石破さんと改革の理想に燃えた時 敗れていま猫に重ねる政治の原点
政治学者の丸山真男いわく、この国において「現実的たれということは、既成事実に屈伏せよということにほかなりません」。では、屈服を拒み、あくまで理想を追ったら、どうなるのだろう? 32年前、日本政治を変えるという理想に燃えて自民党を飛び出し、「敗者であり続けた」元国会議員を訪ねた。
1987年に国会議員に初当選し、90年代には若手の旗手として政治改革に挑んだ佐藤謙一郎さん。夢破れて2007年に政界引退後は「食と農」の活動などに取り組んでいます。その後の政界や、かつて改革の同志だった石破茂さんの首相退任を、どう見ているのか。取材日は、レストランの店先で知人の野菜販売を手伝っていました。
――店先に立つのは久しぶりだとか。いろんなお客さんから声をかけられていましたね。
「以前は自分で野菜を作って、ここで売ってましたから。元国会議員であることは知らない人も多いんじゃないかな」
――金権スキャンダルが相次ぎ発覚し、政治不信が極まっていた1990年代前半、政治改革を推進する自民党若手の旗手として脚光を浴びました。
「91年、自民党所属の当選1~3回議員54人が派閥横断的に集まり、『政治改革を実現する若手議員の会』を結成しました。私が事務局長で、石破茂さんが代表世話人。私たちが第一に求めたのは選挙制度改革です。『金がかかる政治』の元凶である衆院の中選挙区制を廃止し、小選挙区比例代表並立制を導入せよと。梶山静六幹事長ら党重鎮から陰に陽に圧力をかけられましたが、政党本位、政策本位の政治に変えるんだと、私も石破さんも燃えていました」
「石破さんは年下ですが、衆院議員としては1期上。大変な勉強家で、相手を『論破』するのではなく、論理的に『説得』しようとする。『政治の師』のように仰ぎ見た時期もありました。彼に信頼を寄せたのはもうひとつ、世襲議員であることに、どこか引け目のようなものを感じていたから。自分と似ているな、と。政界に入る前に勤めた銀行には優秀な人間が大勢いた、と石破さんはよく話していました。しかし彼らが政治家になるチャンスはほとんどなく、自分みたいな人間が容易になれてしまうんだよなあって」
派閥勉強会での忘れられぬ出来事
――佐藤さんのお父様は大蔵事務次官から自民党国会議員となり、第3次佐藤栄作内閣で経済企画庁長官を務めた佐藤一郎氏ですね。私自身は政治家の世襲には批判的ですが、一方で、世襲というゲタを履いていたからこそ大局観をもって青臭く理想を追求できたのかなとも。
「どうでしょう……なくはなかったかもしれませんね。世襲議員であることに引け目を感じていたから余計に、国会議員という特権を、自分や支持者のためではなく、公のために使いたいという思いは強かった」
「僕の行動原理は一貫して、『目撃者責任』。ベトナム戦争勃発にたまたま鉢合わせして日本に帰国するのをやめ、兵士らの治療に当たった日本人医師の言葉です。見て、知ってしまった以上は、目をそらさずに行動する責任があるのだと」
――永田町ではなにを目撃されましたか?
「新人議員を集めた派閥の勉強会のことは今でも忘れられません。僕は、父と同じ清和会に入りました。当時の領袖(りょうしゅう)は安倍晋太郎さんで、講師役は、後に首相になった有力政治家ですが、最初に教わったのは『出席した会合に有名人が来ていたら、体を寄せて秘書に写真を撮らせなさい』。二つ目は『届いたお中元やお歳暮は、中身を確認したら包み直して選挙民に配りなさい』。それから、『秘書や事務員を雇うのは大変だろうけど、統一教会が無給で提供してくれるから何人でも申請しなさい』。とんでもない話だと僕は部屋を飛び出しましたが、有力政治家が追いかけてきて『人が話している最中に失礼だろう』と叱責(しっせき)された。期待に胸を膨らませて政界入りしたのに、涙が出るほど悲しかったです」
「当選2回の時、小泉純一郎さんから、お前のような青臭いやつは国対でもまれてこいと言われ、国会対策副委員長に就き、日本政治の『裏』を見ました。野党の社会党とは鋭く対立しているように国民に見せかけて、実は仲良くがっちり握っている。各省庁からは毎晩のように料亭で接待されました。『今度の国会には○○法案を出します。うちのエースの○○課長が担当ですからよしなに』『地元の陳情は全部引き受けますから何なりと』。そんなことを1年もこなすと、次は好きなポストを得ることができる。自民党は機会平等。当選回数に応じたルートが確立していたんです」
「政官財がもたれあい、政治腐敗の温床になっている。これを何としても壊さねばならず、小選挙区制はダイナマイトとして使える――。僕なりの『目撃者責任』の果たし方でした」
――小選挙区比例代表並立制は導入され、政権交代も起きました。しかし、日本政治が良くなったとは到底言えない。むしろ悪くなったのでは?
「それは、改革が中途半端だったからでしょう。たとえば政党の政治活動を支えるために導入された、国民ひとりあたり年250円を原資とする総額300億円以上の政党交付金制度は本来、企業・団体献金の廃止とセットだったはずです。なのに今も続き、高市早苗首相は国会で『廃止とセットだとの約束があったとは認識していない』。開いた口がふさがりません」
「結局、政治改革は『政争の具』に使われてしまったんです。僕は理念に殉じるつもりで自民党を離党し、新党さきがけに参加しましたが、自民、社会両党と連立を組むというので『筋が通らない』と離党した。その後に入った旧民主党も根っこは自民党と大きくは変わらなかった。政治への幻滅を深め、民主党政権誕生を前に、60歳で政界を引退しました」
石破さんは「功労者」ともいえないか
――引退前、議員活動の傍ら横浜で居酒屋を開いていたと。
「『料亭政治』への皮肉です。市井の人たちの生活を知り、話に耳を傾け、その声を政治の舞台にあげて政策に結びつける。政治家の基本です。自民党は生産サイドを代表する政党だから、生活者を真に代表する政党がないと。市民が自ら政策を立案し、法案を作るくらいの力を持たねば、第2自民党がいくら増えても政治は変わりません」
――今の自民党にはかつてのような熱はありません。党の方針に表だって異論を唱えることすらできなくなっている。
「第2次安倍政権がそうしたのでは。自分に従わない、気に入らない政治家や官僚は排除し、干し上げる。結果、自分の頭でものを考えないイエスマンや『安倍チルドレン』ばかりになってしまった」
「小選挙区制によって、公認権を握る党総裁の力が絶大になってしまった。そうなることを予想できなかった僕は不覚でした。しかし一方で、国政選挙連敗という理屈で首相の座を引きずり下ろされた石破さんについては、『チルドレン』を落選させた功労者という見方も可能なはずです」
「石破さんは最後まで辞めずに踏ん張る、場合によっては党を割るぐらいのことをやればよかったと私なんかは思いますが、自民党を飛び出して、結局自民党に復党し、裏切り者扱いされた『古傷』がうずいて、踏み出せなかったのでしょう」
跋扈する扇動や傍観 今こそ「情熱ある行動者」に
――佐藤さんと石破さんは、この国の政治を変えるべく闘った「同志」であり、夢に破れた者「同士」ですね。
「僕は『敗者』であり続けました。たぶん石破さんも、政権交代が『失敗』に終わった民主党の議員も。『敗者』は往々にして、情熱的に理想を語ったり、大きな社会構想を示したりすることをためらうというか、足がすくんでなかなか思うように動けなくなる。その間隙(かんげき)をついて、デマでも差別でも手段を選ばない扇動政治家が『勝者』になっている。日本政治は泥沼にはまり込んでいるのでは」
――泥沼からいち早く抜け出されて。良かったですね。
「今は保護猫活動に注力し、とても幸せです。毎晩2時間半歩き、人間の都合で野良になった猫の面倒をみる。天候や体調の不良でサボりたい日もありますが、猫に『体調悪いから明日は来ないよ』と言っても通じない。ひたすら僕を待っているから約900日、一日も欠かさず続ける中で、政治の原点とはこういうことかも――なんて、自己内対話を重ねています」
「僕の座右の書は、デンマークの哲学者キルケゴールの『現代の批判』です。フランス革命という情熱の時代が終わり、閉塞(へいそく)の時代に生きたキルケゴールは『誰もがたくさんのことを知っている。どの道を行くべきか。行ける道がどれだけあるか、我々はみんな知っている。だが、誰一人行こうとはしない』と書きました。そんな『賢い傍観者』が跋扈(ばっこ)する時代にこそ、情熱ある行動者への称賛が必要だと訴えた。1846年の書ですが、SNSの隆盛で『傍観者』が増殖している今こそ、かみ締められるべき一節です」
佐藤謙一郎さん
さとう・けんいちろう 1947年生まれ。NHK記者、神奈川県議を経て87年の参院補選で自民党から初当選。90年、衆院に転じて5期務める。07年に政界引退後は有機野菜の生産・販売など「食と農」の活動に取り組む。
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- 【解説】
>「新人議員を集めた派閥の勉強会のことは今でも忘れられません。僕は、父と同じ清和会に入りました。当時の領袖(りょうしゅう)は安倍晋太郎さんで、講師役は、後に首相になった有力政治家ですが…『秘書や事務員を雇うのは大変だろうけど、統一教会が無給で提供してくれるから何人でも申請しなさい』(と教わった)。 実に貴重な証言ですね。1987年に初当選の時期の自民党、だということです。複数の証言や報道と突き合わせつつ、こういった実態が政治等に与えた影響を考えたいですね。
…続きを読む - 【視点】
「今だから言えること」もあるだろうが、読ませる記事。20世紀の日本社会と現在との相違も考えさせる。 3年前のインタビューも併読するとより深まると思う。 https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20221114/se1/00m/020/001000d
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