朝からかなりの雨だ。
きのう走っておけばよかっ
たよ。
久々に岡山県のZ-YARDに行
こうかと思ったが、雨なの
でやめとく。
遠距離外出走行中に雨にな
るのは仕方ないが、雨の日
にあえて好んで二輪外出は
しない。
昨年の夏の富士行きの時は
帰りの高速で兵庫に入った
ら高速道を40km/hで走ら
ないと前が見えない程の土
砂降りだった。結構な距離
その状態が続いた。
よく富士から広島三原まで
途中長時間休憩を挟みなが
ら8時間で帰って来れたと
思うよ。最後は給油3回分
をノー休憩で走り切ったけ
ど。
これまでの経験で一番の大
雨は、走りの相方と三原市
内の近所の峠に行った時だ。
上の駐車場でいろいろ二輪
話をしていたらポツリと来
た。
これやばそうだから山を下
りようとなって2台で走り
だしたら降り始めた。
途中、峠道の下りで強烈な
豪雨。5メートル前も見え
ない。
二人とも超スロー走行でワ
インディングを下りて海岸
線から街中に出た。
すると雨など全く降ってな
くて日が照ってるだよな(笑
二人とも上も下も革着てい
たが、もう下着までずぶ濡
れだ。
あれは今までの人生で最大
の豪雨の中の二輪走行だっ
た。途中でバイク降りてや
りすごしたほうがいいので
は、という程。
ただ、停止したらマフラー
の中に水が大量に溜まるだ
ろうから始動不能になる。
ゆっくりと走りながら山を
下りて来た。
ありゃ凄かった。例えよう
がないくらい。
かみさんがよく言う。
「昔は雨の中でも平気でフ
ツーにみんな走ってたよ」
と。
そうなのだ。
1980年代の二輪乗りたちっ
てのはそんなもん。
ただ、それは20代だったか
らできてた、てのもあるよ(笑
カッパなど着ずに雨の中濡
れるに任せて走っていた。
1986年4月末公開の角川映画
『彼のオートバイ.彼女の島』
のように。
ただ、今の時代、還暦過ぎて
それはやらねぇな(笑
操作操縦扱い乗り方と旋回速
度、直線速度については20代
の頃と何ら変わりはないが。
操縦方法については1980年代
初頭で私はほぼ完成形。
あとはその確固たるベースの
熟成進化のみだった。
それでも、バイクに乗り始め
た12才の時からすべてが見え
る21才のとこまで10年近くか
かったのだから覚醒は遅かっ
た。高校の時にレースやって
た時さえも見えてなかった。
あれだよね。オートバイとい
うのは、オートバイの構造と
挙動の繋がりをきちんと洞察
して解析できる領域に到達し
ないと、適切的確な乗り方一
つ実行できる事さえないよね。
そこが見えて深く理解できる
までに私はローティーンから
ハイティーンを経て約10年近
くかかった。
21才からは、それらの基礎を
ベースに更に走りの精度を高
めるだけだった。
それでも本当に開眼するのは
それから4年の歳月を要した。
私の走りの真の完成形は1985
年9月からだ。
その時以来、現在に至るまで
無転倒。完全に見えたものが
あったからだ。私は獲得した。
この先も私は転ばない。
また魂が転向という転びを為
す事も無いし、それは拒否す
る。転向者や己を裏切る者な
どは死んだほうがいい。おめ
おめと生きているだけで恥ず
かしい。
バイクそのものを知らないと
バイクなどはまともに走らせ
る事は不可能だ。
なぜ曲がるのか、どう曲げる
のか等々まで含めて。
例えば、「なぜ二輪のフロン
トサスは後輪サスよりも極度
に柔らかいのか」という事に
ついて答えを明瞭に解答でき
る頭が無いと、二輪の適切的
確な運転などは不可能だ。
そうした事の積み重ね。
「二輪の道は一日にして成ら
ずぢゃ(柔ちゃんのおじいちゃ
ん)」なのだ。