする時に、キッチンを借りることもあったけど……。

「住居側の方に住む人がいなくなっちゃうんだ……」
「ええ。私名義で所有し続けて好きに使ってもらうのも一案なのだけど、古希を迎えるお婆ちゃんとしては少々無責任でしょう?」
「マンションの不動産投資……とも話が違いますもんね」
「かといって、今手放すとみのりちゃん達に迷惑をかけてしまう板挟みだわ」

 斎藤さんとオーナーさんが苦笑を交わす。
 それに大人の事情以外にも、オーナーとしての想いもあるはずだ。
 元々この家は、アイドルが希望を紡ぐための家。
 頑張るアイドルを応援するための家として、オーナーさんが守ってきた場所なんだ。
 でもモモジャンの恩人であるオーナーさんには楽しい老後を過ごしてほしい。
 きっとお孫さん達もいるだろうし、わたし達を理由にしてモアモアハウスに縛り付けるのは申し訳ない。

「うーん……どうすればいいんだろう」

 そうして腕を組みながら、考えていた時だった。

「……わたし達『MORE MORE JUMP!』がこのお家で暮らすとか?」

 ぱっと思い浮かんだことは、わたしの口から勝手に零れ落ちていた。

「はぁ!?」「ん?」「えっ?」「まあ!」

 声は順番に愛莉ちゃん、遥ちゃん、斎藤さん、雫ちゃんの順番。
 ……ちなみに反応はお怒り気味愛莉ちゃん、小首を傾げる可愛い遥ちゃん、純粋に驚く斎藤さん、瞳を輝かせた雫ちゃんだ。
 表情通り、雫ちゃんはすぐに賛同してくれる。

「それはとっても素敵ね、みのりちゃん! レッスンもできて配信もできて、何よりみんなで一緒に暮らせるお家なんて!」
「いやいや待ちなさいよ雫、さすがに短絡的すぎない!? わたし達まだ大学生よ、それなのに一軒家なんて無茶じゃない!?」
「愛莉ちゃんの気持ちもわかりますが……妙案かもしれませんよ」
「え、まさかの斎藤さん肯定側?」
「あはは、みなさんのご両親とも相談すべきだとは思いますが……雫ちゃんの言う通り、レッスンや配信ができる住居は練習効率という意味でも魅力的です。何よりユニット四人でシェアハウスは話題になります」

 キランと瞳を輝かせる斎藤さんがファン目線でアドバイスをくれるのも、今ではすっかり当たり前の風景だ。
 続いて思案し始めたのは遥ちゃん。

「……確かに、元々オーナーさんが一人で暮らすには広いお家だったし、私たち五人で暮らしても問題ない広さなんだよね」
「あっ、ごめんなさい遥ちゃん。みんなとシェアハウスなんてすっごく魅力的なんですけど、私はまだマンションの契約が終わっていなくて……最速でも二年後に合流です」
「そういえば斎藤さんも去年引っ越したばかりでしたね」
「はい。それに雫様と毎日会うなんて、心が耐えられなさそうです」

 冗談めかす斎藤さんに笑いが広がる。
 公私はバッチリ分ける斎藤さん。シェアハウスなんて『私』の部分だもんね。
 推しアイドルとシェアハウスなんて夢みたいだけど、夢であるから耐えられるお話でして――。

「……ん? 何気なく提案しちゃったけど、もしかしてわたし、遥ちゃんと毎日毎朝毎晩一緒に暮らすの!?」
「ふふ、みのりは私と同棲するの嫌?」
「ふぇっ!? も、もちろん遥ちゃんとシェアハウスなんて大歓迎だけどその、わたしも斎藤さんと一緒で心が耐えられるかどうか心配になってきちゃって!」
「今更何を言ってんのよアンタは……。モアモアハウスを探し始めた頃、変な妄想してデレデレしてたのはどこの誰よ。つか提案したのもアンタでしょ! あと遥、同棲じゃなくてシェアハウスね!」

 愛莉ちゃんの厳しいツッコミ。

「ちなみにローンはとっくに完済しているから、心配しないでちょうだい」

 オーナーさんのそんなフォローも入ると、いよいよ話は現実味を帯び始めた。
 光熱費や保険料は今のモモジャンの収益なら充分補える。他にも土地の権利とかいろんな懸念が伴うけど、わたしと遥ちゃんも今年成人して責任を持てる年齢だ。

「……もしかしてシェアハウスに躊躇してるの、わたしくらい?」

 と自分を指さす愛莉ちゃん。

「そんなことないよ愛莉。さすがに私も、もう少しは検討したいかな」
「大切な選択だものね。私も真剣に考えるわ」
「う、うん! わたしも口から出まかせだったし、ちゃんと考えてみるけど――」

 高一のある日に結成してから、『MORE MORE JUMP!』は変わらない。
 自分たちで考えて、話し合って、四人で進む道を決めるんだ。

「……でも、遥ちゃんと愛莉ちゃんと雫ちゃんと一緒に暮らせたら、すっごく楽しそうだよねぇ……えへへ」

 わたしがそう告げると、みんなはすぐに破顔した。

「ふふっ、みのりらしいね」
「まったく、みのりっていつもズルいわよね」
「みのりちゃんの素敵なところだと思うわ」
「ええと……褒められてる?」
「褒められてますよ、みのりちゃん。これでこそモモジャンですね!」

 斎藤さんまでクスッと肩を揺らすので、理由はわからないけど喜んでおこう。
 そうして契約更新だったはずの話し合いは、見取り図とにらめっこしながら部屋割りや家具のお話に変わっていった。

 程なくして、それぞれの両親からの承諾も得られて――。
 桃井愛莉ちゃん。
 日野森雫ちゃん。
 桐谷遥ちゃん。
 そしてこのわたし、花里みのり。
 晴れて大学生になる四月から、モアモアハウスでのシェアハウスが始まるのでした。

【過剰供給すぎるよ!】


   ♧

「……んぅ……?」

 ふにふにと頬っぺたをいじる感触が、わたしを夢から目覚めさせる。
 ゆっくりと目蓋を持ち上げると、カーテンの隙間から差し込む朝の日差しがベッドで寝ていたわたしと〝その人〟の間に柔らかな境界線を描いていた。

「あ、起こしちゃったかな。おはようみのり」

 そんな光の向こう側で、わたしの頬っぺたを撫でながら微笑む――遥ちゃん。
 まずはあの遥ちゃんと同じベッドで眠っている事実に驚く。
 しかも遥ちゃんの腕に緩く抱かれているし、目の前十センチに眩しすぎるアイドルスマイルがあるし、水色のパジャマはほんのちょっと着崩れちゃってるし……!

「…………お、はようございます……!」
「みのり、どうして敬語なの?」
「だって寝起きから遥ちゃんのご尊顔を拝謁してしまうなんて、恐れ多くて!」
「同棲を始めてから三週間経ったけど、まだ慣れない?」
「し、シェアハウスね! でもごめんね……わたし、どうしても遥ちゃんにドキドキしちゃうの……!」

 熱い頬を撫でられるのも恥ずかしくて逃げようとするけど、遥ちゃんがわたしの背中に回している腕や脚に絡んだ脚は、身じろぎも許してくれなかった。
 いつか慣れるのかなと思ってたダブルベッドに、わたしはいつまでも慣れやしない。せめて顔だけでもふいと逸らすと、遥ちゃんはそんなわたしの耳元に口を寄せた。

「謝らないで。何年も一緒にいるのに今でもドキドキしてもらえるなんて、恋人としてこんなに嬉しいことはないよ」
「は、遥ちゃん……っ」
「ねぇみのり……おはようのキス、してもいいかな?」
「~~っ!」

 そんなのしたことないけどっ! と頭の中で叫ぶ。
 でもそういえば、モアモアハウスで暮らし始めてすぐの頃は遥ちゃんと『いってきますのキス』と『おかえりなさいのキス』をしていたんだよね。
 恥ずかしかったけど、まるで新婚さんみたいで嬉しくもあった。
 だけど何度も出くわしてしまった愛莉ちゃんに「四人での共同生活なんだから場所くらい選びなさい!」と怒られて……立場が逆だったらわたし達も困るだろうから、何も言い返せなくて。
 そうして遥ちゃんとのキスの回数は、少しだけ減っていた。
 でも場所をきちんと選べば、愛莉ちゃんだって怒らない。
 新しい『当たり前』を作るのは、もしかしたら今なのかもしれない。

「……遥ちゃん」
「みのり……」

 ころんと寝返りを打って遥ちゃんの首の後ろに両腕を回すと、遥ちゃんは優しく腰を抱き寄せて――くちびるを重ねてくれた。
 触れるだけの可愛らしいキスが、とくんと鼓動を響かせる。

「……ん、えへへ」
「みのり、おいで」

 優しく頭を撫でてくれる遥ちゃんに身を摺り寄せれば、改めて背中に腕が回された。遥ちゃんの香りと体温に包まれながら、小声でこそこそと囁き合う。
 大好き、とか。
 私も好きだよ、とか。
 お布団の中で手を繋げば、にぎにぎと指で遊ばれてくすぐったい。仕返しに、ちゅっ、ともう一度キスをすれば、遥ちゃんの頬っぺたが朱色に染まっていった。

「……不意打ちはズルいよ」
「ふふっ、遥ちゃんの可愛い顔見れちゃった!」
「こーら、からかわないの」

 つんとおでこをつつかれるけど、遥ちゃんの加減は完璧だから全然痛くない。
 ああもう、頬っぺたが緩むのをがまんできない。朝からこんな幸せな想いをしていいのでしょうか……!

「みのりは今日、午後からラジオの収録だけだよね?」

 なんて思ったタイミングで、遥ちゃんは名残惜しそうに抱擁を緩めた。

「そうだけど――あ、土曜日だから遥ちゃんは『女王様のブランチ』の収録だったね! もう準備しないとだよね!?」
「もう少しみのりと過ごしたかったけど、ごめんね」
「ううん、お仕事がんばってください遥ちゃん! その……夜に続き、しようね?」
「……ありがとみのり。今日の収録も頑張ってくるよ」

 体を起こして、ぐっと背伸びをする遥ちゃん。
 ペンギンの壁掛け時計が示すのは朝の六時――実はまだまだ早朝なのでした。

「それじゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい、遥ちゃん」

 結局『いってきますのキス』も交わして、ベッドから出ていく遥ちゃんを見送る。
 遥ちゃんが部屋から出ると、わたしはそっと唇を人差し指で撫でた。
 柔らかくて瑞々しくて……わたししか知らない、遥ちゃんの唇の感触。
 お付き合いを始めてから一年と半年。あの遥ちゃんとお付き合いができて、しかも同棲までしているなんて今でも夢みたいだけど……確かに思い出せる本物の感触。
 心臓が張り裂けそうなくらいドキドキして、胸が暖かな想いでいっぱいになる。

『ダブルベッドなんて心臓が持たない!』と主張したわたしと、珍しく『じゃあジャンケンで決めよっか♪』とアイドルスマイルで押し通してきた遥ちゃん。見事に敗北して部屋にダブルベッドが運ばれた時は、どうなっちゃうのと思ったけど……。
「……えへへ」

 わたしはお布団の中に残った遥ちゃんの香りを感じながら、もう一度ベッドへと身を沈めた。ずっとドキドキしていたその香りに〝安心〟するようになったのは、いつからなんだろう。
 カーテンから差し込む朝日が頬にあたって、また目蓋を重くしていった。

   ♧

 モアモアハウスの住居スペースはリビングや洗面所といった共同で使う場所の他に、洋室が二部屋・和室が一部屋あります。
 部屋割りはわたしと遥ちゃんが洋室で『下級生部屋』、愛莉ちゃんと雫ちゃんが和室を使って『上級生部屋』、残り一部屋の洋室はグッズのサンプルや衣装を置く『物置き部屋』みたいになっています。
 そんなわけで……最推しにして大好きなアイドル、遥ちゃんと毎朝毎晩を一緒に過ごすという、まさに夢みたいな生活が始まっちゃったのでした。

   ♧

 二度寝から起きたのは朝八時。
 毎朝のルーティンであるランニングやトレーニングを終えて、共同スペースのお風呂で朝シャワーを済ませて。
 脱衣所で髪をタオルで拭っていると、扉越しにコンコンとノックの音。

「はーい?」
「みのりちゃん? 今入っても大丈夫かしら?」
「雫ちゃん! 大丈夫だよ!」

 スライド式の扉を開いて「おはよう」と瞳を細めたのは雫ちゃんだ。
 まだ寝起きの雫ちゃんは、ゆったりとした水色のネグリジェに身を包んでいた。フリルが沢山使われた衣装が雫ちゃんをお姫様みたいに飾っていて、わたしは思わず見とれてしまう。これは間違いなくトップアイドルのプライベートショット……!
 そして、本日二度目のまぶしすぎるアイドルスマイル!!

「お、おはよう雫ちゃん! 洗面所使う?」
「そうしようと思ったのだけど、みのりちゃんはランニング帰り?」
「うんっ。シャワー浴びてたんだ」
「じゃあ先にみのりちゃんの髪を乾かさないとよね」

 と言いながらドライヤーを手に取る雫ちゃん。

「えっ、雫ちゃんが乾かしてくれるの!?」
「大丈夫よみのりちゃん、機械音痴といってもドライヤーくらいなら使えるわ! 愛莉ちゃんにも『機能が複雑になるとダメみたいね』って言われているから安心して!」
「ドライヤー使えるのは遠征とかお泊まり会で知ってるよ! そうじゃなくって、雫ちゃんに髪をやってもらうなんて……」
「ん?」

 こてんと小首を傾げる雫ちゃんは、もうブラシや櫛を手元に集めていた。
 ふふ、やる気満々だ。遠慮する方が悪いよね。

「……雫ちゃん、お願いしてもいい?」
「ええ、任せて!」

 鏡越しにお願いすると、雫ちゃんは嬉しそうにキュッと瞳を細めた。
 髪の水滴はだいたい拭っていたので、椅子にすとんと腰掛ける。
 ブラシを手にした雫ちゃんはドライヤーの温風と冷風をカチカチ使い分けながら、丁寧にわたしの髪を梳かしてくれた。細い指と優しい手つきが気持ちよくて、自然と肩の力が抜けていく。

「そういえばみのりちゃん、最近髪が長くなってきたけど伸ばしているの?」
「うん。雫ちゃんくらい伸ばしてみようかなって思ってるんだ。雫ちゃんみたいに似合うかはわからないけど……」
「まぁ、そうだったの! 絶対に似合うと思うわ!」
「似合うかな?」
「きっとみのりちゃんはロングヘアでもとっても素敵よ!」
「じゃあ大丈夫だねっ」

 熱弁してくれる雫ちゃんに頷き返す。
 それから他愛ない話を続けてくれる雫ちゃんの手に身を委ねてしまい、カチ、とドライヤーの電源が落とされる頃には、わたしは身も心もフニャフニャになっていた。

「うぅ、朝から幸せ過ぎるよぉ……!」
「気にしないでいいのよ、みのりちゃん。実家にいた頃は時々しぃちゃんの髪をお手入れしていたの。私も久しぶりで楽しかったわ」

 ……そっか。そういう事だったんだ。
 志歩ちゃんがいたから、雫ちゃんは髪を乾かすのが上手だったんだね。
 つまり今わたしが経験したのは、雫ちゃんのお姉ちゃん力! こんな素敵なお姉ちゃんに毎日髪を乾かしてもらえるなんて……!
 わたしならすぐに怠け者になっちゃいそうだ。志歩ちゃんは照れ屋さんだから何度も断っていたのかも。だけど、時々雫ちゃんに押し負けて髪をやってもらっていたのかな――なんて想像する。

「ありがとう雫ちゃん。またよかったら髪、やってほしいな」
「もちろん! いつでも声をかけてね、みのりちゃん!」
「わっ! えへへ、くすぐったいよ雫ちゃん……!」

 雫ちゃんは嬉しそうに頷きながら、背中からわたしを抱きしめて。
 ずっとお姉ちゃんに憧れてたせいで頬がだらしなく緩んでしまう。
 わたしで良ければいくらでも志歩ちゃんみたいに甘やかしてほしいなぁ……なんてことを、ちょっぴり思った。

   ♧

 そんなわたしの今日のお仕事は、東京ローカルの看板ラジオ番組の収録でした。ゲストのななみんさんと二回分の収録を終えて帰路に着く。

「ただいまー!」
「おかえり、みのり! 今日は早かったのね」

 モアモアハウスに帰ったわたしを出迎えたのは、今日三度目のまぶしすぎるアイドルスマイル!!! 猫がプリントされた可愛いエプロンをつけた愛莉ちゃんが、オープンキッチンからニッと笑いかけてくれたのでした。
 お夕飯を作る愛莉ちゃんに出迎えられたのは、一緒に暮らし始めてから八回目。
 そのはずなのに――キッチンに立つエプロン姿の愛莉ちゃんの破壊力に今日も今日とてドキッとした。キッチンが似合い過ぎるよ愛莉ちゃん……!

「う、うんっ。今日は撮影なかったから、収録終わったら直帰だったんだ」
「そっか。みのりのラジオ番組もすっかり順調ねー」
「えへへ、長く続いてくれるといいけど……あ、そういえば共演したななみんさんからお土産にお菓子貰ったよ!『シェアハウス記念に』だって!」
「どれどれ――って空晴堂の和菓子じゃない! 今日の夕ご飯のあとのデザートにしましょう、遥もチートデーだからお菓子食べられるはずだし!」

 あとでお礼しなくっちゃ、と上機嫌に告げた愛莉ちゃんは調理へ戻った。
 紙袋をダイニングのテーブルに置いて、わたしも一旦自分の部屋へ。ぱぱっと衣装から部屋着に着替えてまた共同スペースに戻る。

「愛莉ちゃん、お手伝いするよ!」
「あー、ならせっかくだし今日もあれする? 遥に内緒の花嫁修業」
「~~! あ、愛莉ちゃん……っ!」
「今日はちょうど花嫁っぽい『基本の肉じゃが』よ。ほら準備して」

 くすくすと肩を揺らした愛莉ちゃんは、キッチンの壁にかけられているエプロンの一つを手渡してくれた。花の模様が可愛いそれを身に付けて指示をあおぐと、まずはお野菜を切ってほしいと指示を受ける。
 手を洗って、お手本を見せてもらってからナイフを握る。
 トントントン、とナイフがまな板を叩く音。わたしも愛莉ちゃんの指導のおかげで料理はかなり上達してきたと自負しております!

「お野菜切り終わったよ! これで大丈夫かな?」
「ん、いい感じね。じゃあこれを炒めていきましょうか。まずは牛肉を――」

 花嫁修業と称して、わたしは時々愛莉ちゃんに料理を教えてもらっていた。
 キッカケは『遥ちゃんにお弁当を作ってあげたいので料理を教えてください!』と頭を下げた、遥ちゃんとの交際始めたての頃。
 愛莉ちゃんの「なんか花嫁修業みたいね」という何気ない呟きにわたしが「は、遥ちゃんの花嫁さん……!?」と過剰に反応したので、それ以来料理を教えてもらう時は『花嫁修業』になってしまったのでした。
 そうして十数分後。

「できたー!」
「ふふっ、お疲れ様。とりあえず味見しましょうか」

 わたしがお皿に肉じゃがを盛り付けると、愛莉ちゃんは使っていた菜箸で器用にひょいとジャガイモを摘まんだ。一応わたしも味見したから大丈夫なはずだけど……もぐもぐと咀嚼する愛莉ちゃんのリアクションを待つ。
 うぅ、ドキドキする。
 こういうのを『断頭台に立たされた気分』って言うんだよね。

「ど、どうでしょうか……?」
「むぐむぐ――うん、美味しい!」
「ほ、ホントに?」
「料理に関しては絶対に嘘つかないわよ。いい感じにホクホクだし、お醤油もしみ込んでいてご飯が進みそう。基本のきは無事に抑えられたんじゃないかしら」

 よく出来ました、と微笑む愛莉ちゃん。
 わたしは思わず「やったぁ!」と両手を打ち鳴らしていた。

「というか、わたしが教えながら作ったんだから合格してもらわないと困るけどね」
「あはは、それもそうだよね……。ありがとう愛莉ちゃん先生!」
「どういたしまして。まぁでも、残念ながら『肉じゃが』が大変なのはこの先なのよね」
「えっ? どういうこと?」
「肉じゃがってね、各ご家庭で味付けどころか調理法さえ異なるから、恋人の好みにチューニングするのが難しいのよ。例えば今作ったのは和食好きなわたし好みのあっさり味付けだけど、雫はもう少し濃い味付けの方が喜ぶかもしれないわ」

 あの子は洋食多めで育ったから、と愛莉ちゃんは苦笑した。

「うーん……遥ちゃん家の肉じゃがかぁ」
「あ、ストップみのり。遥の家の味に近づけるのも手の一つだけど、せっかくシェアハウスしているんだもの。この状況を活かしましょう」
「と言いますと?」

 わたしが首を傾げると、愛莉ちゃんはにっと口の端をつり上げた。

「みのりの肉じゃがで、遥の胃袋を掴むのよ」
「わたしの……!?」

 思わず面食らってしまう。
 愛莉ちゃんはそんなわたしの頭をポンと撫でた。

「これから向こうしばらくは一緒に暮らすんだもの。遥の好みを完璧に把握して、みのりの手料理無しじゃ生きられなくしちゃいましょうよ」
「そ、そんなことできたら凄いけど……いいのかな?」
「ふふっ、せっかく恋人に手料理を食べてもらえる状況なんだもの、利用しない方が勿体ないわ。それにアンタ達は気づいてないだろうけど、実はこの一ヶ月間、わたしはみんなの好みをずっと調査してたのよ?」
「そんなことしてたの!?」
「三人とも何でも『美味しい』ってパクパク食べるから、雫どころか遥やみのりの好みもなんとなーくしか把握できてないんだけどね」

 何気なく食べていたお夕飯の裏でそんな戦いがあったなんて。
 流石は愛莉ちゃんだ。理想のお嫁さんすぎるよ……!
 なんて感心していると、愛莉ちゃんは菜箸をくるりと回しながらウインクした。

「わたしも遥の好みで気付いたことがあったらすぐ教えるから、アンタも雫について、頼んだわよ?」
「愛莉ちゃん……ふふっ、了解です!」
「あ、このことは遥と雫には――」
「うんっ! 愛莉ちゃんとわたしの秘密だね!」

 瞳を細めた愛莉ちゃんは、唇の前に人差し指を立てて。
 わたしも合わせて人差し指を立てながら、「しーっ」と笑いあった。

   ♧

「――――わたしこのシェアハウス、幸せ過ぎて死んじゃいそうなんだけど!?」

 そうして、次の日のお夕飯のあと。
 久しぶりに四人でのんびり過ごすリビングでわたしが叫ぶと、雫ちゃんと愛莉ちゃんが苦笑を浮かべた。

「みのりちゃん……」
「アンタねぇ……遥はともかく、わたしと雫は普通に過ごしてるだけよ?」
「ちょっと愛莉、私だって普通にみのりと接してるだけだよ」
「はいはいバカップルの旦那は黙ってなさい。というかみのりの死因の八割くらいアンタでしょ? 少しは自重しなさいよ」
「実はそうでもないんだよね、みのり」
「……愛莉ちゃんと雫ちゃんのアイドルオーラと姉力の合わせ技に何度も幸せ死させられてます……! 二人とも自分が素敵すぎる自覚を持ってください……!」
「そ、そうだったのね……」
「いざ言われると照れくさいわね……ってかアンタも今じゃお茶の間お馴染みのアイドルでしょ! なんでわたし達が注意される側なのよ、耐えなさいよ! わたし達はアンタのプライベートショットに一々驚いてないでしょうが!」
「だってぇ!」
「脱線しそうだから愛莉もみのりも一旦ストップ。今の議題は『みのりが幸せ過ぎて死んじゃいそうなので、その対策を考えよう』だよ」
「これほど間抜けモアモアハウス会議、後にも先にも起こらなさそうね」
「うーん……ねぇ愛莉ちゃん遥ちゃん、明日から私と愛莉ちゃんはみのりちゃんに冷たく接してみるとかどうかしら? それで遥ちゃんが甘やかせばプラスマイナスゼロになるから丁度いいんじゃない?」
「雫アンタね……いや、理論自体は意味不明だけど、塩対応はありかもしれないわね」
「うっ、愛莉ちゃんはともかく、雫ちゃんに冷たくされるって想像できない……」
「私もできないや。雫って滅多に怒らないし」
「いい機会だし試しにやってみなさいよ、雫。塩対応」
「ええっ? ええっと――――……ねぇ、みのりちゃん」
「……ひっ」
「……今日は随分とお寝坊さんだったのね?」
「ひぇっ!?」
「……もしかして、洗濯物まだ取り込んでいないの?」
「ひゃああああっ!?」
「……あら? ここに埃が残っているのだけど?」
「ご、ごめんなさいーっ! 今すぐ掃除しますーっ!」
「ちょっ、雫ストップストーップ! 想像の百倍は怖かったんだけど!?」
「『氷柱のような視線』ってあの眼のことを言うんだね……それはそれとして雫、なんだかお姑さんみたいな台詞だったけど」
「だって突然『冷たくしろ』と言われても分からなかったんだもの……共演者さんのドラマを参考にしたんだけど、どうだったかしら?」
「雫は女優として売り出すのもアリね」
「ほぼ表情芸であの迫力なら全然いけるよ。流石は雫だね」
「ふふ、ありがとう愛莉ちゃん、遥ちゃん」
「んでみのり。あの雫と一緒に暮らすか、今のまま幸せ満点で過ごすか。どっちがいいかしら?」
「幸せ満点でお願いしますー! 雫ちゃんは優しい雫ちゃんがいいよぉ!」


【幸せ過ぎて死にそうです。   
 でも、こんな生活も楽しいです】


【お姉ちゃん、襲来】


   ♡

 みのりの提案によって『MORE MORE JUMP!』の四人でモアモアハウスに暮らし始めてから、一ヶ月と少しが経った。
 最初の頃はみんなの生活リズムが意外と噛み合ってなかったり、食事や洗濯に関するルールが違っていたりとすれ違いもあったけど……今ではおおよそのルールも定められて、心地よい生活が送れている。

 まあでも、なんだかんだでユニット結成から三年だものね。
 宮女の屋上での出会いから駆け抜けてきた日々を思えば、シェアハウスに慣れるまで一ヶ月もかかってしまった……という方が正しいかもしれない。
 そんな同棲生活に一つの問題がやってきたのは、ゴールデンウイークも終わりを迎えようという頃――――。

   ♡

「モモジャン緊急家族かーいぎ!!!」

 リビングに駆け込んだわたしがそう叫ぶと、残り三人の同居人が揃って目を丸くした。

「……愛莉ちゃん、何かあったの?」

 と目を丸くするのは、お風呂上がりの髪をくしくし梳かしながら動物番組を見ていた日野森雫。わたしの恋人の無防備な姿も慣れてきたものだ――まぁたとえプライベートのワンシーンでも、綺麗な雫に見惚れちゃうのは変わりないけど。

「愛莉が慌てるなんて珍しいね」

 と冷静に返事をしたのは、高校生の頃も使っていた寝間着代わりのジャージに身を包んだ桐谷遥。意外と物持ちがいいのね、と思ったけどファンレターやペンギングッズを大事にする子だったのを同棲生活で認識し直した。

「あ、愛莉ちゃん、何かトラブル?」

 そんな遥の脚の間にすっぽり収まり、顔を真っ赤にしながら抱かれているのは遥の恋人である花里みのりだ。ところ構わずイチャつく後輩カップルにもすっかり見慣れてしまった……見慣れちゃったわねぇ……。
 閑話休題それは置いといて
 わたしは右手のスマホを改めて確認しながら、

「ああいや、トラブルって程じゃないんだけど……ゴールデンウイーク明けの平日2日間、四人そろって休みにしていたでしょ?」
「そうだね。ゴールデンウイークは逆に全員仕事詰めだから」
「講義もないし四人でのんびり過ごそうって約束していたのよね」
「ごめん…………そのことを伝えたら、お姉ちゃんが、来たいって」
「へ?」
「わたしのお姉ちゃんが、久々に東京に戻るからモアモアハウスに遊びに来たいって連絡してきたのよ……!!!」

 ――――わたしはこの時、正直に言うと三人に『な、なんだってー!』というリアクションを期待していた。
 わたしにとっては緊急事態だったのだ。恋人や大切な後輩たちとの同棲生活を姉に覗かれる、なんて想像するだけでも恥ずかしい。しかも姉はわたしにとって逆らうことのできない弱点そのもの。できれば家に上げたくない。
 だから焦りそのまま、三人に伝えてしまったけれど……。

「わあ、それじゃあ〝おもてなし〟しないとだね!」
「ん?」
「愛莉のお姉さんに会うの久しぶりだなぁ。好きな食べ物って何だっけ?」
「あら?」
「任せて愛莉ちゃん! お姉さんのお出迎えは私たちも力を貸すわ!」
「……じゃ、じゃあそういう訳だから、お姉ちゃん呼んでもいい?」
「はーい!」「うん」「ええ!」

 ……ああ、そうだった。
 この三人が、誇らしいほど気の良い性格をしている点。
 姉の良い面ばかりを知っているので、特に来訪を嫌がる理由がなかった点。
 焦るあまりそんな二点を読み間違えたわたしは、姉に『来てもいいわよ』とメッセージを送ることになってしまった。

   ♡

 というわけで。

「ここが愛莉の愛の巣なのね! 愛莉の愛の巣! あはははは!」
「ちょっとお姉ちゃん、家見た第一声がそれでいいわけ!?」
「いやー立派な家ね! え、8000万くらい?」
「建ててないわよ、一応体裁としては貸家に住んでんのよ」
「そうだったそうだった、『MORE MORE JUMP!』のレッスン用の施設も併設されてんのよね。いいわねぇアタシも友達誘ってシェアハウスしようかしら?」
「もう入っていい?」

 玄関先で早速マシンガントークを繰り広げるのが、我が敬愛するお姉ちゃんだ。
 お姉ちゃんを東京駅からモアモアハウスまで案内するだけなのに、玄関先ですでに息切れ。久々に接するパワフルな姉にため息をつきながらリビングへ連れていくと、ソファでくつろいでいた三人が立ち上がった。

「こんにちは、お姉さん」
「お久しぶりですー!」
「今日はゆっくりしていってくださいね」

 挨拶は順に遥、みのり、雫。
 礼儀正しく微笑む三人に、姉は顔を守るように両手をかざしながら、

「ぐぁー眩しい! ビジュアルの暴力三連弾は反則よ! それに流石芸能人ね、礼儀正しくてビックリしちゃった。お休みの日にお邪魔しちゃってごめんなさいね」
「いえいえ、全員で挨拶できてむしろ良かったですよ」
「そう? あ、お土産みんなで食べてね!」

 カラカラ笑いながら、姉はわたしに持たせていた紙袋を三人へ差し出した。東京ばな奈に東京たまご。遥が苦笑していたけどお察しの通り、東京駅で買ったものだ。
 そうして、わたしを覗いた面々で改めて挨拶が交わされる。
 今のうちに旅行カバンをわたしの部屋に運んでしまおうと思っていると。

「――で、三人の誰が愛莉の嫁なんだっけ?」
「お姉ちゃん!!」

 ええい、息つく間もない!

「アタシ的には本命雫ちゃん、対抗みのちゃん、大穴遥ちゃんと見たわ。どうかしら?」
「お姉さん、残念ながら愛莉が私たちのお嫁さんです」
「あちゃー、愛莉の嫁力を忘れてたわ。この赤字は宝塚記念で取り戻すわね」
「遥も悪ノリしないで! ていうかお姉ちゃんには紹介した事あるでしょ、わたしの嫁は雫だってば!!」
「えっ!?」

 ん? 雫が珍しく変な声を上げていたけど……。

「………………あ」
「ほほーう」
「愛莉言うなぁ」
「ひゃーっ!」

 慌てて口を噤むけどもう遅い。ニヤニヤするお姉ちゃんと遥に、頬に手を添えながら乙女チックに叫ぶみのり。
 とうの雫はボッ! と白雪の肌を真っ赤に染め上げて俯いてしまう。

「ちがっ、今のは違うわ! 恋人! こーいーびーと!!」
「雫ちゃん、アタシのことは気軽にお義姉ちゃんと呼んでいいわよ」
「話を聞きなさいよお姉ちゃん!」
「え、ええと、ええっと…………お、お姉さん?」
「発音が違うわ雫ちゃん。心を籠めてお義姉ちゃん! ワンモアセイ!」
「お義姉さん!」
「さん付けだけど合格! 雫ちゃん、愛莉のことを末永くよろしくね!」
「は、はい……!」
「いい加減にしてってばお姉ちゃんッ! 雫も律儀に付き合わなくていいから!」

 一式わたしを揶揄って満足したのか、お姉ちゃんは「一旦シャワー借りていい? みのちゃん案内お願いできる?」とみのりを連れてリビングを出ていった。
 盛大なため息をつくわたしの肩を、遥がポンと叩く。

「相変わらず賑やかな方だね」
「台風みたいよね……気づいたらお姉ちゃんのペースに乗せられるっていうか……ホントいい性格してるわ」
「あはは、愛莉が場の主導権を握られっぱなしなのが珍しくて、私的には面白いけどね」

 他人事なのをいいことに肩を揺らす遥。
 ダメージを負うのは実の妹だけ、という気遣いができているのが厄介なのだ。
 そんな遥の視線は、顔を真っ赤にしたまま俯いた雫に向けられていた。こうしてしまったのはわたしの責任だし……。

「雫、わたしが悪かったから、そろそろ帰ってきなさーい」
「…………お嫁さん……私が、愛莉ちゃんの……」
「……トリップしてる……しばらく放っておくしかないかしら」
「いっそ、お姉さんがシャワー浴びているうちにプロポーズしておけば?」
「世界一くだらないプロポーズになりそうね……」

 ため息をつきつつ、わたしは顔を手で覆った。触れた頬の熱さにビックリする。
 あくまで同棲。
 四人でシェアハウスしているだけで、雫とはまだ、永遠を誓ったワケじゃない。
 姉に乗せられた失言とはいえ、我ながらとんでもないこと口走ったわね……。

   ♡

「みのちゃんみのちゃん、この箱何?」
「燻製機ですよ! 愛莉ちゃんが一軒家で暮らすなら買ってみたいって!」
「へー、これで燻製するのね。相変わらず料理好きねぇあの子」

 空け放たれた窓の外から聞こえてくる声。モアモアハウスの四人でダンスの練習ができる程度に広い庭には、わたし愛用の燻製機が置かれているのだ。

「……」

 夕日に焼かれた庭で、みのりと姉が和気あいあいと燻製の準備をしている――という不思議な光景に感じるむず痒さ。
 わたしは夕食と晩酌の準備を同時に進めながら、そんな二人を遠目に眺めていた。
 LDKが全部繋がったオープンキッチンだから、リビングもダイニングも全部見えるのよね。これから料理を振る舞う相手の顔が見える調理場。そんなモアモアハウスの住居スペースはわたしの密かなお気に入りだ。

「一番下の棚にこのスモークウッドっていうのを置いて、上の段に食材置いてしばらく放置しておくと、ソーセージとかハムとかサーモンとか! 何でも魔法みたいに美味しくなっちゃうんです!」
「へー! 自宅で燻製とかお洒落なことしてるわねぇ愛莉」
「えへへっ、みんなに大好評なんですよ。愛莉ちゃん料理上手ですし!」
「そっかそっか。……子供の頃からお父さんと一緒にあれこれ料理作っては振る舞ってくれていたけど、今も続いてるのね」

 何か盛り上がっているみたいだけどハッキリとは聞こえない。
 まぁキッチンから見るこの景色自体が嫌いじゃないのよね、なんて思っていると買い出し組も帰ってきた。準備万端で出迎えたつもりが、人を出迎えれるような飲み物のストックが全然なかったのだ。

「ただいま愛莉。飲み物って洋食向けでよかったんだよね?」
「ええ。今夜は洋食全振りフルコースよ」
「愛莉ちゃん、私もお料理手伝っていい?」
「じゃあお願いしようかしら」

 雫はパッと表情を綻ばせて、手を洗いに洗面所まで駆けて行った。
 ドサドサとダイニングのテーブルにレジ袋を下ろす遥に気付き、みのりとお姉ちゃんが駆け寄ってくる。

「まあ、こんな高級ワインまで買ってこなくてよかったのに。いくらかしら?」
「あ、これは私たちのマネージャーからの差し入れなんです。お姉さんが来るって聞いたら用意してくれて。私たちはまだお酒買えないですから」
「そなの? せっかくならマネージャーさんにもご挨拶したかったけど」
「あはは、斎藤さん打ち合わせで忙しいみたいで、夜ご飯だけお邪魔するって言ってましたよ。それより愛莉ちゃんのお姉さんって苦手なお酒ありますか?」
「何でも飲めるわよー。愛莉とお父さんのおつまみが美味しいから何でも飲めるようになっちゃった」

 ……なんかくすぐったい会話してるわね?
 包丁をトントン鳴らしながら苦笑していれば、手を洗って長髪をポニーテールに括った雫がキッチンに戻ってきた。エプロンをぽいと渡す。

「愛莉ちゃん、何すればいい?」
「先に下準備を一式済ませちゃおうと思って。材料分けてあるから野菜切ってくれる? メニューは冷蔵庫んとこ貼ったわ」
「わかったわ!」

 と頷いた雫は手際よく皮むきを始めた。昔は雫の綺麗な指が万が一傷ついたら、なんて不安でピーラーばかり持たせていたけど、付き合い始めてお互いの趣味を共有するようになって久しいのだ。雫の調理スキルも上がり、すっかり不安は消え去っている。
 わたしも妙に刺繍スキルが上昇してるのよね。
 なんだか、お互いがお互いの色に染まっていくみたい。
 ……我ながら恥ずかしいことを考えていると雫が軽く肩を叩いてきた。

「愛莉ちゃん、どうかな?」
「ん、完璧よ」
「ふふ、よかった」

 きゅっと瞳を細めた雫は次の準備へ向かった。五人分だしお姉ちゃんいるしで普段よりメニュー数を増やしてしまったけど、雫のおかげでどんどん準備は進んでいく。燻製チームから完成した追加の材料も届いて――。
 切り分けたスモークチーズを菜箸でひょいと摘まむ。まずは自分で一切れ。続いてスープを作っている雫の口の前に運んで、

「雫、あーん」
「ん? あーん……ん~! おいしい!」
「ね。やっぱ燻製が家でできるのっていいわねー」
「そうだね。じゃあ愛莉ちゃんも、あーん」
「むぐ……うん、ベーコンもいい感じじゃない!」

 調理者特権でつまみ食いをして笑いあっていた時だった。

「なにイチャついてんのよー愛莉」

 ニヤニヤしながらダイニングから声をかけてくるお姉ちゃん。

「別にイチャついてないわよ」
「いやいや、あの愛莉が見せつけてくると思わなかったから流石の姉もビックリよ。堂々とイチャコラしちゃってまあ――」
「だからイチャついてないってば。しつこいわよお姉ちゃん」
「………………え?」

 揶揄うのもいい加減にしなさいよと苦笑するも、お姉ちゃんから返ってきたのは『目を丸くする』という予想外のリアクションだった。

「まさか愛莉アンタ! お揃いのエプロンつけて、肩並べて料理して、あーんで食べさせ合って! バカップル判定スリーアウトだって自覚ないの!?」

 あ、あれ?
 姉の本気の困惑に、思わず隣に並ぶ雫の顔を見上げる。
 すると雫は「あっ」と口を開いて、顔を真っ赤に染め上げていった。

「……愛莉ってさ。よく私とみのりのやり取りに文句言うけど、自分が雫とイチャついているのには無自覚だよね」

 遥のボソッとした呟きがトドメだった。

「あ、う、ぁ、ああああああああああ~~~~っ!!」
「わわわ、愛莉ちゃんがすっごく珍しい表情してる……!」
「愛莉も『言葉にならない叫び』するんだね……」

 いつの間にかダイニングに集まっていたみのりと遥の驚愕は、もう真っ白な頭でまともに聞き取れていなかった。
 姉がニヤッと口角をつり上げる。

「遥ちゃん、詳しく聞かせてちょうだい」
「よく『雫あれ取って』や『愛莉ちゃんあの事なんだけど』で会話が成立しますね。流石の私でもそのレベルの意思疎通はできません」
「熟年夫婦か! みのちゃんは何かない?」
「え? えっとえーっと……あ、よくアクセサリーとか化粧品シェアしてます! あとお揃いが好きみたいで、マグカップとかパジャマとかもよく見ると――」
「みのりッ! 遥も! 何でもするから後生だから黙ってなさい!!」
「「はーい」」

 ちぇー、と口を尖らせたお姉ちゃんはニヨニヨしたまま後輩組二人を連れて、リビングへ戻っていった。……いや、ここで戻られるのも困るといえば困る。
 だって今わたしの隣にいるのは。

「……とりあえず料理終わらせましょう、雫」
「う、うん、そうだね……」
「…………」
「…………」
「「あ、あのね!」」
「「あっ」」
「さて、この甘酸っぱさを中和できる辛口ワインはいつ頃飲めるのかしら?」
「リビング戻るならさっさと戻りなさいよお姉ちゃんッッッ!!!」

   ♡

 そうして結局お姉ちゃんはわたしと雫という玩具で散々遊んだ末、斎藤さんと意気投合してお酒が進む進むで酔っぱらい、一泊する事になった。
 共同スペースの片づけは遥とみのりの後輩組が進んで手を挙げ、今日ばかりは雫も姉に譲るとのことで後輩組の部屋に行ってしまった。
 わたしは渋々お姉ちゃんと共に自室である和室へ。念のため用意していた客用の布団を敷けば、お姉ちゃんはさっさと寝転がってしまった。

「あのさー愛莉」
「ん? 何よお姉ちゃん」
「アンタ、モモジャンと会えてよかったわね」
「…………突然なに?」
「いやさぁ」

 とお姉ちゃんは寝返りをうち、

「みのちゃんには物凄く慕われているし、遥ちゃんには掛け値なしに信頼されてるし、雫ちゃんは言わずもがなって今日分かっちゃった。前のQTもメンバーの子達とは仲良さそうだったけど、あの子達は特別なのね」
「……そりゃシェアハウスするくらいだもの。かけがえのない仲間よ」
「アハハ、それもそうか」

 からりと笑ったお姉ちゃんが呟く。

「でも嫉妬しちゃったなぁ。アンタ、実家にいた時以上に生き生きしちゃってさあ。お母さんはともかく、お父さんが見たら色んな意味で泣くわよあの光景」
「え、今夜そういう話するの?」
「たまにはいいじゃない。姉妹なんだし」
「……ま、こんな機会ないとしないか」
「雫ちゃんと結婚する気はホントにないの?」
「ぶっ込み方が雑! 夜なんだからツッコミさせないでよ!」
「早い事掴まえときなさいよー。お父さんとお母さんの説得なら付き合うし、孫の顔はどーすんだとか言われたらアタシの名前出しとけばいいから」
「お姉ちゃん……」
「『まさかあのお姉ちゃんがこんなに言ってくれるなんて……。ったく仕方ないわね! こうなったら近いうちに雫にプロポーズしてやるわよ!』」
「尊敬しそうになった矢先に変なアテレコしないでッ! ホンットこの人にわたし人生で一回でも勝てるのかしら!?」
「婚期じゃない? だってアンタまだ19でしょ?」
「ああ言えばこう言う……!」

   ♡

 そうして翌朝。
 帰り際、お姉ちゃんは玄関まで見送りに出た雫と遥とみのり、そしてわたしに爆弾発言を残していった。

「そういえば昨日聞いたけど、愛莉、アタシが来ることを雫ちゃん達に『緊急家族会議』で報告したのよね?」
「ん? 確かにそんなこと口走った気がするけど――」
「か・ぞ・く・か・い・ぎ」

 ――――――。
 ………………。

「じゃ、また東京に戻ってきたら顔覗かせるわね。バイバーイ」
「お姉ちゃんちょっと待ちなさいよ!!!」

 ヒラヒラと手を振って玄関から出ていくお姉ちゃん。
 引き留めそこなった右手を中空で持て余しながら、わたしは恐る恐る背後へ振り返る。
 そこに待っていたのはまあ、案の定と言うべきか。

「えへへ、『家族会議』なんだね愛莉ちゃん!」
「愛莉、私もこれからは『家族会議』って言うようにするよ」
「ちょっと照れちゃうわね……でも愛莉ちゃん、私たちのこと『家族』だと思ってくれていたのね!」

 ニヤニヤと笑う、かけがえのない仲間達だった。

「あ、アンタ達ね~~ッ!」


【……まあ、家族と同じくらい大切だし。    
 そこに嘘はつけないし】

【みんなでごろんと】


   ♤

『MORE MORE JUMP!』の四人でモアモアハウスでの生活を始めて、あっという間に二ヶ月半。
 六月も下旬を迎えた日本列島の上空では、梅雨前線が関東から九州までを横断するように停滞し、全国的に梅雨を迎えていた……はずなんだけど。

「……あ、暑い……」
「……暑い、よね……」

 朝。ベッドで目を覚ましたみのりと私の第一声はそんな一言だった。
 寝ている間に無意識のうちに布団を剥いでいたみたい。私たちはお腹にタオルケットをかけているだけだった。
 横を向けば、みのりは額に汗を浮かべていた。
 私も自分の頬が熱を帯びている自覚がある。あまりにも部屋が暑いせいでだ。
 机に置いてあるデジタル時計を確認するため、どこか重い体で立ち上がる。室温も確認できたはず……と画面を見た私は唖然としてしまう。

「……さ、30℃!?」
「ええーっ!? まだお日様昇ったばっかりなのに、そんなに暑いの!?」

 二人の体温のせいとは思えない。だってつい昨日もみのりと寝ていたけど、普通に布団を被っていたのだ。
 みのりと顔を見合わせて、『私たちの部屋が特別暑いんだよね?』『きっとそうだよ!』 とアイコンタクトを交わす。そうして淡い期待を抱きながら廊下に出たけど……。

「う……」
「暑いね……」

 私たちの頬を撫でたのは、残念ながらムワッとした湿気を孕んだ熱だった。湿気だけは梅雨らしいんだけど。

「廊下もあっついわね……」
「この部屋が特別暑いんじゃなかったんだね……」

 するとほぼ同じタイミングで部屋から出てくる愛莉と雫。

「あら? おはよう遥ちゃん、みのりちゃん。二人とも早いのね」
「おはよう雫ちゃん、愛莉ちゃん! 二人も早いねっ」
「もしかしてそっちもこの気温で?」
「そりゃ起きるわよ、こんな暑い中で雫が抱き枕にしてくるんだから」
「あ、もう愛莉ちゃん……!」

 愛莉の冗談に顔を赤くする雫。私たちの前で愛莉からイチャつくなんて……この前お姉さんが来てから、愛莉と雫の仲はまた一歩深まったみたいだ。
 四人でリビングへ移動し、水分補給をしながら天気予報のニュースを眺める。早朝のお天気お姉さん曰く、どうやらこの異常な暑さは全国的になる見込みだそうだ。

「ところによっては一足も二足も早い猛暑日……」
「埼玉県なんて40℃の予報じゃない! 恐ろしいわねぇ」

 麦茶を飲みながら顔をしかめる愛莉。隣で汗をタオルで拭った雫は、部屋の隅の方を見上げていた。

「ねぇみんな。冷房がつくか、今のうちに確かめておいた方がいいんじゃないかしら?」
「それもそうだね。まだ一度もつけたことないし」
「まだ六月とはいえ、冷房無しは命にかかわりそうだものね」
「えーっと、リモコンリモコンっと」

 ダイニングに整頓されていたリモコンを手にしたみのりが、エアコンに向けてぽちっと電源ボタンを押した。

「…………反応しない、よ?」
「し、主電源が入ってないんじゃないかな?」

 背の高い雫がいち早くエアコン本体に駆け寄り、「ついてるわ」と顔を青ざめさせる。念のため主電源の方を手動で入れてもらったけど……。

「……うんともすんとも、言わないわね?」
「これは緊急事態だよ」

 苦笑しながら、私は三人に視線を配った。

「まずはみんな、各部屋のエアコンがつくかを確認しよう。つかない場合はすぐに報告すること。それと愛莉とみのり、確か今日二人は比較的緩かったよね?」
「ん? ええ、緩いどころか午後にみのりとレッスンしようってくらいで」
「夏服のセール見て回ろうって約束してたんだー」
「そっか。……申し訳ないんだけど、オーナーさんと斎藤さんへの連絡と後の対応、二人にお願いしてもいいかな? 私と雫は――」
「一日中お外で撮影だものね。せっかくの息抜きの日だったのにごめんね愛莉ちゃん、みのりちゃん」

 視線を向ければ、雫も罪悪感からか表情を曇らせていた。そんな私たちに、愛莉とみのりが顔を見合わせてコクリと頷き合う。

「気にすんじゃないわよこれくらい。暇な人が請け負うのが当然、わたし達で色々やっておくわ。アンタ達の方こそ熱中症気を付けなさいよ?」
「そうだよ、謝らなくていいよ遥ちゃん雫ちゃん! わたし達はもう家族だもん、えーっと、そう! 運命共同体だよ!」
「みのり……」「みのりちゃん……」
「いい話風にオチがついたとこ悪いんだけど、わたしの家族発言まだ引っ張るの!?」

 ちょっとむず痒いみのりの台詞。
 心強い恋人たちに改めてお礼を告げ、そうして一度各々の部屋に戻って――。

 それぞれの部屋どころかレッスンルームや事務スペースのクーラーまで全滅していて、あまりにも危機的な状況に一周回って四人で笑うしかなかったのでした。

   ♤

「いいねー雫ちゃん! そのまま少し視線こっち貰えるかなー?」
「こうですか?」
「いい! 最高の一枚いただきました!」

 一足先に撮影を終えてハンディ扇風機で涼みながら、雑誌の撮影を進める雫を眺める。汗を拭いて頬を冷やして、肌の色が戻った隙をついて涼し気な夏服のベストショットを撮って……というなかなか大変な撮影が続いているけど、雫はそのドタバタ感を楽しんでいるようだ。
 和気あいあいとした声をBGMに、スマホをポチポチといじる。

『なんとかリビングのエアコンは修理できたわ』
『排気のための管がうまく機能してなかったみたい』
『朝一で連絡したから修理引き受けられたけど、やっぱり今日は依頼が多かったって業者さん苦笑してたわ』

 愛莉からの報告に『ありがとう』と返すと、お出かけ中のみのりと愛莉のツーショットがグループチャットに送られてきた。ショッピングモールでアイスを食べている二人の腕にはいくつもの紙袋が下げられている。
 ショッピングに行けたみたいでよかったと思いつつ。

『愛莉、リビング以外のエアコンは?』
『排気が原因だったみたいなんだけど、流石に何機分のルートも一度に修理するのは時間的に厳しいみたいでね。一階リビング以外はしばらく待機!』
「うーん……仕方ないとはいえ、今夜からどうしようかな」
「何が?」

 と、そんなタイミングで雫の撮影も終わったようだ。「お疲れ」とハンディ扇風機を向けると、雫はキュッと瞳を細めながら顔に風を浴びるよう少し屈んだ。

「愛莉から連絡来てたよ。エアコン、リビングの一台は直せたんだって。でも各自の部屋のエアコンの修理は後日になるみたい」
「あら……一台直せただけでも幸運と思うべきよね」
「そうだね。でも夜はどう過ごそうかなと思って……」
「この暑さが続くと、寝ている間に熱中症になってしまうかもしれないものね……窓を開けて寝るのもあんまり効果はなさそうだし、梅雨だから雨が降ってきたら大変だし……」

 首を傾げた雫が、現場の差し入れのポカリを口にする。だいぶ汗をかいていたせいかクピクピと勢いよく飲んでいた雫は――

「ふう……あ、そうだわ!」

 と手を打ち鳴らして、面白いアイデアを口にしたのでした。

   ♤

 雑誌の撮影の次は『女王様のブランチ』のロケ企画で上野の街を散策して、夕方は幸い一度出版社に寄って屋内でインタビュー。
 涼めたのはそんな束の間だけ。夜はいつもお世話になっている音楽スタジオのプロモーションビデオの撮影だった。そのままの意味で熱を孕んだ夜の街を歩き回って。

「流石に疲れちゃったね……」
「ええ。何度か着替えたけど汗だくになっちゃったわね……」

 ようやく着いたモアモアハウスの玄関で弱音を零す。
 私が手にした紙袋の中には、撮影用の衣装を汚さないようにと用意していた二人分の着替えが入っているんだけど、結局全着を使うことになってしまうなんて。

「それにまだまだ暑いわね」
「だね。雫の考えた『夜を乗り越えろ大作戦』、早速出番が来たのかも?」
「ふふっ、愛莉ちゃん達も賛成してくれるといいのだけれど」
「きっと賛成してくれるよ」

 靴を脱いで、冷房がついているはずのリビングへ早足で行くと――。

「あ、お帰り遥ちゃん、雫ちゃん!」
「夜遅くまでお疲れ様!」

 ――――冷房のついた部屋で待っていたのは、予想外も予想外。
 淡いオレンジとピンク色。色違いの浴衣に身を包んだ私たちの恋人でした。
 しかも二人とも髪をキュッとポニーテールにしばっていてお揃いだ。

 早速愛莉が出してくれる麦茶を受け取りつつも、私たちは視線をそれぞれの想い人から外せなくなっていた。

「みのりも愛莉も、よく似合ってるけど……」
「そんな浴衣持ってなかったわよね……どうしたの?」
「ふっふっふ、みのりと日中に買ってきたのよ。涼しいからいいかなと思って!」
「名付けて『モモジャン四人で夏を乗り切れプロジェクト』だよ! 遥ちゃんと雫ちゃんも色違いのお揃いで買ったから、シャワー浴びたら着てほしいなーなんて」

 どや! と胸を張る愛莉と、様子を伺うように覗き込んでくるみのり。
 ようやく突然の猛暑から解放されたかと思えば、みのりが涼し気かつ可愛い天使みたいな格好をしていて。
 ああ、ここは天国じゃなくて私たちのモアモアハウスなんだよね。
 家に帰ると可愛い恋人が出迎えてくれる。今、みのりと同棲できていることをようやく実感した気がする。疲れが一瞬のうちに吹き飛んでいくなぁ。
 ……それはそれとしてもう我慢できない。

「みのり、おいで」
「へ? あ、えっと、涼んでからじゃなくて大丈夫ですか……?」
「あっ、そ、そっか。今の私は汗臭いよね! シャワー浴びてくるから待ってて――」
「遥ちゃんっ!」

 慌てて廊下へ引き返そうとした私の背中に、とん、とみのりが飛び込んでくる。

「お仕事お疲れ様。頑張ってきた遥ちゃんのこと、嫌だなんて絶対思わないよ。だからいっぱいギュッてしてほしいな!」
「みのり……ありがとう。でも少しだけにするね」
「遥ちゃん……」

 向かい合って改めて手を広げると、みのりはそっと身を寄せてくれて。髪を撫で下ろしながら抱きしめる。冷房の効いた部屋にいたおかげかな。程よく冷えた手や頬が気持ちよくて、何より幸せそうに細められる瞳が愛おしくて。
 前髪を軽くさらうとくすぐったそうに身を震わせるみのり。シャワーを浴びるまでは流石にギュッとはできないけど。

「浴衣可愛い。とってもよく似合ってるよ、みのり」
「えへへ……愛莉ちゃんといっぱい探したんだ。遥ちゃんに褒めてもらえてよかった!」
「私も早くみのりとお揃いしたいし、そろそろシャワー浴びてくるよ」
「うんっ、その、心の準備をして待ってるね!」
「ふふっ、どうして心の準備?」
「浴衣を着た遥ちゃんは絶対素敵だもん! たっぷり心の準備をしないとわたし、気絶しちゃいますので……!」
「相変わらずだなぁ。でもそんなところが好きだよ」

 そうしてみのりに軽いキスを落とす……なんてことをしている間、ずっと二つの視線が向いていたけどスルーするのに慣れてしまったなぁ。

「ったく、何かしらこの茶番。アタシ達もいるってこと忘れてない?」
「ふふ、楽しそうね二人とも」
「………………雫は、わたしに何もしなくていいの?」
「愛莉ちゃん……!」

 瞳を輝かせた雫にむぎゅうと抱きしめられ、突然抱き着かれると倒れるからー! と愛莉の悲鳴が響くのでした。

   ♤

 せっかくなので……と雫と一緒にお風呂に入ってさっぱりし、「なんだか今日一日ずっと一緒に過ごしてるわね」「ホントだね」とこの後する予定の提案を思い浮かべながら、二人でくすくすと悪戯っ子みたいな笑みを交わす。
 そうして用意してもらった浴衣に袖を通して。

「は、ははは、遥ちゃんと雫ちゃんの浴衣姿! 可愛い、綺麗、美しい、ええっと、ええっとぉ! 綺麗すぎて語彙力が追いつかないよーっ!」
「お、お風呂上がり補正も相まってわたしの目でも輝いて見えるわ……アンタ達ってホントにズルいわよね……!」
「大袈裟だよ二人とも……でも涼しくていいね、浴衣これ
「ええ。それにみんなでお揃いできて嬉しいわ」
「ふふ、そうだね。それじゃあみのり、改めておいで!」
「うんっ!」
「じゃないわよ! ご飯食べなさいよ遥、夕飯まだでしょ?」

 雫も、と苦笑しながら愛莉が示したダイニングにはすでに夕食が並んでいた。一足早い焼きしゃぶサラダ。年齢を重ねるにつれて少しずつ食事制限を緩和してきたとはいえ、私にも気遣ったヘルシーかつ食べやすいメニューが待っている。
 不意に、一人暮らししていた頃を思い出す。
 仕事でへとへとになっても、体型や体調維持のために体に鞭を打って食事を用意していたんだよね。それが今は、疲れていても料理を作ってくれる人がいる。

「……愛莉、ギュッてしていい?」
「え? 突然なによ?」
「いや、急に愛莉へ感謝を伝えたくなって」
「アンタ実は相当疲れてるでしょ……雫とみのりに許可取りなさい」
「遥ちゃんなら勿論いいわよ!」「何だったらわたしも愛莉ちゃんギュッてしたい!」
「この彼女たちガードが甘すぎる……! ゆ、夕飯食べ終わった後なら好きにしなさい」
「なんて冗談は置いといて」

 冗談だったの!? とちょっと寂しそうな愛莉には後でハグしに行こう。アイコンタクトを交わすと、夕飯の席に着いた雫が手を鳴らした。

「第二回モモジャン家族会議~!」
「「おー!」」
「もういいけど、家族会議ネタ無限に引っ張るのね……」
「あのね、私たちもみのりちゃん達みたいに、この暑い夜を乗り越える作戦を考えていたのよ」
「各自の部屋はまだクーラーつかないでしょ? 下着を取りに行ったついでに確認したけど、今もまだ昼間の熱が残ってたから、あんな部屋で寝ると熱中症になっちゃうかもしれない」
「だからね、四人で一緒にリビングで寝るのはどうかしら!」

 一瞬、愛莉とみのりは顔を見合わせて。
 それいい! と満場一致でモアモアハウス会議……もとい家族会議は可決。私が手を掲げてみせると、雫は嬉しそうにぱちん! と手を重ねてくれたのでした。

   ♤

 テーブルやソファを動かしてスペースを確保する。各々の部屋から寝具を持ってきて布団を並べると、なんだか新鮮な光景がリビングに広がった。

「わたし愛莉ちゃんのとなりー!」
「なんか合宿……いや、修学旅行かしら?」
「四人で暮らしているのに一緒に寝るのが初めてなんて、ちょっと不思議よね」
「いつでも会えるようになった分、お泊まり会をする機会が無くなっちゃったもんね」

 定期的にやってもいいねとか話しながらタオルケットを広げる。私の隣が雫。頭側にいるのがみのりで、雫の頭の上の布団を愛莉が陣取ったようだ。
 寝転がって顔を上げると、同じく寝転がっていたみのりと近い距離で顔を見合わせることになった。

「えへへ、遥ちゃんとこうするの不思議な気分だねっ」
「恋バナでもする? 私の好きな人はね……みのりだよ」
「ふ、ふえぇ…………」
「なーにバカなことやってんのよ」
「あのね遥ちゃん。私が好きな人は、実は愛莉ちゃんなの」
「そうだったんだ、応援するね雫!」
「まあ、ありがとう遥ちゃん! 私頑張るわね!」
「頑張れしずく……ふ、ふふっ」
「ったく、寸劇やるなら最後まで貫き通しなさいよ」
「そういう愛莉は?」
「愛莉ちゃんも好きな人いるでしょ? 私たち、気付いてるのよ?」
「あーはいはい。実はわたし、同じクラスの日野森雫さんが好きナノヨー」
「もう、愛莉ちゃん冷たいわ」
「この辺で茶番はおしまい。そろそろ寝ましょ」

 ぷう、と頬を膨らませてみせる雫の頭に愛莉が手を伸ばし、私の視線も気にせず優しく撫でおろした。幸せそうに頬を緩める雫。布団の上に寝転がって、すっかり愛莉の気も緩んだみたいだ。
 珍しい光景だし、愛莉が恥ずかしがるまで眺めていようかな……と思っていると。

 なでり、と。
 不意に、私の頭を撫でる心地よい感触があった。

 雫と愛莉は二人の世界。となれば私の髪を撫でおろしてくれるのは一人だけ……。

「……みのり?」
「あっ、ご、ごめんね遥ちゃん! 嫌だったかな……?」
「ううん、そんなことないけど……」
「遥ちゃん今日お仕事をいっぱい頑張ったでしょ? 少しでも癒されてくれたらなーって思ったんだけど……おこがましかったよね」

 と苦笑しながら手を引こうとするみのり。
 私はそんな彼女の手首を掴んで……頬が少し熱かったけど、自ら頭にその手を乗せた。

「いいよ、みのり」
「……っ」
「……もう少し、撫でてほしいな、なんて……」
「――! えへへ、任せてっ!」

 嬉しそうに表情を綻ばせながら頭を撫でてくれるみのり。
 未だに甘えるのに抵抗感があって、恥ずかしいという気持ちを捨てられない私だけど……恋人の優しい手つきが、そんな私の心をあっという間にほぐしていく。
 ああ、我ながら……。鈍くなり始めた思考を巡らせる。
 みのりのことが好きすぎるなぁ、私。
 彼女になら、いとも容易くすべてを委ねてしまえる。
 子供みたいに体温が上昇する。緩やかな眠気が、自意識を泡のように包み始めて。

「よしよし。遥ちゃん気持ちいい?」
「うん……きもちいい、よ……」
「いつも努力家な遥ちゃんも大好きだけど、たまにはいっぱい甘えてね」
「…………たまには、ね……」
「もう眠たい?」

 ……こんなにすぐ、眠くなってしまうなんて。
 せっかく四人でおしゃべりできると思ったのに。でも重くなってきた瞼に抵抗できなくて、コクリとうなずき返す。

「あら、遥ちゃんもうお眠かしら?」
「電気消しましょ。オレンジつける?」
「……まっくらが、いい……」
「ふふ、これは反対するのも可哀想ね」

 雫がタオルケットをかけてくれて、愛莉がリモコンで電気を消して。
 ずっと、みのりが優しくなでてくれたまま。

「ん……おやす、み……」

 そっと目を閉じて、微睡に意識を委ねる。

「珍しいわね、遥が先に寝ちゃうなんて。……今日もお疲れ様」
「いつも私たちをリードしてくれてありがとう、遥ちゃん」
「おやすみ遥ちゃん。いーっぱい休んで、明日もアイドル、頑張ろうねっ」

 ちゅ、とほっぺに柔らかな感触があった。
 そんな三人の声を、最後に聞いた気がした。

   ♤

 ……翌朝。
 まあその、なんというか、はい。
 一番乗りに起きた私は昨晩あった出来事を思い出し、一人でこれでもかと悶える羽目になりました。ぐっすり眠って目覚めスッキリなのが尚更恥ずかしい。
 物音を立てないよう身体を起こし、お姉ちゃん達の寝顔を見下ろして。

「……んぅ……まちなさいよ、ねこちゃん……」
「……もう……おうどん、たべられないわ……」
「……はるかちゃ、ちが……それペンギン……」
「ふふ、みんなしてすごい寝言……どんな夢を見てるの?」

 さて、スマホを取りに行こう。
 みんなの寝顔と寝言、きっちり記録しておかないと。


【万事順調……とはいかないけど。    
 四人ならどんなトラブルも超えられるね】

【洗濯物はどこ?】


   ♢

 ピロピロリ~♪ と廊下から聞こえてきた可愛いメロディーに、私は広げていた文庫本をぱたんと閉じた。

「あ、お洗濯終わったみたいね!」

 私を呼ぶのは大きな洗濯機さんだ。アイドル四人で生活していると、ランニングやレッスンで何かと洗い物が多いので洗濯機さんは大活躍。
 愛莉ちゃんや遥ちゃんは『ドラム式にすればよかったね』とたびたび口にしているのだけど、ドラムみたいに叩ける洗濯機さんがあるのかしら……?

「んじゃたまの休日だし、さっさと干しちゃいましょう雫。大学のレポートも書かないといけないわけだし……」

 私の隣でノートパソコンから顔を上げたのは、そんな顔を青ざめさせている愛莉ちゃんだ。今日はお休みなのですっぴん、目の下に少しクマができている。
 大学生でもある私たちは、この七月下旬は試験やレポートで大忙しになる。『みんなで試験勉強配信』も『レポート&試験勉強配信』に名前こそ変わったけど、高校生の頃からすっかりおなじみのコーナーになっていた。
 洗い終わったシャツやタオルをカゴに移し、お庭の物干し竿のもとへ向かう。

「みのりちゃん達、熱中症にならないと良いのだけど……」

 お庭に出てサンダルを履きながら、そんなことを呟く。
 みのりちゃんと遥ちゃんは今日、夏休みの特集番組のロケに出ている。リアクションが可愛いみのりちゃんはぶらり旅やテーマパークの紹介特番に引っ張りだこだ。
 サンダルも足の裏が焼けてしまいそうなくらい熱いし、洗濯物を干しているだけで汗が滲んできた。

「ま、遥がいるし心配ないでしょ。わたし達も油断してると洗濯だけで体調崩しそうだし、早いこと済ませちゃいましょ」

 ハンガーにかけたシャツを私に手渡しながら苦笑する愛莉ちゃん。ひょいと竿に引っ掛けながら「そうだねぇ」と相槌を打つ。
 さすがに愛莉ちゃんも物干し竿に手が届かない、なんてことはないのだけど、身長の都合でこういう役割分担になりがちだった。
 何気ない日常の中で、一緒に暮らし始めてからより実感する。

「ん? 何ニヤニヤしてんのよアンタ」
「なんでもないわ、愛莉ちゃん」

 私と愛莉ちゃんが横に並ぶと、愛莉ちゃんは上目遣いになる。
 丸くて大きなルビー色の瞳が見上げてくる仕草は――アイドルだから当然かもしれないけど、すっごく可愛くてつい頬が緩んでしまうのでした。

「ん? あれ?」
「どうしたの愛莉ちゃん?」

 私が和んでいると、そんな疑問の声が届く。

「いやその、いくらカゴを漁ってもみのりの服が出てこないのよ……」
「……そういえばみのりちゃんのお洋服だけ、一枚も干してないね」

 別のカゴにしていた下着は見た記憶があるけれど、みのりちゃんお気に入りの『どこか行きたい』ラッコさんシリーズさえ見当たらなかった。

「洗濯物の出し忘れ……じゃないわよね。タオルや下着はあったわけだし」

 愛莉ちゃんと顔を見合わせる。
 念のため洗濯機の中やみのりちゃん達の『下級生部屋』を覗いてみたけれど、それらしきものは見当たらなかった。ちょっと外に出るだけで汗をかく季節にシャツを出し忘れるとは思えない。

「これは、ちょっと確かめておくべき事案かもしれないわね……」

   ♢

「モモジャン緊急家族会議~!」
「いえーい……って空気じゃなさそうだけど……」

 その日の夜。
 みのりちゃんと遥ちゃんが帰宅し、お風呂を済ませた後のこと。
 愛莉ちゃんの号令に困惑気味に腕を上げるみのりちゃんは、自然と私に髪を梳かすのを委ねてくれていた。彼女はすっかり甘え上手、私の二人目の妹みたいだ。
 ぴょこぴょこ跳ねる栗色の髪に櫛を通す私たちを横目に、遥ちゃんが口を開いた。

「ねぇ愛莉、私もみのりも大学のレポートやらないといけないんだけど……」
「いいえ、これは確認しておくべき緊急事態よ。なぜって――洗濯物の中から、みのりの服だけ消えてしまったのだから!」
「えええ――っ!?」

 驚愕の声を上げるみのりちゃん。

「わたしちゃんと洗濯に出したよ!?」
「それがね、みのりちゃんの服は下着とタオルしか無かったのよ」
「泥棒が侵入し、みのりの服だけを盗んだ最悪の可能性がある。故の家族会議よ!」
「いいんだけど愛莉、すっかり『家族会議』に言い慣れちゃったね」
「あ……か、家族会議よ!」

 指摘されるとまだ照れちゃうモアモアハウスのお母さん。
 でも、と遥ちゃんが軽く手を挙げた。

「それなら私、一つ心当たりあるな」
「本当なの、遥ちゃん?」
「うん。雫、洗濯ものってもう取り込んであるよね?」
「ええ、アイロンもかけてみんなのお部屋に置いてあるわ」
「……私の服の数、妙に多くなかった?」

 え? と愛莉ちゃんと顔を見合わせる。

「言われてみれば、アンタの服だけわたし達の倍くらいあったような……」
「そうね、二人で運んだものね」
「やっぱりそうだ」

 あ、と呟いた愛莉ちゃんが呆れ顔になっていく。

「そういうことね……ほんとアンタ達……」
「ええっと?」

 私が首を傾げた、その時だった。

「つまりね――今週のみのり、私の服しか着てなかったんだよ」

 遥ちゃんの白い肌が、ほのかに赤くなっていく。
 当のみのりちゃんはポンと実際に小づちを打っていた。

「そうだ! わたし今週、全部遥ちゃんのコーディネートでお出かけしてた!」
「というか今もまさにそうじゃない! みのりが着てるその青いパーカーって!」
「そういえば、遥ちゃんのお洋服ね」

 太腿のあたりまで包み込む、オーバーサイズの青いパーカー。
 それを遥ちゃんの私物だと知っているのは、同居を始めた手の頃はどれが誰の服か分からなくて洗濯のたびに聞き合っていたからだ。
 暖色系の服が多いみのりちゃんには元々珍しかった青色に包まれていて、まあ、練習着のラッコさんは水色なのだけれど……。

「だからみのりちゃんの服は下着くらいしかなかったのね」
「も、もしかしてわたし、とっても恥ずかしいことをしていたのでは!? 遥ちゃんがコーディネートしてくれるのが嬉しくて甘えてたけど、遥ちゃんのお洋服で二十四時間三百六十五日を過ごしてしまったの!?」
「ここ四日くらいの話でしょ! というかまあ、わたしは姉妹間で服の貸し借りするとか当たり前だったし、それ自体は同居中なら普通のことだと思うわよ」
「あ、しぃちゃんとも服の好みが違うから回数は少ないけど、私も心当たりはあるわ」
「そっか! それなら良かっ――」

 姉妹と姉弟では事情が違うものね。
 安心した風に胸をなでおろそうとしたみのりちゃんは、けれど自身の視線を胸元に降ろすと固まってしまった。

「……ふぇ……」
「……今の自分が完全に遥色に染まってることに今更気づいたのね……」

 頬をかいた愛莉ちゃんは、ジト目を遥ちゃんへと向けた。

「彼女に自分の服を着せ続けた感想はどうかしら、遥」
「喜んでくれるみのりが可愛くてつい」
「開き直ったわね!?」

 よく見ると耳は赤いままなので、遥ちゃんでもさすがに照れくさいみたいだ。
 そんな遥ちゃんはもみあげを耳にかけながら説明を始めた。

「ほら、『彼シャツ』ってあるでしょ? 私も咲希から聞いて初めて知ったんだけど、みのりにやってほしくてつい……」
「あー、咲希ちゃんはそういうの好きそうよね」
「かれしゃつって何?」
「普通は男女で交際してるカップルがやることなんだけど、背が高い男性の服を小柄な女性に着せることなんだって。女の子っぽさが際立って可愛く見えるみたい」
「た、たまに雑誌グラビアでやってるモデルさんやアイドルもいるよね!」

 硬直から帰ってきたみのりちゃんも補足してくれる。
 そんなみのりちゃんは袖が余って『萌え袖』になっていて――

「ふふ、確かに今のみのりちゃん、とっても可愛いわ!」
「えへへ、そうかなぁ」
「まあくだらない理由で良かったわね。遥とみのりは程々にすること! 解散!」

 パン! と愛莉ちゃんが手を叩く。「やりすぎちゃってごめんね」「ううん、遥ちゃんお洒落だから服を選んでくれるの嬉しくて――」と謝り合う遥ちゃんとみのりちゃんは、言葉とは裏腹にすごく幸せそうだった。

「まったく、あの子らの惚気に週一回は振り回されてる気がするわ……」
「一緒に暮らし始めてから遥ちゃん達、ますます仲良しになっていくものね」

 私の隣に座った愛莉ちゃんがため息交じりに呟く。
 でも、そっか。
 恋人さんに、自分の服を……カップルはそういう事をするのね。

「ん? 何か寒気がするわね……冷房利かせすぎかしら?」

   ♢

「……雫、本気で言ってるの?」
「うん。私も愛莉ちゃんの可愛いところ見てみたいの。だめ、かな……?」
「く、顔が良すぎる……っ!」

 私が迫ると、顔を赤くした愛莉ちゃんがふいと視線を逃がしてしまう。
 お風呂もケアも済ませて後は寝るだけ――『上級生部屋』に並べたお布団の上に逃げ場はない。女の子座りした愛莉ちゃんに身を寄せると、「わかったわよ!」と観念した声が響いた。

「この部屋から出ないこと。あと写真とかは撮らないこと! それが条件よ」
「う、うん! 愛莉ちゃんありがとう!」
「そんなに嬉しそうにしなくても……」

 すると愛莉ちゃんは着ていたパジャマのボタンを、一つずつ外していく。下もするりと脱いでキャミソールとショーツだけになると、私から〝それ〟を受け取って。

「――これで満足かしら、雫!!」

 私の白いブラウスに身を包んだ愛莉ちゃんが、ヤケクソ気味に叫んだ。

 私と愛莉ちゃんの身長差は12センチ、服のサイズはワンサイズ違う。ブカブカで余った袖が折れていて、裾はブラウスだけなのに腰回りも腿のあたりまで隠せていて。何より照れて真っ赤に染まった愛莉ちゃんの頬っぺたや耳が……。

「すっごく可愛いわ、愛莉ちゃん!!」
「うぐ……喜んでいいところなのかしら」

 ついさっきリビングでしたモモジャン家族会議で気づいたの。
 私と愛莉ちゃんの身長差ならきっと、『彼シャツ』ができるって!
 ブカブカさは抜け感って言うのよね。私も衣装制作で可愛く見せるポイントを勉強してきたので、彼シャツが可愛い理由がよく分かる。それに私の服を着た愛莉ちゃんっていうのは、こう、不思議な気持ちが……。
 まるで愛莉ちゃんが、私色に染まった、みたいな――。

「……っ!」
「……ちょっと雫、人前に出れない顔してるわよー」

 珍しいわね、と頬をぐにっと引っ張られる。
 考えすぎない方がよかった。私、すごく変態さんみたいなお願いを、愛莉ちゃんにしちゃったんじゃ……!
 愛莉ちゃんの指を冷たく感じて、頬っぺたが熱くなっていることを自覚する。普段なら頬ずりしたくなる大好きな手のひらも、今ばっかりは顔に触れてほしくなくて。

「……しかしこれ、雫の香りがすごい……みのりは逆によく平然としてたわね……」
「愛莉ちゃん何か言った?」
「なんでもないわ! もう脱いでいい?」

 ブンブン首を横に振った愛莉ちゃんがボタンを外そうとしてしまう。
 変な空気になっている自覚はあって、浮ついた雰囲気を終わらせるのはそれが早いのだけど。

「ま、待って愛莉ちゃん! このまま寝ない?」
「アンタのブラウスに皺がついちゃうけど――雫がいいならこのままでいっか。いい加減その子犬みたいな視線に耐えらんないし、否定する方が身がもたないわ……」

 愛莉ちゃんは深い深いため息をついた後、

「んで、雫」
「なぁに、愛莉ちゃん?」
「……服着せて、眺めるだけで終わるつもり?」
「――――ふふ、愛莉ちゃん大好きっ!」
「い、いきなり苦しいってば!」

 私がぎゅーっと愛莉ちゃんを抱き寄せると、恥ずかしそうに文句を言いつつもはぐを許してくれる。モアモアハウスで一緒に暮らしてから、どんどん密着するのを許してくれるようになった気がする。
 そうして愛莉ちゃんの上がった体温やふわふわの髪を心地よく思っていると、私の腕の中でまた小さなため息が零れた。

「まったく嬉しそうにしちゃって……彼シャツくらいなら別にいいけど、遥たちに影響されてあんまり変なこと覚えないでよ?」
「はーい」
「……あと、今度は雫にもわたしの服、着てほしいかも」
「愛莉ちゃん……!」

 まさに愛莉ちゃん風に言うなら、その囁き声は『反則』だと思う。

「むぐぐ……苦しいって言ってんでしょうがーっ!」
「だって今日の愛莉ちゃん、すっごく可愛いんだもの……!」
「もうほんと雫って……こんなとこ、絶対にみのり達には見せられないわ……」

 我慢できない私の抱擁をそれでも許してくれる愛莉ちゃんの、羞恥と諦観のにじむ囁き声が二人部屋に響いて。
 二人でお布団にぽすんと倒れ込みながら、静かにくすくすと微笑みあったのでした。


【私服の交換がブームになったのは、    
 ちょっと可愛い後日談】


【タブレットからお邪魔します♪】


   ♧

 オーナーさんの意向とわたしのひょんな思い付きで、『MORE MORE JUMP!』の四人でモアモアハウスでの同居生活を始めてから四ヶ月。無事初めての大学春学期も乗り越えて、夏休みを迎えていた。
 長期休みとなれば当然、みんながお家で過ごす時間も長くなる。わたし達はありがたいことにアイドルのお仕事がたくさん入ってるから忙しいんだけどね。
 そんな夏の日の一幕です――!

   ♡

『わーっ! 愛莉ちゃんそれってもしかして!』
「ええ、新しいかき氷機よ」

 モアモアハウスのキッチンには料理をする時用に、私物であるタブレットを置けるホルダーが引っ掛けられている。
 わたしは普段動画を流したり、レシピを確認したりしながら使っているのだけれど、ときどき〝こういう〟タブレットの使い方になる日もある。

『そのペンギンさんの頭のところに氷を入れるの?』
「そうみたいね。……遥が頑なだからペンギン型にしたけど、頭部が蓋になってるのはなかなかにシュールねぇ」
『アハハ、遥ちゃんが見たらビックリしちゃいそうだね!』

 そう相槌を打ちながら笑うのは、鏡音リン――わたし達の想いで生まれた〝ステージのセカイ〟からタブレットを通じて顔を出してくれているのだ。
 モアモアハウスの思いがけない利点はこれ。
 バーチャルシンガーのみんなとも、現実世界の方でも普通にお喋りができる点だ。元々暮らし始める前からリンやミクたち用のタブレットを置いていたのだけど、斎藤さんや長谷川さんといった打ち合わせに来た人たちに見つかりそうになったのは笑い話だ。
 余談はさておき、製氷機で作っておいた氷をペンギン型かき氷機の頭に流し込んでいく。……本当にシュールな絵面だけど、ハンドルをぐるぐる回すと細かく刻まれた氷が雪みたいにガラス皿に積もり始めた。

『わあ……! 涼しそうでいいなー!』
「ふふ、配信で使う前の試運転なんだけど、リンの分も後で作って持っていきましょうか? シロップ何がいいかしら?」
『えーっとえーっと、レモン味のシロップってあるかな……?』
「もちろん! いろいろ取り揃えたのよねー」

 ……バーチャルシンガーの子達は歳を重ねないので、年々わたし達との年齢差は開いていく。今やメイコ達の方が話が通じやすいというのだから不思議な感覚で。
 それでもわたしは、変わりなく可愛くて無邪気なリンと喋るのが結構お気に入りだ。
 わたしの料理にも興味あるのか、しょっちゅう顔を見せに来るしね。

「にしてもセカイはいいわよねー。真夏でも過ごしやすいから」
『そうかなぁ? そっちの方が季節がいっぱいあって楽しそうだけど』
「今の季節、外でランニングしようものなら大変なのよー? 朝晩でさえ一瞬で汗だくになっちゃうんだから」
『あはは、だから最近はみんなお花畑のセカイでランニングしてるんだね!』
「セカイをいいように使っちゃって申し訳ないけど」
『愛莉ちゃん達ならいつでも大歓迎だよっ♪』

 キュッと瞳を細めるリンの笑顔は――実家の妹や出会いたての頃のみのりを彷彿とさせる可愛らしさだ。ほんと、いつでもキュートなこの子に何度初心を思い出させてもらったことか。

「よし、かき氷できた! じゃあそっち行くわね、リン!」
『はーいっ♪』

 ひゅんとホログラムを引っ込めるリン。画面は元々表示していた『アイドル新鋭隊』に切り替わる。さて、可愛い妹にかき氷を持っていきますか!

   ♢

 夜遅く、モアモアハウスのリビングに残っているのは私一人だけ。
 みんなが寝静まった一軒家はすごく寂しさを感じるのだけど、そういう時にいつも察してくれるのか、傍にタブレットを置いておけば――

『あら、雫ちゃん? 今夜も衣装を作るのね?』
「ルカちゃん! ふふ、待ってたわ!」

 ホログラムとして顔を覗かせたルカちゃんに「こんばんは」と返す。
 巡音ルカちゃん。私たちの想いで出来た〝ステージのセカイ〟で暮らしているバーチャルシンガーで、少し前まではお茶目で素敵なお姉さんアイドルだったのだけど、気づけば私の方が年上になっていた。

「もうすぐサマーライブなのに、アンコール用の衣装が縫い終わってないの。だから踏ん張りどころなのよ!」

 モアモアハウスには『物置き部屋』があるから、私費で購入した衣装制作用の道具をたくさん置くことができるようになった。
 今日はスカートの刺繍が主だからあまり出番はないのだけれど、こうして時間帯を気にせず制作に集中できるのは大助かりだ。

『もうサマーライブも来週だものね。頑張るのは素敵なことだけど、根を詰めすぎてはだめよ?』
「ええ。無理をしないように、ルカちゃんが監視してくれてるのよね?」
『……遥ちゃん達から見守るよう頼まれていたのは、バレていたのね』

 苦笑を零すルカちゃんに頷き返す。
 毎晩、一人だけ夜更かししてるんだものね。ルカちゃんを付き合わせるのも申し訳なかったけれど――

「これが瑞希ちゃんや朝比奈さんの言っていた『作業通話』なのよね、きっと!」
『ふふっ、私たちは通話しているわけではないけれどね』
「でもルカちゃんがいてくれると、不思議と縫物が早く進む気がするの」

 バーチャルシンガーのみんなと仲良しだけど、なんとなく特に仲がいいのがルカちゃんだ。モモジャン結成したての頃からよくお話相手になってくれた。

『でも雫ちゃん、もうほとんど衣装は完成してるわよね?』
「ええ。水兵さんを意識した衣装なんだけど、みんなの個性を残してあげたくて」

 お客さんからはよく見えないワンポイントかもしれないけど、みのりちゃんには天使の羽、遥ちゃんには海を表現した波、愛莉ちゃんにはハート模様……と最後のこだわりをひと針ずつ丁寧に刻んでいく。
 衣装を着るみんなに喜んでほしい。
 天使みたいに、海みたいに歌えるように。そんな願いの魔法を込めながら。

『素敵なコンセプトだけど、雫ちゃん自身の模様はどうするの?』
「それがまだ悩んでいるのよ……いつも自分の衣装で困ってしまうわ」

 衣装担当なのに、他のみんなのコンセプトはすぐ思いつくけど自分の衣装では手が止まってしまう。私が眉をハの字にしていると、ホログラムのルカちゃんも思案するように顎に手を添えた。

『そうね……今回は小鳥さんとかどうかしら?』
「小鳥さん?」
『ええ。サマーライブはたしか屋外でしょう? 雫ちゃんの歌声が鳥さんみたいに空高く飛べるように……なんて方向性はどうかしら?』
「まあ! 素敵だと思うわ! ありがとうルカちゃん!」
『どういたしまして。これもきっと「作業通話」の醍醐味の一つよね』
「ふふっ、そうかも!」

 適当なお喋りから生まれるアイディアが『25時、ナイトコードで』の楽曲に影響することは少なくないと瑞希ちゃん達も言っていた。
 お裁縫以外の時もルカちゃんを呼んでみようかしら――なんて、思うのでした。

   ♤

 プロデューサー業も兼ねていると、単独ライブでは大忙しだ。
 パフォーマンスや振り付け自体は愛莉が考えてくれるけど、もっと大枠のコンセプトや会場選び、それにイベント運営会社とのやり取りや協賛企業との挨拶、当日流すモニター映像の確認にグッズやパンフレットのチェック、挙げればキリがないほどの仕事の最終判断が私に委ねられる。
 元々イベント会社で働いた経験のある斎藤さんがいなければ、きっと私はパンクしていただろう――というのは余談。
 兼業しているとはいえ、私も一人のアイドルとしてステージに立つ。
 今日はレッスン室を独占し、振り付けの確認を一式行っていた。

「ワン、ツー、スリー、フォー、ターンしてここで、みのりとチェンジ!」

 ……ちなみに独占といっても、現実世界にいるのが私一人だけであって、レッスンには〝ステージのセカイ〟からのお客さんがいる。

『うんうん、今のステップいい感じよ!』
『今のところ、もう少し視線を遠くに投げたら素敵かもしれないね!』

 鏡張りの部屋のテーブル上には、タブレットからホログラムで姿を見せる赤と青の人影――メイコとカイトさんに付き合ってもらっていた。
 キュッと練習靴が響かせる摩擦音が終わりの合図。セットリストを一式踊り切った私は、汗をタオルで拭いながらタブレットのもとに向かった。

「ふぅ……どうだったかな?」
『相変わらずキレッキレで最高だったわよ、遥ちゃん!』
『うん。やっぱり歌もダンスも人一倍キレがあって素敵だね』
「もう、メイコもカイトさんも褒めてないで、アドバイスしてほしいんだけどな」

 ……ちなみに気づけば二人とも歳がほぼ同じか、なんだったら年上になってしまったので敬語はとっくに取り払われていた。カイトさんからは『さん付けもやめていいんだよ?』と揶揄われてしまったけど、こればかりは性分だ。

『それにしても遥ちゃんは本当に努力家だよね。プロデュース業をこなしながら、自分のパフォーマンスもここまで仕上げちゃうんだから』
「あはは、一応こっちが本業だからね」
『最近休んでいる姿を見ないけど、大丈夫?』
「メイコに心配される筋合いは、ないかもしれないな」
『あっはは、言われてるよメイコさん』
『私はこう見えてきちんと休憩しているから心配しないで――って言いたかったけど、それは遥ちゃんも一緒ってことよね』

 苦笑を零すメイコさんは、私と並んで愛莉曰くの『意外と脳筋タイプ』。持ち前の体力や努力で何とかしてしまうタイプということらしい。
 メイコもミクやリンにお小言を言われてるんだろうな。そんな妄想をしながら、

「モアモアハウスで暮らし始めてから監視の目が増えたからね。みのりも愛莉も雫も、自分たちも頑張りすぎてるのにすぐ私に『休め』って言うんだよ?」
『あははっ、遥ちゃんから愚痴なんて珍しいわね』
『やっぱり実家の方が過ごしやすかった?』
「――意地悪な質問。そんなことないよ」

 してやったりと笑うカイトさん。私はこの人に敵わないことが多いなぁ。
 たとえ監視の目が増えたとしても、みんなと、バーチャルシンガーも含めた『MORE MORE JUMP!』のみんなとのんびり過ごせるこの家を不快に思ったことなんて、一度だって無いんだから。

   ♧

「うう、明日ライブのリハなのに、帰ってくるの遅くなっちゃったよーっ!」

 ぱたぱたとリビング駆け込みながら、わたしは小声でそんな悲鳴を上げていた。
 明日はサマーライブのリハで、明後日は本番! そのために予定を空けていたんだけど、今日は収録が伸びに伸びて帰るのが夜十二時になってしまった。

「……日付をまたぐくらいに帰宅するなんて、大学生っぽいかも?」

 でも『朝帰り』っていうし、まだ素行がいい方なのかも。
 そんなことを思いながら、みんなを起こさないようにシャワーを済ませてリビングに戻ってくる。モアモアハウスは大学生四人暮らしだけど、みんな朝からランニングしているので夜更かししても1時くらいが一番後ろになりがちだ。
 特に今日はリハーサルに備えて、早く寝てるんだろうなぁ。

「えーっと、ご飯はあるのかな?」

 とキッチンを覗きに行った、その時だった。

『――みのりちゃんおかえり!』
『晩御飯なら、愛莉ちゃんが冷蔵庫に用意していたよ』
「わっ! ミクちゃん! それにレンくんも!」

 モアモアハウスの『バーチャルシンガー用タブレット』から、ミクちゃんとレンくんがホログラムで顔を覗かせた。最初の頃は飛び上がるくらいビックリしたけどすっかり耐性がつき、突然声をかけられても嬉しさが勝ってしまう。

「ありがとー! もしかしてそれを教えてくれるために今まで起きてたの!?」
『ふふっ、本当は遥ちゃん達が「待ってる」って言ってたんだけど――』
『僕たちが代わるよって買って出たんだ。だから気にしないで』

 どこか誇らしげなミクちゃんと、キラキラスマイルで教えてくれるレンくん。
 晩ご飯のハンバーグをレンジで温め、タブレットを傍に置いていただきます。

『みのりちゃんはコンディション大丈夫?』
「うん! 食べてちょっと休んだらすぐ寝るし、それに明日はまだリハーサルだしね」
『そっか。頑張りすぎないようにね、みのりちゃん』
「ありがとうレンくん――って、どうしてミクちゃんと顔を見合わせて笑ってるの?」

 ハンバーグおいしー! と内心で思いながら首をかしげると、ミクちゃん達は事情を教えてくれた。

『最近わたし達の間で、ずっと数えてたんだ。「MORE MORE JUMP!」のみんなに「頑張りすぎないでね」って何回言ったっけって』
「あ、あはは……」
『いつ様子を見に行ってもサマーライブの準備中だからね。いよいよ本番だから忙しいのは仕方ないかもしれないけど、みんな本当に一生懸命だから』
『言わない方がいいってわかってるんだけど、つい心配になっちゃって』
「ううん、心配かけちゃうのは申し訳ないけど嬉しいよ!」

 心当たりがあるのはわたしだけじゃない。
 モモジャンをずっと見守ってくれたみんなからの『頑張りすぎないでね』はきっと、わたし達が無茶をする一線を越えないようにブレーキの役割を果たしてくれていたんじゃないかな。
 モアモアハウスで暮らし始めてからの、思いがけない嬉しい副産物。
 ミクちゃん達とこんな風に、いつでもお喋りができるようになったこと。

「みんなに心配かけちゃった分、サマーライブは絶対成功させるから! 今回も特等席で楽しませてあげるね!」
『みのりちゃん……うん! いっぱい楽しんじゃうね!』
『期待してるよ、みのりちゃん!』

   ♧

「さて、心配かけまくっていたことがみのりの報告で分かったわけだし!」
「ええ。バーチャルシンガーのみんなのためにも!」
「サマーライブ、絶対に成功させよう!」
「おーっ!」


【四人暮らし……って公表しているけど、    
 わたし達、実は十人の大家族かも!】

【みのりドライブ】


   ♤

「じゃじゃーん! 免許証でーす!」

 誇らしげに運転免許証を掲げるみのり。わー、とリビングに拍手が響く。
 モアモアハウスで暮らし始めてから早くも季節はめぐり、夏も終わりごろの8月末。といっても大学生の夏休みはあと一ヶ月もあるし、気温は晩夏も絶好調。まだまだ暑い季節は終わらなさそうだ。

「しっかしまさか、みのりが免許を取るとはねぇ」
「おめでとうみのりちゃん!」
「ふっふっふ、夏休みの間にいっぱい教習所通ったんだ! 試験も一発合格だよ!」

 どや、と胸を張るみのりは微笑ましい。
 教本を読み込んだり運転のイメトレをしたりと、何事にも頑張り屋な彼女はこの夏休みを免許取得に費やしていたのだ。

「本当にアンタ運転できるの? すぐエンスト起こしそうで怖いんだけど」
「その心配はないよ愛莉ちゃん! AT限定だから!」
「胸張って言うことじゃないでしょそれ! なんか怪しいわ……S字カーブとか駐車とか、果たして一発で試験通過できたのかしらねぇ?」
「それが意外と駐車得意なんだよわたし! 先生のお墨付きなんだ!」
「自分で意外って……みのりらしいけど」

 免許を持っている同士で盛り上がるのを横目に、雫と目が合う。

「そういえば雫は去年、結局どうしたんだっけ?」
「えっと、それがその……」
「方向音痴で機械音痴の雫が免許取れると思う? 教習所に行った初日に教習員の方と相談することになって」
「結局教習所の助言もあって、通わないことにしたの」
「ま、まあ適性ってあるもんね」

 さすがに雫と車の相性は悪すぎたみたいだ。
 これでモモジャンの運転手は、斎藤さんに愛莉にみのり。アイドル本人が運転するのは負担だけど、ドライブ配信も現実的になってきたと思う。私自身も近いうちに取得できればいいんだけどな。
 ――なんてすぐプロデュースに頭が動いてしまう自分に苦笑をこぼすと、そんな私の肩をぽんぽんと叩く手があった。

「それでね、遥ちゃん!」
「ん? どうしたのみのり?」
「わ、わたしとドライブに行ってくれませんか!」

 ……真に迫った告白みたいな口ぶりだから、何を言われるのかと思った。

「うん、もちろんいいよ」
「遥ちゃん……!」
「そんな大袈裟に約束することじゃないでしょ、相変わらずねぇ」
「だ、だって初めてのドライブは遥ちゃんに助手席に座ってほしかったから……!」
「ふふ、愛莉ちゃんと同じね。半年前に愛莉ちゃんも私を――むぐっ」
「だーっ! それは内緒って言ったでしょうが雫ーっ!!」

 思いがけない流れ弾に、愛莉が慌てて雫の口をふさぎにかかる。
 さすがは仲良し師弟、みのりと愛莉は元々波長があうことが多いとはいえ、羨ましいくらい息ピッタリだ。

「楽しみにしてるねみのり」
「う、うん! 絶対に事故を起こさないよう、慎重に行かせていただきますので!」
「気合い入れすぎると空回りするんだから気をつけなさいよー?」
「いつか四人でドライブにでかけるのも楽しそうね」

 早速スケジュールを見合わせ、九月半ばの休みの日に出掛けることに決定。
 ドライブデートだね、と囁くとみのりは「っ!」と顔を朱に染めた。彼女の可愛い反応はたくさん見たいけど、当日は事故にならないよう程々にしないとね。

   ♤

 そうしてドライブデートの当日。

『レンタカーを取ってくるので、遥ちゃんはモアモアハウスで待っててください!』

 身だしなみをデート用に整えた私は、みのりのそんな言葉通りにリビングで彼女の到着を待っていた。

「もし何かあったらすぐに連絡しなさいよ?」
「もう心配しすぎだよ愛莉。免許証が取れたってことは、みのりの運転は問題なかったっていう証明なんだから」
「なんだか娘を心配するお母さんみたいね、愛莉ちゃん」
「ぐぬぬ……モアモアハウスで暮らし始めてから『所帯じみてきた』とはよく言われるけど、そんなに母親っぽいかしら……」

 元々お世話焼きだったし、家庭を持った愛莉のお母さん属性が伸びるのは自然なことだと思うけどね。火に油なので口にはしない。
 なんて思っていると、ピコン♪ という通知音が三台のスマホから響いた。

「ほら、到着の連絡もモモジャンのグループチャットにしてるんですけど?」
「ま、まあ初めてのドライブだからさ。みのりも緊張はするよ」
「いってらっしゃい遥ちゃん。楽しんできてね!」

 間違えちゃったという旨の通知が三重で音を響かせる中、心底不安そうな愛莉と瞳を細めた雫に見送られて家を出る。
 そうして玄関の扉を開けると――

「あ……」

 車に寄りかかったみのりが、真剣な表情でスマホとにらめっこしていた。
 そういえばモアモアハウスで暮らし始めてから、デートで待ち合わせすることはなくなっていた。運転するから今日は白いスラックス。普段スカートを好むみのりには珍しい綺麗目なコーディネートで。

 不意に大人びて見える横顔。
 ……少しドキッとしちゃった。

「あっ、遥ちゃんお待たせ! 花里みのり、無事モアモアハウスに到着です!」

 だけど顔を上げたみのりはパッと表情を綻ばせ、天真爛漫な彼女に戻った。
 わざわざ助手席のドアを開けて「ど、どうぞ!」とエスコートしてくれる。そんな一生懸命さと少しの空回りは、普段通りの花里みのり。私がドキッとしたことにも気づいていなさそうだ。

「ふふ、ありがとうみのり。今日は結局どこに行くの?」

 シートベルトをつけながら問いかけると、運転席に回った彼女は背もたれの位置を調整しながら、

「えへへ、内緒なんだ。遥ちゃんにサプライズしようと思って――」

『目的地の 九十九里浜まで ナビを再開します』

「はっ!? ……海をね、見に行きます」
「ふ、ふふっ……あはははっ!」

 エンジンが掛かった瞬間、画面を点灯させたカーナビから響いたそんなアナウンス。思わずお腹をかかえて笑ってしまう。

「うぅ、失敗しちゃったよ……」

 本当、彼女といると退屈する瞬間が一瞬も存在しない。私は笑いすぎて滲んだ涙を人差し指で拭いながら、

「でも、どうして九月の海に?」
「うーん、わたし達だから、かな? 他のところがよかった?」

 みのりにしては珍しい玉虫色の返事。異論はないので「いいよ。よろしくお願いします」と呟くと、丁寧にミラーや安全を指差し確認していく彼女。

「あ、Bluetoothでスマホと繋げられるから、自由に曲やラジオかけていいからね! それじゃあ出発しまーす!」

 ギアを操作する左手は意外と様になっていて、ハンドルを握る右手は緊張に強張っているようだった。免許を持たない私にこれ以上の助言はできない。
 アクセルを踏む気配と、ゆっくり走り始めた車。
 時速20キロで流れる景色は、なんだかみのりらしい出発だ。そう思った。

   ♤

 住宅街を抜けるまでは恐る恐るで、慎重すぎて自転車に抜かされる一幕なんかもあったりしたけれど、大通りまで来るとみのりの緊張も少し解けたようだ。

「教習だとあんまり細い道って走らないんだ。大通りが多いの!」
「そうなんだ。言われてみれば住宅街じゃ教習車って滅多に見ないね」

 そうしてあっという間にシブヤを抜けていったタイミングで、

「あ、一歌の曲だ」
「ふふ、ドライブにぴったりだね」

 スピーカーが流すのは、私がランダムで流していた『みんなのプレイリスト』だ。
 Leo/need、Vivid BAD SQUAD、ワンダーランズ×ショータイム、25時、ナイトコードで。宮益坂女子学園の三年間で知り合った大切な音楽仲間たちの曲もまた、みのりをリラックスさせるのに一役買っていたと思う。
 軽く口ずさみながら一番を聞き届けると、不意にみのりが瞳を細めた。

「いつか宮女のみんなともドライブ行けるといいね」
「そうだね。たしかレオニのみんなも今、教習所に通ってるはずだし」
「こはねちゃんもアメリカで免許取ったって言ってたよ。車がないと不便だからビビバス用のマイカーがあるんだって!」
「アメリカで旅するための車かぁ、格好いいな」

 セカイが繋がり、世界と繋がり。
 私たちだって決して例外ではないけれど、活躍する場所はどんどん広がっていく。

「モモジャンもいつか専用の車を持つ日が来るのかな?」
「えへへ、モアモアカーだね! ロケバスみたいな大きいのがいいなー」
「あんなに大きいと管理が大変そうだけど、素敵だね」
「でしょ! みんなで一緒に寝れるくらい大きくて、斎藤さんが事務仕事をできるようにテーブルも取り出せて! あ、愛莉ちゃんもお料理できたら助かるかな? 後ろを開くと自由に使える台を広げられるタイプの車もあるし――」

 みのりが口々に紡ぐ希望をすべて叶えると、小型バスよりもキャンピングカーの方が適していそうな豪華さになっていく。
 反射的に考え出してしまう私がいた。
 彼女の〝夢〟をどうすれば〝現実〟にできるだろう、なんて。
 彼女と出会ってからずっと、私たちはそうやって走ってきたから。

「でね、外装は遥ちゃんの写真を大きくラッピングして――!」
「それはちょっと恥ずかしいかな……」

 瞳を輝かせながら無邪気に紡がれる希望は、愛莉がいれば盛大なストップが掛かったことだろう。そんな口ぶりは普段のみのりなのに、そつなくハンドルを操り、自然と車線変更や右折をこなしているギャップに――ドキッとする。

「……格好いいね、みのり」
「ん? 何か言った遥ちゃん?」
「もうすぐ東京を出るんだねって。一旦休憩する?」
「じゃあ次に車が止めれそうなコンビニがあったら飲み物買おっか! えへへ、遥ちゃんに駐車テクニックをお披露目しちゃうよ!」
「楽しみにしてます。でも張り切りすぎないようにね」

 きゅっと瞳を細めて車線に焦点を戻すみのりの横顔に、私はまたドキッとする。
 アイドルとしてのみのりばかり見ていたから――私の後ろを追いかける姿や、私のライバルとして競い合う姿ばかり見ていたから。
〝私が知らないこと〟をそつなくこなす彼女の姿は、とても新鮮に映っていた。

「……」

 一緒に暮らしているから尚更、〝私が知らないみのり〟にドキッとするのかな?
 その確信を得ない答えは、スピーカーが響かせる歌を口ずさんでいるうちに一旦消えていった。

   ♤

 有言実行と言わんばかりに、そつのない駐車をしてみせたり。
 初めて立ち寄った『海ほたる』の複雑な駐車場に目を回したり。
 前を走る車に乗った犬にときめいて、一本曲がる道を間違えたり。
 モアモアハウスで過ごしている愛莉たちと通話を繋げてみたり。

 ちょっとトラブルもあったけど、

「やっと着いたーっ! 無事に着いたーっ!」
「みのり、運転お疲れ様」

 降車してぐーっと背を伸ばすみのりを労うと、「遥ちゃんもお疲れ様っ」と笑顔を返されてしまう。私は全然疲れてなくて、快適なドライブだったんだけどな。
 ちなみに浜辺は、案の定といいますか。

「やっぱり閑散としてるね」
「あはは、クラゲの季節だもんね……」

 防波堤から見下ろしているけど、右も左も人気がない。散歩中の地元の人、何かを撮影中の動画配信者……物好きなのは私たちだって同じだった。

「浅瀬なら大丈夫かな?」
「うんっ! 行ってみよう、遥ちゃん!」

 元気に駆け出していくみのりに続き、私も砂浜へ踏み入れていく。
 ぽいぽいと靴やソックスを脱ぎ捨てるみのりと、並べてスニーカーを置く私。
 夏合宿のおかげで砂浜は走り慣れていたけど、指の間に砂が入る独特の感触は今でもくすぐったく思えた。

「ひゃーっ、冷たい! クラゲいる! 気持ちいいーっ!」
「みのりってば、はしゃぎすぎだよ。転ばないよう気を付けてね」
「えへへ、遥ちゃんと二人で海に来たのは初めてだからテンション上がっちゃった」

 そういえばそうだ。海といえば合宿、いつも四人で過ごす場所だった。臨海学校なんて言わずもがなだったしね。
 スラックスの裾を膝の上まで持ち上げ、飛沫を上げながら走るみのり。
 ……眩しいな。
 夏が似合う女の子。
 お日様が似合う笑顔に、思わず瞳を細める。
 転びそうになる彼女を咄嗟に抱き上げて、二人でなんとかバランスをとったりして。

「ありがと遥ちゃん。気を付けてって言われた矢先にお恥ずかしい……えへへ」
「どういたしまして、びしょ濡れにならなくて良かった」

 くしゃりと笑うみのりに釣られて、私の頬も自然と緩んだ。
 しばらくの間浅瀬で遊び、水道で砂を洗いがなす。タオルで拭ってもまだスニーカーやソックスを履く気は起きなくて、二人で防波堤のふちに座り込んだ。
 ぶらぶらと足を揺らすみのり。

「楽しかったー! 水着持ってくればよかったね」
「そうだね。でも海面でキラキラ光ってるの、綺麗だけど全部クラゲみたいだから刺されて危ないかな?」
「うう、もうちょっと早く免許取れれば、夏の海に遥ちゃんをご招待できたのに……」
「十分楽しかったし、二人で海を独占しているみたいで素敵だったよ。それに海にはまた来年に来ればいいわけだし……」

 と、そこで聞き損ねていた質問を思い出した。

「そういえば、結局どうして海だったの?」
「……やっぱり知りたい?」
「特に理由がないなら、それはそれでいいんだけど」

 私が覗き込む視線に耐えかねたのか、ふいと視線を海のほうへ逃がすみのり。
 透明な瞳が海を映し出す。
 みのりの瞳が、海色を反射する。

「本当はね、あの景色に似ている場所ならどこでも良かったんだ」
「あの景色?」
「遥ちゃんが一番好きな、青色が広がっている景色。ペンライトの海」

 そうしてみのりは、脚を持ち上げて体育座りした。

「ネモフィラ畑も調べたんだけど、旬は春なんだって。だからやっぱり、今行くなら海かなって思ったの。遥ちゃんに喜んでほしい以上の理由はなかったんだけど……」
「……そっか」
「……閑散としてるし泳げないし、やっぱり他の場所がよかった?」
「今更不安になることない。すっごく嬉しいよ、みのり」
「――っ!」

 視線が海に向いているから、彼女は隙だらけだった。
 身を寄せて、こてんと肩に頭を預ける。晩夏だから触れ合う体温は熱くて、不意打ちに背筋が伸びるみのりだけど。
 彼女はもう逃げない。
 転んだ時だってそうだ。私と密着してももう、彼女は動じない。
 私の不意打ちに応じて、身を寄せてくれる。
 自分の本当の〝想い〟は案外単純で、分かりやすい。
 ね、みのり。
 私はただ、青が広がる景色が好きなわけじゃないんだよ。

 ファンのみんなが作ってくれた景色だから、こんなにも愛おしくて。
 みのり達が取り戻してくれた景色だから、こんなにも眩しくて。
 みのりと一緒に見るから、こんなにも、泣きそうになる。

「……ありがとう、みのり」
「……えへへ」

 どちらからともなく手を繋いだ。
 彼女のお日様みたいなにおいが好きだった。
 我が儘を言った。夕方まで海にいたいと。
 夕方まで海にいればきっと、もう一つの大好きな景色が見れるから。
 夕焼け色に染められた海が――。

   ♤

 沈む夕日を前に、そろそろ行こうかと立ち上がる。
 駐車場への道すがらも、みのりは決して手を放さないでいてくれた。

「今日はありがとう、みのり。また行こうね、ドライブデート」
「うんっ。今度はサプライズじゃなくて、遥ちゃんの行きたい場所まで連れてくよ!」
「じゃあ次は、みのりの行きたい場所に行きたいな」
「え? 次もわたしが決めちゃっていいの?」
「もちろんだよ。だって――」

 みのりが連れてってくれる場所には、希望が満ち溢れていると知っているから。
 助手席にいる間、鼓動が高鳴ったその理由を、今更のように自覚する。

「――みのりと一緒なら、どんな場所でも楽しいからさ」
「遥ちゃん……」

 私はみのりに導いてもらうのが、自覚以上に好きなんだ。
 彼女に手を引かれた〝あの日〟を、私はずっと忘れられずにいる。

 みのりの方から、手を握る力を強めてくれる。
 私の大好きな、私に希望を取り戻させてくれた、みのりの左手で。

「……まだ帰りたくないな」
「――ふえっ!?」

 駐車場にもうすぐ着くというタイミングで、私の口はそんなことを呟いていた。
 みのりが目を真ん丸に見開く。
 私も私で、自分が零した言葉に困惑していた。

「――ご、ごめん! 今のはそういう意味じゃなくて、今日、みのりに手を引かれたあの日のこと、みのりを好きになった日のこと、いろいろ思い出したら、想いが溢れちゃって……ってこれじゃ言い訳にならないか」

 ああ、でも。
 私の言葉を受けて困惑するってことは、そういうことだよね?

「……みのりはどう? ……今のまま、帰れる?」
「………………」

 たぶん、誘い方としてはぶっきらぼうで力業だった。
 私のお願いを彼女は断れない。
 それでも今更のように、私の全身を緊張が襲った。
 そうして、おそるおそる覗き込んだみのりは――。

「……ふふっ、ふふふっ。みのりのそういう顔、久しぶりに見た気がする」
「あ、あうぅ……だってぇ!!」
「大丈夫。可愛いよ」

 肌という肌を真っ赤に染め上げ、口をぱくぱくとさせることしか出来ない彼女。
 出会ったばかりの、桐谷遥に慣れる前の花里みのりにそっくりだ。
 不思議と安堵する自分がいた。
 すごく距離は近くなったけど、今もまだ、私はみのりからこういう表情を引き出せるんだね。

「……らぶほてるじゃ、まずいよね?」
「……一応、交際を公表しててもアイドルだからね」

 みのりから『らぶほてる』なんて言葉が出てくる違和感が、更に私を浮つかせた。
 今更なのにね。
 同棲して、無理やりダブルベッドを選ばせて、毎日彼女とじゃれ合いながら眠りについているのに――――私が頑なに踏み越えなかった一線。
 彼女の肌にだけは、触れてこなかった。
 彼女がそこまで求めていなかったら。
 私のエゴを拒絶されたら。
 女の子同士だしさ。
 そんな迷いがあったから、触れられなかったんだ。

 踏み越える心の準備をする時間は自ら放棄して。
 ヒグラシの鳴き声が聴覚を突いて、夏であることを思いだした。
 晩夏の熱がみのりの頬に汗を滴らせる。思考力を鈍らせるはずの気温は、今は私たちを昂らせる一方で。
 その状況を都合がいいと思う私は、いろいろと末期だったと思う。
 彼女の茶髪に指を通す。海と汗ですこし湿った髪は、それでもさらりと心地よい。
 また――今度は私を反射して、みのりの瞳が青に染まる。

「……遥ちゃん、あのね」
「うん」
「わたしも今日、いろんなことを思い出してたよ。遥ちゃんのこと。遥ちゃんのために踊った日のこと。ステージの上から同じ景色を見た、あの日のこと」

 わたしも一緒だから、大丈夫。
 そうみのりは囁いて、私の手を痛いくらいに握りしめた。


【みのりと一緒なら、どこへでも行ける。    
 深海でも、お月様でも、未来でも】

【あと一歩の踏み込みメソッド/前編】


   ♡

「はーいそこ、共用スペースってこと忘れない」
「あ痛っ」「あう……」

 リビングで、空のペットボトルを手首だけで振り下ろす。
 みのりの提案で始まったモアモアハウスでの共同生活も、あっという間に半年。
 暑い季節は通り過ぎ、十月を迎えると過ごしやすい気候になっていた。
 そんなモアモアハウスでは、たとえば雫がダイニングでよく裁縫をするように、各々のお気に入りスペースも確立されてきた。けれどこの頃リビングのソファはみのりと遥が占拠気味。それも密着してイチャイチャしながらだ。

 きっかけは分かっている。
 九月にドライブデートに行ってからまた一歩、みのりと遥の仲は深まった。物理的に距離が縮んだってことは〝そういうこと〟なんでしょうけど……人の仲に限界深度はあるのかしら? というのが最近のわたしの研究テーマだ。

「野暮なことは聞かないけど、四人での生活だってことだけは忘れんじゃないわよー」
「ご、ごめんなさい愛莉ちゃ――ひゃあっ!」
「逆にさ、愛莉と雫もこれくらいイチャイチャしていいんじゃない?」

 わたしの忠告もお構いなしにみのりを抱き寄せ、自分の膝の上に乗せてしまう遥。
 その景色に見慣れた自分に頭痛を覚えてしまう。

「……わたしと雫は節度を弁えてんのよ」
「二人きりの時はイチャイチャしてるんだ?」
「アンタねぇ、話を逸らすんじゃないわよ」

 ふたたびボトルでこつんと叩いてみると、遥は「冗談だよ」と形だけの謝罪を零した。

「んで、何をそんなに熱心に見てるの?」
「アイドルオーディションの番組だよ!」
「ほら、前に『アイドル大戦争ハザード』のPの黒宮さんが、面白い企画があるって教えてくれたでしょ? 今日は二次予選を通過して、これからテレビで毎週出演する子達の自己紹介だったんだ」
「あー、『新時代アイドルプロジェクト』ね。通称『アイジェネ』だっけ?」

 アイドルオーディション番組もすっかり流行ってきたわよね、なんて他人事のように思う。あと十年生まれるのが遅かったらわたしも挑んでいたのかしら。

「いい子いた?」
「みんな凄そうだったよ! モモジャン結成した頃のわたしよりずっと歌もダンスも上手だった!」
「そりゃテレビに出てる時点で、もう二次予選を通過した子だものね……」

 当時のみのりは51回もオーディションに落ちていた、言ってしまえばダメな子だ。わたし達が鍛え直すまでは独学で練習していたし、その方向性が結構とんちんかんなことも少なくなかったから無理もないけどね。
 正しい方向に鍛えれば、みるみるうちに伸びていった。みのりの芽が出なかったのは指導者の有無のせいだったんじゃないかと時折思う――っと。思考が脱線しすぎた。

「この子達のうちの誰かが、わたし達の次のライバルになるのかしらね」
「うん。負けていられないよ」
「膝に彼女を抱きかかえた状態で格好つけても無理があるわよー、遥」

 とはいえだ。
 イチャイチャが目に付くのは間違いないけど、わたしと雫も、遥とみのりも、それ相応の困難を越えて『アイドルは恋愛禁止』と折り合いをつけた身。
 自業自得なのだろうけど当然ファンは減った。悪意にだって晒された。
 そんな〝あの頃〟を思うと、多少は目をつぶるべきなのかしらねぇ。
 苦笑を零しつつテレビに目を向け直した、そんなタイミングだった。

「あ、愛莉ちゃんいた! お風呂空いたよ!」
「はーいしず……く」

 振り返ったわたしは、廊下に立っていた雫の姿に思わず言葉を失っていた。
 みのりと遥の「「あー……」」という声は、わたしに向けられた同情。
 ……雫は無防備なことに、ブラトップにショーツというあられもない姿だったのだ。
 べ、別に同居中だからそんな姿何度も見てきたのだけど、湯上がりの上気し赤らんだ肌や滴る水滴に思わず心臓が跳ねてしまう。何にも覆われない長く綺麗な素足。何よりメイクを落としきっても一切揺らぐことのない、その長い睫毛に顔面力……!

「な、なんて格好で出歩いてるのよ!? 風邪ひくわよ雫ッ!」
「お部屋にパジャマを置いてきちゃったのよ、すぐ取ってくるから心配しないで。それよりお風呂――」
「はいはい、冷めないうちに入っちゃうから!」

 わたしに声をかける以上の意味は本当になかったらしい。
 ぺたぺたと生活感溢れる足音を鳴らして和室へ姿を消す雫を見送り――

「共同スペースですよ、愛莉先輩」
「今のは雫の不可抗力でしょうが……!」

 ぽこっと再びペットボトルアタック。にやつく遥もそろそろ観念したのか、みのりをソファへ下ろすと背もたれ越しに振り返り、

「でも意外。もう半年も経つし、愛莉もさすがに雫の無防備さには慣れたかと思ってた」
「あはは、雫ちゃん意外とお家だと油断してるよね」
「ま、あのみのりが遥に慣れたくらいだものねぇ……我ながら一向に慣れる気配がなくてビックリするわ」

 別にわたしも慣れてないよ!? とみのりは反論するけれど、昔は遥と顔を近づけるだけで騒いでいたことを思い出してほしい。
 共同生活で無理やり触れ合う時間を増やす荒療治は、意外と効果的なようだ。

「……そういえば愛莉と雫ってさ、同じ部屋だけど布団は別なんだよね?」
「まぁそうね。雫が敷布団がいいって言うし、寝るタイミングがバラバラになることも多いわけだし。むしろ遥たちはよくダブルベッドで過ごせてるわよね」
「前から気になってたけど、愛莉と雫ってしてるの?」
「はあっ!?」「ほえっ!?」

 思わずペットボトルを握りつぶす。
 何故かみのりまで変な声を上げていた。

「ば、爆弾投下が急なのよアンタはっ! ていうかみのりの前でいいわけ!?」
「だって私とみのりがしてるの、愛莉はもう気づいてるでしょ?」
「……そりゃ初めてドライブに行ったあの日は急に泊まる連絡を入れるし、その日以来アンタ達の距離感また変わったし、気づかない方が無理よ」

 そういう夜はなんとなく、聞き耳を立てずとも気配でわかってしまう。
 いつかこの同棲生活を続けていれば、そういう時期がくるとは思っていた。だから先輩として見て見ぬフリをしていたというのに……!

「私たちのことはいいからほら、雫が戻ってくる前に」
「硬直してる彼女を真横によく言えるわね……。ないわよ、雫とはそういうのはない」

 ひらひらと否定するように手を振る。
 この際だし話してしまおう。

「……あの子そもそも、女同士だとキスより先がないと思ってる気配があるのよね。まあわたしも最初はそうだと思ってたけど」
「あー、雫っぽいね」
「別にわたしもそれ以上は求めてないし、わたし達はこれでいいの。というか話が生々しすぎるからこの辺で打ち切らせてちょうだい」
「でも……っと」

 遥は何か言いたげだったけど、そこでガチャリと扉を開いて雫がリビングに戻ってきたので、話は物理的に打ち止めになった。

「あら、この番組ってもしかして『アイジェネ』?」
「ええ。雫も一緒に見ましょ、勉強になるかもしれないわ」

 ソファは占領されているので、フローリングに腰を下ろす。ほどなくして麦茶を手にした雫もわたしのすぐ傍に腰を下ろした。
 ……おしとやかな女の子座りや、ふわ、と香るシャンプーの香りを普段以上に意識してしまうのは、遥と変な話をしたせいだろう。
 アイドル番組をやっていて良かった。余計な気を起こさずに済んだから。

   ♡

 アイジェネは自分たちのデビュー前後を思い出させる内容で、共感性羞恥もありつつ初心を思い出すキッカケにもなった。

「これから毎週自己アピールや練習風景を放送されて、三か月後の視聴者投票で三次通過が決まる……か。なんかわたし達のオーディションより格段とシビアよね」
「そうだねぇ。私達の事務所のオーディションも決して楽ではなかったけど、デビュー前からたくさんの人に見られることはなかったものね」

 和室こと『上級生部屋』に布団を敷きながら、雫と言葉を交わす。
 連携にも慣れたもので一分とかからず敷き終わり、わたしが放り投げた枕を雫は両腕で抱きかかえるようにキャッチした。

「きっと私が出ていたら、すぐに予選落ちしちゃうよね」
「そんなことない……とは言い切れないわね。あの頃の雫、本当に自信なさげだったし」

 わたしと同期の研究生が集められたあの日、未来のライバルへの宣戦布告をするつもりが、捨てられた犬のような瞳をした雫に腹が立ち、つい助言をしてしまったのだ。
 アイドルはハートだと。
 どんなに不安でも、辛くても、前を向くのがアイドルだと。
 勝手に応募され、美貌だけでアイドルになった彼女のアイドル人生は、あの日のわたしの言葉から始まった。照れくさいが間違いのない事実だった。

「……愛莉ちゃんが見つけて、助けてくれるかな?」
「あー、あれは事務所に入った後の話だったしね。デビュー前のわたしなら、ライバルを減らすために雫を見捨てたかもしれないわね」
「ひどいわ愛莉ちゃんっ」

 冗談交じりに肩をすくめると、同じく冗談交じりに頬を膨らませる雫。
 互いにくすっと微笑みあい、わたしは枕を敷布団へと放った。もうすぐ寝ると気づいた雫も抱きかかえていた枕を布団へ下ろすと、

「きっと愛莉ちゃんは私のことを助けてくれたと思うな。困ってる子を放っておけない優しい人だから」

 寝転がりながら、そんなことを口ずさむ。

「アンタねぇ……っていっても、雫を放っておけなかったのは事実なのよね」

 雫だけじゃない。
 オーディションに合格できなかったみのりも、ステージに上がれなくなっていた遥も。
 咲希ちゃんやえむちゃん、瑞希、宵崎さんや星乃さん、朝比奈さん――。いろんな人たちへお節介を焼いてしまうのがわたしなんだ。

「わたしの方こそオーディション番組に出ても、他の人にお節介を焼いているうちに予選落ちが関の山かしら」
「そんなことないよ! 視聴者さんはきっと、愛莉ちゃんの優しいところをを見つけてくれるよ」

 ほんの冗談のつもりだったのに、雫の否定はハッキリとしていた。
 雫はわたしの手をぎゅっと両手で握ると、真剣な眼差しで告げてくる。

「トークもできるしダンスも上手いし、愛莉ちゃんは素敵なところがいっぱいある。愛莉ちゃんのよくないところだよ、自分のことをすぐ冗談にするの」
「……ごめん、ずっと前から雫に怒られてることだものね」

 高二の夏合宿からと思うと、本当に長いわたしの悪癖だ。
 雫が明言した、唯一の〝愛莉ちゃんの嫌いなところ〟。
 バラエティアイドルとして自分を売り物にする癖、バラドルとアイドルの劣等感から齎される卑下。あゆみにも怒られたことがあったっけね。

「油断するとつい出ちゃうわね。気を付けるわ」
「うん。愛莉ちゃんが一個自分のことを悪く言うたび、罰ゲームだからね!」
「えぇ……? まあでも、それくらいじゃないと意識改革できないわね」

 むうっと膨れた頬を宥めるように頭を撫でる。雫はすぐにゆるりと頬を緩め、気を許すかのように首をすくめた。不意に遥との話を思い出す。ほんと、色気がない。恋人同士の触れ合いっていうより大型犬と飼い主みたいな感覚よね。

「じゃ、そろそろ寝ましょ」
「うんっ」

 布団にもぐる雫を見送り、わたしも掛け布団を被る。リモコンでピッと消灯するとすぐに視界は暗闇に包まれた。

「……ん?」
「……んー」

 雫が手を伸ばす気配があったから、わたしも布団から手を伸ばした。暗闇をぽすぽす探っていると、細くて長い指を見つける。目の前が見えなくても、あの娘が嬉しそうに瞳を細めて指を絡めてくるのが分かった。
 暗闇だから尚感じる雫の体温が、とくんと優しい鼓動を与えてくれる。
 わたし達の触れ合いはこれで十分なのよ。

 すぐに卑下するわたしのダメなところを、否定してくれる清廉な相手。
 純粋で、綺麗で、無垢で、クリスタルみたいに透き通った女の子。
 そういう雫だから、わたしは恋に落ちたんだ。


【だけど、でも。そんな言葉が頭を過ぎる。    
 わたしと雫の限界深度は、本当にここ?】

【熱のせいにできるなら】


 気づけばモアモアハウスへ引っ越してから七か月が過ぎ、肌寒さを覚えてきた十一月。
 共同生活は私が思っていた以上に居心地がよく、それぞれの恋仲だけでなくユニット全体の絆も着実に深まっていると思う。
 まだ仲良くなれるんだ、なんて自分自身への驚きもあるけどね。
 そんな十一月のある日のこと――。

「完全ノックアウト。遥が高熱で倒れるなんて珍しいわね」
「……ね、熱なんてないよ……けほっこほっ」
「三十八度三分で声嗄らしてる小娘がなーに言ってんだか。はい寝た寝た!」

 ――――順調だったはずの生活に、ストップが掛かったのでした。

   ♤

 意地を張る私のおでこをぺしっと叩いた愛莉は、そのまま汗をにじませた肌を拭って冷えピタを貼ってくれた。
 相変わらず面倒見がいいなと思っていると、肩を押されてベッドに寝かされてしまう。

「斎藤さんに連絡したから今日の仕事は休むこと。いいわね?」
「で、でも収録が……」
「ピンチヒッターにみのりを出したから安心して寝なさい! そんな声してる遥を収録に出せるわけないでしょ!」

 そんなことないよ、と言い返そうとした瞬間に咳き込んでしまう。ゴホゴホっという声は、少し前からつけているマスクが受け止めてくれた。
 スポーツドリンクや替えの冷えピタをテーブルに用意した愛莉は、すとんとフローリングに腰を下ろした。

「しっかし遥がモアモアハウス初の病人になるとはね。アンタって体調管理は万全にしてるタイプだし意外だったわ」
「……私もびっくりだよ……」
「先週までライブに遠征に大忙しだったものね。大学だって一年目、無自覚のうちに疲労がたまってたんじゃないかしら」

 心当たりしかないので、私は布団を顔までかけて愛莉の視線から逃げた。
 大学の試験。夏休みを利用した単独ライブとその準備。レギュラーの番組出演が増えたのはもちろんのこと、遠征やCD発売も斎藤さんと計画したりして。
 夏から秋にかけてはプロデューサーとして、人生で一番頭を使った自覚がある。
 この高熱はまさに知恵熱、大学生になって欲張った半年間の反動なんだろうな……。

「お粥作ってあるから、食欲がわいたらキッチンのお鍋を温めること。わたしもあと小一時間したら家出ちゃうけど、入れ替わりで日中は雫がリビングで本読んでるっていうから、何かあったら声かけなさい」
「……わかったよ愛莉ママ……でもお粥は……」
「ママ言うな! それと糖質制限のことは一旦忘れなさい、お粥食べなさい! 栄養優先で美味しいもの食べて、しっかり体を治しなさいね!」
「ていうか、糖質制限してる人って風邪のとき、どうしてるんだろうね……」

 コホコホッと咳き込みながらくだらないことを言ってみる。

「ん? じゃあアンタ、もしかして糖質制限始めてからこの方風邪ひいたこと……」
「……うん」

 目を丸くする愛莉に頷き返すと、愛莉は「うわー」と間の抜けた声を出した。

「遥のご両親に今の写真撮って送ろうかしら。娘が十年ぶりに風邪ですよって」
「やめてよ、今ひどい顔してるし」
「気にすんのは顔なのね?」

 口から出まかせな会話でも綺麗に拾ってくれる愛莉を楽しく思っていると、立ち上がった彼女に改めて頭を撫でられてしまった。
 ……お姉ちゃんの顔だ、愛莉。

「んじゃわたしもそろそろ家事してくるわね。寂しかったらいつでも呼びなさい」
「……ありがと。でも雫に頼るね」
「ほんっと可愛くないわねーアンタ。モアモアハウスの末っ子のくせに」

 おでこをピンと弾かれてしまった。冷えピタに守られているから痛くないけど、愛莉に子ども扱いされるのはちょっと不服だ。
 それでも面倒見のいい愛莉は、きっちり毛布をかけてから部屋を出ていった。
 静かに締められる扉。
 普段は二人で使っているダブルベッドに、今は一人。

「……体、重いなぁ……」

 まるまる十年ぶりにひいた風邪を、私は完全に持て余していた。

   ♤

 横たえていれば自然と体が休息を求めるようで、気づけば意識は夢の中。
 次に起きた時、すっかりお日様はてっぺんまで昇ってしまっていた。

「…………汗、すっごい……」

 すっかり汗だくだ。枕にはフェイスタオルを巻いていたから取り換えれば済むけれど、肌着がべたついて気持ち悪い。
 愛莉が置いてくれたスポドリを一気にあおる。

「秋なのに、こんなに汗かくなんて……けほっ」

 つけてくれた暖房のおかげではあるけれど、着替えた方が良さそうだ。
 ベッドから這い出ようとした、その時だった。

「遥ちゃん?」
「ん? しずく?」
「あら、起こしちゃったかしら」

 控えめなノックと共に聞こえた声に返答すると、そうっと扉が開かれる。顔を覗かせたのは髪を一つ結びにした雫だった。

「起きてたから大丈夫だよ……こほっ」
「あ、無理しないで大丈夫よ?」

 くぐもった声は雫がマスクをしているからだ。目元だけでも美人だとわかるのは流石雫だな……なんて私らしくない思考も、風邪のせいなのかな。

「もう少ししたら私も家を出てしまうから、様子を見ようと思って。ご飯なら準備は私が――」
「ううん。汗かいちゃったから、着替えようと思って……」
「ああ、それで……それなら汗拭いてあげましょうか?」

 名アイディア、といわんばかりに手を打ち鳴らす雫。

「えっ? でも出掛けるんでしょ?」
「ふふ、あと三十分くらい余裕あるから大丈夫よ。それにしぃちゃんが風邪ひいた時にも体を拭いてあげたことあるもの! 任せて!」

 すっかり乗り気になってしまった雫は、私が何か言う前にせわしなく部屋を出ていってしまった。こう有無を言わせず世話を焼くところは、愛莉も雫もみのりも似ている気がする……と思っているうちに、気づけば洗面器を抱えた雫が戻ってくる。
 体感時間が早い。熱特有の感覚だ。

「遥ちゃん、パジャマは脱げる?」
「うん」

 と頷いてボタンを外していくけど、指に力が入らなくて速度が出ない。のろのろとした私を見かねてか、雫が苦笑を零しながら正面まで回り込んできた。
 あっという間に脱がされて、キャミソールの裾に手をかける雫。

「はい、ばんざーい」
「ば、ばんざーい」

 ……すっかり子ども扱いというか妹扱いだ。愛莉も雫もお姉ちゃんらしい振る舞いを楽しんでいる節があるなぁ。

「冷たかったら言ってね?」
「うん。……気持ちいいかも」

 濡らしたタオルで背中を拭ってくれる雫。べたついた感覚が消えていくのは確かに心地よくて、一緒に熱まで奪ってくれればいいのにと思ってしまう。
 前まで拭かれるのは恥ずかしかったけど、冷えたタオルの気持ちよさを優先してしまった。それに雫の手つきはすごく優しくて……。

「……日野森さんにも、こういうことしてたの?」
「しぃちゃん? ええ、しぃちゃんは滅多に風邪ひかないからそんなに多くはなかったのだけど……両親が家を空けがちだったから、私が介抱していたわ」
「そっか。姉妹がいるっていいね」
「ふふ、今は遥ちゃんも大切な私の妹よ?」
「もう、雫ってば……」

 違う熱が頬に籠り、気づいた雫の肩がおしとやかにくすくすと揺れる。
 一人っ子だった私には経験のない甘やかされ方だった。
 腕まで綺麗に拭ってもらえて、少しさっぱりした。

「はい。シャツの方がいいかしら?」
「ん、そうだね。緩いほうが楽でいいかも」

 そうして雫はふたたび『ばんざーい』する私に『オレについてこい』というみのりとお揃いの水色のシャツを着せる。ノーブラだけど、まぁいいよね。

「ふふ、でも遥ちゃんも随分物持ちがいいわよね。これって高校一年生の頃にみのりちゃんと買いに行ったシャツでしょう?」
「まあ、滅多に着なかったシャツだしね」

 本当は『みのりのあの独特なセンスを矯正してほしい』と愛莉に頼まれて行ったショッピングだったのに、ペンギンに釣られて買ってしまったのだ。私の方がみのりに染められてしまったけど、出番は乏しいある意味で思い出深いシャツ。
 冷えピタも張り替えてもらい、改めて熱を測る。

「まだ高熱ね……食欲が戻ったらご飯食べてね?」
「うん。ありがと、雫」

 雫は洗面器とタオルを手に、そうっと部屋を出ていった。
 気遣い百点満点。雫のお姉ちゃん力がいかんなく発揮されていた気がする。

「……慣れないなぁ」

 元々甘えたり、頼ったりするのが苦手な一人っ子。
 愛莉や雫に主導権を握られっぱなしなのに、それが嫌ではない自分が不思議だった。

   ♤

 最後に風邪をひいたのはいつだったろう。
 ぐるぐると視界が揺れる。
 何も考えたくないのに、壊れた機械のように、ブレーキを失った車のように。
 重い頭が夢を見せる。
 記憶をごちゃごちゃに整理しながら、悪夢にも似た夢を。

「――遥ちゃんの嘘つき!!」

 脚が、石化してしまった。
 どれだけの時が経っても、私の記憶から剥がすことができない言葉。
 真依の喉を潰してしまった過去は、一生背負い続ける傷だ。
 私に純粋に憧れた子の涙が、私を舞台袖に縫い付ける。
『ASRUN』のみんながステージに飛び出していくのに、私だけが動けない。
 ファンの呼ぶ声に応じることもできず、青いライトが灰色に染まっていく。
 世界が、セカイが、色を失っていく。

 お医者様の気遣う言葉。
 お母さんの心配そうな声。
 仲間たちの暖かな激励。
 ゆっくり休んでね、ファンからの暖かいメッセージ。

 応えられなかった。
 希望を届けられなかった。
 喉が渇く。ひりひりと痛む。
 全身が泥のように溶けて、私という形を失いかけた。

「――遥ちゃんはわたしに、アイドルになるっていう夢をくれたよ!」

 だけど、セカイは青く色づいていた。
 桐谷遥の足跡は確かにあったのだと、花里みのりが教えてくれた。
 届いた希望を繋いでくれた女の子がいた。
 灰色になった私のセカイに、色を取り戻してくれた女の子がいた。

 おでこに冷たい感触がする。

「遥ちゃん、ただいま」

 大好きな高い声が、私を白と黒の悪夢から色鮮やかな世界に連れ戻す。
 私は気づけば、ぼやけた視界にかざされた左手に、自分の右手を伸ばしていた。

「……み、のり……?」
「遥ちゃん?」

 ……耳をつく声で、夢から目覚めたことを自覚する。
 オレンジの豆電球だけを付けた薄暗い部屋の中で、ベッドの傍で私を覗き込んでいたのは――マスクをつけたみのりだった。

「ごめんね、起こしちゃったかな?」
「……ううん、ちょうど起きたらみのりがいた」
「そっか」

 きゅっと細められる瞳。やっぱりマスクくらいじゃアイドルの笑顔は隠せない。みのりらしい笑顔に体の強張りが一気に解けていくのを感じた。

「熱は大丈夫? まだしんどいかな?」
「ん……一日眠って、だいぶ楽になったと思う」
「ふう、よかったぁ……」

 なでり、とみのりが頭を撫でてくれる。
 また汗びっしょりになっていたのでみのりに……恋人には触ってほしくなかったけど、構うことなく髪を滑る手のひらにされるがままだった。やけに気持ちいいし、そういえばみのりもお姉ちゃんなんだよね。

「お水飲んだりシャツ着替えたりしたいよね? 取ってくるよ」
「ありがと、お願いしてもいいかな?」
「うん! 取ってくるからね、その、遥ちゃん……お手てを放してもらえると……」
「――ん?」

 立ち上がろうとしたみのりが、苦笑しながら私を見下ろす。
 彼女の灰色の瞳の先にあったのは、みのりの左手を握りしめた、私の右手……?

「……もしかして、ずっと握ってた?」
「うん。遥ちゃんの体温測ろうとしたら左手掴まえられて、びっくりしちゃった」
「……ごめん」
「……えへへ、遥ちゃん寂しかった?」

 無自覚だったので一瞬で頬に熱がこもる。私が謝りながら指を放そうとしたのに、みのりは何故か嬉しそうに手を握る力を強めてきた。

「もう、放してほしかったんじゃなかったの?」
「お水や着替えが取りたかっただけだもん。遥ちゃんが手を繋いでる方がよければ、ずっと繋いでるよっ」

 にぎにぎ、ぎゅうぎゅう。普段は私が手を繋いで硬直させているみのりが、私の手で遊ぶ日が来るなんて……。
 それを嬉しく思う自分が、どうしようもない。

「いつも遥ちゃんに頼ってばかりだから、こうしてくれるの嬉しいな」
「みのり……」
「こう見えてわたしもお姉ちゃんですから! 弟はあんまり甘えてくれなかったから、愛莉ちゃんや雫ちゃんみたいに上手なお姉ちゃんができるかは分からないけど――」
「違うよ、みのり」

 自分の喉から出る声のか弱さが、少しもどかしい。

「……大好きな恋人に、甘えてるの」
「へっ? えへへぇ……」

 そんなに幸せそうに微笑まないでよ、もう。
 長居させると風邪をうつしそうでためらいがあったけど、言葉を交わした。
 悪夢を見たこと。

「あー、風邪の時って変な夢見ちゃうよね」

 だけどみのりが助けてくれたこと。

「え? わ、わたしも夢に出てきたの?」

 起きたら、本当に目の前にみのりがいたこと。

「ふふっ、起きるのに間に合って良かったかも!」

 それがどうしようもなく幸せで、嬉しかったこと。

「……遥ちゃん……」

 もちろんお父さんもお母さんも、私が病気になった時は看病してくれたけど……。
 同じ暖かさを、愛莉と雫と、そしてみのりから貰えたのが嬉しかったこと。

「だってわたし達、もう家族だもん!」

「……そういえば言い忘れてた。おかえり、みのり」
「――! ただいま、遥ちゃんっ!」

 当たり前のように交わしていた言葉を、改めて、刻み込むように紡ぐ。
 風邪だからこそ素直に想う。
 こうしてみのりと、このままずっとお付き合いして、家族になっていけたらいいな。

   ♤

「というわけで、ご心配をおかけしました……みんな、看病してくれてありがとね」
「ふふっ、遥ちゃん復活ね!」
「まったく、熱で倒れるまで働くとか二度とするんじゃないわよー?」
「でも一日で治ってよかったね!」
「みんなが看病してくれたおかげだよ。愛莉の作ってくれたお粥も美味しかったし」

 そうして翌朝。
 私にしては珍しく遅い朝八時にリビングへ向かうと、とっくに朝ご飯を終えていた三人に出迎えられる。昨晩はみのりもさすがに風邪が移るとまずいからと『上級生部屋』で眠っていたのだ。
 食欲ある? と愛莉に聞かれて頷き返す。お腹は音を鳴らしそうなくらいぺこぺこだ。大人になると病気は尾を引くというけれど、すぐに治ってよかったよ。

「にしても十年ぶりに風邪なんて、遥って相当健康体だったのかしら」

 しばらくは栄養をつけるために糖質制限解除だそうだ。
 愛莉がソファまで持ってきてくれたブレックファースト。食パンを食べるの結構久しぶりかも、と齧っていると愛莉がコーヒーを入れながらそんなことを言う。

「まぁ規則正しい運動や食事をしていたのも一因だろうけど、たぶん、アイドルになってからずっと気を張っていたんだよ。でも今は……」
「モアモアハウスなら、遥ちゃんも気を抜けるようになったのね」

 雫が告げる結論に頷き返すと、三人がニマニマと生暖かい眼差しを向けてくる。今日ばかりは甘んじるとしよう。

「私が言えることじゃないけど、みんなも体調不良には気を付けてね。これからインフルエンザの季節だし」
「「「はーいっ」」」

 しっかり者の桐谷遥はゆっくりと、仕事で取り戻していこう。
 プライベートはきっと、これくらいリラックスしているのが丁度いい。
『MORE MORE JUMP!』のみんなと出会って、そう教えてもらったんだ。


【末っ子でよかった……なんて本音は。    
 みんなには内緒だけどね】

【あと一歩の踏み込みメソッド/後編】


   ♢

「お風呂あがったわ……あら? みんなで何見てるの?」
「みのりが追ってる『アイジェネ』。雫こっちおいで、髪やったげる」
「うんっ!」
「しかし久しぶりに見るわねー、今どのあたり?」
「もう三次選考の視聴者投票が来週だよ」
「三ヶ月間の番組って聞いていたけどあっという間ねぇ」

 ――――モアモアハウスでの同居生活も、あっという間に八か月。
 穏やかな春と汗ばむ夏を通り過ぎ、愛莉ちゃんのご飯が美味しい秋はあっという間に通り過ぎ、肌寒い十二月を迎えていた。
 みのりちゃんが「やっぱりアイドル界のコタツを目指した身としては!」「どんな理由よそれ!」と希望したコタツは洋風なリビングに合わないかな? と思ったけれどお洒落なデザインで、すっかりみんなの居場所。寝落ちしちゃうのが唯一の欠点だ。
 お風呂上がりの私も髪を整えると、愛莉ちゃんと並んでお布団に脚を差し入れた。

「そういえばみんな、年末年始はどうするの?」
「ありがたいことに年末年始も生放送の仕事が入ってるから、あんまり帰省って感じじゃないのよね。お姉ちゃんも自由あんなのだし、帰ってこれるときに来ればいいって言われちゃったわ」

 遥ちゃんの問いかけに応じたのは、のんびりみかんの皮を剥いている愛莉ちゃん。お手てがオレンジ色に染まっていく。

「私は『お家に帰ってきなさい』って連絡があったわ。しぃちゃんも一人暮らしを始めたから、お母さん少し寂しいみたい」
「娘が二人同時にいなくなったらそりゃ寂しいわよね。……お姉ちゃんが自由人あんなのだし、わたしくらいは実家に顔見せるか」
「じゃあ雫と愛莉は帰省だね。みのりは?」
「わたし? しょっちゅうお家帰ってサモちゃんに会いに行ってるけど、やっぱり年末年始はお家で過ごすかなぁ。遥ちゃんは?」
「そうなるとモアモアハウスが私一人きりになっちゃうし、私も実家に戻るよ」

 冗談めかして苦笑した遥ちゃんは、スケジュール帳を開いた。

「じゃあ大晦日と元日のお昼の生放送だけ忘れないようにして、みんな実家でのんびり過ごそうか」
「はーい! 今年もお疲れ様でしたーっ!」
「ってまだ終わってないわよ今年! 大掃除もまだだし!」

 勇み足なみのりちゃんに、愛莉ちゃんがびしっとツッコミ。
 帰省の話をするなんて大人になったよね、なんて話したりしながらのんびり『アイジェネ』――新時代アイドルプロジェクトというオーディション番組を眺めていると、番組終盤で思いがけない人が登場した。

「あら? 審査員に出てるのって」
「ななみんさんだ!」

 今も大人気配信者のななみんこと早川ななみさん。私たちの初コラボ相手であり、それ以来も長いこと縁がある相手だ。

「へぇ、早川さんもこの番組に関わってたんだ」
「最終日の審査員ゲストに呼ばれるなんてすごいわねぇ。……雫もみかんいる?」
「ん? あーん」
「自分で食べなさいよ……はい、あーん」

 剥いていたみかんを一粒、愛莉ちゃんが口に運んでくれる。指に唇が触れてしまって少しドキッとしたけど愛莉ちゃんは気にした様子無しだった。

「見せつけてくるじゃん、愛莉先輩」
「現在進行形でみのりに寄りかかってる遥に言われても、微塵も動じないわよ」

 ちなみに遥ちゃんとみのりちゃんは色違いの半纏を羽織っているので、寄り添っている姿は小鳥さんの群れみたいでとっても可愛い。
 私たちの妹たちの微笑ましいその姿も、きっとコタツの温もりパワー。買って良かったと思うのでした。

   ♢

「それじゃ、四日くらいには帰ってくるから」
「またお仕事でねー! 良いお年をー!」
「だから気が早いっての!」「ふふ、また大晦日にね!」

 そうして年末を迎え、大学も冬休みへ。モアモアハウスの大掃除を終えると遥ちゃんとみのりちゃんは一歩早く実家へ帰省していった。
 といっても同じ都内だし、ほんの一時間あれば行き来できる。家が二つあるような気分だと遥ちゃんは言っていた。

「雫が帰るのは明後日よね?」
「うん。今夜と明日は愛莉ちゃんと二人きりだね」

 ちょっと寂しいね、という気持ちでそう呟いたのだけど。

「……そうねぇ、二人きりになっちゃったわねー。こんな広い家で二人きり」
「うん。静かになっちゃうかな?」
「……アンタ、もう二十歳になったってのに本当にピュアよねぇ」
「ええっ?」

 背伸びした愛莉ちゃんに急に頬っぺたを引っ張られ、混乱してしまう。
 ちなみに十二月六日が私の誕生日。『MORE MORE JUMP!』一番乗りでお酒が飲めるようになったの! 絵名ちゃんや朝比奈さんと少し飲んだくらいで、まだ楽しみ方は分かっていないのだけれど、愛莉ちゃんと一緒に楽しめる日が待ち遠しい。

「さて、妹たちがいなくなったことだし、思う存分ご馳走楽しんじゃいましょうか!」
「おーっ!」

 愛莉ちゃんの態度は気のせいだったみたいだ。楽し気にニィと口の端をつり上げる愛莉ちゃんは普段通りで、ほっと胸をなでおろす。
 遥ちゃん達には悪いけど、二人で少し奮発してのお夕飯。

「ふっふっふ、ついに登場の時よ……今夜の主役! 超高級黒毛和牛!」
「わー!」

 もちろん共用の食費ではなく、私たちのお小遣いから出し合ったものだ。
 そんな黒毛和牛の行き先はすき焼き。愛莉ちゃんにかかればどんなに安い食材でも美味しくいただけてしまうのだけど、

「ん~~~~っ! 美味しすぎ!」
「こんなに美味しいお肉食べたの初めて!」
「年末の贅沢って感じ……って、相変わらずわたし達はすぐ所帯じみるわね」
「コタツでお鍋を囲んでるんだもの。すごく実家みたい」

 高校生なのに、お味噌汁やお漬物を楽しんでいたお昼休みを思い出す。
 のんびり過ごすのがきっと、私たちらしい日常なんだ。

「ふふ、もしモアモアハウスじゃなくて愛莉ちゃんと二人暮らしだったら、毎日こんな感じだったのかな?」
「フレッシュさが失われていきそうね……でも楽しいのは間違いないわね」

 くすくすと肩を揺らす愛莉ちゃん。
 〆のおうどんまで美味しくいただき、二人で並んでお皿を洗う。モアモアハウスの日常と大きくは変わりないのだけど、みのりちゃん達がいないと――。

「……新婚さんみたいね」
「へっ!?」
「コップ危ないッ」

 今まさに考えそうになったことを愛莉ちゃんが呟き、つるっと滑ったコップを愛莉ちゃんが見事にキャッチ。二人で安堵の息を吐く。

「ったく気をつけなさいよ、雫」
「で、でも今のは愛莉ちゃんがっ」
「わたしが何か言ったかしら?」
「ええっ? ……もう、いじわる」

 ごめんごめん、と破願しながらお皿を渡してくる愛莉ちゃん。ちょっとドキッとしてしまったけど冗談だったのね。
 ……安心していいはずだけど、胸の奥に残ったのはモヤモヤだった。
 愛莉ちゃんとはお付き合いしているし、仲良く過ごせている。
 ときどき、その、デートとかキスもするし、順調にお付き合いできていて。

『ていうかお姉ちゃんには紹介した事あるでしょ、わたしの嫁は雫だってば!!』

 ――――愛莉ちゃんには内緒なのだけど。
 五月の晴れた日に愛莉ちゃんが叫んだその言葉を、私は忘れられずにいる。

   ♢

 贅沢な夜はまだ続く。

「咲希ちゃんに教えてもらったのよねー、お風呂でプラネタリウムするとすっごい楽しいって。ついでに貸してもらっちゃった」
「ふふ、じゃあ電気消すね?」

 ご飯が終われば次はお風呂。私がちゃぷちゃぷと湯船に浸かると、愛莉ちゃんも向かい合うように腰を下ろした。持ち込んだ家庭用プラネタリウムの電源をつける。

「わぁ……!」
「なかなかどうして幻想的じゃない!」

 どれが何座かはあまり分からないけど、暗くしたお風呂に満天の星空が広がる光景は不思議で幻想的だった。
 穂波ちゃんから教わった数少ない星座をなぞったり、自分の星座を探そうとしたり。

「ふふ、愛莉ちゃんのお鼻にも星がある」
「雫の鼻の上にだってあるわよー」

 私が鼻先をつつくと、愛莉ちゃんからも反撃があって。

「生活リズムばらばらの四人だと、バスボムとか入浴剤も気軽に使えないのよねー」
「遅くに入る人が楽しめないものね」

 色づいたお湯を掬い、顔にぱしゃっとかける愛莉ちゃん。
 シュワシュワと肌を弾ける炭酸はくすぐったいけど、色づくお湯はいろんな意味でありがたかった。愛莉ちゃんと一緒にお風呂に入るなんて久しぶりだったから。

「絵名ちゃんから貰ったのよね?」
「ええ。美肌効果に疲労回復効果もあるらしくて……また年寄り臭い?」
「バスボム自体は大学生らしいと思うよ」

 私のフォローに「それもそっか」と呟いた愛莉ちゃんは、三百六十度を星空にするプラネタリウムをつついた。

「――でも雫には、美肌とか必要なさそうよねぇ」
「へっ? ふふっ、くすぐったいよ」

 近づいてきた愛莉ちゃんの手が私の頬に触れた。すりすりと撫でられるのはくすぐったくて気持ちよくて、つい頬ずりしてしまう。

「でも愛莉ちゃんが教えてくれたお肌のケア、私も毎日ちゃんとしてるんだよ?」
「偉いえらい。ほんと、羨ましいくらい綺麗よね」

 すりすり。頬を撫でていた手は首筋へと滑り、肩に添えられて。

「……こんなにスキンシップしてもそういう雰囲気にならないんだから、不思議よねぇ」
「?」
「……雫にちょっと聞きたかったんだけど、遥とみのりってよく一緒にお風呂入ってるじゃない?」
「そうだね、みのりちゃんは今でもちょっと恥ずかしそうだけど」
「そんなみのりを有無を言わせず遥が連れてって、のぼせたみのりを慌てて救出して」
「私がみのりちゃんを介抱しながら、愛莉ちゃんが遥ちゃんを叱るのよね」

 もちろん毎日そうなるわけじゃないけど、賑やかな日常を思い出してくすくすと笑いが零れてしまう。振り回される愛莉ちゃんは大変そうだけど、私はそんなモアモアハウスの賑やかさが大好きで。

「――だけど雫は、すんなりわたしと一緒にお風呂に入るのね」

 愛莉ちゃんはそんな風に呟きながら、私に触れていた手を引き戻した。

「……愛莉ちゃん?」
「わかってるのよ。わかってる。アンタが知らないだけだって」

 でも。
 愛莉ちゃんの唇はそんな二音を紡いで、自分で自分を抱きかかえながら瞳を伏せた。

「……今日、二人きりなのよ?」
「……あっ」
「わたしは正直、めちゃくちゃチャンスだと、思ってたんだけど……」

 ぴちゃん。水滴が音を響かせる。
 しゅわしゅわと響く炭酸と、ゆっくり回転するプラネタリウム。
 黙りこくってしまった愛莉ちゃんの頬に、そうっと手を添えて。

「……雫?」
「……ちゅーしか、知らないの」

 ようやく上げてくれた顔は後悔一色になっていた。
 こんな汚い感情は隠しておこうと思ったのに。
 そんな本音が垣間見える。
 私をそんな不安そうな目で見ないで、愛莉ちゃん。
 不慣れだけど、そんな愛莉ちゃんを慰めるように――私の想いを伝えるために。
 私は愛莉ちゃんの右手を取り、自分の左胸へと押し当てた。

「っ!? な、何を、雫っ!?」

 びくっと大きく体を震わせる愛莉ちゃんは手を引き戻そうとするけど、ぎゅっと胸に抑えつける。とっても恥ずかしいけど、でも、知ってほしいことがあったから。

「聞いて愛莉ちゃん。私の心臓の音」
「…………すごく、ドキドキしてる……嘘、雫、でも」
「……本当はね、私もずっと緊張してた。キスしか知らないけど、でも、好きな人に裸を見せるのが特別だって、裸で触れ合うことが特別だっていうことくらいは、私だって知ってるの」

 私を綺麗だと言ってくれるのが嬉しいこと。
 爪の先から髪の先まで、愛莉ちゃんに綺麗だと思ってほしかった。
 恥ずかしいけど嬉しいという矛盾を、受け入れられる。

「だから教えて、愛莉ちゃん。私、愛莉ちゃんとなら何だってできるよ」

   ♢

 着替えもそこそこに、和室に敷布団を広げる。
 ブラトップにショーツだけ、なんて無防備な格好なのは私も愛莉ちゃんも一緒だった。カップ数は違うけど意匠がお揃いで、買う時にむず痒かったのを思い出す。
 どこに行けばいいのか困っていると、「座りましょ」と愛莉ちゃんに手を引かれた。

「……本当はね、咲希ちゃんにも絵名にもお膳立てされてたの」
「えっ?」
「まぁ偶然雫との話をすることになっちゃったんだけど、雰囲気をよくすれば、一緒にお風呂入れば、さすがの雫も意識してくれるんじゃないかって」
「じゃ、じゃあ咲希ちゃんや絵名ちゃんには今夜のこと、知られちゃってるのね」
「むしろ『まだキスだけ!?』『いくら何でも大切にしすぎでしょ』って驚かれたくらいよ。まさか咲希ちゃんにこの手の指南を受けることになるとは思わなかったし、結局スマートに誘えなかったけど」

 苦笑を零す愛莉ちゃんは、だんだん不安がぬぐえてきたみたいだ。
 膝立ちになり、ぺたんと女の子座りしていた私の正面に回る愛莉ちゃん。
 指が私のこめかみを掬う。
 丸くて可愛くて、大好きな手が頬を撫ぜた。

「……嫌だと思ったらすぐに言いなさいよ」
「……さっきも言ったけど、愛莉ちゃんとなら何だってできるよ?」
「うぐ……その殺し文句、あとで後悔すんじゃないわよ……」

 にらみをきかせた愛莉ちゃんがそっと顔を寄せてくる。
 なんだか、畏まってするのは久しぶりでドキッとした。瞼を下ろして全てを委ねる。すると愛莉ちゃんの「ほんと、雫って綺麗ね」という吐息が唇を撫でて。

「……んっ」

 柔らかい口づけに、思わず私は体を震わせていた。拒否と勘違いして離れようとする愛莉ちゃんを捕まえる。首の後ろに腕を回して、私からもキスをする。
 柔らかくて、温かくて、優しいキスが大好きだった。
 自然と膝の上に載ってくる愛莉ちゃんと脚が擦れる。

「ん、雫……んっ」

 体重を預けて、何度もキスを注いでくれる愛莉ちゃん。
 素肌と素肌が触れ合う。
 いつも当たり前にしていたはずなのに、そのたびに電気みたいな感覚が走った。

「……ん、なんだか照れくさいね」
「……雫、その表情ずるい」
「そんなこと言われても――んっ!」

 び、びっくりした。
 くすっと微笑んだ愛莉ちゃんは唇ではなく、私の首筋に口を触れさせたんだ。お風呂上がりとはいえ、口が、舌が、ためらいがちに肌を、肩を撫ぜていく。
 何かに耐えられなくなって、私は布団へと背中から倒れ込んだ。

「ん、……っ、愛莉ちゃん……?」
「……その、雫も触りたかったら、わたしに触っていいからね?」

 優しさが声ににじみ出ていたから、覆い被さってくる体に改めて腕を回した。
 何でもしていいよって言ったのに、私のことを気に掛けてくれる。
 どこまでいっても自分本位になれない、誰かのために尽くすのが上手な人。

「あっ、ふふ、くすぐったい」
「ムードを保ちなさいよムードを……」

 ブラトップの裾から手が滑り込み、わき腹を伝うくすぐったさに震えてしまう。条件反射だから仕方ないじゃない――と思っていたその時だった。

「……ぁっ」

 ふに、と。
 愛莉ちゃんの手のひらが、私の、その、お胸を包み込んでいた。
 そ、そっか。女の子同士でもおっぱい触ったりしていいんだ! 羞恥と衝撃で一瞬のうちに血が上るけど、愛莉ちゃんの優しくもどこか艶めかしい触り方に、また心臓がどっどっと鼓動を加速させていった。

「……やわらか……やば……」
「愛莉ちゃん、私のおっぱい、小さくないかな……?」
「おっぱいって……バカ、好きな人のに興奮しないわけないでしょ」
「――んっ」

 自分の口から洩れた声の艶に、驚く。
 顔を近づけた愛莉ちゃんが、唇で胸の先端を食んだ。甘く吸い付くように、飴玉を転がすみたいに。気持ちいいかどうかは正直よく分からない。ただ、好きな人が私の体をそんな風に求めてくることが、私のうちで何かを昂らせていた。
 まくれ上がった裾を見て、もう意味ないなと思ってブラトップを脱ぎ払う。すると愛莉ちゃんも自分のそれの裾をぐっと持ち上げて、一息に脱ぎ去ってしまって。
 私と違って、綺麗で大きなお胸。鍛えられて軽く割れた腹筋は、衣装やお風呂でも見えるから見慣れてるはずなのに――薄闇の中で見惚れてしまう。
 肌を重ねて口づけを交わした。愛莉ちゃんの癖のある長髪がカーテンみたいに私を覆うから、ここが四人で暮らしている家だということを忘れさせた。
 私は不思議と、体に触る気はあまり起きなかった。愛莉ちゃんと抱き合うのが心地よくて、キスを交わすのが気持ちよくて、少し感じる場所に触れられるのに、昂揚して。でもそれはきっと、私が触れ方を知らなかったからだ。

「――愛莉ちゃん、あっついね」
「雫も、熱が出てるみたいね……」
「……その、嫌じゃない?」
「え、全然。……どっちかというと、気持ちいいし」
「……愛莉ちゃんのえっち」
「なんでよっ! まあでも、ちょっと変態っぽかったか……」

 そんな冗談を囁き合い、くすくすと笑いあう。
 ごめんね愛莉ちゃん。本当は私も気持ちいいと思ったし、嬉しいと思ったの。
 今までで一番、あなたの体温を、指先を、存在を感じている。
 それを口にするのは、無性に恥ずかしかった。

「――ほんと、一体どこまで許してくれるの、雫?」
「言ったよ。……愛莉ちゃんになら、どこまでも」

 そこに布越しに触れていた指が、ショーツのうちへ潜り込む。
 濡れてる。そんな囁き声が拙い知識を呼び起こし、私の全身を焼き焦がした。
 優しく愛されていた体が勝手に準備をしていた。知識はいらなくて、ただ愛莉ちゃんへの想いだけがあれば十分で。
 そういえば言ってなかった、と愛莉ちゃんが苦笑した。

 好きよ、雫。
 大好き、愛莉ちゃん。

 言葉は子供みたいに拙いのに、触れ合いはずっと大人びていた。
 ゆらゆら、意識が揺蕩う。
 愛莉ちゃんの声だけが、私を繋ぎとめている。
 それはなんだか、とっても幸せな感覚だった。


【首筋に、歯が食い込んだ。
 限界深度は、まだ遠く】

【夢を叶える人だから】


「もうすぐ一年間だけど、暮らしてみてどうだったかしら?」
「すっかり楽しんでしまいました。四人でどう生活すればいいかも把握できましたし、もう心配はないと思います」

 オーナーからの問いかけに、遥は本心からそう答えていた。
 モアモアハウス――高校二年生になってすぐ、ひょんな縁から契約することになった『MORE MORE JUMP!』用の事務所。レッスンルームも併設しているその一軒家はこのおばあさんから借りていた大切な家で、今は自分たちが住居スペースごと譲り受けている。

 花里みのり。
 桐谷遥。
 桃井愛莉。
 日野森雫。

 そんな四人と、ときどきタブレット越しに顔を覗かせる初音ミクたちを含めた十人での生活も時が経てば経つほど滞りなく回るようになった。
 今では逆にだらしなく、勝手に愛莉のシャツを借りたり、雫と化粧品を無断で貸し借りしあったり。境界線が曖昧になりつつあるのは、変化としては『良くも悪くも』に該当しそうだった。

「それは良かったわ。じゃあ来年からも私の家……ううん、モアモアハウスのことをよろしくね」
「ふふっ、モアモアハウスって言いづらくないですか?」
「そんなことないわよ。可愛い素敵な名前だと思うわ」

 皺の入ったまなじりを緩めるオーナーに、遥も自然と頬が緩んだ。

「それにしてもすみません、本当は斎藤さんも含めた五人で出迎える予定だったんですが、みんな緊急の仕事が入ってしまって……」
「構わないわ。彩香ちゃんと愛莉ちゃんと雫ちゃんは新しいテレビ番組の打ち合わせなのでしょう?」
「はい。どうしても黒宮さん――プロデューサーの日付をズラせず……ここだけの話でお願いしたいんですが、愛莉と雫の冠番組なんです」
「まあ! 黒宮さんってたしか『アイドル大戦争』のプロデューサーよね? じゃあキー局なの?」
「はい。流石、芸能界にお詳しいですね」
「あの人が収録の前説をやっていたAD時代を知っているもの。そういう事情なら当然、私より打ち合わせを優先してもらって構わないわ。ドームライブの夢に繋がるのだから」
「あ……ありがとうございます」

 やはり、数多くのアイドルや芸能人の軌跡を見届けてきたこのオーナーには敵わない。軽く頭を下げると「格好つけすぎてしまったかしら」と謙虚に微笑まれた。

「それで、夢は叶いそうかしら?」
「できるだけ近いうちに。モアモアハウスのおかげで急成長していますので」
「あら。待ち遠しいわ」

 お返しに遥も格好つけてみると、オーナーはお淑やかに瞳を細めた。
 今でもはっきりと覚えている。
 このモアモアハウスという住居には、あまりにも特殊な入居条件がつけられていた。
 夢を叶えられる人――。
 抽象的で、曖昧で、だからこそ難易度が高いと思われた入居審査だったが、遥たちは花里みのりのおかげで、いともたやすく突破してしまったのだ。
 けれど遥は、それを当然だと思っている。
 本人に自覚は一切ないのが面白いし、可愛いのだけれど。

 桐谷遥は知っている。
 花里みのりが願った夢は、絶対に叶うのだ。

 なぜって彼女は――明日がいい日になると知っているから。
 アイドルになる夢も、桐谷遥と一緒にステージに立つ夢も、すべて叶えて。
 旅路の進み方はちょっと不器用で、遥や愛莉や雫の助けを必要とするけれど。
 花里みのりが願ったドームライブは絶対に叶うし、絶対に叶えられる。
 そう信じさせてくれる、不思議な女の子。

 そんな彼女の原動力が自分自身であることが、遥の何よりの誇りだ。
 胸の奥に広がる暖かな想いに頬を緩めていると、廊下にパタパタと元気な足音が響いてきた。いつまでも子供っぽいところを愛おしいと思うのは、あばたもえくぼかもしれないけれど……。

「あら、このおてんばな足音は……」
「ふふっ、ちょうど帰ってきたみたいですね」

 遥は振り返りながら、何百回と繰り返した――。
 きっとこの先、何万回も繰り返すことになる言葉を紡いだ。

「おかえり、みのり!」
「ただいま、遥ちゃん!」


Comments

  • ☆君と味わう青春彡

    Web再録ありがとうございます!!あの時は紙本買えなくてずっと悔しかった…😭😭じっくり読みます!! 瀬古さんの🌸🐧🌸大好きです!!これからも応援します!!

    Oct 13th
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