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【web再録】雪解けの季節/Novel by 瀬古透矢

【web再録】雪解けの季節

88,781 character(s)2 hrs 57 mins

みのはるwebオンリー「Blooming Flowers」開催に伴う再掲です。
ちょっと忙しすぎて新規書き下ろしはできなかった……。

2022/6/12(日)開催の「Our Untitled」にて頒布した小説本のweb再録です。当時お手に取っていただいた方、本当にありがとうございました。
まだ一年生時空の頃だったこともあり、今とは全っっっ然設定違うので、どうかご容赦いただきつつ…。
webオンリー終了後もずっと公開していますので、お暇なときにどうぞ。
(サンプル跡地⇒novel/17572493

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「夏祭りのステージ?」
『そ。毎年七月半ばに神社でやってる「シブヤ夏祭り」っていうお祭りあるでしょ? 遥も行った事あると思うんだけど』

 杏から突然かかってきた電話。
 急用じゃないならメッセージでいいじゃない、とこっそり企画書を進めながら応じる私に対して、スマホの向こう側では杏の気ままな声が続いていた。

『あーでも、確か一昨年……高一の時は宮女の臨海学校と被ってたんだよね』
「ああ、あの夏祭りね。去年モモジャンの四人で行ったよ」
『そっか。ユニット全員で行くなんて相変わらず仲良しだねぇ』
「ビビバスも他人のことは言えないでしょ。それで、そのお祭りがどうかしたの?」
『お祭りの期間中に野外ステージでライブがあるんだけど、そのステージのアマチュア部門で彰人と冬弥が出演することになったんだ。もし良かったら一緒に見に行かない? もちろんこはねとみのりちゃんも一緒にね!』

 当然のようにみのりとこはねの名前を上げる杏。
 なつまつり。
 口の中でひらがな五文字を転がしてみる。

『あ、それとも今年はみのりちゃんと二人で行きたかったとか?』
「……せっかく誘ってくれたところ悪いけど、今年もモモジャンの四人で行くかも。去年は仕事の帰りに寄り道しただけだったから、来年こそは浴衣でちゃんと遊びたいねって話していたんだ。とりあえずみんなに予定を確認してみるよ」
『ちょっと遥さーん? 私の質問をスルーしないでよー?』
「答えてるでしょ。予定を確認してみるよって」
『はいはい。みのりちゃんと行きたいのが図星だからってムキにならないでよね』
「別に図星なんかじゃないってば」
『ホント、遥ってみのりちゃんが関わるとすぐに余裕失っちゃうよね』
「……っ」

 揶揄うような声に息を詰まらせる。
 言葉にしなくても声音でバレてしまう。幼馴染である杏のこういうところはあまり好きじゃないけど、気遣う必要もなくなるから嫌いでもなかった。

「……それもお互い様でしょ、杏。どうせ本当は、こはねを浴衣デートに誘う勇気がないから四人で遊ぼうって口実が欲しいんじゃないの?」
『うっ、藪蛇……まぁそんなワケだから予定確認しといて! それと、彰人たちがステージに出ることは雫さん達にも教えてあげてね! 知り合いみたいだし!』

 誤魔化すようにまくし立てた杏は、夏祭りの日付と場所をチャットに送り付けると『受験勉強の時間だから!』と逃げるように通話を切った。
 あの杏から『勉強の時間』なんて言い訳を聞けるとは、とスケジュール帳に夏祭りの日付を記しながら苦笑する。

〝MORE MORE JUMP!〟結成から二年。
 みのりと出会ってからも二年。
 私達は、高校最後の夏を迎えようとしていた。

 宮女の中でも私とみのり、それに〝Leo/need〟のみんなは順調に行けば宮益坂女子大学へエスカレーター式に進学できる見通しだけど、鳳さんとこはねは外部進学希望なので、校内で勉強している姿をよく目撃するようになった。
 神高の杏たちは、今まさに受験勉強に追われているし。
 夜間定時制の絵名さんも、今年が藝大受験の正念場だと聞いている。
 各々の音楽活動を続けながら、自分の進路(みらい)と向かい合う時期。
 高校生、最後の夏がやってくる。

「……夏祭り、か」

 企画書を打ち込んでいたノートパソコンを閉じて、小さく息をつく。
 図星だよ、杏。
 夏祭りって聞いた瞬間に、真っ先に思った。

 みのりと一緒に行きたいな。

ぱちぱち、線香花火


 昼休みを迎えて教室を出ると、廊下ですれ違った一歌ちゃんに「みのり、なんだかご機嫌だね」と声をかけられた。気分が浮ついている自覚はあったけど、態度にまで出ているとは思わなかったのでちょっと恥ずかしい。

 まぁでも、よく言われるもんね。わたしは分かりやすいって。
 この学校で誰よりも多く通ったんじゃないかと思う階段を登って、ガチャ、と屋上に繋がる扉を開く。
 頬っぺたを撫でるのは、七月の初夏の日差し。
 梅雨が明けて久しぶりに広がっている青空に背筋を伸ばした。

「んー……」

 やっぱり晴れている日は気持ちがいい。
 雨が降ると髪がボサボサになって大変だし、サモちゃんのお散歩にもランニングにも行けないし。眩しいお日様を見上げていたのは一分くらい。もうすぐ来るはずの人を思い浮かべながら、屋上の隅にシートを広げて腰を下ろした。

 高校三年生の夏が来る。
 あっという間に訪れた、高校生最後の夏だ。

 ……愛莉ちゃんと雫ちゃんが高校を卒業してから、この屋上に来る回数もすっかり減っちゃったな。〝MORE MORE JUMP!〟の配信やレッスンで来ることが多かったせいか自然と背筋が伸びる場所だったここも、今ではもう一つ意味が増えた。
 そよ風が前髪をなびかせる。
 毛先が目に入りそうでパチパチまばたきをすると……不意に幻視する。

 まだ出会ったばかりの頃。
 ダンスの練習で揺れる前髪の隙間から見ていた、文庫本を広げるあなたの横顔。
 アイドルになるための自主練習をするわたしを、あなたは決してうるさいと咎めなかった。それどころか、あなたにとっては辛い時期だったはずなのに、わたしのオーバーワークや怪我を気にかけてくれた。

 あの頃はまだ、こんな想いは抱いていなかったけど。
 夏の日差しに負けないくらい、キラキラ、眩しい憧れ。
 夏の熱なんて目じゃない程に、わたしの頬を熱くする人。
 夏の空よりも深い蒼。夏の海よりも綺麗な青。

「……、」

 またパチパチとまばたきする。懐かしい思い出から今へと意識が戻ってくる──屋上の扉が開く音がしたから。

 とくん、と胸の奥が高鳴る。
 乱れたかもしれない前髪を慌てて手櫛で整えた。
 結局、三年間の高校生活で一度も同じクラスになれなかったけど。
 大好きな青色が視界に入ると、わたしの頬は勝手に緩んでいった。

「お待たせみのり。ごめんね、四限が少し長引いちゃって」
「ううん、全然待ってないよ遥ちゃん!」

 桐谷遥ちゃん。
 わたしの憧れで、友達で、大切な仲間。
 そんな遥ちゃんも表情を緩めながらわたしの隣に腰を下ろすと、しゅるりとお弁当の包みを広げた。わたしもポーチからお弁当箱を取り出して、遥ちゃんと顔を見合わせて「いただきます」と両手を重ねる。
 すると早速、わたしのお弁当を覗き込んでくる遥ちゃん。

「あれ? 今日のみのりのお弁当、キャラ弁なんだ」
「うん。前の配信で愛莉ちゃんに教わりながらみんなで作ったでしょ? あれから自分でもできないかなと思って、今日はリンちゃんのお弁当に挑んでみたんだ!」
「すごいよく出来てるね……! 可愛いけど、大変だったんじゃない?」
「ちょっと時間はかかっちゃったけど、でも楽しかったから大丈夫!」
「そっか。写真撮ってもいいかな?」
「もちろんです!」

 遥ちゃんはスマホを取り出し、光源に気を遣いながらわたしのお弁当を撮影した。せっかくだし後でピクシェアで呟こうか、なんて提案してくれる。

「私もキャラ弁作ってみたいけど、野菜だけで作れるかな……?」
「うーん……ブロッコリーとカブでミクちゃんを作る、とか?」
「流石に難しそうだね。糖質制限していない期間に挑戦してみるよ」

 そう苦笑した遥ちゃんは、お弁当のブロッコリーをお箸で摘まんで口に運んだ。わたしもリンちゃんの髪を表現するのに使った卵を、ちょっと勿体ないなと思いながらお箸で切り分けていく。

 三年間、同じクラスになれなかったわたし達。
 だけど三年生になってから、遥ちゃんは思いがけない提案をしてくれた。

『あのさ、もしみのりが良かったらなんだけど……毎日お弁当を一緒に食べない?』

 断る理由なんて一つもなかった。晴れている日は屋上で。雨の日は空き教室を借りて。時々こはねちゃんや咲希ちゃんといった友達を招くこともあるけど、二人きりの時間を何度も過ごしていた。

「わ……今日は少し風が強いね」

 またそよ風が吹いた。なびく襟足を手で軽く押さえながら、くしゃりと無邪気な笑みを浮かべる遥ちゃん。ふわりと揺れるセーラー服の襟。その無防備な笑顔を見せるのがわたしの前だけだということを、わたしはもう知っている。

 眩しいなぁ。
 久しぶりの晴れの日だからなのかな。いつもキラキラしている遥ちゃんだけど、今日は何倍も、何十倍もキラキラして見える。
 そうして見つめていると、遥ちゃんの頬が赤く色づいた。

「……みのり、そんな風にじっと見つめられると恥ずかしいよ。もしかして私の顔に何かついてる?」
「あっ、ううん、なんでもないよ! 夏のお日様に照らされた遥ちゃんもとっても綺麗だなぁって思ったらつい見惚れちゃって……!」
「もう、みのりってば……そう言うみのりも可愛いけどね」
「へっ!? は、遥ちゃん!?」
「ふふっ、たまには私も仕返ししようかなと思って。可愛いのは本当だよ。みのりはお日様がよく似合うから……」

 いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた遥ちゃんは、不意に手を伸ばしてきた。
 すり、とわたしの頰に触れる手のひら。
 髪の毛を遥ちゃんの人差し指がすくって──。

「……今日のみのりは、なんだか眩しいね」

 言葉通り眩しそうに瞳を細めた遥ちゃんは、わたしの頬から手を離すとまたお弁当に視線を落とした。
 手のひらが触れた場所から、じんわりと熱が広がっていく。
 顔を上げられない。遥ちゃんの方を見れないよ。
 分かりやすいって言われるわたしだけど、本当に隠せているのかな。

 とくん、とくん。
 遥ちゃんのせいで早くなっていく心音は、本当に気づかれていないのかな。


 放課後、高校を後にしたわたしと遥ちゃんは、愛莉ちゃん家にお邪魔していた。
 宮女の大学部に進学した愛莉ちゃんと雫ちゃんは、この春からそれぞれ一人暮らしを始めました。……といっても学生向けマンションの隣同士なので、よくお互いの部屋に入り浸っているみたい。

「それじゃ、まずは八月にやるサマーライブの進捗確認から始めましょうか」

 そんな愛莉ちゃんの部屋で、モニターに企画書が表示される。
 フローリングに座るわたし達が「はーい」と手を挙げながら返事をすると、チェアに腰掛けていた愛莉ちゃんは「小学生じゃないんだから」と苦笑いした。

「とりあえず概要のおさらいね。八月中旬に開催するわたし達のワンマンライブ。久々の野外ステージで、メインの企画担当はみのりだったわね」
「はい! 運営はいつも通り、斎藤さんのイベント会社にお願いしているよ! スタッフも順調に集まってるし、打ち合わせも着々と進行中です!」

 バッチリとピースを掲げれば、みんながくすっと肩を揺らした。
 斎藤さんこと斎藤彩香さんは、モモジャン初めてのファンイベント以来何度も力を貸してくれている方だ。この春にアルバイトしていた制作会社に就職してからは、本格的にモモジャンのイベントプロデュースに関わっています。

「次は私の報告だね。新曲は久しぶりに里帆の描き下ろし。一ヶ月前に発注済みで、近いうちにデモテープを共有できると思う。里帆らしい元気なアイドルソングに仕上がりそうだよ」

 と続けたのは遥ちゃん。
 作曲家の長谷川里帆さんはモモジャン初のオリジナル曲を作ってくれた方で、わたしとは『遥ちゃんファン』という同志でもあります!
 わたし達と一緒に夢を追いかける中で作曲家としてのキャリアを着実に積み重ねて、今ではモモジャンだけでなくバンドやゲームに楽曲提供することもあるんだとか。
 続いて報告を始めたのは雫ちゃん。

「私からは衣装班の進捗ね。先週確認してもらったデザインで新衣装の制作は進行中。パターンもできあがって、試作の制作に進んでもらっているわ。もうすぐ試着できるから、時期が見えてきたら連絡するわね」
「なんだ、全セクション順調じゃない。わたしはカイトさんに意見を聞きながら舞台演出の検討中。その演出で報告なんだけど……今回の会場は野外でしょ? 試しに会場に聞いてみたら、なんと水鉄砲を使ってもいいって言ってくれたのよ!」
「わぁ、それじゃあお客さんに向かって水鉄砲撃っていいの!? わたしあの演出にずっと憧れてたんだ~!」
「夏のライブの定番よね。チアデの頃に盛り上がったのを覚えているわ」
「あ、もしかしたら新曲に組み込めるかも。間奏にファンと何度もコールをやり取りできる構成になっているから、そのコールに合わせてみんなで水を浴びる……みたいな」
「いいじゃないそれ、詳しく聞かせなさい遥!」

 そうして進行するサマーライブの打ち合わせ。
 斎藤さんや長谷川さんがステップアップしていくのに負けず、わたし達〝MORE MORE JUMP!〟も活動を広げています。今はもう動画サイトの配信だけでなく、テレビやラジオ、アイドルフェスの出演に、主催イベントの定期開催などなど。
 遥ちゃん達がそれぞれのグループで歩んだ道を、今度は四人で歩いていく。
 憧れていたアイドルの仕事をこなす日々はまるで夢みたいだけど、みんなに希望を届けるために、わたしも毎日頑張っています!

「──これで今日の議題は終わりね。追加で確認したいことがある人ー?」

 打ち合わせを続けること一時間。
 問いかけてくる愛莉ちゃんに対して挙手をしたのは、遥ちゃんだった。

「はい遥、早かった!」
「もう、大喜利じゃないんだから」遥ちゃんは苦笑しながら、「仕事の確認ではないんだ。もうすぐ『シブヤ夏祭り』があるでしょ? 去年四人で行った──」
「彰人くん達が野外ステージに出ていたお祭り?」
「そうそう。そのお祭りで、今年も東雲くんと青柳くんがステージに出るんだって。去年は少し屋台を覗いただけだったし、もし良かったら四人で浴衣リベンジしない?」
「みんなで浴衣……! はーい! わたしは賛成です!」

 いの一番に手を挙げたわたしと対照的に、愛莉ちゃんと雫ちゃんは眉をハの字にしてしまった。

「あ、あれ? 愛莉ちゃん達は乗り気じゃない……?」
「違うわよみのり。ごめん、わたしと雫はその日、夜に収録が入ってるのよね」
「その後でよければ合流できるのだけど、きっと浴衣は難しいわ。折角遥ちゃんに誘ってもらえたのに……」
「ううん、二人とも謝ることじゃないよ」
「お仕事優先だよ!」

 一旦みんなのスケジュール帳を照らし合わせてみる。
 愛莉ちゃんと雫ちゃんが合流できるのは早くて夜の19時頃……東雲くん達のステージが始まる直前の時間帯だった。

「でも折角だし、雫の言う通り収録の後に合流しましょうか」
「大丈夫? 仕事の後で疲れてない?」
「大丈夫よ遥ちゃん。最近はみんな揃って遊びに行けていないし、むしろお祭りでリフレッシュできていいと思うの」

 四人分のスケジュール帳を見下ろしながら、寂しそうに告げる雫ちゃん。
 ライブが近づくと衣装班や企画班といった担当の仕事が増えるので、その分だけ四人で集まれる時間も減っていく。今日みたいに放課後すぐに全員集合できるのは、実は意外と貴重なのでした。
 ……ん? 二人が来れないということは……?

「じゃあ雫たちが来るまでは、みのりと遊んで待ってるね」
「ええ、そうしてもらえると助かるわ」
「目立ちすぎて騒ぎにするんじゃないわよー?」

 や、やっぱり!? 遥ちゃんと二人きりで夏祭りに行くの!? しかも浴衣で!?
 絶叫しなかった自分を褒めたい。
 だけど心臓の鼓動があっという間に騒がしくなっていく。

「みのりもそれでいいかな?」
「も、もちろんだよ遥ちゃん! 浴衣準備するね!」

 慌てて頷き返すと、遥ちゃんは嬉しそうに「楽しみだね」と相槌を打ってくれて。

「……ったく、あからさまに動揺しちゃって」

 愛莉ちゃんが何かをボソッと呟いていたけど、余裕を失ったわたしにはうまく聞き取れなかったのでした。


『みのりちゃん、遥ちゃんと二人で夏祭りに行くの!?』

 スマホと繋いだイヤホンから、こはねちゃんの珍しく興奮した声が響いてくる。
 打ち合わせと、ついでに夕ご飯をご馳走になって愛莉ちゃん家から帰宅したわたしは、こはねちゃん・志歩ちゃんと通話を繋いでいた。
 三年生でまたクラスメイトになった二人と古文の宿題をしていたんだけど、休憩中の雑談でつい夏祭りのことを伝えてしまって。

「二人きりなのは途中までだよ! あくまで愛莉ちゃんと雫ちゃんが来るのを待つ間、遥ちゃんと遊ぶだけで……!」
『それでも二人きりには変わりないでしょ。チャンスじゃん』
「し、志歩ちゃん!」
『志歩ちゃんの言う通りだよ。これはチャンスだよ!』
「こはねちゃんまで……!」

 くすくすと二人が笑う気配がする。

「あのね、こはねちゃん。わたしは別に遥ちゃんとは……」
『わかってるよみのりちゃん。アイドルは恋愛禁止……遥ちゃんに想いを伝える気はないんだよね』
「……うん」

 こはねちゃんと志歩ちゃんはわたしの想いを知っている数少ない友達だ。……実は自分から伝えたのではなく、いつの間にか気付かれていたのですが。
 アイドルに許されない想いを抱いたわたしを、二人は肯定してくれて。
 その上で時々、こうして少しだけ零すのを許してくれる。こはねちゃんと志歩ちゃんの存在はとってもありがたかった。

『でも折角のデートだもん。みのりちゃんはいつも頑張ってるんだし──』
『だね。たまにはデートを楽しんでも、罰は当たらないんじゃない?』
「で、デートじゃないってばぁ!」

 ……ありがたい存在なんです! ときどき揶揄われちゃうけど!
 デートと言われるだけで頬っぺたが熱くなる。ひんやりとした机に突っ伏してため息をつく。夏祭りはまだまだ先なのに、わたしの心臓は当日までもつのでしょうか……。

『服装はどうするの? やっぱり浴衣?』
「あ、服装は浴衣で行こうねって約束してるんだ。そういえば着付けはどうしよう……お母さんに頼めるかなぁ」
『あれ? みのりちゃん、去年の七夕イベントで浴衣着てなかったっけ?』
「あの時は雫ちゃんに手伝ってもらったの。着方も教えてもらったけど、一人で完璧に着る自信はまだなくって」
『お姉ちゃんが……なら夏祭りの前に私の家に来る?』
「えっ? 志歩ちゃん家?」
『私も浴衣の着付けできるし、レオニで「シブヤ夏祭り」に行く予定なんだ。その前の時間は空けてあるから、みのりの着付けして一緒に会場まで行くって感じでどう?』
「いいの!? ありがとう志歩ちゃん、このご恩は一生忘れません……!」
『大袈裟なんだから。こはねもよければ着付けするけど』
『私もいいの? でも大変じゃないかな?』
『慣れてるから大丈夫。着物や振袖と比べればずっと楽だしね』
『じゃあ私もお言葉に甘えちゃおうかな。ありがとう志歩ちゃん』

 ちなみにこはねちゃんは、東雲くん達のステージを杏ちゃんと二人で応援しに行くそうです。夕方に志歩ちゃん家に集まる約束を結ぶと──。

『ところでみのり、古文の宿題進んでる?』
「はっ、そうでした! これは〝ありおりはべりいまそかり〟だから……」
『ふふっ、ラ行変格活用だね。最近ライブに向けて忙しいみたいだけど、期末試験は大丈夫そう?』
「うぅ……学業と両立できないとダメだもん! もっともっと頑張るよ!」

 その後、宿題が終わるまで付き合ってくれた二人にお礼を告げて、通話を終える。
 わたしは古文の教科書とノートをぱたんと閉じると、ベッドに飛び込んだ。
 夏祭りは二週間後の土曜日。
 まだまだ先だけど、当日を思い浮かべるだけで心臓の鼓動が加速していく。

「……遥ちゃんと二人きりになるなんて、もう特別じゃないはずなのになぁ」

 誕生日プレゼントで貰ったラッコのタオルを手繰り寄せる。
 二人きりで過ごしている昼休み。
 朝や夜の自主練を二人でする日も多い。
 遥ちゃんと出会ってから二年。
 ファンとアイドルから友達になって、大切な仲間に関係が変わって、遥ちゃんの隣に相応しいアイドルになりたいと願って。
 遥ちゃんと一緒に過ごす時間はわたしの日常の一部になったけど。
 その日常の中にいる遥ちゃんは、わたしの〝特別〟。
 時間が積み重なっても、関係が変わっても、これだけは絶対に変わらないんだ。

「……遥ちゃん」

 胸に手を添えて、名前を舌の上で転がす。

「……大好きだよ、遥ちゃん」

 誰にも聞かれないのをいいことに、呟いてみる。
 手のひらに伝わってくるのは、ドキドキと騒がしいけど、決して不快じゃない。
 暖かくて優しい鼓動だった。


   ♪


 サマーライブの準備に追われているうちに、気付けば夏祭りの当日が訪れていた。

「そんな予感はしていたけど、私まで浴衣を着ることになるとはね……」
「ふふっ、志歩ちゃん似合ってるよ!」
「ねー! すっごい綺麗!」

 志歩ちゃん家にお邪魔したわたしとこはねちゃんを出迎えたのは、なんと浴衣姿の志歩ちゃんでした。『お姉ちゃん経由でお母さんにバレて無理やり着せられた』という薄緑色の浴衣はとてもよく似合っている。
 黒いヘアピンで簡単に前髪をまとめた、格好よさと可愛さが絶妙な志歩ちゃん。
 雫ちゃんが見たらきっと喜ぶよねとスマホを向けると、志歩ちゃんは「写真は事務所を通してよね」と冗談めかしながらレンズを手で覆った。

「はいはい、私はいいから二人の着付けするよ。こっちの部屋に来て」

 そうしてパパパッと手際よい志歩ちゃんの手によって、わたしとこはねちゃんも浴衣姿に大変身した。こはねちゃんは白桃色のグラデーションがかかった可愛い浴衣。わたしはメンバーカラーであるオレンジ色を使った向日葵(ひまわり)柄の浴衣だ。

「みのり、帯きつくない?」
「大丈夫だよ!」
「なら完成。激しく動くとシルエットが乱れるから注意してね」

 志歩ちゃんは巾着袋を手に取って、

「それじゃあお祭り行こうか。近くまでお母さんが車出してくれるっていうから、乗っていってよ。下駄で歩くのも大変だし」
「あっ、待って志歩ちゃん! みのりちゃんも!」

 呼び止めたこはねちゃんの手には黒いヘアゴム。自分のゴムを外して髪を背中に流したこはねちゃんは、キュッと楽しそうに瞳を細めた。

「ねぇみのりちゃん。ヘアアレンジもしていかない?」


 シブヤの街を夕焼けが染めていく。
 まだ日の光は残っているけど、ネオンサインや街灯が光り始める時間帯。志歩ちゃんのお母さんが運転する車に揺られて、わたし達はお祭り会場の一部である神社の近くで下ろしてもらった。

「わ、すごい人だね……!」

 バンから降りたこはねちゃんが、周囲の人だかりに思わずといった様子で呟く。

「野外ステージのライブに『TearDrops』っていう結構有名なバンドが参加するんだ。たぶんそのせいかな」
「志歩ちゃん達のメインイベントだね!」

 レオニのみんなが『シブヤ夏祭り』に行くのは、そのバンドの生演奏を聴くためなんだそうだ。
 ひとまず、わたしと遥ちゃんの待ち合わせ場所でもある神社の入り口を目指す。カランカランと音を鳴らす三人分の下駄。あまり履き慣れていないから気をつけないとね、なんて雑談を交わしているうちに鳥居がわたし達を出迎えた。
 立ち並ぶ屋台に、響いてくる賑やかな声。
 すでに始まっているお祭りの熱気に三人で顔を見合わせる。
 この辺りで待ち合わせているはずなんだけど、と周囲を見回してみると……。

「…………ぁ……」


 祭囃子も喧騒も、一瞬のうちに遠くへ霞んだ。
 うまく息ができなくなっていく。
 深い蒼の朝顔の浴衣を着た遥ちゃんを見つけた瞬間、わたしは言葉を失っていた。


 無意識のうちに立ち止まる。
 わたしが事前にしていた覚悟なんて一ミリも役に立たなかった。いつもはすらすらと出てくる賛辞が一言も出てこない。ただ一つの言葉しか、頭に思い浮かばない。

「…………綺麗……」

 右の前髪をまとめる花の髪留め。普段は意識しない白いうなじが眩しくて、髪を耳にかける仕草に心臓が跳ねた。伏せられた長い睫毛。薄桃色に色づいた唇。提灯の明かりに照らされた頬。凛とした浴衣姿に、わたしの顔は普段の何十倍も熱を発する。
 どきどきが止まらない。
 頬っぺたが熱い。
 心を奪われるって、こういうことなんだ。
 ……そうして道の真ん中で棒立ちになってしまったわたしを、二つの手がトンと優しく押してくれる。

「大丈夫。みのりちゃんもとっても綺麗だよ」
「桐谷さんにも負けてない。頑張れみのり」

 こはねちゃんと志歩ちゃん。二人が一緒にいてくれて、本当によかった。
 一足先にお祭り会場へ姿を消していく二人に「ありがとう」と呟いて、背中を押してもらった勢いに身を任せて遥ちゃんへと駆け寄る。

「お、お待たせ遥ちゃん!」
「みのり? よかった、無事に会えたね。すごい人の数……だったから……」

 緊張を悟られないよう必死に平静を装って声をかけると、言葉を詰まらせたのは顔を上げた遥ちゃんの方だった。
 なんだか珍しいリアクション。

「……遥ちゃん? もしかしてわたし、どこか変かな……?」
「あ、えっと……髪、結んだんだね」
「うん。こはねちゃんにやってもらったの」

 志歩ちゃん家を出る直前、こはねちゃんに結んでもらった後ろ髪と首筋を撫でる。ちょこんと簡単にひとつ結び。二人は『いい感じだよ』と褒めてくれたけど、わたしはあまり髪を結ばないので自信がなくて。

「……ど、どうでしょうか?」

 おそるおそる覗き込むと、遥ちゃんはそっと瞼を閉じた。
 胸に手を当てて一呼吸。
 そうして──

「……可愛いよ。みのりによく似合ってる」
「……っ!」
「動揺させちゃったよね、ごめん。……みのりがすごく綺麗で、うまく言葉が出てこなかっただけなんだ」

 苦笑しながら頬を掻く遥ちゃんは、頬っぺたが赤く色づいていた。
 こんな遥ちゃんを見るのは、もちろん初めて。
 わたしを見てドキドキしてくれたんだよね? わたしの自惚れや勘違いでも、聞き間違いでもないんだよね?

「……遥ちゃんからそんなこと言ってもらえるなんて、嬉しすぎて死んじゃいそう……」
「……一応言っておくけど、嘘でもお世辞でもないからね」

 ────。
 ああ、もう!
 甘い幸福感が胸の奥底からとめどなく湧き上がってきて、どうにかなってしまいそうだった。今すぐ叫びたかったけど、でもこの嬉しさは一ミリも外に零したくない。
 何度か深呼吸して冷静さを取り戻し、改めて遥ちゃんと向かい合う。

「遥ちゃんも! とっても浴衣似合ってて、髪留めも可愛くて! 遥ちゃんはいつも素敵だけど、今日はその何百倍も綺麗です……!!」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると気合入れて浴衣を着てきた甲斐があったよ。結構難しかったけど、みのりは一人で着れた?」
「あ、実は志歩ちゃんに着るのを手伝ってもらったんだ。ここまでも志歩ちゃんとこはねちゃんと一緒に来たんだよ。二人はもう屋台の方に行っちゃったけど」
「日野森さん達も来てるんだ。遊んでいるうちにまた会えるかもね」

 とお祭り会場を見た遥ちゃんは、改めてわたしに振り返って苦笑した。

「立ち話もなんだし、私たちもお祭り楽しもっか」
「あはは、そうだね。楽しもー!」
「おー!」

 わたしに合わせて拳を掲げた遥ちゃんの下駄が、カランと木の音を響かせた。
 神社の鳥居をくぐって屋台の並ぶエリアに向かう。
 遠くに微かに聞こえるヒップホップと歓声。『シブヤ夏祭り』のメインイベントである野外ステージでは、すでにアマチュア部門のパフォーマンスが始まっているみたいだ。

「それにしてもすごい人の数だね」

 改めて周囲を見回しながら呟く遥ちゃん。

「志歩ちゃんが『ステージに有名なバンドが来るせいかも』って言ってたよ」
「なるほど。それでも去年の倍はいるような……」

 プロ部門が始まるまで時間を潰そうとしている人が多いせいか、屋台エリアは移動するのも一苦労だった。遥ちゃんと肩が触れ合う程の距離にならざるを得なくて、この状況を喜べばいいのか、困ればいいのか分からない。

「みのり、まずは何か食べる?」

 すぐ傍にあった〝焼きそば〟や〝たこ焼き〟の屋台を指さす遥ちゃん。

「賛成! ハッ、でもお祭りの屋台ってカロリー高いと思うけど、遥ちゃん大丈夫!?」
「チートデーを今日に合わせて、体重や食事の調整は完璧に済ませてきたよ。思う存分食べられるから心配しないで」
「おぉー頼もしい! で、でもそれはそれで心配かも……!」

 いつかのワッフルやシュークリームを思い出すわたしに、遥ちゃんはくすっと肩を揺らした。その拍子に、すり、と手の甲に何かが擦れる感触。
 ……何か、なんて確認するまでもない。すぐ傍にいる遥ちゃんの手だ。
 平常心、平常心と自分に言い聞かせる。友達と触れ合ってドキドキするなんて──。

「……みのり、はぐれたら大変だし手を繋いでおこうか?」
「~~っ!?」

 遥ちゃんは、わたしの手をきゅっと握りながら問いかけてきた。
 じゅ、順番! 許可を取ってから手を繋いでください!! 心の中で絶叫をしながらコクコクと頷く。よかったと囁く遥ちゃんに心臓が爆発してしまいそうだ。
 だけど。
 もしかしたら、勇気を出すのは今かもしれない。折角こはねちゃんと志歩ちゃんに応援してもらったんだ。頑張れわたし。頑張れ、わたし!

「あ、あのね遥ちゃん!」
「ん? どうしたの?」
「……手を繋ぐの、こっちでも、いいかな……?」

 一度パッと指を開いて、つなぎ方を変えてみる。
 指と指を絡めて手のひらを重ねると、遥ちゃんの指が震えるのが分かった。
 恋人繋ぎ。
 撮影や配信でならまだしも、完全なプライベートでするのは初めてで。
 踏み込み過ぎたかな。流石に、幻滅されちゃうかな。
 そんな不安が駆け巡ったのは一瞬だけ。

 言葉はなかった。
 ……だけど遥ちゃんは、ギュッと手を握り返してくれた。

「……っ!」

 わ、わわ。
 こすれ合う指と指。手のひらから伝わってくる体温があまりにも熱くて、意識が溶けてしまいそうになる。嬉しさと驚きが頭の中で渋滞を起こしていた。行くよ、と呟いて歩き出す遥ちゃんに手を引かれて、喧騒の中に紛れていく。
 今まで体験したことないほどのドキドキが、体の中央で響いていた。
 耳が熱い。わたしも、きっと遥ちゃんも。
 二つの下駄の足音が、やけにはっきりと聞こえる気がした。
 恋人繋ぎしてくれた。
 だめ。嬉しい。嬉しすぎて、おかしくなっちゃうよ。
 どうか夢なら覚めないで。
 もしも現実なら──少しでも長い間、この時間を過ごさせてください。


 わたしのそんな願いは、残念なことにいつまでもは続かなかった。
 屋台エリアを少し抜けた神社の境内で、柱の陰に隠れながら遥ちゃんが苦笑する。

「つい調子に乗っちゃったよ……ごめんねみのり、走らせちゃって」
「お祭りを楽しんでいただけだもん、謝らないで遥ちゃん! でも流石に注目集めちゃったね、あはは……」

 射的で取ってもらったウサギのストラップを巾着袋に結びながら、少し前の出来事を思い出す。
 一緒にたこ焼きを分け合ったり、金魚すくいに挑戦したり。
 遊んでいる間に離れた手を、移動する度に繋いでくれる遥ちゃんにドキドキしたり。
 そんな風に二人で屋台を楽しんでいたんだけど────事件は数分前、射的に挑戦していた時に起こりました。

『みのり、欲しい物ある? それ狙ってみるよ』
『いいの? じゃあ、あのウサギのストラップでお願いできますでしょうか!』
『あのストラップね。任せて……って言ってもゲームセンターのガンシューティングくらいしか経験ないから、取れなかったらごめんね』

 謙遜した遥ちゃんの弾は、見事に一発目でウサギのストラップへ命中。
 その後も駄菓子を次々と落としていき、なんと全弾命中! そんな大記録を出したことでご機嫌になった店主さんがカランカランとベルを鳴らして。

『おい、なんか射的で凄い記録出たらしいぞ!』
『ん? あれって桐谷遥じゃね!?』『へー射的も上手なんだ』『浴衣だー! みのりちゃんもいるけど何かの撮影!?』『よく一緒に出掛けるってテレビで言ってたし、今日もプライベートなんじゃない?』『なんにせよレアショットだな!』

 ──なんて風に騒ぎになってしまい、慌ててその場を後にしました。
 人ごみを上手く利用して撒くことはできたけど、わたし達が『シブヤ夏祭り』に来ていた、という目撃証言はあっという間にSNSで拡散されてしまった。景品も結局ストラップ以外は全部屋台に置いてきちゃったし。
 スマホを見下ろしながら渋い顔をする遥ちゃん。

「これは愛莉に怒られるかなぁ……」
「怒られるのはわたしも一緒だよ! 遥ちゃんを一人にはしないよ!」
「みのり……! 心強いよ……!」

 わざとらしい大袈裟なやり取りにどちらからともなく笑いあうと、遥ちゃんは短いため息をついた。

「冗談は置いといて、少しは変装しないとダメそうだね」
「あっ、お面はどうかな? 丁度そこに屋台もあるよ!」
「お面か……顔を隠せるからいいかもしれないけど、逆に目立つリスクも……」
「ペンギンのお面もあるみたい」
「お面の力を信じようか」
「即答……!」

 買ってくるね、と遥ちゃんが屋台へ向かうのを見送る。巾着袋からスマホを取り出して時刻を確認すると、もうすぐ東雲くん達のステージが始まる時間だった。愛莉ちゃん達と合流しなきゃ。
 遥ちゃんとの夏祭りデートもおしまいだ。終わってほしくないのが本音だけど、でもこんなにも幸せなひと時を遥ちゃんと過ごせたんだから、贅沢は言いません。
 巾着袋で揺れるウサギのストラップをつついていると、遥ちゃんが戻ってきた。お花の髪留めを外してペンギンのお面を被ったその姿は────とてつもなく、可愛かった。

「……これは想定してませんでした……!」
「お待たせ……ってどうしたの?」
「さっきまで綺麗二百パーセントの遥ちゃんだったのに、可愛いまで足されてしまったら心の準備が追いつかないよ!!」
「よく分からないけど、ペンギン可愛いよね。みのりはウサギでよかったかな?」
「へ?」

 ついていけなくて目を丸くする。
 遥ちゃんは「仕方ないな」と苦笑すると、不意にわたしの前髪に手を伸ばした。今日もつけていた白とオレンジの四つ葉の髪留めがそっと外されて──代わりに差し出されたのは、ストラップにどこか似ているウサギのお面。

「わ、わたしも?」
「もちろんだよ。みのりもアイドルなんだし……それにSNSで注目されていたの、どちらかというとみのりなんだからね?」

 スマホを掲げる遥ちゃん。

『みのりちゃん髪結んでたよ! 可愛かった~!』
『あーもう可愛すぎてビックリしてる間にみのりちゃん見失っちゃった! でもプライベートだもんね、遥ちゃんとお祭り楽しんでほしいな!』
『流石に写真撮るのは自重したけど、浴衣姿のみのりちゃん生で見れちゃった!』

 ……何も考えずに『桐谷遥』や『遥ちゃん』でパブサしていたので、気付くはずもなかった。射的で注目されたのは遥ちゃんだったし、今日の遥ちゃんの綺麗さの前ならわたしなんて霞んで当然だと思っていたから。
 そんなわたしの頭にウサギのお面が被せられる。

「みのりにはもう少し、自分が可愛いことを自覚してほしいな」
「……遥ちゃんと比べたら、わたしなんて……」
「そんなことない」

 遥ちゃんはほんの少しだけ強い口調で、言った。

「私がドキドキするくらい、みのりは可愛いんだよ」

 ……顔を上げると、遥ちゃんと視線が相まった。
 その蒼玉色の瞳は、熱っぽく揺れていて。
 そこに映るわたしは、顔どころか耳も首も、真っ赤になっていて。

「……はるか、ちゃん……?」
「……みのり……」

 直視できない。耐えられない。顔を伏せようとした瞬間。
 不意に遥ちゃんが肩に触れたかと思えば、わたしはそっと抱き寄せられていた。

「ひゃっ……!?」
「……もう、我慢できないよ」

 耳元で囁かれて頭が真っ白になる。背中に回された手が震えている。わたしを包み込むような優しい抱擁。夜空の星をかき消すほど眩しい夏祭りから身を隠して、神社の柱の陰で、深い蒼色に世界が埋め尽くされる。
 待って。まってください。
 体の奥で発した熱が、加速した心音によって全身にあっという間に広がっていく。
 遥ちゃんの手が少しずつ力を強めていく。
 まるで、わたしが嫌がっていないことを恐る恐る確かめるみたいに。

「……っ」

 嫌じゃない。嫌なんかじゃないよ。
 そう示すように遥ちゃんの肩に手を添えて、体重を預けた。
 半人分の隙間が埋まって、蒼い朝顔と橙色の向日葵が重なって。
 遥ちゃんからはわたあめの甘い香りがした。ギュッと抱き締められて体が痛いくらいなのに、その痛みが嬉しくてしょうがない。聴こえてくるドキドキが二つある。わたしに負けないくらい早い鼓動が、遥ちゃんから響いてくる。

「……みのり、ごめんね」
「……どうして謝るの?」
「だってこんなこと、友達なのに……」
「……わ、たしは、遥ちゃんとなら……っ!」

 反射的に顔を上げたのは間違いだった。
 距離10センチで絡む視線に、全身に電流が走ったみたいな衝撃に襲われる。大きく目を見開く遥ちゃんに頷き返す。そっと体を離されたと思えば、頬に手を添えられて。肌を撫でる指の優しさに泣きそうだった。遥ちゃんの睫毛がふると震えた。
 遥ちゃんなら、いいよ。
 遥ちゃんと、キス、したいよ。
 返事の代わりに目蓋を下ろした。吐息がくちびるにかかった────その時だった。
 ぶー、ぶー。
 わたしの巾着袋が震えて──わたし達は飛び退くように距離を取った。

「ひゃっ!? わわ、電話!?」
「────。違うよ。雫がグループチャットに連続でメッセージを送ってるみたい。もう愛莉と雫もお祭り会場ついたって」

 背中を向けて、慌てて巾着袋からスマホを取り出す。苦笑する遥ちゃんの声は普段通りの柔らかなものに戻っていて……だけどわたしの心臓の鼓動は元に戻る気配がない。
 どうしよう。
 向き合える気がしないよ。
 だってさっきまで、わたしは遥ちゃんに────。

「もうステージ始まりそうだね。急ごうか」
「あ……う、うんっ」

 わたしの手を取って、問答無用で歩き出す遥ちゃん。
 慌ててついていく。下駄がカランカランと木の音を響かせる。柱の陰にいたせいか提灯の朱色の明かりが一層に眩しく見えて、わたしは思わず瞳を細めた。
 それから先、愛莉ちゃん達と合流するまでわたし達は一言も交わさなかった。
 ただ。
 遥ちゃんの右手とわたしの左手は、ほんの一瞬も離れなかった。


   ♪


 無事に愛莉ちゃん達と合流して、野外ステージでの東雲くん達のライブを見届ける。今まで見てきた〝Vivid BAD SQUAD〟のステージとは一味違う、激しいダンスを交えた男子ならではのパワフルな歌に圧倒されつつも元気をもらって。

「ねぇみのりちゃん、遥ちゃん。お祭りのあと花火しない?」

 愛莉ちゃんと雫ちゃんが手にしていたのは、大量のカラフルな袋だった。

「手持ち花火?」
「こんなに沢山どうしたの?」
「プロデューサーから押しつけられたのよ。番組で使う予定だったけど余ってしまって、消費期限の近い安物だからよかったら貰ってくれって」
「しぃちゃん達も誘ったから、あとでみんなで遊びましょう」

 ────というわけで、四人でお祭りをもう一時間ほど楽しんでから、わたし達は雫ちゃんの実家へと移動した。また雫ちゃんと志歩ちゃんのお母さんがバンを出してくれたんだけど、レオニのみんなも浴衣だったので愛莉ちゃん達は「ちょっとうらやましいわね」と車内で苦笑していた。

「見てみていっちゃん! 四本四色〝Leo/need〟花火!」
「わっすごい光! 私はスパーク花火の二刀流だよ!」
「咲希ちゃんも一歌ちゃんも、火傷に気をつけてねー! 雫先輩、花火足りてますか?」
「こっちも沢山あるから大丈夫よ。穂波ちゃんも楽しんでね」
「遥って手持ち花火やったことあるの? 一人っ子でしょ?」
「別に一人っ子でも家族で花火くらいやってたよ。それにASRUNの合宿の夜にもやったなぁ。愛莉の方こそ、姉妹がいるとやっぱり家族でするの?」

 お庭で楽し気なみんなの声が響く。
 八人で花火ができるって考えると改めて広いお家だなぁ……なんて思いながら火の消えた花火をバケツに捨てていると、志歩ちゃんが歩み寄ってきた。

「どうだった、桐谷さんとのデート」

 花火をバケツに放り捨てながら、みんなに聞こえないような小声での問いかけ。

「へっ!? べ、別にどうも──」
「してないワケないよね」

 リアクションでバレバレ、と肩をすくめる志歩ちゃん。相変わらずわたしは分かりやすいみたいだ。

「……志歩ちゃんとこはねちゃんが背中を押してくれたおかげだよ。わたし一人だと、たぶん手を繋ぐだけでいっぱいいっぱいだったもん」
「なら良かった。詳しい報告は教室でよろしくね」
「し、志歩ちゃん!」
「浴衣を手伝ったお代だと思ってよ──っていうと後だしジャンケンか。話したくなければ別にいいから」

 しほちゃーん、と咲希ちゃんに呼ばれて踵を返す志歩ちゃん。まだ左手に残っている熱のことを思うと、こはねちゃんも交えた暴露大会からは逃れられなさそうだ。
 その背中を見送っていると、入れ替わるように歩み寄ってきたのは遥ちゃんだった。両手に握られているのは──

「みのり。向こうで線香花火しない?」


 みんなから少し距離を取って縁側へ。
 線香花火を一本手に取った遥ちゃんは、ロウソクを石段に置くと花火が煌めいている庭の方に目を向けた。愛莉ちゃんと咲希ちゃんが花火文字に挑戦しているみたいだ。
 全然うまく書けないー! という咲希ちゃんの悲鳴に笑い声が上がる。
 くすっと肩を揺らした遥ちゃんは、わたしにも一本の線香花火をくれた。

「みのりやみんなと一緒に浴衣で花火ができるなんて思いもしなかったな」
「えへへ、今日は夏を満喫! って感じだね」
「本当だね。お祭りも堪能したし、東雲くん達のステージも凄かったし……たったひと晩の出来事なんだよね」

 ろうそくの傍にしゃがみながら目を細める遥ちゃん。おいで、と手招きされてすぐ隣にしゃがみこんで、せーので線香花火に火をつける。
 ぱちぱち、ぱちぱち。
 暗がりの中で二つの小さな火花が静かに瞬き始めた。

「遥ちゃん、射的上手で格好良かったなぁ」
「あれは流石に出来すぎたよ。それにヨーヨー釣りはみのりの方が上手だったじゃない」
「あんまりカッコよくはないけどね」
「三つも釣れたんだし、持って帰ればよかったのに」
「あはは、高校三年生になってヨーヨー三つ持って歩くのは流石に恥ずかしいよ」
「ふふっ、それもそっか。でも、うん。……楽しかったなぁ」

 ゆるりと表情を緩める遥ちゃんの瞳が、花火の光を反射して輝く。
 線香を昇りながら弾ける火の玉が、わたし達の間にある空気を熱していく。

 かき氷、美味しかったね。
 型抜きを成功したの、初めてかも。
 金魚すくいのリベンジ、来年しないとね。
 ラムネ、今度は四人で飲みたいな。

 ゆるりゆるりと交わされる言葉は、普段通りのわたし達だった。
 きっとお祭りだったから、普段より少し気分が浮ついていただけ。
 ぱちぱち、ぱちぱち。
 二つの線香花火が消えたらまた、わたし達は元に戻る。そんな予感がした。
 大切な仲間。大事な友達。
 そんな関係に。

「……今日、みのりと一緒に行けてよかったな」

 ぽたり。
 先に消えたのは遥ちゃんの線香花火だった。地面に落ちた橙色の火の玉はまるで夜の暗闇に吸い込まれるみたいに、一瞬で輝きを失ってしまう。

「……みのりと一緒だとね、肩の力が簡単に抜けるの。いつも雫や愛莉に頑張りすぎていないか心配かけちゃうけど、みのりが隣にいてくれれば大丈夫なんだ」

 そっと身を寄せてくる遥ちゃん。
 風が線香花火を消してしまわないように。そんな言い訳をしながら。

「いつもよりたくさん笑えるし、いつもより心が柔らかくなっているのが分かる。ありのままの〝桐谷遥わたし〟でいられるような、そんな感覚」

 わからないよね、と苦笑する遥ちゃん。
 わかるよ、とすぐに返した。

「……だってわたしも、遥ちゃんがいるから〝花里みのりわたし〟でいられるんだよ」

 まだまだ花火は沢山あるのに、たった一つの火の玉を二人で見つめる。
 ぱちぱち、ぱちぱち。
 暗闇を眩しく照らしてくれる、オレンジ色の輝き。

「一緒にいるとドキドキーって胸の奥が高鳴って、頬っぺたが熱くなって、呼吸がうまくできなくなることもあるけど……このドキドキが〝わたし〟なんだ。遥ちゃんから貰った言葉が心(ここ)にある。初めてテレビで見たあの日から、遥ちゃんが好きで、遥ちゃんにドキドキするわたしが〝わたし〟になったんだよ」
「……そうなんだ」
「うん。そうなの」

 遥ちゃんはあまり動じていなかった。
 今までたくさん〝好き〟って伝えてきたおかげかな。
 でもね、遥ちゃん。
 わたしの〝好き〟は、遥ちゃんの思う〝好き〟とは全然違うんだ。
 あなたを見るだけでドキドキする。あなたと手を繋ぐと緊張する。あなたに抱きしめられれば頭が真っ白になる。それなのに、もっと触れ合いたいと強く強く祈っている。

 わたしの中にある〝好き〟は、そういう〝好き〟なんだよ。
 もう誤魔化しきれないほどに、あなたのことが〝好き〟なんだよ。
 ぱちぱち、ぱちぱち。
 線香花火が眩しかったから、わたしはそっと瞼を閉じた。

「遥ちゃん、大好き」

 ぽたり、と。
 わたしの線香花火も地面に落ちて。

「私も好きだよ、みのりのこと」

 そうして、柔らかな感触がわたしのくちびるに重なった。

 ────。
 立ち上がった遥ちゃんは、ろうそくを持ってみんなの方に戻っていく。
 わたしは、とっくに灰になった火の玉から視線を動かせなかった。
 今更のように足が痛みを訴えてきた。履き慣れていない下駄で擦れた親指の付け根が痛い。涙が溢れる理由はそうなんだと自分に言い聞かせる。

 夢じゃない。
 だってこんなにも足が痛い。
 こんなにも、頬っぺたが熱い。
 ああ、きっと、たとえアイドル失格だと言われても、わたしはこの想いを一生捨てられない。そんな確信があった。
 好き。好きだよ。
 遥ちゃん、大好き。

 結局この日の夜、わたし達がこれ以上言葉を交わすことはなかった。
 高校三年生の夏は、そんな風に始まった。


あきかぜとともに


 夏服から冬服への移行期間が待ち遠しい。
 九月下旬……珍しく残暑があっという間に過ぎ去ってしまい、気の早い秋風に晒される屋上で単行本を広げながら、そんなことを思う。
 ここで本を読むのも久しぶりだ。みのりと、愛莉と、雫と一緒にアイドルを目指す場所だったから。先輩二人が卒業してからレッスンや配信で使うことはなくなったけど、この屋上が私にとって特別な場所というのは変わりない。

 給水塔に背中を預けて、ぱら、とページをめくる。
 読んでいるのは、私としては珍しい少女漫画だった。訳あってここ最近はずっと恋愛小説や少女漫画を読んでいるんだけど……うん。今日も全然身に入らない。

「どうしたんだろう、私」

 漫画をパタンと閉じる。
 どうしたんだろう、なんて聞くまでもない。
 そっと唇を人差し指で撫でてみれば、もう二ヶ月も前の夏祭りの記憶が蘇ってきた。

『遥ちゃん、大好き』

 突然囁かれたみのりの言葉。
 今までとは違う〝好き〟だと、なんとなく、そう感じて。
 積み重なっていた想いをそれ以上、抑え込むことができなくて。
 私はみのりにキスをした。

 ……散々我慢していたはずなのに、耐えられなかった。
 可愛くて綺麗な浴衣姿。自分から恋人繋ぎをしてくれたいじらしさ。屋台でコロコロと変わる表情。抱きしめた時の体温と、揺れる瞳の奥に灯っていた熱。いつも可愛いみのりだけど、あの日は見るもの全てが輝いて見えて。
 私にだって限界はある。いくら完璧な国民的アイドルだって一人の人間。
 それでも。
 私は国民的アイドル。
 恋愛禁止のアイドルだった。

「……、」

 また少女漫画を開く。主人公の女の子が自分の小指を見つめながら、〝運命の赤い糸〟が想い人と繋がっていることを祈る場面だった。彼女のきらきらと輝く瞳を、みのりが私に向けてくれる瞳と似ていると思うのは驕りなのかな。
 小指を立ててみる。
 もちろん、実際には何もついていないけど。

 もしも本当に〝運命の赤い糸〟なんてものがあるのなら。
 その先にいるのは、あなたがいい。

 …………なんて風に脱線していく思考に苦笑しながら、今日はもうダメだと少女漫画を閉じた。少女漫画を読んでも、恋愛小説を読んでも最近はすぐにこうなってしまう。脳裏に思い浮かぶのはお日様のような笑顔と、オレンジ色の煌めき。
 なかなか読み終えることのできない単行本を持て余して、苦笑を零した時だった。

「──遥ちゃん!」

 ガチャ、と扉を勢いよく開いて、夏服を纏ったみのりが屋上に駆け込んでくる。
 みのりの夏服姿を見れるのもあと少しだけなんだ、なんて雑念を抱きながら漫画をスクールバッグにしまった。

「みのり、委員会の仕事は終わった?」
「うん! 待っててくれてありがとね、遥ちゃん!」
「いつものことだから気にしないで。それじゃあスタジオ行こうか」
「はーい!」

 スマホを鳴らしてくれれば私が下に行くのに、と思いつつも口にはしない。
 なんでもみのりは、私が待っている屋上まで迎えに行くのが好きなんだとか。私と同じくこの場所を特別に想っているのかもしれなかった。

「遥ちゃん、さっきまで読んでたのってわたしが貸した漫画?」
「うん、まだ三巻に入ったところだけど結構面白いね。ドラマ見ておけばよかったな」
「ドラマをやってたのはASRUNで一番忙しかった頃だもん、仕方ないよ! あ、でも配信サイトで全話見れるはずだよ!」
「そうなんだ。漫画を読み終わったらチェックしようかな」
「ドラマも面白かったよ、わたしが保証します! ……と、ところでなんですけど、遥ちゃんは誰が好みかな?」
「好み? あまり考えずに読んでいたからなぁ……主人公の華が一番好きかも」
「あれ? 男の子じゃなくて?」
「うん。華って何にでも一生懸命だから、つい応援したくなっちゃうんだよね。男の子の中だと……相原君かな。面倒見の良さが愛莉に似てるよね」
「あはは、わたしも読み返した時に思っちゃった。世話焼きさんだよね」
「そういうみのりは誰が好き? 三巻でもう登場してる?」
「うっ……」
「みのり? ……もしかして、私に一方的に聞いて自分は言わないつもりだった?」
「いっ、言います! 言いますけど五巻で登場する新キャラなので、遥ちゃんが辿り着いたら教えますね!」
「じゃあ今日のレッスンが終わったら急いで読むね」
「急がなくて大丈夫だから! マイペースにゆっくり楽しんでください!」
「ふふっ、はーい」

 ────ごくごく普通の、いつも通りの会話をしながら階段を降りていく。
 あの夜を思えば、どれだけ歪な状態かと笑ってしまう。
 だけど私たちは、あの甘くむず痒い夜から目を逸らして、普通の日常を送っていた。

 別に二人で話し合ったワケじゃない。
 サマーライブも迫っていたし、お互いにそうせざるを得なかっただけ。
 私たちはアイドルだから。
 二人の間にあるのは、一度埋まったはずの半人分の距離。もう手を繋ぐこともない。
 私は、あの日のみのりとのキスを無かったことにしていた。


 スタジオに到着した私とみのりは、ひとまず制服から練習着に着替えて大学生組の到着を待っていた。愛莉たちの大学進学に合わせて通年で借りたレッスンルームで、いつでも気兼ねなく使うことができる新しいモモジャンの練習場所だ。
 歌もダンスもトークも、今はここで研鑽している。
 スピーカーとスマホを繋いで曲の準備をしていると、鏡の前にかかっているカーテンを開きながらみのりが嬉しそうに言った。

「来週には遥ちゃんのバースデー配信だね! この前企画会議したばっかりなのにあっという間だなぁ」
「私は少し待ち遠しかったよ。やっとみんなと同い年になれるし」
「えへへ、二ヶ月だけだけど全員十八歳になるんだよね。今年もいーっぱいお祝いするから楽しみにしててね!」
「お礼は当日まで取っておくね。楽しみにしてる」

 毎年モモジャンのみんなは全力でお祝いしてくれるし、私も全力でお祝いする。活動三年目でもユニットの絆は強固なままだ。

「でも、流石の私も今回のバースデー配信は少し緊張してるんだ」

 私はスマホをたぷたぷと操作して、とある曲を再生し始めた。
 私たちにとって想い入れの深い、初めてセカイへ行った日にミクとリンが歌っていた歌。何度もカバーさせてもらった『ハッピーシンセサイザ』だ。
 その曲を聴きながら苦笑を零せば、みのりはグッと両手でガッツポーズを作った。

「新企画のトップバッターだもんね! 頑張ろうね遥ちゃん!」
「そうだね。頑張ろう」

 私も拳を握ってみせれば、みのりはニカッと眩しい笑みを咲かせた。

 事の発端は二週間前──モモジャンの動画チャンネルでバースデー配信の告知をした日まで遡る。

『遥のバースデー配信をするのはいいんだけど、毎年お祝いしてライブしてトークコーナーをやって~って流れだから流石にマンネリ化してきたのよねぇ』
『愛莉、配信中にぶっちゃけすぎだよ──っていうのは冗談だから安心してね』
『今年はファンのみんなに知恵を貸してほしいのよ』
『遥ちゃんの誕生日からわたしの誕生日まで、この一年はそれぞれのバースデー配信でやってほしい企画を募集しまーす!』
『例えば雫の誕生日だったら「雫の刺繍するところを見せてほしい」とか、みのりの誕生日なら「サーモン料理に挑戦してほしい」とかかしらね』
『良さそうな企画があれば積極的に採用していくから、気兼ねなくコメントやツイートしてもらえると助かるわ』

 そんな経緯で募集を始めたところ、ファンを中心に沢山の案が上がってきた。
 精査していく中で私への要望で面白かったのが……。

「ファン投票で選ばれた曲をペアで歌う、か」

 たまには企画系ではなく歌唱力でファンに応えてもいいかもしれない。そんな経緯で企画が採用され、私と雫、私と愛莉、そして私とみのりの三ペアそれぞれに歌ってほしい曲をファンに投票してもらった。
 そうして、みのりとの曲として選ばれたのが『ハッピーシンセサイザ』だった。

 機材や部屋の準備が終わる頃には上級生組──愛莉と雫も到着したので、アップをしてからレッスンを始めた。
 一通り基礎トレーニングを終えて、今日はそんなバースデー配信で披露する予定のダンスと歌を撮影することになった。現時点での完成度を確かめて、残り一週間でどう詰めるかを検討するためだ。

「まずは遥とみのりの『ハッピーシンセサイザ』から行きましょうか」

 スマホをスタンドに立てた愛莉に促され、レッスン室の中央でみのりと並ぶ。
 カウントに合わせて流れ始めるイントロ。配信で歌うのでカメラは固定、その分だけダンスできる範囲は狭い。みのりとの間合いわずか一メートルで腕を振り、体を弾ませ、横並びでステップを刻んでいく。最初は何度もぶつかってしまったけれど、練習の甲斐あってダンスは息ぴったり揃っていた。
 背後でキュッと響くダンスシューズ。目を向けなくても、今みのりが何をしているのか感じ取れる。

「──♪」
「────♪♪」

 そうして息を吸い、柔らかな声を意識しながら歌詞を紡ぐ。
 二人で螺旋を描くように交互に掛け合い、歌声を折り重ねる。サビで伸びやかに響いていくみのりの高音。私の歌でしっかりと支えなきゃいけないのに……喉の奥から響いたのは、感情の乗っていない棒読みだった。
 ただ音符(ノーツ)を並べただけのボーカロイド。
 あるいは抑揚のないロボットのようで。

「……、」
「……っ」

 ダンスに問題ないからこそ、歌の歪さが目立っている。
 聴いている雫と愛莉が表情を硬くするのがわかった。国民的アイドルとしての経験値のおかげで〝それっぽい歌〟に誤魔化せている。だけどこの音では、こんな建て前を並べたような歌声では、誰の心にも届かないのは明白だった。
 3分53秒の歌が終着点にたどり着く。
 私が息を整えるのもそこそこに謝罪を口にしようとすると、雫に「謝らないで」と機先されてしまった。

「……遥ちゃん、やっぱり調子悪い?」
「雫の言う通り、遥らしくない歌い方だったわ。……既存曲をカバーし直すだけだから大丈夫かと思ってたけど、三曲歌うのは負担だったかしら?」
「そんなことないよ。ただ……」

 横目でパートナーを伺うと、肩で息をするみのりも私を不安そうに見つめていた。
 私はアイドルでありパフォーマーだ。こんな状態ではファンに希望を届けることができない。中途半端な歌は他でもない私自身が許せない。
 だけど打開策が見えていないのも事実。
 なりふり構っている場合じゃなさそうだ。

「……あと一週間のうちに何とかするよ。だけど、愛莉、雫。あとで少し相談に乗ってもらえないかな?」
「相談に乗るのは勿論いいけど、無理すんじゃないわよ?」
「ええ。私にできることがあれば何でもするから」

 心強い仲間に「ありがとう」と頭を下げる。

「遥ちゃん! わたしにも出来ることがあったら言ってね!」
「──なんて人のこと言ってる場合じゃないわよ。みのりの方も、遥の調子が変だから目立ってないだけで、時々何かに迷うみたいに声が小さくなってる」
「うっ」
「そうね。普段のみのりちゃんならもっと大きな声で歌えているはずよ。今回はステージじゃないけれど、配信でもちゃんと声を出せるといいと思うの」
「き、基礎的な部分だよね! 精進します!」
「精神論はこんなところね。次はタイミングとか声量の話に移るけど──」

 愛莉と雫の講評はライブ一週間前と思うと結構な酷評で、私とみのりはズタズタに身を引き裂かれるような思いで全てを受け止めた。


 そうしてレッスンを終えた帰り。
 仲間外れにするようで申し訳なかったけど、みのりには先に帰ってもらって愛莉、雫と三人でファミレスに訪れていた。
 ちなみに当の本人は「わたしも今日の反省点をまとめておきます!」と気にした様子なくガッツポーズ。いつでも前向きに頑張る私たちのアイドルに元気を貰う。
 料理が揃った頃合いを見計らって、私は悩みを口にした。

「────恋愛ソングの歌い方がわからない?」
「うん。こんなことを愛莉と雫に言っても仕方ないとは思うんだけど……恋愛ソングをどう歌えばいいのか、分からなくなっちゃったんだ」
「あら……遥ちゃんでもそんな事あるのね」

 頬に手を添えた雫の隣で、愛莉が小さくため息をつく。

「なんだ、遥が相談って言うからついに……」
「ついに?」
「……何でもないわ。道理で感情の乗ってない歌声だと思った」

 誤魔化すように苦笑した愛莉は、オブラート無しの鋭い感想をぶつけてきた。実際その通りなので返す言葉もない。

「遥ちゃん、いつ頃からなの?」
「自覚したのはつい先週。みのりと一緒にカラオケで『ハッピーシンセサイザ』の練習をしていたんだけど、他の曲と歌声が違う気がするってみのりに言われてさ。その時にはもう、今までどう歌っていたかを思い出せなくて」
「それから修正しようと試行錯誤したけど、直らず今日に至る──ってとこかしら」

 台詞を奪った愛莉に首肯を返す。
 これが最近恋愛小説や少女漫画を読んでいた理由だ。キラキラした恋心をイメージする助けになるかと思ったんだけど、成果はお察しの通り。
 私はドリンクバーで作った紅茶を口にして、

「二人に聞きたいんだけど、恋愛ソングってどう歌ってる?」
「ええと……なんだか難しい質問ね」
「ごめんね雫、私も手探りなんだ。恋って──したことないし」
「へ?」「あら?」

 白々しく言ってみる。
 すると一瞬キョトンとした愛莉と雫は、揃って苦笑した。

「──ふふっ、そりゃそうよね。わたし達はアイドル」
「ええ。恋愛はご法度だものね」
「冷静に考えると変な話よね。アイドルは恋愛禁止だけど、アイドルが恋愛をテーマにした歌を歌っているって」
「私たちはカバーさせてもらうことも多いけど、遥ちゃんの歌だと『ハッピーシンセサイザ』に『心予報』に『地球最後の告白を』……」
「愛莉とみのりはタイトルの時点で『恋愛裁判』か」

 オリジナル曲は応援ソングやザ・アイドルソングの割合が多いけど、カバーでは躊躇いなく恋愛ソングも歌ってきた。ASRUNだった頃の持ち歌にも恋愛ソングがあったし、里帆と協力して作ったこともある。
 思春期の子達の共感を呼んで。
 恋するファンに勇気を与える。
 私たちアイドルにとって、恋愛は切っても切り離せない存在だった。

「よくある考え方だと、恋心を好きな物への想いに置き換えてみるってやつよね」

 先に答えたのは愛莉だった。

「わたしも猫への想いを恋に見立てたりするわ。手が届かない片想いってのも込みで置き換えやすいから」
「そっか。愛莉猫アレルギーだもんね」
「そうそう。絶対に儚く散る片想いなのよーなんてね。雫はどう?」
「私も愛莉ちゃんと同じかも。小鳥さんとか、しぃちゃんとか……あとは愛莉ちゃんにみのりちゃん、遥ちゃんのことも思い浮かべるわ」
「えっ?」「わ、わたし達?」

 勿論ラブではないのだけれど、と雫はゆるりと眦を下げた。

「恋とは違うかもしれないけど、私にとっては愛莉ちゃんもみのりちゃんも、もちろん遥ちゃんも大切な存在だもの。一緒にいると心が温かくなるし、一緒にいないときは今何してるんだろうって思う。なんだかラブソングの歌詞みたいでしょう?」
「「…………」」

 思わず愛莉と顔を見合わせる。

「あ、あら? 変なこと言っちゃったかしら?」
「いやアンタ、よくそんな恥ずかしいこと笑顔で言えるわね」
「でも、雫らしくていいと思うな」

 照れくささを誤魔化すように、パスタをフォークでくるくると巻く愛莉。

「漫画やドラマの言葉を借りちゃうけど──毎日料理を作ってあげたい。遊園地に遊びに行きたい。隣にいたい。キスやハグをしたい。憧憬。羨望。執着。嫉妬。あるいは遠くから眺めていれば満足でも、その想いを恋って呼ぶ人もいる」
「……恋の定義って結構人それぞれだよね」
「『ガチ恋勢』なんて言葉もあるくらいだしね。だけどその全てが〝好き〟という感情であることは間違いない。……今までここまで真剣に考えたことはなかったけど、わたし達が歌っているのって、こんなにも曖昧なのに誰もが大切にしてしまう〝好き〟なのよね」

 大きな一口でパスタを頬張る愛莉。
 その台詞を引き継ぐように、雫がフワッと微笑んだ。

「遥ちゃんの中にも〝好き〟っていう気持ちはあると思うの。それは恋ではないかもしれない。友情や親愛かもしれないけど、一度、自分の中にある〝好き〟を見つめ直して、考え直してみるといいんじゃないかしら」
「むぐむぐ……そうね。幸い、アンタにはペンギンとかいるわけだし」

『とか』を妙に強調しながらニヤッと口角をつり上げた愛莉は、そのまま続けた。

「恋愛ソングを通じて、自分の〝好き〟を通じて、何をファンに届けたいのか。
 じっくり考えてみなさいよ。アンタが答えを出すまでわたし達は待っているから」

 私の〝好き〟を通じて。
 その一言が、妙に印象強く心に刻み込まれた気がした。

「……ありがとう二人とも。参考になったよ」
「結局根本の解決には繋がらなくて申し訳ないけど……わたし達でよければ、いくらでもサンドバックになるわ」
「ええ。電話でも食事でも大丈夫だから、いつでも頼ってね」

 もう一度「ありがと」と告げると、愛莉と雫は優しく瞳を細めた。そこでようやく、普段は対等な関係である二人がお姉ちゃんとして接してくれていたことに気付いて……少しだけ、恥ずかしかった。


   ♪


 家に帰って夜練習とストレッチをして、明日の番組の台本に目を通して。
 そんなルーティンワークを終えれば夜の十一時。眠気が私の身体を重くしていく中、ベッドに腰掛けてみのりから借りた少女漫画を読み進める。
 主人公の華は幼馴染に片想いしている。だけど幼馴染の彼は華のことを『友達』だと定義していて、故に恋愛感情は届かない。なにせ華の告白が盛大に空振りするシーンで始まる物語だ。
 それでもお弁当を作ってあげたり、お洒落をして映画を見に行ったり。
 三振しても一生懸命にアピールする姿勢に元気を貰える。

 キラキラと眩しい恋。
 真っ直ぐな〝好き〟を原動力にして、何度空振りしても諦めない華。

 みのりに『好きな登場人物』を聞かれて男性キャラではなく真っ先に華が思い浮かんだのは、無意識のうちに自分や大切な仲間達を重ねていたからだと思う。
 どんな壁が立ちはだかっても跳び越えていこうとする、そんな姿勢に。

「……、」

 パタンと単行本を閉じる。
 私もいい加減向き合わないとね──目の前に立ちはだかっている壁に。

「……私の中の〝好き〟を通じて、か」

 例えば、愛莉。
 出会ったばかりの頃は苦労人の先輩だと思っていたけど、番組でのトーク力や完璧な事前調査といった『ファンを楽しませる姿勢』は尊敬していた。共に活動する中で芯の強さや意志の硬さ、面倒見の良い気質に心惹かれて〝好き〟になった。

 例えば、雫。
 凄まじい努力をしながら〝Cheerful*Days〟のセンターとしてファンに応える、立派なアイドルだという第一印象。出会ってからも心の真っ直ぐさは眩しいままだったし、みんなを和ませる天然な部分や周囲を気にかける優しさも〝好き〟になった。

 例えば、杏の『伝説の夜』を越えるために努力を惜しまない一途さが好き。
 例えば、鳳さんの周囲の人たちに笑顔になってほしいという純心さが好き。
 例えば、星乃さんや天馬さんの学友として寄り添ってくれる在り方が好き。
 例えば、私たちに何度も力を貸してくれる早川さんの性善が好き。
 例えば、自らの両足で新たな道を進んでいく真依の強かさが好き。
 例えば、みのりの────……。

「…………我ながら、これは……」

 一瞬で熱くなる頬に苦笑する。
 ひょっとして好きじゃない部分を上げる方が難しいかも、と思ってしまった。

 もっともっと頑張るよという口癖が好き。人一倍ダンスのレッスンに励む頑張り屋なところが好き。ブロッコリーを前にすると顔をしかめちゃうのが好き。サモちゃんや弟くんと接する時の意外としっかりした姿が好き。愛莉に無茶ぶりされて目を回す姿も好き。雫とお喋りしている時のほんわかした雰囲気も好き。
 アイドルについて語り出すとキラキラ輝く瞳が好き。
 私が顔を近づけるだけで鮮やかに色づく頬が好き。
 身長差のせいだと分かっていても、上目遣いの視線が好き。
 風に揺れる栗色の髪が好き。
 繋いだ手の熱さが好き。
 抱きしめてしまった時に、ドキドキと高鳴った鼓動さえも好き。

 遥ちゃん、と。
 愛おしそうに名前を転がしてくれる声が、大好き。

「……重傷だなぁ」

 自嘲的に笑い、ベッドにごろんと寝転がった。
 そっと胸に手を添える。
 とくん、とくんと優しい鼓動が響いている。

 恋をしたことがないなんて、あまりにも白々しい嘘。
 この感情が恋じゃないのなら、一体何を恋だと呼ぶんだろう。
 一緒に遊びに行きたい。隣にいたい。キスやハグをしたい。
 そんな相手、花里みのりしか思い浮かばない。

 くちびるに人差し指を触れさせれば、すぐにあの夜が蘇ってくる。
 脳裏に焼き付いて離れない。衝動的に抱き締めてしまった時の熱い体温も、想像よりずっと華奢で折れてしまいそうな細い身体も、私とならいいよと囁いてくれた声も。未遂で終わって安堵していたつもりが、結局してしまったキスも。
 受け入れてくれたことを、心の底から嬉しいと思ってしまった。

 私の正真正銘、初めての恋。
 好きだよ。
 大好きだよ、みのり。
 私の中にある一番大きな〝好き〟は、いつの間にかみのりになっていたんだよ。

『それから……それから……!』

 でも。
 だけど。
 だからこそ。

『────遥ちゃんはわたしに、アイドルになるっていう夢をくれたよ!』

 私は。
 私に手を差し伸べてくれたアイドル・花里みのりも、大好きで。

『わたし、アイドルとしてはまだまだだし、遥ちゃん達の足を引っ張っちゃうかもしれない。みんなに心配かけちゃうかもしれない……。でも……! こんなわたしでも、ちゃんと踊りきれたよ! みんなと一緒に前へ進めたよ!
 だから大丈夫! あなたも、絶対にできるよ!
 これからもわたしと──わたし達と一緒に、がんばっていこう!』

 ファンに希望を届けるアイドル・花里みのりが、大好きだ。

 高音まで綺麗に響く歌声が好き。
 本番前、不安をぐっと堪えて心を落ち着ける横顔が好き。
 指先まで気を遣った丁寧で大きなダンスが好き。
 どんな困難が立ちはだかっても、諦めずに立ち向かえる心が好き。
 ファンの声援を受けて、パッと咲かせる笑顔が好き。

 みのりの全てが〝好き〟だからこそ────私は、枕をギュッと抱きしめた。

「……やっぱり、私には無理だよ」

 あなたに恋をした私も、私が恋をしているあなたも。
 二人とも、恋愛禁止のアイドルだもの。
 みのりの夢を邪魔できない。

 ────桐谷遥のようなアイドルになりたい。
 ────ファンに希望を届けるアイドルになりたい。

 みのりのそんな〝想い〟があったから、私も愛莉も雫もステージに戻ることができた。
 私たちの恩人であり、大切な人であるあなたと四人で夢を見たい。
 ユニットの絆は何があっても切れないほど固く、硬く結ばれて。
 四つ葉になったクローバーを穢すことは、他でもない私が許せない。

 もし私とみのりが交際したことで、炎上してしまったら。
 もしみのりがステージに立てないほどの傷を負ってしまったら。
 そんなたらればが脳裏をよぎる度に、心がズタズタに引き裂かれる。

 あの子を私のような目に合わせたくない。
 もう二度と真依の時のような失敗は繰り返したくない。
 自分で自分が許せなくて、自己矛盾に全身がバラバラになりそうで。
 あの夏の夜を恋心ごと封じ込めて。
 無かったことにしようとした。

「ああ、そっか」

 私は自嘲的に笑いながら、真っ白な電灯を見上げた。

「だから上手く歌えなかったんだ」

 私の中にあった一番大きな〝好き〟を無かったことにしたんだから、恋愛ソングを歌えなくなって当然だ。
 私にとってこの〝好き〟は、失ってはいけない〝想い〟だったんだ。
 この自己矛盾を解決する方法は一つ。

 この恋を無かった事にはしない。
 だけど絶対に、みのりへは伝えない。
 いつか想いが風化するその時まで、一人で抱え続ける。

「……それはきっと、辛いよね」

 スマホを手に取って画面を点灯させる。
 誕生日配信まであと一週間。
 迷っている時間も悩んでいる猶予も、もう多くは残されていない。
 やるしかないか、と苦笑を零した時だった。

『遥ちゃん! わたしにも出来ることがあったら言ってね!』

 脳裏に思い浮かんだのは────みのりの声だった。
 スマホをたぷたぷと操作する。開いたのは他愛ないやり取りが続くみのりとのトーク画面。スクロールすれば沢山のスタンプが流れていく。
 一つ一つのやり取りが心を暖かくしていく。
 ……みのりの声が、聞きたいな。
 もう遅い時間だ。出ないかもしれない。……出なくてもいいんだ。
 もし、万が一応答してくれたら、今夜だけは許してほしい。今夜で全部諦めるから。そんな一心で通話ボタンに指を──

「……え?」

 突然震え出すスマートフォンに思わず声を上げる。
 画面に表示されたのは『花里みのり』の五文字。みのりからの電話だった。

「……も、もしもし? みのり?」

 応答ボタンを親指でタップし、恐る恐る呼び掛ける。

『あっ遥ちゃん! ごめんね、こんな夜遅くに! 寝るところだったかな……?』
「ううん、大丈夫だよ。私も──かけようとしていたから」

 ……ああ、もう。
 とくんと胸の奥で鼓動が響く。こんな偶然あっていいの?
 この一週間ずっと練習していた『ハッピーシンセサイザ』の歌詞をなぞるようなやり取りに、私は笑うのを我慢できなかった。

「ふ、ふふっ! あははっ!」
『えへへ……ねぇ遥ちゃん、冗談……だよね?』
「ううん、本当だよ。丁度みのりの声が聞きたいなって思ったの」

 心の裏側をくすぐられるような、甘くてむず痒い感覚。
 歌詞が私の感情に輪郭を与えていく。
 私とみのりが惹かれ合っていることを証明してしまう。

「それでみのり、何か急用だったかな?」
『あ、えっとね……遥ちゃん「ハッピーシンセサイザ」でずっと煮詰まってるでしょ? もし迷惑じゃなかったら、相談に乗らせてください!』

 彼女もテンパっていることが分かる、ちょっと不思議な日本語。
 それさえも愛おしく感じられる。

『わたしも愛莉ちゃん達に指摘されていたし、遥ちゃんの力になろうなんて烏滸がましいかもしれないけど! でも仲間だもん、少しでもお話できたら楽になるかもと思ったら、居ても立っても居られなくて……!』
「──ありがとう。それじゃあ少し話し相手になってもらってもいいかな?」
『! うん!』

 今、直接目の前にいるわけじゃない。ずっと遠くにいるはずなのに。
 小指に、あなたと繋がっている赤い糸が見えた気がした。


   ♪


 私の〝好き〟を通じて、ファンへ届けたい〝想い〟ができた。

 私の初恋は儚く散るものだった。
 大人になって、アイドルを引退して、みのりが誰かと結ばれて。
 何もかもが手遅れになったその後で「実は高校生の頃、みのりの事が好きだったんだ」と笑い話にするような、そんな恋。

 だけど──この〝好き〟はとても素敵なものだったんだ。
 みのりと過ごす日々は全てが輝いて見えた。
 本当に楽しくて、嬉しくて、照れるようなこともあったけど──素敵な恋だった。
 私みたいに、つまらない建て前を飾って諦める子もいるかもしれない。
 恋し続けると、嫌なことも沢山あるかもしれない。

 だけど、貴方はその恋を諦めないで。
 私がその建て前も嫌なことも全部、この歌で消し去ってあげるから。

 勇気を出して踏み出してみて。強がらないで素直に伝えてみて。
 ちょっと照れるような、文字にすれば二文字で済む、単純だけど大切な気持ち。
 貴方の〝好き〟を、私に応援させてほしいんだ。


   ♪


「────秋だなぁ」

 そうして、私の誕生日配信は無事に大成功で終わった。
 スタジオの後片付けも終わって、今は斎藤さん達イベント会社の方々と打ち上げも兼ねた立食パーティーに来ていた。普段から懇意にしてもらっているから、と私のプライベートな誕生日祝いまでイベント会社の社長さんが企画してくれたのだ。
 バルコニーから覗くのは少しずつ葉を落とし始めた木々。涼しい風が私の前髪をさらっていく。本当に、あっという間に秋が来てしまった。

「なーに主役が黄昏てんのよ」
「愛莉」

 月の見下ろすそんなバルコニーでぼうっとしていた私のもとに、苦笑しながら愛莉がやってくる。食べる? とフォークで差し出されたブロッコリーを口に含んだ。

「まさか本当に一週間で解決して、あんな歌を披露されるとは思わなかったわ」
「むぐ……『ハッピーシンセサイザ』のこと?」
「だけじゃないわ。わたしとの歌も、雫とのデュエットも歌声が進化していた。直接心に音が響いて……まさにアンタの〝想い〟を受け取った感覚。一緒に歌っているわたし達でさえこうだったんだもの。配信のコメント欄が微動だにしなくなるのも道理よね」
「あはは、放送事故かと焦ったけどね……」

 コメントを管理していた斎藤さんによると、私とみのりの『ハッピーシンセサイザ』はファンがコメントするのを忘れるほどに素晴らしかったらしい。四十五秒間もコメントが流れないのは、モモジャンの配信で初めてのことだった。
 私の〝想い〟がファンのみんなに届いたのなら。
 それ以上に嬉しい事はない。
 愛莉はお皿の上の料理をもぐもぐと食べ進める。私はそれを眺めながら秋風に吹かれていた。

「遥、いいのね? その答えで」
「──いいんだよ。この答えで」
「……ほんとアンタって、どこまでもアイドルよね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」

 肩をすくめた愛莉は雫の手招きを受けて、料理の並ぶ方へと去っていった。
 やっぱり愛莉には色々と気づかれていたんだなぁ。この分だと雫も事情を察していそうだ。その上で見守っていてくれた二人に心の中で感謝を告げる。
 すると、入れ替わるようにみのりが駆け寄ってきた。

「遥ちゃん、楽しんでる?」
「楽しんでるよ。配信でお祝いされてパーティーまで開いてもらって、少しお腹いっぱいだから休憩中なんだ」
「そ、そっか。休憩中でしたか……今日はお疲れ様!」
「ありがと。でも休憩は終わりにして、そろそろ誕生日の主役に戻ろうかな?」
「あっ」

 みのりがサッと両手を後ろに回すのが見えていたのだ。頬を赤くするみのりに苦笑しながら、私は寄りかかっていた壁から体を起こした。

「もしかしてプレゼント?」
「う、うん。配信でモモジャンの三人からってプレゼントしたけど、わたしからも送りたくて……十八歳の誕生日おめでとう、遥ちゃん!」

 可愛くラッピングされた袋を差し出される。
 開けていい? と問いかけるとコクリと頷くみのり。リボンを解いた中身は、

「手袋?」
「去年使ってたの、三月に『ボロボロになってきた』って言ってたでしょ?」
「そういえば……。そんな前のこと覚えていてくれたんだ」
「えへへ、遥ちゃんのことなら何でも覚えてるよ。誰よりも遥ちゃんに詳しくなるって約束したもん」
「……もしかしたら、みのりはもう私よりも私に詳しいかもしれないね。ありがとう。今年はこれを大切に使うよ」

 私が微笑みかけると、みのりは「喜んでもらえてよかった」と瞳を細めた。
 サイズを確認してみればピッタリで、よく見ると手の甲にはクローバーの模様も入っていた。……本人さえも記憶がおぼろげな半年前の雑談を大事に大事に覚えていて、きっと沢山探してくれたんだろうな…………。

「みのり」
「ん? 遥ちゃん?」
「──あと一回だけ、許してね」

 みんなの注意が逸れていることを確認した私は、そっとみのりを抱き寄せた。
 ビクッと腕の中で体が震える。ふぇ、は、はるかちゃん!? すぐ目の前で囁かれる動揺。ドキドキと加速していく心音は二つ。ぴったりと重なるリズム。私とみのりが、少なくとも今、この瞬間は両想いであることを、思春期の記憶に刻み込む。

 もしもアイドルじゃなかったら、今すぐ想いを伝えるのにな。
 そんなたられば、考えても仕方ない。
 私がアイドルで、あなたがアイドルだったから、私たちは出会えたんだ。

「驚かせちゃってごめん。嬉しくてつい、感極まっちゃった」
「そ、そういう感じのでしたか! アイドルならハグくらい普通だもんね!」
「そうそう。だから、うん。──十八歳の私ともよろしくね、みのり」
「……うん。また一年よろしくね、遥ちゃん!」

 そっと身体を離しながら微笑みかければ、みのりはパッと笑顔を咲かせた。

 これで本当におしまい。
 あなたの夢が叶うその日まで────

言えない気持ち、伝えたい気持ち


 あの日のキスと告白は、無かったことにされたんだと思っていた。

 わたし達はアイドル。
 ほんの一時の熱に流されて交わしたキスは、友情の延長線上にあった間違いで。
 また友達として、仲間として、遥ちゃんの隣にいられるように頑張ろう。恋心を必死に隠す日々に戻ることになるけど、それ自体は慣れっこだし大丈夫。……遥ちゃんから聞いた「好きだよ」という言葉だけは胸の奥に大切にしまい込んで。
 わたしも全部、無かったことにするつもりだったのに。

「ねぇみのり」
「ん? 遥ちゃん?」
「──あと一回だけ、許してね」

 ギュッと遥ちゃんに抱き寄せられる。
 開いたはずの半人分の距離が、また埋まった。
 わたしを抱き寄せる腕の力強さに心が勝手にときめいてしまう。制汗剤の香りに頭がクラクラした。条件反射で熱くなる頬。パーティー中で、誰かが見ているかもしれないのに。そんな背徳感まで合わさって否応なく混乱してしまう。

 わたしと遥ちゃんは、きっと両想い。
 一度『そんなことない』とかき消したはずの予感が、また芽生え始める。

 だけど遥ちゃんは身体を離すと、ふわっと頬を緩めながら言った。

「驚かせちゃってごめん。嬉しくてつい、感極まっちゃった」
「そ、そういう感じのでしたか! アイドルならハグくらい普通だもんね!」
「そうそう。だから、うん。──十八歳の私ともよろしくね、みのり」
「……うん。また一年よろしくね、遥ちゃん!」

 仲間として交わす言葉。
 本心からの言葉ではあるけど……でも、でもね、遥ちゃん。
 わたしはまだ、遥ちゃんのことを好きでいていいの?


   ♪


 遥ちゃんのバースデー配信から時は過ぎて──十二月。
 続いて誕生日を迎えた雫ちゃんのバースデー配信も無事成功で終わり、わたし達〝MORE MORE JUMP!〟は次の目標である『クリスマスイベント』に向けた準備を進めていました。
 といってもこの二ヶ月間、訳あって活動は少しだけ抑えていた。
 その理由とは──

「遥!」「みのりちゃん!」
「「大学合格おめでとう!!」」

 パパン!! とクラッカーが響き渡る。
 わたしと遥ちゃんの宮女大学部──宮益坂女子大学への進学がかかった定期試験と面接があったので、進学に注力できるようお仕事を調整していたのでした。
 合格通知自体は十一月半ばに届いたんだけど、みんなの仕事のスケジュールが合わなくてなかなかお祝いできなかった。雫ちゃんの誕生日も通り過ぎた今日、ようやく雫ちゃんの部屋に集まって『合格おめでとうの会』開催にこぎつけました。

「えへへ、ありがとー愛莉ちゃん、雫ちゃん!」
「ありがと二人とも。別に改めてお祝いしなくてもよかったのに」

 紙吹雪を頭から払いながら苦笑する遥ちゃん。

「ダメよ遥ちゃん。去年私たちもお祝いしてもらったんだもの」
「ちゃんとお返しさせなさいよね。それにみのりと遥の必死に勉強する姿を見ていたら、流石に労いたくなるわよ」
「あはは……主にわたしの勉強を見てもらってたんだけどね……」
「月並みな台詞だけど、私も復習になっていたから気にしないで」
「ま、内部進学は内申点さえ取れていれば、面接で大失敗しない限り進学確定だものね。勉強は遥に加えてこはねちゃんも見てくれていたし、ぶっちゃけアンタ達が落ちるとは微塵も思ってなかったわ」
「えっ愛莉ちゃんそうだったの? 私は自分の時より緊張していたわ……しぃちゃん達もいたせいか、面接の日はご飯が喉を通らなかったのよ」

 頬に手を添えながらため息をつく雫ちゃん。
〝Leo/need〟の四人も同様に内部進学組なので、志歩ちゃんは勿論のこと、穂波ちゃん達のことも実の妹のように思っている雫ちゃんの心労は六人分だったみたい。ちなみに志歩ちゃん達も全員無事に合格したので、来年からも同級生です。
 御守りくれて嬉しかったよと雫ちゃんと言葉を交わしている間に、愛莉ちゃんが用意してくれたお手製ケーキを切り分けてくれた。

「さて、これでみのりと遥も気兼ねなくアイドル活動に臨めるわけだしね。一ヶ月ほど活動を抑えた分、この冬は一層盛り上げていきましょう!」
「おー! まずはクリスマスイベントだね!」

 雫ちゃんと愛莉ちゃんの二人がメイン担当で、企画はすでに進行中。初めてイベントをやったホールと同じ場所で、500人のファンを招いてのファンミーティングとミニライブを開催予定だ。

「私たちの初めてのファンミーティングのリバイバルっていう形で、私とみのりの高校時代は一区切りか」
「あの頃と比べたら、わたし達も大規模になったよね!」
「埋まるのか不安だった500人のチケットが、今や即完売だものね。テレビ収録やら何やらの隙間を縫った結果、スケジュールが合ったのがクリスマスだったのも何の因果かって感じ」
「ただ、遥ちゃん達に相談したいことがあるのよ。今年もケーキを食べたりプレゼントを交換したり、クリスマスらしい企画を用意したいのだけど……」
「あー斎藤さんとこにも手伝ってもらってるけど、肝心のステージが詰め切れていないんだったわね。あと一個インパクトのあるトークテーマがほしいのよね」
「トークテーマ?」
「ええ。『クリスマスらしいトークテーマ』で会議が難儀してしまっているの」
「そっか。プレゼントとかイルミネーションとか、定番のものは去年のイベントで話したから……」
「真新しさがないのよねぇ。ネタを小出しにしていく大事さを噛みしめてるわ」
「うーん、クリスマスかぁ」

 ケーキを食べながら考えてみる。サンタさん……に言及するのは子供も見る可能性があるからダメだよね。意外と難しいかも。

「あ、みのり。少しいいかな」
「ん? 遥ちゃ──っ!?」
「頬っぺたにクリームついてるよ」

 顔を向けた瞬間だった。
 遥ちゃんの手が頬に触れたかと思えば、親指がわたしのくちびるをふに、と撫でた。
 なぞるように滑った指についたクリームを、遥ちゃんはそのまま特に気にした様子もなく食べてしまう。

「~~っ!」

 ほ、頬っぺたじゃなくてくちびるだし! しかも、か、間接キス……!

「ん……トークテーマは一旦持ち帰ろうか。私も考えてみるよ」
「……。そうしてもらえると助かるわ。一応仮で『クリスマスの定番料理と言えば』とかいくつか質問を用意して、全員の解答が揃うかっていう大喜利企画は用意したけど」
「しぃちゃんや瑞希ちゃんにも相談してみようかしら──」

 不意打ちに顔が一瞬で沸騰したわたしを他所に、遥ちゃん達は話を進めていく。
 平静を装いたいのは山々だったけど、くちびるを撫でた親指の感触に思考回路がショートしてしまった。
 わかんない。わかんないよ。
 仕事中はなんとか隠せているけど、プライベートはもう隠せない。
 ねぇ遥ちゃん。この恋は、無かったことにした方がいいんだよね……?


 そうして『合格おめでとうの会』は結局クリスマスイベントの話し合いになっちゃったけど、ケーキを食べ終えてお開きになった。
 遥ちゃんと一緒に帰路につく──はずだったんだけど。

「みのり、この後少しいいかしら。ファンレターの整理手伝ってもらえない?」
「大丈夫だよ!」
「よかった。遅くなり過ぎたら泊まってもいいから」

 と呼ばれて、すぐ隣の愛莉ちゃんの部屋にお邪魔することになりました。

「できるだけすぐに渡したいんだけど、なかなか手が回らなくてね……面接前に渡して以来だから一ヶ月分か……」
「えへへ、ファンのみんなからも面接へのエールが貰えて嬉しかったなぁ」
「今度は合格祝いもあるんじゃないかしら。……さて!」

 手紙をテーブルに広げて、一枚ずつ精査していく。
 ファンレターは必ず二人以上で確認するようにしています。普通のアイドルグループであればスタッフさんがチェックした後、内容的に問題ないものがアイドル本人に届けられるんだけど、わたし達は直に確認しなくちゃいけない。
 だからこそ──もし誹謗中傷が書かれていた時や、悪質な悪戯があった時。
 二人で精神的負担を分散できるように対策しているのでした。

「あっ見てみて! 北海道の写真家さんがシマエナガの写真送ってくれてるよ!」
「あらら、雫のバースデー用窓口じゃなくてファンレターの窓口に届いてたのね。早いこと渡してあげなくっちゃ!」

 だけどそういうことは滅多にない。貰った手紙は全部が全部、メンバーへの愛に満ち溢れていた。見ているだけでニコニコさせられてしまう。
 活動当初はわたし宛のファンレターなんてほとんど無かったけど、今ではもう愛莉ちゃん達にも引けを取らないくらい貰えていて……。
 一つひとつのメッセージに目を通していた時だった。

「あ……」

 それは、わたし宛の手紙だった。

『────実はMORE MORE JUMP!の皆さんにどうしても伝えたい事があって、初めてファンレターを書きました。
 私には好きな人がいます。その人と出会えたのは、モモジャンのライブがキッカケでした。私はみのりちゃん推しで彼は遥ちゃん推しで、そこはちょっとズレているんですけど……でも、モモジャンの配信やイベントを見た後、彼と感想会をするのが今では一番楽しみな時間になっています! 彼と親しくなれたのはモモジャンのおかげです。
 そして今度、クリスマスイベントを一緒に見に行く約束をしています。その後、勇気を出して彼に告白しようと思います!
 いつもあと一歩の勇気が出ないんですけど、みのりちゃんから元気を貰えた後なら、モモジャンがいてくれるなら、きっと勇気を出せるから!!
 ……なんて私情だらけのお手紙でごめんなさい。みのりちゃんやモモジャンのみんなにたくさんの元気と勇気を貰っているんです、というお礼が言いたかったんです。いつもありがとう、みのりちゃん! それから────』

 その手紙を愛莉ちゃんにも見せてみる。

「こんな事もあるのね。素敵なことじゃない」
「うん。わたし達が恋の架け橋になるなんて思いもしなかったなぁ」

 恋愛関係になっているのは驚いちゃったけど、でもわたしも同じだったもんね。ASRUNのライブで地方の子と仲良くなったり、一緒にイベントを見に行ったり。
 それに──文字から伝わってくる。
 キラキラと眩しい恋をしていることが。

「この子が勇気を出して告白できるよう、もっともーっと頑張らなくちゃ!」
「……ほんとアンタって、どこまでもアイドルよね」
「ふぇ? 褒められてる?」
「褒めてるに決まってるじゃない。ファンの為ならすぐ頑張れちゃうんだから」

 くすっと肩を揺らす愛莉ちゃんに頬が熱くなった。
 そうしてファンレターの精査と仕分けが終わったのは一時間後。わたし宛のものを大事にカバンにしまっていると、

「遥の分はみのりに託していいかしら? それともわたしから渡そうか?」
「明日も高校で会うし大丈夫だけど、何かあった?」
「だって────ほら、最近アンタ達、距離感が変だから」
「あ……や、やっぱり気付いてた?」
「聞いていいのか迷ってたけど、今日の様子を見ちゃったらいい加減ね」

 と苦笑しながら愛莉ちゃんは自分の口元を指さした。遥ちゃんにクリームを拭われて挙動不審になっちゃった時のだよね……。全然誤魔化せていなかったみたいだ。

「遥と何かあった?」
「……色んな事があったから、どこから説明すればよいのやら……」
「じゃあ質問を変えるわ」

 愛莉ちゃんの声は優しかった。
 だからこそわたしは罪悪感でいっぱいになる。

「みのりって、遥のことが好きなのよね?」
「……うん。大好き」

 それがただの友愛でも崇拝でもないことは、ちゃんと伝わっていた。
 指摘されてドキッとしたけど、わたしは思いのほか動揺していなかった。

「……愛莉ちゃん、いつから気付いてたの?」
「最初にそうかもって思ったのは一年前くらいかしら」
「あれっ!? そんな前から!?」

 嘘です、動揺しました……!
 愛莉ちゃんはわたしの頭を撫でながらからりと笑った。

「仕事や配信では普通に接してるけど、プライベートだと隠そうとしているのがバレバレなんだもの。わたし以外にも気づいてる人いるでしょ?」
「うん。こはねちゃんとか、志歩ちゃんとか」
「流石はみのりの親友ね。ちなみに雫も感づいてそうよ、話した事はないけど」
「あはは……身の回りの人みんなに気付かれてそう……」
「で、当の本人は?」
「……気付いているどころじゃないんだ。えっとね」

 そうしてわたしは、愛莉ちゃんの知らない『今まで』を話した。

 昼休み、二人きりで過ごすようになったこと。
 夏祭りの夜、告白をして、初めてのキスをしたこと。
 遥ちゃんの誕生日に、ギュッと抱きしめられたこと。

 両想いだと思うけど。
 今の遥ちゃんはそんな素振りを一切見せない──まだ二人とも恋心を抱いていなかった、高校一年生の頃の遥ちゃんに戻ってしまったこと。

 すると愛莉ちゃんは、大きな大きなため息をついた。

「はぁ……遥のやつ、一発ぶん殴ってこようかしら」
「ええっ!? どうして!?」
「だってみのりのこと翻弄しまくってるじゃない! ああもう、もっと早くに問い詰めていればよかった……!」
「べ、別にわたしは気にしてないし」
「アンタが良くてもわたしが良くない! だって遥はアンタの告白を無かったことにしてんのよ!? そんなの許せるワケが」
「いいんだよ、愛莉ちゃん」

 わたしの為に怒ってくれるのが嬉しかった。
 だからこそ首を横に振る。

「愛莉ちゃんも知ってるでしょ? 遥ちゃんって〝アイドル〟なの」
「……っ」
「誰よりもストイックで、いつもファンサービスを欠かさないで、常に〝MORE MORE JUMP!〟のことを考えてくれていて、素敵な笑顔を忘れない国民的アイドル。それがわたしの恋した〝桐谷遥(アイドル)〟」

 それを言葉にすると胸の奥がズキッと痛みそうだったけど、構わずに言った。

「アイドルは恋愛禁止。
 本当は、好きって伝えたわたしが間違ってるんだよ」

「……やっぱり、行きつくのはそこなのよね」

 眉をハの字にする愛莉ちゃん。
 はぁと息をついた愛莉ちゃんはそのまま、天井を仰いだ。

「アイドルが大好きなアンタ達が……ファンを大切にするアンタ達が、ファンを裏切る行為とされる恋愛に対して臆病になる気持ちはわかるわ。
 わたしだってそうだもの。恋をした事がないんじゃない。無意識のうちにセーブしているだけで、誰かさんを〝好き〟になりそうなタイミングは沢山あった。それでも桃井愛莉はアイドルだから、友愛を恋愛には育てなかった」
「愛莉ちゃん……」
「アンタ達の選択は否定しないわ。他でもないわたし自身が正しいと思っているから」

 だけど、と。
 愛莉ちゃんは続ける。

「わたし達が活動を始めたばかりの頃のこと、覚えてる?」
「え?」
「事務所に受け入れてもらえなくて、四人で、フリーで活動するって決めた。あの日からわたし達は全部自分たちでやってきたわよね。──動画配信を中心に活動すると決めた。ファンの力を借りてイベントを開催すると決めた。ダンスの振り付けも自分達で決めているし、いつも企画会議をしては『明日何をするか』を決めてきた」
「う、うん。そうだね……?」
「ねぇみのり」

 そうして、愛莉ちゃんは悪戯に笑った。

「じゃあアイドルは恋愛禁止って、いったいいつ、どこで、誰が決めたのかしら?」

「…………へっ?」

 目を丸くするわたしに、してやったりと愛莉ちゃんは愉快そうに笑う。
 遥もみのりも意外と似た者同士なのよね、と独り言ちてから、

「だってそうでしょ? もちろん法律で定められているわけでもなし、事務所に所属していないから『恋愛禁止』の契約書も存在しない。別にわたし達を縛っている規則があるワケじゃないわ」
「そ、それはそう、だけど……」
「もちろんファンが決めているワケでもない。というかファンの間でも議論の鉄板ネタよね。恋に現を抜かすのはダメだというファンもいれば、推しの恋を全力で応援したいというファンもいる。じゃあ一体誰が『アイドルは恋愛禁止』なんて決めたの?」
「…………そっか。わたしなんだ」
「そう。みのりが決めて、自分で自分を律しているだけ。

 誰かに強制されたワケでもないのに〝好き〟になっちゃダメだと決めつけて、必死に抑え込んでいるだけなのよね」
 でも間違いだとは言わない。
 みのりの選択だって正しいのよ。
 そう繰り返してくれる愛莉ちゃんに、少し泣きそうになってしまう。

「──遥が『恋愛禁止』を選んだからって、みのりまで合わせる必要はないってことだけは覚えておいて。そりゃ相手が相手だから交際はできないだろうけど、みのりの初恋を『遥が無かったことにしたから』なんて理由で諦める必要はない。
 アンタの恋は、確かにそこにある。
〝アイドル・桐谷遥〟に憧れているからといって、どこまでも背中を追う必要はない。
〝アイドル・花里みのり〟の在り方は、みのりが決めていいのよ」

「……誰も初恋とは言ってないよ?」
「あ、そういえば……アンタって人生で遥以外に〝好き〟になった相手はいないと勝手に思い込んでたから……」
「えへへ、まぁ初恋なんだけどね」
「って結局合ってるのね」
「うん。……今までもこれからも、こんなに〝好き〟になる人、絶対にいないもん」
「はいはい。ったく、遥に聞かせてやりたいわね! こんないい子がアンタを一途に想ってんのよーって!」

 冗談めかして叫んだ愛莉ちゃんは──わたしの頭をまた優しく撫でてくれた。
 いつも見守ってくれる愛莉ちゃんのことも〝好き〟なんだよ、と心の中で呟く。
 もちろん意味は違うけど、愛莉ちゃんも雫ちゃんも、〝MORE MORE JUMP!〟も大好きだから。

「もうちょっとだけ考えてみるね。ありがとう、愛莉ちゃん」
「ええ。もし一人で答えが出なさそうだったら、話し相手になるから」

 最近こんな役回りばっかりねぇ、と苦笑した愛莉ちゃんはファンレターをバンドで結ぶと自分と雫ちゃんの分を机の引き出しにしまった。
 改めて遥ちゃんの分のファンレターをバンドで結びながら、ファンから遥ちゃんへの〝想い〟の重さを確かめる。
 わたしがどうしたのか。
 わたしは遥ちゃんへの〝好き〟を、どうしたいんだろう。


   ♪


 ────子供の頃の夢を見た。

『あーあ。運動会負けちゃったね』
『クラスリレー、とちゅうまで一位だったのにな』
『おしかったね。もしあそこで花里がバトン落とさなきゃ……あっ』

 ────子供の頃の夢を見た。

『また雨ふってるね……』
『遠足行けないねぇ。今日で二回目だよ、えんき』
『ねぇきいた? つぎも雨だったら、もうえんきじゃなくて中止になるんだって』

 ────子供の頃の夢を見た。

『わっ、危ないみのり!』
『なんだ今のトラックは……みんな怪我してないか!?』
『だいじょうぶだけど……おねえちゃんのクツがどろんこまみれになっちゃった……』

 ────子供の頃の夢を見た。

『よしよし、泣かないでみのり』
『あそこじゃもう取れないな……買ったばかりのお気に入りの帽子だったのに』
『ほら、今度また可愛い帽子買ってあげるから』

 ────子供の頃の、夢を見た。

『みんな、こんにちは! ASRUNの桐谷遥です!』
『今日は、私の初めてのソロ曲を歌います』
『緊張しますが、頑張ってみんなに元気を届けるので、よろしくお願いします!』

 ────光が差し込まない、真っ暗な部屋にいた。

『今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれないって思えるように』
『私はアイドルとして、みんなに希望をあげたい……って、そう思っています』
『だから、これからも〝明日を頑張る希望〟を届けるアイドルでいられるように、頑張ります!』

 ────そんな部屋の窓を、突然、誰かが外から開けてくれた。

『……そう、なのかな』
『あきらめないでがんばればきっといつか……いい日がくるのかな』
『うん。やっぱり、学校行こう。リレーのこともみんなに謝って、またがんばろう!』

 ────暖かくて、柔らかくて、眩しい光が、わたしの部屋に差し込んで。

 ────わたしは窓から外へ飛び出していく。

 ────白い翼を広げて。

 ────四つ葉のクローバーを携えて。

 ────ステージの上を目指して、飛び立っていく。

『……桐谷遥ちゃん、か……!』

 恋の始まりじゃないかもしれないけど、間違いなく〝好き〟の始まり。
 この胸の奥に灯った〝想い〟は、たとえ百年先でも消えることがない。
 わたしに夢をくれた人。
 わたしの一番はあの日からずっと、遥ちゃんだ。


   ♪


「皆さんお久しぶりですー! 今回のイベントもよろしくお願いします!」
「よろしくね、斎藤さん」
「久しぶりといっても、ずっとリモート会議はしていたけど」
「いえいえ、直接会うのは雫さ……日野森さんの誕生日配信以来ですから! 今回のイベントは私もより一層気合い入っているんで、頑張りましょう!」

 はきはきとした斎藤さんの声に、楽屋でおー! と拳を上げるわたし達。あっという間にクリスマスイベントの当日が訪れていたのでした。
 斎藤さんが気合い十分な理由はもちろん、初めてのファンミーティングと同じ会場で二年ぶりのクリスマスイベントを開催するから。しかも今回の斎藤さんはサポートではなくプロデューサーという立場。気合い入っちゃうよね……!

「私は雫と外の準備してくるね」
「うん! 中はわたし達に任せて!」

 モモジャンシャツの上に青いパーカーを羽織った遥ちゃんと手を振り合って、それぞれの担当箇所に分かれていく。わたしはステージの設営準備だ。
 そうして飾りの入った袋を手にステージに向かうと、

「あっみのりちゃん! こっちです!」
「唯奈ちゃん!」

 わたしを手招いたのは──内山唯奈ちゃんだった。
 初めてのファンミーティング以来何度もイベントスタッフで参加している常連さんで、そしてわたしの初めてのファンでもある。ファンを特別視するのは良くないと分かっていても、どうしても特別に想えてしまう女の子だ。

「今回もスタッフで参加してくれたんだね!」
「今はもうボランティアじゃなくてアルバイトですけど、みのりちゃんの力になれるなら勿論参加しますよ! それと大学合格おめでとう!」
「えへへ、ありがとー! ん? でもそういえば唯奈ちゃんも受験生だよね……? 来てくれたのは嬉しいけど大丈夫……?」
「き、今日でモモジャン封印するので! モモジャン納めなんです!」
「じゃあ唯奈ちゃんが受験頑張れるよう、今日はわたしももっともっと頑張るね!」
「みのりちゃん……!! 一生推します……!!」

 そんな雑談を交わして、ステージの飾りつけを進めていく。
 イベント制作会社に依頼できるようになってもわたし達が設営に携わっているのは、初心を忘れられないから。スタッフのみんなとイベントを一緒に作り上げる大切さを知ってしまった今、もう力を貸さないという選択肢がなくなっていた。
 ライトの位置を調整して、トーク用に床にばみりを貼っていく。
 簡単なマイクチェックまでタイムスケジュール通りに済んで一安心したところで、小休憩になった。

「みのり、悪いんだけどわたしの分も飲み物お願いできる?」
「はーい!」

 愛莉ちゃんに頼まれて二階の自販機コーナーへ向かう。
 すると、ガコン、とちょうど飲み物を購入している青色のパーカーが見えた。ポカリスエットを二つ抱えたのは──

「お疲れ様、みのり」
「遥ちゃん……お疲れ様。受付の準備は終わった?」
「驚くほど順調に進んで無事終了。スタッフのみんながテキパキしているから、私の出る幕はほとんどなかったんだ」

 くすっと肩を揺らした遥ちゃんは、どうぞと自販機の前を譲ってくれる。何となくわたしもポカリを二つ買う。

「制作会社の専門の方が入ったのも大きいけど、昔から参加してくれている方が今回初参加のバイトの方に助言してくれたり……こういうところで『もう二年も活動しているんだなぁ』って実感するとは思わなかったよ」
「えへへ、こっちも『わたしが足を引っ張らないようにしなくちゃ!』って焦るくらいだったよ」
「すっかり頼もしいよね」

 二本を手に取ると、行こうかと目配せしてくれる。リハーサルとお昼休みを終えればいよいよ本番。階段を降りるたびにちょっと緊張するけど──ワクワクを抑えられなくて頬が緩んだ、そんなタイミングだった。

「──みのりも頼もしくなったね」
「へ? わたし?」

 頷いた遥ちゃんは階段の途中で立ち止まる。わたしは二段ほど下からそんな遥ちゃんを見上げることになって。

「昔から意外と本番には強かったけど、配信初期の頃はガチガチだったでしょ? だけど今はもう緊張していないどころか、私よりリラックスしている」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。……そんなみのりが隣にいてくれるから、私もみのりに負けないくらい頑張ろうって思えるんだ」

 優しい表情だったのはそこまで。一度目蓋を下ろした遥ちゃんは──わたしの憧れていた〝アイドル〟の凛とした表情を浮かべながら拳を突き出した。

「今日も頑張ろうね、みのり」
「──うんっ!」

 コツン。
 軽く拳をぶつけあって、ふふっと笑みを交わす。
 そうして階段をリズムよく降りていく遥ちゃんの半歩後ろに続きながら、わたしは右手に視線を落とした。
 ……相変わらず遥ちゃんは普通に接してくるし、わたしも普通を装っている。
 触れ合うだけでドキッとしてしまうし、愛莉ちゃんとの話にも答えを出せていない。それどころかアイドルスマイルにときめいてしまうけど。
 憧れの遥ちゃんとお揃いのシャツとパーカーを着て、本番前に二人だけでこんなやり取りをして。
 一人前のアイドルとして、遥ちゃんの隣に立てるようになってきたんだ。
 今は目の前のイベントを精一杯頑張ろう。
 そんな決意を胸に、階段を降りていった。


 そうして幕を開けたクリスマスイベント。プレゼント交換会やケーキタイム、ファンを交えたバラエティ企画も盛況に終わって──。

「それじゃあ次の企画行くわよ! みのり、タイトルコールよろしく!」
「はーい!『聖夜に届け! 大切な人へのメッセージ!』」
「「「イェーイ!!」」」

 ワーッと広がる会場の拍手が収まるのを待ってから、遥ちゃんが説明を始めていく。

「クリスマスといえば、大切な人と過ごす人も多いよね。今日、このイベントにも大切な友達や家族と見に来てくれている人もいるんじゃないかな」

 目配せを受けて、雫ちゃん、わたし、愛莉ちゃんと順々に説明を引き継いでいく。

「そんな大切な人に『特別な日だからこそ伝えたいメッセージ』を、イベント前にファンのみんなから募集していたの」
「直前の告知になっちゃったけど、沢山投稿してくれてありがとねー!」
「今日はその中から選ばれたいくつかのお手紙を、わたし達で代読させてもらうわ。心を籠めて読ませてもらうわね!」

 この企画はわたしの発案だ。
 以前貰ったファンレターに書かれていた『モモジャンがいてくれるなら、きっと勇気を出せるから!!』というメッセージを見て、他にも伝えたい言葉があるのに勇気を出せない子がいたら、その背中を押してあげたいなと思って提案してみた。
 クリスマスというよりは母の日や父の日みたいかな……とも思ったんだけど、特別な日に相応しくていいんじゃない、と無事に採用されたのでした。

「一通目はこの桃井愛莉が代読させてもらうわ! それじゃあ抽選ターイム! じゃかじゃかじゃかじゃか……じゃん!」

 レターボックスから一通を取り出す愛莉ちゃん。

「北海道にお住まいの『ポテトとソルト』さん! あら、小学六年生の子ね!」
「会場じゃなくて配信かな。見てるー?」
「早速読ませてもらうわ。『いつも喧嘩してばかりのお姉ちゃんへ。わたしはお姉ちゃんのことが大嫌いです。わたしのおやつを勝手に食べちゃうし、わたしのゲームを勝手に進めちゃうし、戦おうとしても年上なので全然力勝負にならないし。やりたい放題な怪獣お姉ちゃんが嫌いです』──……わかるわ。お姉ちゃんって逆らえないのよね」
「ふふっ、愛莉ちゃんもお姉さんいるものね」
「『お姉ちゃんの嫌いなところを上げるとキリがありません。でも好きなところもキリがありません。ショートケーキの苺をこっそり分けてくれるし、宿題に困ったら面倒を見てくれるし、リビングで寝ていると毛布をかけてくれるし、モモジャンのライブにも連れてってくれるし』」
「いいお姉さんだね」
「仲良しなのが伝わってくるなぁ」
「『そんなお姉ちゃんが吹奏楽部の強豪に通うために大阪の高校に行くと知って、とっても悲しかったです。わたしに一言も言わずに決めちゃう決断力の高さが大嫌いです。だけど、夢に向かって一途に頑張るところはやっぱり大好きです。
 こんな手紙じゃないと絶対言えないけど、わたしの格好いいお姉ちゃんへ。プロのトランペット奏者になりたいっていう夢を絶対に叶えてください! あと、大阪でモモジャンのイベントがあったら一緒に行きましょう! 小生意気な妹より』」

 そうして、メッセージレターを丁寧に閉じる愛莉ちゃん。

「進学だから仕方ないけど、家族ともいつか離れ離れになっちゃうのよね」
「ええ……たとえ姉妹でも、いつまでも一緒にいられるとは限らないもの……!」
「って雫泣いてるし! まぁアンタも大概仲良し姉妹だものね」

 苦笑しながらハンカチを雫ちゃんに渡した愛莉ちゃんは、配信用のカメラに視線を向けた。

「お姉さん、妹さんの想いは届いたかしら! わたし達もトランペット奏者になりたいって夢、全力で応援するわ!」
「うん。それに是が非でも大阪でイベント開催しないとだね」
「うぅ……わたし達ももっともっと頑張るよ! 姉妹でイベント来てね……!」
「みのりも泣いてるし! 涙腺ボロボロ組は置いといて、ポテトとソルトさん、素敵なお手紙をありがとう!」

 そう締めてレターボックスは遥ちゃんへ。じゃかじゃかじゃかじゃか……と抽選している間に、さっきの手紙を頭の中で思い返す。
 離れ離れになっちゃうかもしれないけど──わたし達のイベントでまた会えたら。
 ファンのみんなの架け橋になって、楽しい時間を届けられたらいいな。

「東京にお住まいの『サボテン』さん、私が心を籠めて代読するね。『私は人生でかけがえのない出会いを果たしました。いつもその存在に心を支えられています。その感謝を伝えさせてください。──あえて大雑把な味付けをした焼きそば、バターを塗ったコッペパン。炭水化物を二つ合わせるという究極の発想、焼きそばパンさんへ!』」
「あらあら、焼きそばパン宛なのね」
「まさかネタ枠を遥が引くとは……」

「神奈川県の『坊主の伊達山』さん! 花里みのりが心を籠めて代読いたします! えっと──『野球部元キャプテン、遠山先輩へ。受験勉強で塾にいるかもしれませんが、先輩のモモジャン愛を信じてこの手紙を投稿しました。先輩見てるっすか!』──遠山キャプテン、配信見てるっすかー!」
「……か、会場で見てまーす!!!」
「わっ!? あははっキャプテンいました! 今からお手紙読みますねー!」
「流石は野球部、すごく大きな声だね。配信の方でも聞こえたかな?」

 内容チェックだけ事前にスタッフの方にしてもらっていたけど、仕込み無しでの不思議な巡り合わせに会場は大盛り上がり。そうして心温まるお手紙やつい笑っちゃうようなメッセージを何通か読み進めて──

「そろそろこのコーナーもおしまいの時間だね」
「最後のお手紙は私が心を籠めて代読するわ。じゃかじゃかじゃかじゃか……じゃん!」

 雫ちゃんが最後の一通を手に取った。

「富山県の……まあ!」
「雫、どうかした?」
「『みのりちゃんの大ファン』さんからのお手紙よ」
「へっ!? わ、わたしの大ファン!?」

 思わず変な声を出してしまうわたしに、会場で少しだけ笑い声が上がる。ニコッと瞳を細めて、雫ちゃんは優しい表情のまま続けた。

「──『みのりちゃんへ。今までファンレターを送る勇気がなかったのですが、もしかしたら想いを伝えられるかもしれないと思ったので一念発起しました。
 私の夢は漫画家になることです。でも絵があまり上手じゃなくて、友達に見せたら笑われちゃうこともあって……漫画賞に応募して落選したのがお母さんにバレたら、「現実的じゃない夢を追いかけるのはやめたら」って言われて、とても辛くなっていました。
 そんな時、偶然MORE MORE JUMP!が「Nステ」に出ているのを見ました。
 みのりちゃんの『今日がいい日じゃなくても、明日はいい日になるかもしれない。明日頑張る希望をあなたに届けたい。そのために歌います!』っていう言葉を聞いて、歌を聴いて……すぐに元気になれました。
 それからモモジャンのことを調べてびっくりしました。
 みのりちゃんは51回もオーディションに落ちているのに、アイドルになりたいという夢を諦めないで、今、その夢を本当に叶えているなんて。
 それからみのりちゃんの歌を聴きながら、また漫画を描くようになりました。
 私もみのりちゃんみたいに夢を叶えたい。みのりちゃんからまた明日頑張る希望をたくさん、たくさん貰って──そしてこの前、初めて少女漫画賞の最終候補に残ることができたんです!』」

「……ほ、ホントに……?」

「『まだ夢が叶ったワケじゃないけど、ここまで来れたのはみのりちゃんのおかげです。
 だからどうしても、お礼を伝えたかったんです。
 ありがとう、みのりちゃん!
 漫画家になる夢、私も絶対に諦めません!
 私は遠方に住んでいるのでなかなか応援に行けないですが、高校生になったらアルバイトをしてお金を貯めて、必ずライブやイベントに行こうと思います。
 アイドルのみのりちゃんのことを、いつまでも応援させてください。
 本当に、本当に、みのりちゃんのことが大好きです』」

「──────遥ちゃん、愛莉ちゃん、雫ちゃん!」
「みのり、もう居ても立っても居られないって感じだね」
「ったく仕方ないわね。みのりの大ファンさんのためにも、早いこと次のコーナー行きましょうか!」
「ええ! 届けましょう──私たちの、そしてみのりちゃんの希望を!」

 席を立ち、ステージの真ん中へと移動していくわたし達。
 斎藤さんが苦笑しながらテキパキとスタッフさん達に指示を出して、トークコーナー用の椅子や小道具を撤収していく。おおお、と歓声を上げるファンのみんなに手を振ったりして応えながら、わたし達はマイクを構えた。すうと息を吸う愛莉ちゃん。

「みんなのお待ちかね、ミニライブのコーナーよ!」
「いつも応援してくれるみんなへ、私達からクリスマスプレゼントを贈らせてほしいの」
「今日だけの特別メドレーだから、配信で見ているみんなも聴き逃さないようにね」
「それじゃあ行くよー! ──『ワールドワイドワンダー』!!」


   ♪


 そうしてライブパートを大トリに、クリスマスイベントは幕を下ろした。
 ファンのみんなが帰るのを見送り、イベント会社の方達と手分けして後片付け。

「日野森さん、桐谷さん、会場の最終撤収チェックお願いしますー!」

 斎藤さんに呼ばれて雫ちゃんと遥ちゃんがイベントホールへ向かうのを見送り、わたしは愛莉ちゃんと楽屋の清掃を進めていた。

「みのり、今日は一段といい歌だったわね」
「えっ? そ、そうだったかな……?」
「あら、本人は自覚なしだったかしら? いつもより伸び伸びとしていたし、高音も透き通るみたいに綺麗だったし、何より笑顔が可愛かった!」
「えへへ……照れちゃうよ」

 だとすれば、その理由はきっと。
 胸の奥でキラキラと光っている──。

「──愛莉ちゃん。わたしね、やっぱりアイドルが〝好き〟なんだ!」
「もしかして、この前の話の続き?」

 コクリと頷き返すと、愛莉ちゃんはゴミ袋を縛る手を止めた。そんな愛莉ちゃんに微笑みかける。

「今までも分かっていたつもりだったけど、今日改めて思ったの。わたしはもう〝ただの花里みのり〟じゃない。〝MORE MORE JUMP!のアイドル〟なんだなぁって」
「みのり……」
「わたしのことを待っているファンが沢山いる。わたしの歌に元気を貰ったり、わたしのダンスに勇気を貰ったり……そんなファンのみんなに応えたい」

 わたしより辛そうな表情をしてくれる愛莉ちゃん。
 その気持ちはとても嬉しかったから、少しだけ首を横に振った。

「みんなの不安を希望に塗り替えてあげられるくらいの──〝明日頑張る希望〟をみんなに届けたい。あの日、わたしが見上げた遥ちゃんみたいな〝アイドル〟になりたい。今はそのために頑張りたいんだ」

 胸の奥でキラキラと光っている憧れ。
 アイドルが好きだという気持ちと、遥ちゃんへの恋心はわたしの中で繋がっている。
 憧れて、恋焦がれている遥ちゃんの隣にいることを許されているからこそ。
 遥ちゃんへの〝好き〟の原点──アイドルと、しっかり向き合いたい。

 そんな決心を伝えると、愛莉ちゃんはため息をついた。

「……アンタはもうとっくに遥みたいな……って言いたいところだけど、みのり自身が納得できるかだものね。わかったわ、みのりを尊重する。お節介は今日でおしまいね」
「ううん、お節介なんかじゃなかったよ。いろいろお話してくれてありがとう、愛莉ちゃん」
「いいのよ仲間なんだし。しっかしアンタと遥って妙なところは似た者同士よね。二人して迷いなくアイドルを選んで……ま、それでこそみのりと遥か」
「あ、でもね」

 とわたしは続けた。

「遥ちゃんへの〝好き〟を無かったことにするワケじゃないんだ」
「あら、そうなの?」
「だって無理なんだもん」

 冗談めかすと、一瞬キョトンとした愛莉ちゃんはクシャっと表情を緩めた。

「あははっ、そりゃそうよね! アンタが遥への想いを無かったことになんか、できるはずがないものね」
「うん。だからもう一度だけ、遥ちゃんに告白しようと思うの」
「……そっか」
「……アイドルでいる間はきっと『遥ちゃんと付き合いたい』って気持ちは言葉にできない。遥ちゃんの重荷になりたくないから、付き合えなくてもいいんだ。

 それでも、『遥ちゃんのことが大好き』っていう気持ちはちゃんと伝えたい!
 前は『好きだと伝えたわたしが間違いだ』って言っちゃったけど……本当は、わたしの想いは間違いなんかじゃないって信じたい。遥ちゃんにも知っていてほしいし、受け取ってほしい。遥ちゃんと本当に両想いなのか……遥ちゃんがわたしのことをどう想っているのか、確かめておきたいの」
 抱きしめてくれる手の優しさを知って。
 囁いてくれる〝好き〟の深さを知って。
 それでも無かったことにできるほど、わたしの中の〝好き〟はもう小さくない。

「曖昧なままにしたくない。
 苦しいままで、この恋を終わらせたくないよ。
 だって誰かを好きになるって、本当は素敵で、嬉しいことのはずなんだから!」

「………………みの、り……?」

「………………えっ?」

 その時、わたしの耳に、いくつもの音が届いた。
 それは、遥ちゃんが扉を揺らした音で。
 遥ちゃんが持っていたクリップボードが床に落ちる音で。
 わたしと目が合った遥ちゃんが、ごめん、と背後にいた雫ちゃんを押し退けて廊下を走り去っていく足音だった。
 ……嘘、今の、どこから聞かれていたの!?
 唖然としていた雫ちゃんと目が合うと、雫ちゃんは長い髪を翻して廊下へと叫んだ。

「は、遥ちゃん!? どこへ行くの!?」
「……迂闊だった……こんなに早く戻ってくるなんて……っ」

 愛莉ちゃんが額に手を当てているのを横目に、わたしは慌てて楽屋から飛び出した。遠ざかっていく遥ちゃんの背中を見つけるなり、叫んでいた。

「待って遥ちゃん!!」

 立ち止まってくれた。でも背中を向けたまま。
 心臓が嫌に騒いでいた。こんな息苦しいドキドキ体験したことない。思考がグチャグチャでまとまらない。それでも、何か言わないと。
 でないと、遥ちゃんが遠くへ行ってしまう気がして。
 何でもいい。遥ちゃんを繋ぎ留める何かを──。

「……突然で、ごめんね。でも伝えておきたいの」
「やめてみのり」
「……あのね、遥ちゃんわたし」
「お願いだから、やめて」
「……っ、わたし、遥ちゃんのことが好きだよ!」

「やめてって言ってるでしょ!!」

 ────っ。
 こんなにも余裕のない遥ちゃんの怒号を聞くのは初めてだった。反射的に体が震えて、勝手に涙が込み上げてくる。ようやく振り返った遥ちゃん自身も自分に驚いているみたいで、真ん丸に見開かれた瞳と視線が相まうと……。

「……、」

 遥ちゃんが去っていく。
 廊下を曲がって、姿が見えなくなってしまう。
 わたしにはもう、その背中を追いかけられなかった。
 視界がじわと滲んだ。体の震えを止めようと必死に拳を握る。泣いちゃダメ。ダメだよ。だって悪いのは勝手に想いを伝えようとしたわたしで、でも、でも……でも……!
 どうして、逃げちゃうの?
 本当は両想いじゃなかったの?
 やっぱりこの想いは、無かったことにしないと、ダメだったの……?

「……何やってんのよあの子……!」
「お、追いかけないと……でも……っ」

 いつの間にか傍に来ていた愛莉ちゃんと雫ちゃんが、崩れ落ちそうなわたしの肩に手を添えてくれていた。あまりにも突然の出来事に二人も混乱している。
 そんな二人を見て、頭がスッと冷静になっていく。
 今、この事態を招いてしまったわたしがするべき事は──。

「愛莉ちゃん、雫ちゃん。遥ちゃんを探してください」
「みのりちゃん……」
「わたしは、大丈夫だから! 今は遥ちゃんをお願いします。ごめん。ごめんね。突然こんなことになっちゃって……遥ちゃんのフォローを、してあげて、ください」
「……すぐ戻るから。戻ってきたらわたしも謝るから」

 わたしの頭をクシャと撫でた愛莉ちゃんが、目配せを交わした雫ちゃんと駆け出していく。そんな二人の姿も見えなくなったところで、わたしは一人で楽屋に戻った。
 モモジャンの四人だけじゃない。スタッフのみんなとも過ごした賑やかな部屋に一人でいると、やけに広く感じられて。帰る準備の整った四つの鞄が並んでいた。
 椅子に腰かける。
 飲み物を飲もうとしたけど、ペットボトルの蓋がうまく開けられない。
 手の震えが止まらない。今にも泣きそうで、奥歯をグッと噛んで我慢する。
 伝えたい気持ちがあった。
 遥ちゃんのことが大好きだった。
 でも、この気持ちは言葉にしてはいけなかった。
 無かったことにしないと、いけなかったんだ。

「…………ぁ……」

 大切な何かを粉々に砕いてしまった実感があった。
 どうしよう。遥ちゃんとの関係が壊れてしまったら。友達にも、仲間にも戻れなかったら。〝MORE MORE JUMP!〟に亀裂が入ってしまったら。
 わたしは、取り返しのつかない間違いをしちゃって……。
 ……でも、嫌だよ……。
 ……遥ちゃんのこと、好きじゃなくなるなんて…………。

「────みのり、ちゃん?」

 その時だった。
 ぎぃ、と楽屋の扉が開く。
 反射的に顔を上げる。そこに立っていたのは、

「……唯奈、ちゃん? どうして……」
「……どうしたの、みのりちゃん……?」

 わたしに不安そうな視線を向けてくる唯奈ちゃん。
 まずい。ファンの前だ、笑顔を作らないと。でないとアイドル失格だ。口角を上げたい。頬を緩めたい。でも今歯を食いしばるのをやめたら、涙が零れてしまいそうで。
 そんなわたしに、唯奈ちゃんが恐る恐るといった様子で声をかけてくる。

「……私は、その、スマホを探しに来たんです。最後に取り出したのはこの楽屋だったので……」
「そ、そっか。じゃあ探すの手伝うね!」
「待って!」

 椅子から立ち上がろうとしたわたしを機先して、唯奈ちゃんが歩み寄ってくる。

「……何かあったんですよね?」
「……っ」
「……私とみのりちゃんは、あくまでファンとアイドルですから。話しづらいことだったら話さなくても大丈夫です。スマホを見つけたら帰りますし、何も見なかった事にしますし、絶対に他言しません。約束します」

 何も隠せないダメなアイドルに、唯奈ちゃんは微笑みかけてくれる。

「でも、大好きな人がこんなにも辛そうな表情をしていたら、放っておけないです」
「……あ……」
「私で良ければ、話だけでも聞かせてくれませんか?」

 夢を与えなきゃいけないのに。
 希望を届けなきゃいけないのに。
 舞台裏のみっともない姿を見せてしまったわたしに、それでも唯奈ちゃんは優しく声をかけてくれる。
 本当はこんなこと、アイドルならしちゃダメなのかもしれない。だけど今の唯奈ちゃんの優しさを否定することは、わたしにだけはできなかった。

 だってそれは──かつて遥ちゃんに手を差し伸べたわたしと、同じ想いだったから。

「…………わ、たし……遥ちゃんに……ふられ、ちゃって……っ」

 そうして、わたしは。
 ぼろぼろに涙を流しながら、何があったかを伝えた。

 アイドル失格でごめんね。
 ファンの子にこんな話をしちゃってごめんね。
 わたしのこと、ずっと好きでいてくれたのに、失望させちゃったよね。
 そんなことを口走った気がする。
 頭の中がグチャグチャで、心の中がめちゃくちゃで。
 きっとうまく説明できなかったと思うけど──唯奈ちゃんはやっぱり優しく首を横に振りながら、話を全部受け止めてくれて。
 そして。

「私、ずっと覚えている言葉があるんです。
 ────好きなら、諦めちゃダメなんですよね?」

「………………ぁ」

 思わず、わたしは顔を上げていた。
 忘れるはずがない。だってそれは、その言葉は。

「みのりちゃんと初めて会った時、部活動を諦めようとしている私にみのりちゃんがくれた言葉です。この言葉があったから、私は高校でずっと部活動を続けることができた。いつも、いつだって私を支えてくれる……私の宝物なんですよ」

 そっと胸に手を添えて。
 ふわっと、優しく微笑む唯奈ちゃん。

「唯奈、ちゃん……」
「……確かにアイドルは恋愛禁止かもしれません。それに、正直に言うとみのりちゃんが遥ちゃんをそう想っているんだと知って、ファンとして複雑じゃないかと聞かれれば否定はできません。
 でも、でもね、みのりちゃん!
 私達は誰もが知っています。遥ちゃんがいたから、みのりちゃんがアイドルになりたいという夢を抱けたことを。みのりちゃんがいたから、遥ちゃんがまたアイドルになることができたんだっていうことを!
 だから大丈夫。大丈夫だよ、みのりちゃん」

 もう言葉も喋れなくて、コクリと頷き返す。
 すると唯奈ちゃんは──

「遥ちゃんの本当の〝想い〟を聞く前に諦めちゃうなんて、みのりちゃんらしくない。
 だって私が……ううん、私達が好きになったのは、誰よりも真っ直ぐな花里みのりちゃんなんだから!
 遥ちゃんへの〝好き〟を、諦めちゃダメです。
 頑張ればきっと……きっと、うまくいきます!
 私の背中を押してくれたみのりちゃんを、今度は私に応援させてください!」

 差し伸べてくれる手に、わたしは手を重ねていた。

 あと一歩、足りない勇気をくれる。
 手を引いて、立ち上がるための元気をくれる。
 ……唯奈ちゃんの言う通りだ。
 まだわたしは、遥ちゃんから何も聞いていない。
 遥ちゃんの本当の〝想い〟を、まだ聞けていないんだから!

「ありがとう唯奈ちゃん。わたし、もう少しだけ、頑張るね」

 何度でも決心する。
 この恋だけは、この想いだけはどうしたって────

〝青〟


「──それでも、『遥ちゃんのことが大好き』っていう気持ちはちゃんと伝えたい!」

 楽屋の扉を開けようと私がドアノブに手をかけた瞬間、そんな声が聞こえてきた。
 瞬時に止まれた自分を褒めたかった。
 同行していた雫をおそるおそる見上げると、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた。私に何も言ってこないのは驚いているせいなのか、気遣っているのか。どっちなんだろう……なんて風に冷静を装う自分が滑稽だった。

「前は『好きだと伝えたわたしが間違いだ』って言っちゃったけど……本当は、わたしの想いは間違いなんかじゃないって信じたい。遥ちゃんにも知っていてほしいし、受け取ってほしい」

 喜ぶな。
 喜ぶな、私。

「遥ちゃんと本当に両想いなのか……遥ちゃんがわたしのことをどう想っているのか、確かめておきたいの」

 やっと整理がつけられそうだったのに。
 元の仲間で友達っていう関係に、落ち着けると思ったのに。

「曖昧なままにしたくない。
 苦しいままで、この恋を終わらせたくないよ。
 だって誰かを好きになるって、本当は素敵で、嬉しいことのはずなんだから!」

 やっぱり、私は、みのりの事が──────。


   ♪


 まさか逃げ出すとは、自分でも思わなかった。
 自分にこんなみっともない部分があるなんて知らなかった。
 みのりの声を聞くのが怖くて、顔を見ることができなくて、逃げて、逃げて、無我夢中で走って────逃げて。
 逃げた先でうずくまる。
 体育座りをして、膝と膝の間に顔を埋めた。
 ギュッと瞼を閉じて暗闇に身を委ねた。

「……見つけられてよかった、遥ちゃん」
「……どうしてここにいるって分かったの、雫?」

 そんな私に、声をかけてくる人がいた。
 顔を上げずに返事をすると、その人は──雫は私の隣にしゃがみ込んだ。

「私もね、一度だけ〝ここ〟に逃げたことがあったの。ファンのみんなと向き合うのが怖くて、でもどこへ行っても人がいて……逃げられるのは〝ここ〟しか無かったのよね」
「……そんなことがあったんだ」

 私も同じだった。
 みのりから逃げて、愛莉と雫からも逃げて、でもまだ外には帰り際のスタッフさんやファンのみんながいた。
 行き場を失った私が咄嗟に頼ったのは、『アイドル新鋭隊』の七文字。
 いつだって私たちを受け入れてくれた──〝ステージのセカイ〟に逃げ込んだ。
 だけどステージの上で、私はうずくまっていた。

「……でも、これって……」

 雫の声の矛先が私から、目の前に広がる景色に変わる。

「……この景色が、遥ちゃんの本当の〝想い〟なのね」

 ────青のペンライトが、客席一面に輝いている。

 ……海みたいに見えるんだ。
 ステージの上からだと、海みたいに見える。
 私が一度失ったはずの景色が広がっていた。
 みのりが取り戻させてくれた景色が、セカイに逃げた私を待っていた。
 その意味が分からない訳がない。
 また、顔を上げる。
 青色に輝くセカイを視界に捉えた瞬間、ボロボロと瞳から涙が零れ落ちる。
 だってこのセカイは、嘘を付けない。
 私の本当の〝想い〟が露わになってしまう。

「……私だって、好きだよ。
 大好きだよ、みのり……っ!」

 諦めるなんて、できるはずがない。
 苦しくて、辛くて、どこかへ消し去ってしまいたいのに……〝想い〟はこんなにも綺麗に輝いている。
 ただの仲間、ただの友達。
 そんな言葉で片づけられない。
 みのりが手を引いてくれたから、私はステージの上(ここ)に戻ってきた。
 私を灰色の世界から救い出してくれた。
 きっとあの日、あなたが手を握ってくれた瞬間から、私の恋は始まっていたんだ。
 ……そうして泣きじゃくる私に、雫がハンカチを差し出してくれる。刺繍で刻まれた四つ葉のクローバーがどうしようもなく愛おしく思えて。
 さらに涙をあふれさせる私を、雫はそっと抱き寄せた。

「私は詳しく話を聞いていないから、全部推測でしかないの。もし見当違いなことをお話していたらごめんなさい」
「……雫……」
「……みのりちゃんってとってもいい子よね。誰よりも真っ直ぐで、いつも瞳をきらきら輝かせていて、見ているだけで元気を貰えちゃう。しぃちゃんや穂波ちゃん達とも仲良くしてくれる……出会えたのが幸運だと思えるくらい優しい子。
〝Cheerful*Daysの日野森雫(わたし)〟も〝ただの日野森雫(わたし)〟も好きだと言ってくれた。ハッピーエブリデイとして……バラエティアイドルとしての愛莉ちゃんのことも大好きでいてくれた」
「うん……っ」
「みのりちゃんは誰よりも〝好き〟を大切にしてくれる子だもの」

 優しい銀鈴の声で、雫は断言した。

「遥ちゃんの中にある〝好き〟も、みのりちゃんなら大事にしてくれる。
 だから大丈夫。きっと……ううん、絶対に大丈夫よ、遥ちゃん」

 ……なんて、遥ちゃんが一番よく分かっているわよね。そんな風に冗談めかす雫。
 私はハンカチで目元を拭って、コクリと頷き返した。
 雫の言う通りだ。
 みのりがずっと好きでいてくれた桐谷遥(わたし)が、他の誰よりも知っている。
 でも、だけど……。

「────あっ」

 雫がおもむろに声を上げた。
 反射的に振り返った私の目の前で、白い光が瞬く。それは現実世界からセカイへ誰かがやってくる時の光だった。すっかり見慣れた白光の中から出てきたその人は────私を見つけるなりホッと胸をなでおろした。

「よかった。遥、本当にセカイにいたのね」
「愛莉……」
「……ごめん。みのりをそそのかしたのはわたしなの」

 深く深く、頭を下げられる。
 立ち上がって「顔を上げて」と告げても、愛莉は腰を直角に曲げたまま続けた。

「アンタがどんな決意をしたのか知っていて、その上でわたしはみのりの背中を押した。……ずっと水の中で溺れているみたいだったみのりを放っておけなくて、本当に余計なお節介を……」
「……ううん、謝らないで愛莉。酷い事をしたのは私だよ」

 眼前に広がる青いセカイを示せば、愛莉は何とも言えない表情を浮かべた。笑っているし泣いている……そんな表情だった。
 二人に支えてもらって、青いペンライトで埋め尽くされた客席を見下ろす。
 なんだかあの日みたいだと思いながら、私は話し始めた。

「みのりの事は好きだよ。大好き。女の子同士で、アイドル同士で、それでも好きで好きでたまらない。みのりを想うだけで胸がいっぱいになるし、全身がバラバラになりそうになる。こんなに好きになる人はきっと、後にも先にもみのり一人だけだよ」
「なら──」
「でもね」

 雫の言葉を無理やり遮って、続ける。

「……怖いんだ。みのりに想いを伝えた後に起きるかもしれないことが。
 もし、みのりとの交際が発覚してモモジャンが活動できなくなったら? もし、みのりがもう二度とステージに立てないような事態になったら? そんなことが起きたら私は一生自分を許せなくなる。
 みのりには、私たちみたいな目に遭ってほしくない。
 あの子の希望の光を、私の我が儘で絶やしたくないの。だから……」
「恋心ごと無かったことにして、みのりを諦めようとした」
「……できなかったんだけどね」

 もしもを並べて、嘘で塗りたくって、それでも消えることのない〝想い〟が眼前に広がっている。
 私にはもう、苦笑を浮かべて持て余すことしかできない。
 そんな私の頭を──愛莉はクシャクシャと乱暴に撫でた。

「ねぇ遥。もう少しくらい、みのりの強さを信じてあげてもいいんじゃない?」

 そして、説得というにはあまりにも軽く笑いながら言った。

「え……?」
「だってアンタ、知ってるでしょ? 花里みのりはたとえ51回オーディションに落ちようともアイドルを好きだという気持ちを手放せなかった、強かな女の子なのよ」
「……そうね。アイドルとしてデビューして、辛い批判やコメントを受け止めて、それでもみのりちゃんが折れることは一度もなかった。そんなみのりちゃんが隣にいたから、私たちは今日まで四人で……四つ葉のクローバーでいる事ができたのよね」

 雫まで微笑みかけてくる。
 ステージの上で唖然としているのは私だけだった。

「みのりはもう、アンタを見上げるファンでも、アンタの背を追うだけの新人でもない」
「誰よりも遥ちゃんの隣に一番相応しいアイドルだもの。どんな困難も壁も、遥ちゃんと一緒に向き合ってくれるはずよ」
「……じゃあ、愛莉や雫にまで迷惑が及んだら? ファンのみんなを失望させて、〝MORE MORE JUMP!〟として活動できなくなったら!?」

「「その時は、頑張る!」」

 顔を見合わせて、ハモった、と笑う愛莉と雫。
 具体性も何もない気休めな言葉。
 そのはずなのに、私の瞳からまた涙が溢れ出して、頬を伝っていく。

「……どうして、そこまで言ってくれるの……?」
「ま、アイドルだからかしらね」

 頬を掻きながらはにかむ愛莉。

「だってあの国民的アイドル・桐谷遥が『アイドルは恋愛禁止』の不文律を守れなくなるくらいの〝恋〟なのよ? それ程に強い〝想い〟が否定されてしまうなら、わたしはもうアイドルとして何を応援すればいいのか分からなくなるわ」
「……もしも今、遥ちゃんが沢山の不安に襲われているのなら、私たちがその不安を希望に変えてあげる。〝明日頑張る希望〟がないのなら、私たちが遥ちゃんに届けるわ。だって遥ちゃんは私たちの大切な仲間で、私と愛莉ちゃんは〝アイドル〟だから!」

 その時だった。
 セカイが変化していく。ペンライトがぽつりぽつりと色を変えていく。
 煌めく青い海が、鮮やかな若草色の草原へ。
 希望に満ちたクローバーが、広大なセカイの端から端まで、広がっていく。

 その光はあまりにも優しくて、心の底から愛おしかった。


   ♪


 三人で現実世界へ戻る。
 急いで楽屋へ向かうと、みのりは後片付けを済ませて、椅子に腰かけて私たちが戻るのを待っていてくれた。
 私と目が合うと一瞬ぐらっと体が揺れたけど、それでも視線を合わせたままでいてくれた。目元が赤い。泣いていたんだよね。好きな女の子を泣かせるなんて、私は何をやっているんだろう……。
 その上で今から言うことに罪悪感を覚えながら、頭を下げた。

「────時間がほしいんだ」

 愛莉が肩をすくめて、雫が頬に手を添えるのが気配で分かった。
 私が向かい合ったオレンジ色の女の子は、キョトンと目を丸くしていた。

「もう少しだけ考える時間をください。もう逃げない。誤魔化さないし嘘もつかないし、この想いを無かった事にしない。だから私に時間をください」
「遥ちゃん……」
「今まで散々振り回して、まだ待たせるのかって正直自分でも思うけど……それくらいみのりのことが大切だから、曖昧な答えは出したくない。真剣に、考えたいんだ」
「………………あ、あぅ……」
「……ほぼ告白してるようなモンじゃない、って茶々入れていいかしら」
「愛莉ちゃんしーっ」
「聞こえてるよ二人とも」

 小声で囁き合う愛莉と雫に言い返すも、二人は素知らぬ顔だった。当のみのりはと言えば『みのりのことが大切だから』と伝えた瞬間にボン! と顔を真っ赤にして。
 ああ、やっぱり可愛いなぁ。
 私はどうしようもなく、花里みのりに恋をしている。
 そんなことを改めて思いながら、私は久しぶりに嘘偽りなく微笑みかけた。

「これだけは、間違えたままにしておきたくないから伝えるね。
 ……逃げてごめんなさい。本当は嫌じゃなかった。
 みのりに好きって言ってもらえて、心の底から嬉しかったよ」

 ……あ。
 みのりが今更のように「えっ!? え、ええと、ええっと……! 嬉しいんだけど不意打ちすぎて、あのあのあの、ホントに!? うぅ、遥ちゃん……!」とパニックになってしまって……思えば随分と長い間見ていなかった反応に、私たちは声を上げて笑った。

「待ってるね。
 遥ちゃんが答えを出すまで、ずっと待ってる。
 わたし、そういうの得意な方だから!」

 笑顔を咲かせたみのりは、愛莉たちの言う通り──私よりずっと強かだった。

雪解けの季節


「ま、眩しい! 眩しすぎるよぉ!」
「もう、大袈裟なんだから……」

 クリスマスが終わればあっという間に年が明け──お正月。
 私のランニングコースでもある神社の入り口で、みのりの楽しそうな声が響いていた。その矛先にいるのは私。
 それもそのはず……と自分で言うのは照れくさいけど、私は今日、思い切って振袖で初詣に来ていたのだ。みのりは大層お気に召したようで、会うなり顔を赤くしながらハイテンションで褒められている。

「夏祭りの時も思ったけど、清楚で凛とした遥ちゃんはトレーニングのおかげで姿勢がいいから和服がとっても映えるね! 元々なんでも着こなせちゃう素敵な遥ちゃんだけど、浴衣も振袖も巫女装束も完璧に着こなせちゃうなんて流石です……! 和服で写真集出したら社会現象になっちゃうよー!」
「みのりってば……ありがとう。でも」

 しー、口の前で人差し指を立てる。

「あっごめんね! 夕方ごろの人が少ない時間に集合にしたけど、今の遥ちゃんが見つかったら一大事だもんね! でもでも、遥ちゃんの振袖が見れるなんて思わなかったから……! 写真撮ってもいいですか!?」
「いいけど……久しぶりなせいか照れるな……」
「振袖着るの久しぶりなの?」
「そこじゃないんだけど……まぁいっか」

 小声で興奮するという器用な状態へシフトして、スマホを構えるみのり。
 みのりが私を遠慮なく褒めるのが久しぶりだったんだけど、自分から白状するのも恥ずかしいので黙っておくことにした。パシャパシャパシャパシャと連写されている気がするけど、それも妥協しよう。
 久々に生き生きとしたみのりが見られて、嬉しくないと言えば嘘になるしね。
 私のせいで色々と我慢させていただろうし、今日は存分に甘やかし……パシャパシャパシャパシャ……パシャパシャパシャパシャ……。

「あ、あのねみのり。撮るのはいいんだけど、何枚撮るの?」
「ハッ、今逃したら次見れるのはいつだろうと思ったらつい!」

 気づいたら全方位撮影されていた。私が苦笑すると、みのりはようやくスマホを下ろして「えへへ……」と眉をハの字にした。
 お参り行こうか、と階段を登っていく。振袖の私に合わせてのんびりペースだ。

「次に振袖を着るとしたら来年のお参りか、二年後の成人式……じゃなくて『はたちのつどい』かな?」
「えへへ、成人式はわたしも振袖買いたいなぁ」
「みのりの振袖か……。その時は私も写真撮りたいな」
「ええっ? わ、わたしの写真なんてそんな……」
「みのりだけ私の写真持ってるのは不公平だと思うんだけど?」
「うぅ……二十歳になったらね!」
「ふふ、楽しみが増えちゃったな」

 新年あけたばかりなのに二年後の約束を結んで、境内へ。
 榎本さんや顔見知りの巫女さんたちと挨拶を交わした後、早速お参りに向かった。おみくじの方から「ま、また大凶~!?」となんだか覚えのある声が聞こえたけど、真偽を確かめるのは後にしよう。
 夕方ごろに来ただけあってかさほど並ぶこともなく、賽銭箱にたどり着く。

「えーっと、二礼二拍手一礼だよね?」
「うん。じゃあせーのっ」

 二人でお賽銭を投げ入れて、並んで手を重ねる。

 ──今年も〝MORE MORE JUMP!〟の活動が安泰でありますように。
 ──杏やこはね……みんなの受験が上手くいきますように。
 ──それと、みのりと……ううん、これは答えを出したら改めてお参りに来ますね。

 私が一礼して隣を伺うと、みのりはまだギュッと目をつぶっていた。毎年熱心にお願いしている姿を見てきたけど、今年は一段と念入りな気がする。

「ふう……お待たせ遥ちゃん!」
「お帰り、みのり。何をお願いしてたの?」
「口にすると叶わなくなっちゃうので、遥ちゃんにも言えません! でも大事なことを色々お願いしたんだ。アイドルのことと、受験のことと──遥ちゃんのこと!」
「え!?」

 ……不意打ちに変な声が出てしまった。
 顔が熱を帯びるのを自覚しながらみのりを覗き見ると、言った張本人は耳まで真っ赤になっていた。

「……ふふっ、慣れないことするから……!」
「……でもホントだからね!」
「わかってるよ。みのりのそういうところが好…………可愛いよね」
「あ、あんまり言い直せてないよ……!?」

 つい零してしまった想いは誤魔化しきれず、何とももどかしい空気が私たちの間に形成される。甘くてもどかしくて、胸の奥がソワソワする感覚も久しぶりだ。まだ答えを出していない以上、翻弄することになっちゃうかもしれないけど……。

「……みのり、よければ手、つなぐ?」
「……遥ちゃん、手を繋ぎたいです!」

 ────声が重なる。みのりと顔を見合わせて、声を上げて笑う。
 そうして私が左手を差し出せば、みのりは右手をそっと重ねてきた。
 ギュッと握りしめる。いつかの夏祭りみたいに恋人繋ぎはできないけど、私より高い体温と思った以上に小さい手のひらに心音が高鳴っていく。
 また埋まった半人分の距離。
 両想いだと分かっているからか、みのりは好意を伝えることも、好意を受け止めることも許してくれる。クリスマスイベント以来私は彼女の優しさにずっと甘えていた。
 気まずくなった距離も戻って、愛莉や雫が『もう答えを出すまで二人の関係に口出ししない』と宣言する程度にはぎこちなさも解消された。
 あとは答えを出すだけ……なんだけど。

「あーっ! はるかちゃんとみのりちゃんだ!」
「あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「わぁ、桐谷さん振袖なんだ! 綺麗だね!」
「…………。まぁ咲希と穂波も手を繋いでるし、いっか」

 やっぱりお御籤から聞こえた絶叫は望月さんのものだった模様。
 お正月から楽器ケースを背負った〝Leo/need〟のみんなと「あけましておめでとう」と挨拶を交わす。

 いつまでも甘えてはいられないけど。
 普段通りに接してくれるどころか、包み隠さず好意を伝えてくれるみのりに、私はずっと救われていた。


   ♪


「────それから一ヶ月もの間〝答え〟を出さずに躊躇っているのは、流石の私でも軽蔑するんですけどー?」
「…………返す言葉もありません」

 お手本のような半笑いを浮かべながらコーヒーを出してくれる杏に、私はお手本のような苦笑を返すことしかできなかった。
 ……本当にあっという間に時は過ぎて、二月。
 受験の息抜きに付き合って! と杏に呼び出されたWEEKEND GARAGEで開口一番にそんなことを言われてしまった。
 次の仕事まで二時間ほど暇だったので承諾したけど、真の目的はこっちだったか、とため息をつきながら熱いブラックを流し込む。
 杏も「夜の勉強のために飲んでたら何も入れないのが習慣になっちゃった」と嘆きながら、コーヒーを躊躇いなく一口飲んだ。

「ホント、遥ってみのりちゃんのことになると余裕失っちゃうよね」
「……だって、世界で一番大切な人だし」
「ようやく素直に認めるようになった点は褒めてつかわす」

 ご褒美いる? とメニューを差し出されるけど首を横に振る。今日は食事制限中、残念ながら甘い物は食べられない。
 杏は「何食べよっかなー」とメニューを眺めながら、

「こはねから学校での様子とかも聞いてるけど、みのりちゃんは健気に待ってくれてるんでしょ? そんなに想われてるんだから、答えなんて一択だと思うんだけどな」
「……ただの〝好き〟だけで答えを出したくないから、時間を貰ってるんだよ」
「拗らせてるなぁ」

 否定はできない。元々私がみのりへの恋心を歪めた末に起きたすれ違いが、夏から冬にかけての出来事だったんだしね。

「よし、遥! 期限を決めよう!」

 すると杏は、突然そんなことを言い出した。

「へ?」
「みのりちゃんを待たせるのは──そうだね、バレンタインデーまで! それまでに答えを出すこと!」

 ビシッ! と私を指さしながら楽しそうに告げる杏。

「勝手に決めないでよ杏、期限なんて──」
「ライブやイベントと一緒だよ! こういうのは期限決めておかないとズルズル引っ張っちゃうでしょ! 前科がありすぎるだけに今回は有無を言わせないよ!」
「杏……」
「それに待たせすぎると、流石のみのりちゃんも愛想尽かしちゃうんじゃない?」

 ……ずっと冗談めかした口調だったのに、最後の一言で真剣な声に変えるのはズルい。悪友の助言を受けて、スマホを取り出してカレンダーを表示させる。
 答えを出すと決めてから一ヶ月が過ぎて。
 バレンタインデーまでは、あと十日と少し。

「……わかったよ。決着はバレンタインだね」
「あはは、なんか平成の曲名って感じ。言質とったから」

 からりと笑う杏。

「ちなみにバレンタインってどうするの? みのりちゃんと二人で会う約束してる?」
「例年通り、モモジャン四人でバレンタイン配信だよ」
「仕事の話じゃなくて!」
「……みのりとは、特には」
「じゃあプライベートでチョコ渡す約束しておこうよ、今! ここで! 何だったら私も作るのも手伝う……いや、そこは桃井さんに頼った方がいいのかな?」
「わかったってば、ちゃんとバレンタインデーにみのりにチョコも渡すから」

 よろしい! と杏は満足そうにうなずいた。この件だと後ろめたいことが多すぎて徹底的に私が不利になってしまうので、早々に話題を逸らしにかかる。

「杏の受験が終わるのもこの辺だよね? いつだっけ?」
「うまく行くなら二月十二日が最後の学校かな……って思い出させないでよ」
「勉強は大丈夫そう?」
「あーあー聞こえませーん! 気分転換ー!」
「というか気分転換じゃなくて、私を玩具にしてストレス発散してるよね?」

 バレたか、と杏は肩をすくめて。
 まぁ構わないけど、と思いながらコーヒーの苦味を味わった。


 二時間ほど杏の愚痴に付き合って、ビビッドストリートを後にする。
 シブヤの宮益坂を下っていると、バレンタインを前面に押し出すお店なんかもチラホラと伺うことができた。すでにバラエティ番組の台本にバレンタイン向け企画が混ざり始めていたから意識はしていたけど。
 決戦はバレンタイン。
 何気なく口にしたけど、区切りとしては悪くないかもしれない。

「……でも、配信当日だと気まずくなりそうかな?」

 そうして電車で移動すること三駅。
 新宿にあるカフェで──カフェのはしごだ──ブラックコーヒーで体を温めながら待っていると、相手は待ち合わせ時間ぴったりに駆け込んできた。

「お待たせしました! すみません、前のレコーディングが押しちゃって……!」
「約束の時間ぴったりだよ、里帆」

 頭を下げたのは作曲家の長谷川里帆さんだ。
 彼女は〝MORE MORE JUMP!〟初めてのオリジナル曲を作曲してくれた方であり、当時はまだアマチュアだったけど、今はもうプロとして活動中。そんな縁だけでなく、里帆は私のファンであり、私たちと同じ『明日頑張る希望を届けたい』という想いを抱いている。
 モモジャン専属ではないとはいえ、私たちの活動を語る上で欠かせない大切な仲間。今もユニット単位で交流が続いていた。
 里帆は息が整わないまま店員を呼び、ケーキと紅茶のセットを頼んだ。

「そういえば里帆、今度あの〝STANDOUT〟に楽曲提供するんだよね?」
「そうなんですよ、もう緊張してしまって……! 今日もそのレコーディングの立ち合いだったんです。やっぱりロックバンドは格好いいですね!」

 プライベートな会話をしている間は敬語を外してくれてもいいんだけど、と思いつつも口にはしない。里帆が落ち着くのを見計らって打ち合わせに移行した。

「まずは新曲のスケジュールの確認から進めたいんですが」
「三月末にリリースする曲ですよね! レコーディングが二月十六日で、そこからミックスして完パケは恐らく二月末になるかなと……! 私の都合でギリギリになってしまいすみません」
「大丈夫ですよ。私たちの方こそ忙しい時期にお願いしてしまって……」
「いえいえ! 遥ちゃんとみのりちゃんの高校卒業を記念した歌ですから! 半年前にも言いましたけど、私に依頼していただけて光栄です!」

 気丈に微笑む里帆。
 それから納品用のファイル形式やレコーディングスタジオの確認を済ませて、話は曲自体へ。里帆から渡されたUSBメモリをタブレットにつなげてデモをコピーし、二周聴かせてもらう……そんな時だった。

「……遥ちゃん、少し疲れてますか?」
「ん?」
「うまく言えないんですけど、少し表情が硬いというか、目元に疲れが滲んでいるというか……いえその、いつも通り素敵なんですけど!」

 慌ててフォローしてくれる里帆の視線は私の手元に向いていた。そこに言及していいのかと迷っているのが表情に表れていた。里帆のこういう顔に出るところは少しみのりと似ているんだよね……ではなくて。
 両手で包んだブラックコーヒーは、そういえばWEEKEND GARAGEでも飲んでいた。
 無意識のうちに二軒連続でカフェインを流し込んでいたようだ。
 苦笑しながら、心配しないでと呟く。

「実は少し寝不足なんだ。最近考え事をしていて」
「考え事……受験、ではないですよね。何かあったんですか?」
「大したことじゃないよ……って言いたいけど」
「はい。今日はファンとアイドルではなく仕事相手として会っていますけど、それでも私に気付かれるなんて遥ちゃんらしくないかも」

 杏と話して気が緩んだ直後とはいえ、自認以上に余裕が失われつつある。配信や仕事で気をつけないと、と頬をかく私に里帆は眦を下げた。

「私に何か力になれそうですか?」
「……どうしようかな」
「前に私が悩んでいた時、遥ちゃんは私の話を聞いてくれたじゃないですか。あの時の恩返し……は楽曲制作で沢山しているんですけど! でも、よければ遥ちゃんの力にならせてください。お話するだけでも楽になるかもしれませんし」
「……ありがとう、里帆。それじゃあここだけの話で」

 私が口の前に人差し指を立てると、里帆はコクコクと大きく頷いた。
 そうして私は。
 声を出さないようにね、と前置きしてからアイドル失格な〝想い〟を伝えた。

「…………………………っ」

 話し終えると、里帆は案の定驚いていた。大きく目を見開いて口元を両手で塞ぐ、という見事なボディランゲージに私は苦笑いしか返せない。

「……ごめん。驚かせちゃったよね」
「い、いえいえ! でもそっか。みのりちゃんと遥ちゃんが……そうなんですね」

 熱くなった頬を誤魔化すようにブラックコーヒーを流し込む。表情を改めた里帆はなぜかホッと胸をなでおろしていた。

「……里帆、いいの?」
「何がですか?」
「私とみのりが、その、恋愛的な意味で両想いなことを、すごくあっさりと受け入れられたから。罵られたり失望されたりするかと思っていたんだけど……」
「……まあ、お似合いですし」
「……そう言ってもらえると、すっごく嬉しい」

 少しでも空気を和らげたくて素直に告げてみると、里帆はくしゃっと表情を緩めた。

「ふふ、遥ちゃんでもそんな表情するんですね!」
「恥ずかしいなぁもう……」
「笑っちゃってごめんなさい。遥ちゃんも女の子なんだなぁ」

 くすくすと肩を揺らした里帆は、打ち合わせで使ってから出しっぱなしにしていたUSBメモリを摘まんだ。

「長谷川里帆個人としては心から祝福したいです。みのりちゃんが遥ちゃんの恩人だということはよく知っていますし、二人が強い絆で結ばれていることも仕事仲間として知っていますから!
 でもファンという意味であれば、アイドルが恋をすることは複雑です。もちろん私は応援しますけど……ファンの中で嫌がる方はいるだろうし、それが原因でファンが対立してしまったり、モモジャンの配信が荒れるんじゃないかな、という懸念もあります」
「……そうだよね」
「……その時に一番辛い想いをするのは遥ちゃんとみのりちゃんだから、客観的な立場にいる私は、もしかしたら『私の推しが恋するなんて許さない!』って嘘をついた方がいいのかもしれませんね」

 でも、と呟く里帆。

「────想いは、消そうとしても簡単には消えないですもんね」

 …………あ。
 たぶん私は今、人生で一番間の抜けた表情をしていた……と思う。
 里帆は優しく微笑みながら、両手を胸に……心に添えた。

「私は『自分の曲でみんなに希望を届けたい』という〝想い〟を捨てられなくて、結局今の今まで抱き続けています。強い想いはそう簡単に消えてくれない……盗作疑惑で炎上して、苦しすぎてどうしようもなかった私に遥ちゃんが言ってくれたことですよ」
「……そう、だね」
「きっと恋心も一緒ですよね。一度芽生えたその〝想い〟は」
「……全然、捨てられなかったよ」

 なんだ、昔の自分が言ってたんだね。
 みのりへの〝想い〟を、そう簡単に諦められるはずがなかったんだ。

「あ、こちょこちょしますか?」
「もう……ありがとう、里帆」

 冗談めかしてくれた彼女にお礼を告げると、やっと表情が柔らかくなった、と里帆は穏やかに笑った。


 打ち合わせも終えて里帆と駅で別れると、私は早速みのりにメッセージを送った。
 2月14日。
 朝、宮益坂女子学園の屋上で待っていてくれませんか。
 いいよ、待ってます、ドキドキ、という犬のスタンプが三つ返ってくる。
 まあ日付が日付だもんね……とはいえクリスマスを過ぎてからのみのりは相変わらず強敵だ。ドキドキって、まるで私が『告白するから待っててね』と宣言しているみたいになってしまった。
 まあ、するけどさ。
 告白と、答え合わせ。
 そうしてシブヤ駅で降りた私は、とある場所へ向かった。
 お正月にした忘れ物。
 神社の階段を登って、境内で榎本さんと挨拶して、お賽銭を投げて。

 ────神さま、どうか。


   ♫


『ん? 2月14日って登校日じゃないよね? みのりと桐谷さんは学校行くの?』
「元々遥ちゃんと一緒に朝練してから、愛莉ちゃん家でバレンタイン配信の準備しようって段取りだったんだ。だから朝会うのは予定通りなんだけど」
『な、なんだか聞いてる私の方がドキドキしちゃうな……遥ちゃんついに……』
「まだ分からないんだけどね! で、でも……ねぇこはねちゃん、志歩ちゃん。期待してもいいのかな……!?」
『最近桐谷さんに会ってない私たちに聞かれても──って言いたいけど、期待しなよみのり。桐谷さんってそういうのは裏切らない人でしょ?』
『そうだね。遥ちゃんってすっごく誠実だもん』
「だよね、そうだよね! ……わたしもチョコ、準備しなきゃ!」
『ふふっ、なんだか元気なみのりちゃん久しぶりかも。決戦はバレンタインだね』
『その気合いが空回りしないといいけど』
『もう、意地悪言っちゃダメだよ志歩ちゃん』
「ううん、志歩ちゃんの言う通りだよ! あと十日もあるし、リラックス……!」
『……できてる?』
『……できてなさそうなのが目に浮かぶ』
「あぅ……」
『あのね、みのりちゃん。私は12日が最後の試験だから13日しか力になれないけど、私にできることがあれば何でも言ってね!』
『私も……まぁバレンタインみたいなイベントには相変わらず疎いけど、出来ることがあれば協力するよ。みのりさえ良ければ穂波あたりに連絡繋ぐし』
「こはねちゃん……志歩ちゃん……! このご恩は一生忘れません~!」
『いつも大袈裟なんだから、まったく……』
『えへへ、みのりちゃんったら……』
『で、チョコの話だよね』
『志歩ちゃんが前にホワイトデーで行ったっていうチョコファクトリーはどう?』
『あー……あそこはそもそも、桐谷さんと一緒に行ったからなぁ』
「やっぱり自力で手作りするしかないかなぁ……あ、こはねちゃん勉強の邪魔になってない!?」
『ううん、大丈夫だよ。今は休憩中だから』
『みのりのバレンタイン大作戦、作戦会議スタートだね』

 ────神さま、どうか。


   ♫


 ────神さま、どうか今日は味方して。


   ♪

 人気のない階段を登って、ガチャ、と屋上へつながる扉を開く。
 私の頬を撫でたのは、真冬の寒空に差し込んだ日差しだった。
 雲一つない快晴だ。まだ顔を覗かせたばかりの朝日が世界を焼いていく。
 肌寒い、なんて表現じゃ済まないほどに寒い高校三年生の冬。コートを脱げる日は──雪解けの季節はまだまだ遠そうだ。こんな日の早朝に屋上に呼び出すのはロマンチックじゃなかったかも、と短くため息をつく。その息も白く染まっていた。

 つけた手袋はあなたからの誕生日プレゼント。
 ほとんど中身の入っていないスクールバッグの紐を握りしめる。
 もう数えるほどしか着ないだろうセーラー服のスカートの裾が、私の膝を撫でて。
 そんなタイミングで──屋上の扉が開く音がした。
 愛おしいオレンジ色の髪飾りが視界に入ると、私の頬は勝手に緩んでいた。

「お待たせ遥ちゃん! ごめんね、待たせちゃったよね?」
「ううん、全然待ってないよみのり」

 花里みのり。
 私がどうしようもなく恋焦がれた、大切な人。
 彼女は肩で息をしていた。何か急がせちゃったかなと思えば、みのりの方から「今日に限って信号が全部赤だったの~!」とネタバラシ。久しぶりの不運体質が影響しちゃったみたいだ。

「別に少しくらい遅れても大丈夫なのに。授業があるワケでもないんだし」
「で、でも流石に、校舎で下級生の子達が授業してる中は気まずいかなぁって……」
「……何をするかは言ってないけど?」
「……バレンタインデーだもん、わかるよ」

 と。
 そう呟いたみのりは足音を響かせて、私の真正面まで駆け寄ってきた。

「……」

 ときどき、その瞳をするよね。
 普段は人懐っこい柔らかな瞳が宿す、銀色の光。
 真剣な眼差しの先に私がいる。
 もう逃げないよ。
 頬の赤さは寒さのせいだけじゃないし、胸の高鳴りは走ってきたからじゃない。
 みのりがいるから。

「……どうしても、この屋上で告白したかったんだ」

 大きく目を見開くみのり。
 私はライブ前でもこんなに震えない腕を抱きながら、話を始めた。

「もし私が静かに本を読める場所を探していなかったら。もしみのりが自主練の場所で屋上を選んでいなかったら。もし、この屋上で私とみのりが出会っていなかったら……私たちはどうなっていたのかな」
「……考えられないよ、そんな〝もしも〟」
「うん、私にも考えられない。みのりと出会えたのも、愛莉と雫と出会えたのも、ミク達と出会えたのも──何もかもが偶然だけど、私の人生で一番の幸運だった。今の私に繋がっている全ての始まりは、この屋上なんだ」

 ステージから降りた私がもう一度〝想い〟を手にすることができたのは。
 あなたがいたから。

「アイドルとしても、仲間としても、友達としても──恋人としても。これからも沢山の時をみのりと一緒に重ねていきたい。ステージに立ってドキドキしたい。歌を一緒に奏でていきたい。何回、何千回でも一緒に笑いたい……って、そう思うんだけどね」
「…………あ、あれ?」
「ごめんなさい。今から私は、自分でも信じられないような、最低な告白をします」

 罪悪感で押しつぶされそうになりながら、困惑するみのりに苦笑を返す。
 私には結局、こんな答えしか出せなかった。

「私、桐谷遥は、花里みのりを愛しています。
 この世界の誰よりも、みのりのことが好きです」

「っ!」
「でも──私とみのりは〝アイドル〟だから」
「……うん」
「もし、もしもだよ……」
「うん」
「…………やっぱり、こんな……」
「大丈夫だよ、遥ちゃん。わたし、全部受け止めるから」
「……っ」
「だから、教えて?」

「────私は、〝アイドル〟の花里みのりも大好きなんだ」
「……」
「私とみのりが付き合うことで、ファンのみんなを失望させたくない」
「……遥ちゃん……」
「純粋に応援できなくなるファンがいるかもしれないのに、その子達を裏切る選択肢だけは──どうしても、私には選べなかった」
「……そっか。遥ちゃんは……ううん、遥ちゃんも〝アイドル〟だもんね」
「だから、今すぐにはみのりとは付き合えない。たとえ両想いでも、私自身が心の底からみのりを愛していても、私自身がその選択を許してくれない」
「……わたしは、それでも……」

「……だけど。
 もし、みのりが許してくれるなら、一つの約束を結ばせてほしいんだ」

 いくつもの〝もしも〟を並べて。
 いくつもの〝たられば〟を問いかけてきた。
 そんな桐谷遥(わ た し)に出すことのできた答えは、あまりにも酷い我が儘だった。
 ごめんね、みのり。
 これが私の重ねる最後の〝イフ〟だから。

「────私とみのりが世界中で待っているファンに希望を届けた、その後で。
 アイドルを引退した後、もし、まだみのりが私のことを好きだったら。
 その時は、私と結婚してください」

 ……杏には、最っ低、と笑われた。
 愛莉には、アンタらしいけど、とため息をつかれて。
 雫には、それが遥ちゃんの選択なら、と尊重されて。
 嫌な鼓動を響かせる心音に、緊張のし過ぎでおかしくなってしまいそうだった。

「……それだけで、いいの?」

 そんな私に────みのりはキョトンとしながら呟いた。

「…………え?」
「あれ? だ、だって、わたしがずっとずっとずーっと遥ちゃんを好きでい続ければ、遥ちゃんと結婚できるって……そういう話だよね?」
「……そう、だけど……何年後になるか分からないんだよ? しかも、両想いだって伝えたばかりなのに、付き合えないって一方的に……!」

「大丈夫だよ、遥ちゃん!
 だって遥ちゃんのことは、今も、子供の頃も──この先もずっと!
 世界で一番大好きでいる自信が、ありますので!!」

「…………みのり……」
「遥ちゃんと付き合える……というか結婚!? けっこん……結婚できるのなら!
 正直、理解が追いついてない気はするけど──いつまでも待てるよ!」

 ────ああ、きっと。

「謝らないで遥ちゃん。わたしも〝想い〟は一緒だよ。
 ファンのみんなを大切にしたい。わたし達を待っているみんなに希望を届けたい。
 だってわたしは……わたし達は〝アイドル〟だもんね!」

 ────私は何度でも、あなたに救われて。

「それでも、遥ちゃんのことも大好きだから。
 だから、約束!」
「うん。約束」

 ────あなたに、恋をする。

 小指と小指をギュッと結んで。
 私は、笑顔を咲かせたみのりを無意識のうちに抱き寄せていた。
 みのりの手が背中で結ばれる。おでこが肩に押しつけられて、二人分の涙が胸元にボロボロと染みを作っていく。真冬の冷えた空気の中で、腕の中にある体温はあまりにも愛おしく感じられた。
 頭が真っ白になりそうだった。溢れる想いを我慢できない。ぎゅうと強く強く抱きしめても足りなくて、少しだけ体を離しながら熱っぽく色づいた頬を撫でた。
 顔を上げたみのりが、そっと目蓋を下ろす。
 それがOKの合図なんだと、私はもう知っていた。

「────約束するよ。私はこの先いつまでも、みのりを愛してる」

 二回目のキスは、未来への約束。
 今なら何一つ躊躇うことなく、伝えられる。

誰にも内緒の一日


「アンタ達、一回くらいはデートしてもいいんじゃないの?」

 その提案をしてくれたのは、意外なことに愛莉ちゃんだった。

「ん?」
「で、デート?」

 わたしと遥ちゃんが『アイドルを引退するまでは付き合わないけど、引退した後に結婚する』と約束したことを報告して………………というか承諾しちゃったけど、わ、わたし遥ちゃんにプロポーズされたんだよね!?
 夢じゃない、信じられない………………なんて調子で電柱にぶつかるし自販機で青汁を買っちゃうし、醜態を昨日散々晒して遥ちゃんに心配されたので置いといて。
 長谷川さんが作ってくれた新曲のレコーディングの帰り道、ご飯に寄ってそんな報告を愛莉ちゃんと雫ちゃんにしたところ、さっきの提案をされたのでした。

「……愛莉、話聞いてた? 私とみのりは今すぐには付き合わないって決めたんだけど……」
「聞いてたわよ。でもせっかく両想いだって分かったのに一度も恋人っぽいことせずに我慢するのは、流石に頑張り過ぎだと思うのよね」

 愛莉ちゃんは個室なのをいいことに、気兼ねなく苦笑する。
 聞けば遥ちゃんの方でも色々と愛莉ちゃん、雫ちゃんの二人と話していたみたいで、わたし達の恋路は二人にすごく支えられていたみたいで……。
 頭が上がらない先輩の一人、雫ちゃんも頬に手を添えながら瞳を細めた。

「そうね。二人とも、いっぱい考えたり悩んだりしたんだもの。一回くらいはご褒美があってもいいと思うわ」
「ご褒美、か……」

 と呟く遥ちゃんと目が合って、頬がかぁと熱くなった。
 恋人にならないという約束だから当たり前なんだけど、わたし達はバレンタインデーから恋人っぽいことはしていない。二回目のキスが最後だと思っていたんだけど。
 珍しいことに遥ちゃんまで顔を赤らめるので、ますます照れくさいというか……。
 そんなわたし達を見て、愛莉ちゃんは改めて苦笑した。

「アンタ達、プライベートじゃここ二日ずっとそんな調子でしょ? ファンや共演者の前でボロを出さないのは流石だって褒めておくけど、一回発散しておかないと、早いうちに我慢できなくなるんじゃない?」
「そ、そそそ、そんなことないよ! 我慢するよ! だって約束したもん、遥ちゃんと結婚するまではアイドルでいるって!」
「みのり、順番が逆だよ。アイドルを引退したら私と結婚する、が正解」
「ひゃっ……待って遥ちゃん! 耳元で囁かれるとただでさえ遥ちゃんの声でドキドキしちゃうのに、『遥ちゃんと結婚する』という事実を受け止めきれなくて心臓が爆発してしまいます……!!」
「でも事実でしょ?」
「事実なんだけどぉ……!」
「……みのり、その調子でホントよく『我慢できます』って言えたわね」

 うぅ、だって両想いなのは本当なんだもん……気を抜いているとにやけちゃうし照れちゃうよ……。
 すると隣で遥ちゃんは口元に手を添えて、何かを思案した。

「…………。あのね、みのり」
「な、何でしょうか!」
「私も役得になっちゃうから罪滅ぼしにならないんだけど……私を好きだと言ってくれたみのりに『アイドルを引退するまで付き合わない』って約束を強いたこと、申し訳ないと思っていたんだ。みのりの善意に甘えているだけだからね」
「わたしは別に──」

「約束を少し破ることになっちゃうけど、一日だけ、私にみのりを心の底から愛させてくれないかな? 素直に伝えられていなかった分、全力で〝好き〟を伝えるよ」

 ──────────。
 …………………………。

「…………………………その言葉だけで嬉しすぎて死んじゃうよぅ……」
「よく耐えたわみのり、よく気絶しなかった!」
「すごい葛藤だったわ……みのりちゃんお水飲んで!」
「もう……みんなして大袈裟なんだから」

 一分くらい息を止めていた。でないと口から心臓が飛び出てしまいそうだった……。
 頬をかいた遥ちゃんは、隣に座っているのをいいことにわたしの手を取った。

「改めて言うね。みのりは私に〝好き〟をたくさん伝えてくれたけど、私からみのりにはほとんど伝えていなかったでしょ? その埋め合わせをさせてほしい。
 今度のお休み、一日だけ私をみのりの恋人にしてもらってもいいかな?」
「こ、こちらこそ! 不束者ですが、よろしくお願いします……!」

 約束ね、と小指を絡めてくる遥ちゃん。
 わたしはもうキャパシティオーバーでこんがらがった頭で、辛うじて小指をギュッと結んだのでした。


   ♪


 スケジュール帳を確認すると、二月末に二人ともお休みの日があった。
 一日だけだからあまり遠出できないし、フェニランにでも行こうかと約束を結ぶ。それからはもうドキドキの毎日だった。授業も受験もないから助かったけど全然落ち着かない。レッスンや仕事の間は〝アイドル・花里みのり〟でいられるのですごく楽だった。

 あと五日もあるのにクローゼットの中身を全部引っ張り出したり、受験の終わったこはねちゃんにフェニランについて教わったり。
 浮き足立つの意味がよーくわかった。
 自分の体と心が一致しないくらいフワフワしているのに、すぐにでも駆け出してしまえるような熱量が胸の奥底に溜まっている。
 ずっとずっと溜めていた〝好き〟が、今にも爆発してしまいそう。
 当日、朝のニュースで『夜に雨が降る』とキャスターさんが言っていたけど、なんとなく傘は持たなかった。いつも履いているスニーカーにつま先をさして、トントンと踵を入れる。髪型ばっちり、荷物もばっちり、心の準備もばっちり!
 サモちゃんに見送られて、わたしは家を飛び出した。

 待ち合わせは渋谷駅前。スクランブル交差点を見上げると、ビジョンにミクちゃんのCMが流れていた。一歌ちゃんは今年もマジカルミライ行くのかな、なんて平静を装いながら周囲を見回す。遥ちゃんはもう到着しているはずなんだけど──と宮益坂方面に目を向けたわたしは、息を止めた。
 止めるしかなかった。

「──────か、っこ、いい……っ!!」
「ん? みのり?」

 黒いキャップを目深に被った遥ちゃんが、ガードレールに浅く腰掛けてスマートフォンをいじっていた。ファッション誌のピンナップみたいに絵になっていて、早速心臓がドキッと弾む。
 そんなわたしに気付いて黒マスクを外した遥ちゃんは、左耳に一つ、右耳に二つのイヤーカフを煌めかせていた。サイズの大きな青いスタジャンを羽織り、惜しげもなく脚を露出させたショートパンツ。杏ちゃんみたいなストリートファッションで、変装しつつも格好良いという神かがったバランスで。

「今日の遥ちゃん格好よすぎるよーっ!」
「おはようみのり。似合ってるかな?」
「お、おはようございます! とっても似合ってます!」
「ふふ、どうして敬語なの」

 でもありがと、と瞳を細める遥ちゃん。あぅ、可愛さと格好良さが同居していていきなり心が追いつかない……!

「この前ショッピングに行った時杏に相談したんだ、みのりの彼氏に相応しいコーデしてよって。ストリート系はあまり着ないから、似合ってるなら良かった」
「か、彼氏!?」
「言ったよね、今日はみのりを心の底から愛するって」

 と言うと、ガードレールから腰を上げた遥ちゃんが手を伸ばしてくる。わたしの髪をさらと指ですくい上げて──。

「みのりは可愛い系の服が好きでしょ? 今日のコーデもとっても可愛いよ」
「ふぇ……」
「そんなみのりと並び立った時、友達じゃなくて恋人として見られたかったんだ。杏が言うには『コンセプトは格好いい彼氏と可愛い彼女』だって」
「……彼女……わたし、今日一日耐えられる気がしないよぉ……!」
「まだデートは始まったばかりだよ?」

 そういうところも可愛くて好き、とわざとらしく囁きながら笑った遥ちゃんは右手を差し出してきた。不意打ちで心臓はすでにバクバクだったけど、その意味が分からないとはもう言えない。
 左手を重ねて──

「みのり、今日はこっちでいいんだよね?」
「……う、うん! わたしもこっちがいいな!」

 ────すぐに指を絡めて、ギュッと握られる。
 今日だけは堂々としていいんだよね、夏祭り以来の恋人繋ぎ! もう頬だけで留まらない熱が全身の体温を上昇させる。あの時はわたしからだったけど今回は遥ちゃんから……しかもあの日よりずっとずっと優しくて、それなのに手のひらは熱くて……。

「……遥ちゃん、好き」
「……? 突然どうしたの?」

 振り返った遥ちゃんの顔が朱に染まる。わたしは少しだけ背伸びをして、イヤーカフの輝く耳元に口を寄せた。

「……あのね、遥ちゃんのことはいつも大好きなんだけど、今日は好きって定期的に言っておかないと、溢れて、いろいろ我慢できなくなっちゃいそうで……」
「……何それ可愛い……わかった。でも不意打ちはやめてね、私も我慢できなくなる」
「じゃ、じゃあ好きって言いたいときは背伸びするね!」
「うん。それなら私は……手の甲をこうしたら、囁く合図ね」

 わたしの手の甲を人差し指でトントンと叩いた遥ちゃんが、今度はわたしの耳元に口を寄せてくる。

「好きだよ、みのり」
「~~~~っ!」
「……人目のあるところでは、できるだけ我慢するね」

 悲鳴を上げなかったのは芸能人としての最後の理性だった。苦笑する遥ちゃんにごめんなさい~と謝りながら、宮益坂に向けて歩き始めた。

 高校生になってから何度も何度も訪れたフェニックスワンダーランドだけど、今日はいつもと違って見えた。
 別に特別なキャンペーンをやっているワケでもないのに、遥ちゃんと恋人として来ている、という事実がわたしの胸を勝手に高鳴らせる。
 チケットを係の人に見せてゲートを通ると、わたしは早速パンフレットを広げた。

「最初はどこ行こっか?」
「そうだね……鳳さん達のショーはチェックしたいけど、公演は夕方ごろだよね?」
「うーん……あ、観覧車乗ろうよ! 前にこはねちゃんが言ってたでしょ? 遊園地の最初と最後に乗ると──」
「今日一日回ったアトラクションやショーのことを思い出せるから、景色が違って見えるんだったね。それじゃあ最後に乗るのも忘れないようにしないとね」
「はーい!」

 フェニランのアトラクションの場所は何となく覚えているので、目的地が決まればパンフレットを一旦パタパタと折りたたんでバッグにしまう。すると──遥ちゃんが手を差し伸べてくる。

「え、園内でもいいの?」
「今日はできるだけ手を繋いでいたいんだ。私の我が儘、叶えてくれないかな?」
「遥ちゃん……! えへへ……」

 ワガママなんてことはない。わたしの方がきっと何十倍も手を繋ぎたいって思ってるのに、それを汲み取ってくれているんだ。ギュッと指を絡めて繋いで、手を引いてくれる遥ちゃんについていく。
 アイドルとして活動している時はもっと近づいたりハグしたりもするのに、肩がトンとぶつかるだけで心臓が鼓動を加速させる。一日限定とはいえ夢みたいだなぁ……なんて思っているうちに観覧車に到着した。
 二人でゴンドラに乗り込む。席に着いた遥ちゃんの向かい側に──

「みのり、こっちこっち」
「ふぇ?」
「恋人なんだから、遠慮しないで」

 座ろうとした瞬間、ぐいと手を引かれて隣に腰を下ろすことに。四人乗りのゴンドラなのに並んで座るなんて、本当に恋人みたい……。

「もう、そんなに緊張しなくていいんだよ? 隣に座るのは仕事で慣れてるでしょ?」
「で、でも今日は意識し過ぎちゃって……!」
「ふふ、顔真っ赤。可愛いよみのり」
「近い近い近い! この距離でそんなこと囁くのはダメです!」
「じゃあ逃げないで。でないとキスしちゃうよ?」
「…………だ、だめだってばぁ……」

 わたしの手首を掴まえてクスっといたずらに笑う遥ちゃん。距離十センチ? 五センチ!? 呼吸をするだけで香水の香りが頭を白黒させて、長い睫毛と海色の瞳が信じられない程に近づいてきて……。

「──んっ」

 そうして遥ちゃんは、宣言通りにキスをした。
 ……ほっぺにちゅう、だったけど。

「ひゃ、ひゃあぁぁ……」

 いよいよ顔が火を噴いてしまう。崩れ落ちるわたしを抱き留めながら「刺激が強すぎたかな」と遥ちゃんは苦笑した。

「嫌だった?」
「……嫌じゃ、ないよ。すっごくうれしい」
「良かった。……みのり、おいで」
「ん……」

 そのまま肩に寄りかかるのを許してくれる遥ちゃん。ゆるりと腕を抱きながら遊園地を見下ろして、ぽつぽつと言葉を交わす。どきどきと響く心音も、わたしの方へコテッと預けられる体重も、ゴンドラの中にある全部がわたしを熱していく。
 不思議。ほとんどお喋りしていないのに……砂糖みたいに甘くて幸せな時間。
 遥ちゃんに手をにぎにぎ遊ばれていると、観覧車はてっぺんにたどり着いた。

「あれ? お化け屋敷大きくなってるね?」
「リニューアルしたんだって。コースを長くして怖さもババーンと倍増した、ってえむちゃんが言ってたよ。そういえば、ジェットコースターにもトンネルを出た辺りに写真撮影するスポットができたんだって」
「そうなんだ。ところでみのり……もしかしてリサーチしてきた?」
「あ、デートってことは内緒にしたけど、えむちゃんと寧々ちゃんに『そのうちフェニランに遊びに行く』って報告したら教えてもらえたんだ。あとフェニランマスターのこはねちゃんからも色々と……まずかったかな?」
「ううん、そんなことないよ。今日は私がエスコートしようと思ってたけど、そういうことなら頼りにさせてもらおうかな」
「浮かれてるみたいで恥ずかしいけど、頑張るね! 早速ですが遥ちゃん、観覧車の次はジェットコースター乗らない?」
「え? みのり、絶叫系は苦手だよね?」
「そうなんだけど……でも今日は遥ちゃんの、か、彼女なので! 好きな人に〝好き〟を我慢してもらうのも嫌だから、頑張らせてほしいの!」
「みのり……」
「わっ!?」

 すると遥ちゃんは、わたしのことをギュッと抱きしめた!?

「……大好き」
「~~っ! あ、合図! 合図が抜けてます遥ちゃん!」
「そんなのしてる余裕ないよ。みのりの気持ちが嬉しすぎて……大好きだよみのり」
「……はるかちゃん待って、ドキドキし過ぎでしんじゃうぅ……」
「……ごめん、今日は手加減も我慢もしないから。みのりのこと、もっともっとドキドキさせてあげるから、覚悟してね」

 少し体を離した遥ちゃんが、すり、とわたしの頬を撫でた。この仕草には覚えがある。寒空の下、宮女の屋上でプロポーズされた日の……二回目の……。
 熱を帯びた真剣な眼差しに……初めて見る遥ちゃんの表情に、頭が真っ白になる。
 そっと目蓋を下ろす。
 くちびるに、柔らかい感触が重なった。


「ジェットコースター乗るの久しぶりだなぁ。この登っていく間のワクワク感が好きなんだよね」
「そうなんだね……うぅ……」
「大丈夫? やっぱり無理しない方が──まあ、もう乗っちゃってるけど……」
「だ、大丈夫! 遥ちゃんのためなら頑張れるよ!」
「みのり……手、握るね。少しは怖さが和らぐといいな」
「……ありがとう遥ちゃん。ちょっと楽になったかも」
「あと怖かったら躊躇わずに叫ぼうね、アドレナリンを出した方が楽になるから。……もうすぐ頂上だね」
「さ、叫べばいいの──って、わ、も、もう──ひゃああああああっ!!」
「わぁ────っ!!」


「うぅ……コースの途中だったから、すごい顔で撮影されちゃった……」
「そんなことないよ、可愛く撮れてるよ。でも伊達眼鏡やヘアゴムも持ってきておいてよかったね。変装してなかったらスキャンダル……いや、ネットニュースかな?」
「あはは……でも遥ちゃんが手を握っててくれたから、怖かったけど大丈夫だったよ! ありがとう遥ちゃん!」
「私の方こそ、勇気を出してくれてありがとう。とっても楽しかったよ。写真もいい思い出になったしね」
「明日から遥ちゃんのお家にこの写真があると思うと恥ずかしいです……」
「ふふ、大切にするね。次はみのりの行きたいところにしよっか」
「じゃあお化け屋敷でいい? 折角えむちゃんに教えてもらったし!」
「はーい。怖かったら彼氏に抱き着いてね?」
「……彼女だから、怖くなくてもわざと抱き着いちゃうかも」
「そういうことを言い慣れてなくて真っ赤になっちゃうみのり、本当に可愛い」
「し、指摘しないで~! 遥ちゃんのいじわるっ」
「ごめんごめん、可愛いなぁもう」


「へぇ、廃病院っていうコンセプトなんだね……」
「け、結構雰囲気出てるね…………すでに怖くて抱き着きたい……」
「遠慮しないでいいからねって格好つけたいけど、私も怖いかも……要所要所に何故か置いてあるフェニー君人形も不気味だし……」
「うぅ、あと百メートル以上続くの……? ここで右に曲が──」
「「──ひゃああああっ!?」」
「……い、今だけは彼氏解除でお願い。脱出に全力を尽くそう……!」
「うん……! 手、絶対離さないでね遥ちゃん……!」


「あっ、このチュロス屋さん」
「杏たちと来た時にも食べたところだね。食べていく?」
「さんせーい! 期間限定でチョコミックス味があるんだね」
「他はメイプルにストロベリー、それにシナモンにプレーンの五種類か」
「ハッ! この流れはもしかして……」
「すみません、全種類二つずつください」
「やっぱり! 遥ちゃん、わたしはそんなに食べられないよ~!?」
「お決まりの流れかなと思って。全種類一つずつお願いします。みのりは何味がいい?」
「全種類は食べるんだね……! わ、わたしはプレーンでお願いします!」


「ワンダーステージ、すっごく面白かったねー!」
「うん。今回は神代さんの舞台演出が派手で見ごたえがあったね。それに鳳さんと司さんのアクロバットも大迫力だったし」
「寧々ちゃんの歌も綺麗だったね! いっつも勉強になるなぁ」
「私たちも演劇風のライブをやってみても……じゃない! ごめんみのり、ついアイドルの話を……」
「ううん、勉強になるって言ったのはわたしの方だよ。それにわたしが大好きなのは、そういう遥ちゃんだから……!」
「みのり……。ナイトパレードまではまだ時間あるよね」
「……遥ちゃん? な、なんか雰囲気が……」
「行きたいところがあるんだ。ここからは彼氏にエスコートさせてもらえないかな?」
「…………はいっ」


 ────時間が過ぎていくのはあっという間だった。
 気づけば日も落ちて、空はオレンジ色と黒のグラデーションを描いている。素敵なフォトスポットにエスコートしてもらえたり、一緒にフェニー君と写真を撮ったり、噴水広場で休みながら何度も甘い言葉を囁いてもらえたり。
 夢みたいな時間も、もうすぐおしまい。
 このあとのナイトパレードを見れば、遥ちゃんとの一日限定の恋人も終わりだ。
 そのせいなんだと思う。
 遥ちゃんの右手が、わたしの左手を強く強く握っているのは。
〝好き〟と一旦お別れするまで、あと一時間も残っていない。

「遥ちゃん。もし良かったらなんだけど、ナイトパレードを観覧車から見ない?」
「私はいいけど……パレードは?」
「上から見ても綺麗だよってこはねちゃんに教わったんだ!」
「なるほど、そういうことなら」

 そうしてわたし達は、また観覧車へと向かった。
 パレード前ということもあってか、アトラクションに乗ろうとする人はそんなに多くなかった。ゴンドラに乗り込む直前、従業員さんが「今乗ればちょうど頂上のあたりでナイトパレードを見れますよ」と囁いてくれる。
 今度は手を引かれることなく、遥ちゃんと肩を並べて席に座った。少し上に昇ればもう園内を走るナイトパレードの輝きが見下ろせる。

「本当だ。上から見てもイルミネーションが綺麗……」
「うん。星空を見下ろしているみたいで素敵だね」

 ジェットコースターは流星みたい。お化け屋敷は大きな銀河。一緒に散歩した道に天の川のようにたくさんの明かりが煌めいていて、わたし達は今日の足跡をなぞるように地面を見下ろしながら感想を交わした。

「デート、もうすぐ終わりだね」

 そうして、遥ちゃんの手がわたしの手に重なる。

「……遥ちゃん、今日はありがとう」

 わたしはそっと手を握り返しながら呟いた。

「一日だけでも遥ちゃんと恋人として過ごせて、とっても嬉しかった。遥ちゃんのことがもっともっと大好きになっちゃった」
「……本当に、そう思ってくれてる?」
「え?」
「……だって私が変なことに拘らなければ、本当は恋人として毎日こんな風に過ごせたんだよ? それでも私に怒ったり、失望したりしないの?」
「……あのね、遥ちゃん。遥ちゃんは一つ勘違いをしています!」

 あくまでナイトパレードを見下ろしたまま告げる遥ちゃんは、珍しく弱気に声を震わせていて。
 思い返せば、デートの約束をした時からそうだったね。
 わたしは思わず苦笑してしまう。

「わたし、遥ちゃんに無理やり約束させられたワケじゃないよ」
「……でも」
「『でも』じゃないです! わたしも遥ちゃんのことが大好きで、でも〝アイドル〟を大事にしたい気持ちも一緒だったから約束を結んだの」

 振り返る遥ちゃんと目が合った。
 真ん丸に目を見開いて、辛そうに表情を歪める遥ちゃん。そんな想いをしてほしくないから、わたしは遥ちゃんの手を両手でギュッと握った。

「今すぐ恋人になれないことが辛くないって言うと嘘になっちゃうけど、遥ちゃんとなら未来を信じられるから、約束を結んだんだよ。
 ……だから遥ちゃんにも信じてほしいな。わたし、たぶん遥ちゃんが想像してる何百倍も遥ちゃんのことが好きだよ。もし〝アイドル〟として駆け抜けた後に今日みたいな幸せな日常が待っているんだと思うと、もっともっと、もーっと頑張れちゃうよ!」
「みのり……。…………いい?」
「……うん」

 さら、とわたしの頬を優しく撫でる遥ちゃん。いつの間にか合図になってしまったその仕草はキスしたいという証。小さく頷き返す。
 そうして。
 ちゅ、と。
 遥ちゃんのくちびるが、わたしのくちびるに重ねられた。
 背中と後頭部にくしゃと遥ちゃんの手が回って、強く強く抱きしめられる。目を丸くしたのは一瞬だった。見たことのない熱量を灯らせた遥ちゃんの眼差しに耐えられなくて、ギュッと目蓋を閉じながら口づけに応じる。

「……んっ」
「ん……んぅ」

 何度も何度も降り注ぐ柔らかな感触。上唇を食まれたかと思えば、角度を変えて押し付けられる。遥ちゃんのキスにわたしは為すがままだった。だ、だってこんなの、こんなに激しく、だけど優しく、たくさんされるなんて。
 遥ちゃんの愛を実感する。
 わたししか知らない、わたしにしか向けられない愛情。
 ん、ふぁ、と湿った吐息が漏れて。
 くちびるを離した遥ちゃんは、わたしの肩におでこをコツンと押し付けた。腰に回された腕がギュウと力強くわたしを抱きしめる。その痛みを嬉しいと思えてしまうわたしは、たぶん重傷だった。

「……私が好きになった相手がみのりで、本当に良かった」
「……遥ちゃん……」
「あのね、みのりのことを信じていないワケじゃないんだ。ただ私が臆病なだけ」
「どうすれば安心できるかな?」
「もう大丈夫だよ。もう揺れない。でも」

 と呟いた遥ちゃんは、また頬を愛おし気に撫でてくれた。

「あと十年か二十年かわからないけど……その間伝えられない分の〝好き〟を、今からみのりに伝えさせてほしいな」
「……うんっ」

 そうして口づけが降ってくる……と思ったその時。

「──わ!?」

 ブーブー、とお腹の辺りで響く振動。遥ちゃんのジャケットからだった。

「……みのり」
「で、電話だよ! 急用だったら大変だよ!」
「それもそうだね」

 口の前に手をかざすと、苦笑を零した遥ちゃんはポケットからスマホを取り出した。あの遥ちゃんと何回もキスしちゃったよ……とイルミネーションを見下ろしながら夢見心地に溺れていた、その時。

「え? お母さんそれ本当!? ……ううん、なんでもない。みのりと一緒だから夕飯食べて、適当に済ませるね。大丈夫、もう大学生だよ私」
「……?」

 遥ちゃんのお母さんからの電話みたいなんだけど、元々少し赤かった遥ちゃんの顔が一瞬でボッと真っ赤になる。遥ちゃんにしては珍しいけどどうしたんだろう、と首を傾げていると、通話を終えた遥ちゃんは大きなため息をついた。

「……これ、本当に偶然なのかな……」
「どうしたの?」
「今日、両親が急用で家を空けるんだって。帰ってくるのは二日後」
「そうなんだ。じゃあ遥ちゃん、しばらく一人暮らし……だ、ね……」

 あ。
 その意味を理解した瞬間、わたしの頭は正真正銘のショートを起こす。

「……みのり、私の家、来るよね?」
「…………う、ん」

 デートはまだ、終わらない。


 観覧車を降りてから、わたし達はまともに言葉を交わせなかった。
 フェニランを出てシブヤの道を歩いている間もそう。真っ赤な顔を隠せないわたしに遥ちゃんはキャップを深く被せて、強く繋いだ手でぐいと引っ張っていく。
 周囲の喧騒も、夜でも光が消えないシブヤの街並みも、意識の外。
 うそ、でも、だって。
 今日は、今日一日は、恋人なんだから。

「……っ」

 ドキドキのしすぎで心臓が爆発してしまいそうだった。余裕がないのはわたしだけじゃない。夏祭りでも、バレンタインでもそうだった。遥ちゃんも余裕がなくなると、あんまり喋らなくなって──そして少しだけ強引になる。
 目が合うたびに、バチバチと閃光が瞬く。
 電気を流されるみたいに体がしびれて、胸の奥が変に疼いて。
 家の玄関に入ってすぐだった。

「──遥ちゃん!」
「みのり……っ」

 わたしが遥ちゃんの首の後ろに腕を回したのと、遥ちゃんがわたしのキャップを外して玄関の扉に体を押しつけたのはほぼ同時。張りつめた視線と声が承諾の合図だった。お互いに唇をこすり合わせる乱暴なキス。ちゅ、ちゅ、と角度を変えながら何度も何度も重ね合う。

「ん……ふぁ、みのり、んっ!」
「んぅ……はるかちゃん、すき……ん!」

 唇に体験したことのない感触。リップをなぞるように触れてきたのは……遥ちゃんの舌。ちろちろと舐められて甘い痺れに体が震える。これって、こういうこと、だよね? そっと口を開いて舌を出してみると──

「っ!? んん、んっ、ふ、ぁ!」
「ん、んちゅ、んぅ……ふ、はむ」

 遥ちゃんの舌に、わたしの舌を絡めとられて。
 唾液が流れ込んでくる。息が苦しい。遥ちゃんの湿った吐息が肌に触れる。わたしの口内に入り込んできた舌で歯をなぞるように舐められたかと思えば、下唇を軽く甘噛みされて。腰が砕けそうになるわたしの体に遥ちゃんの腕が回されて、耳元で囁かれる。

「…………みのり、シャワー浴びたい?」
「……っ、えっと」
「…………私は、今すぐシたい」

 声が帯びる妖しい熱が、遥ちゃんの限界を悟らせる。
 耳朶を親指で撫でられてしまえば、もう頷く以外にできることはなかった。
 わたしがコクリと首を縦に振ると、遥ちゃんはわたしの背中と膝に腕を入れて軽々とお姫様抱っこをしてしまった。スニーカーだけなんとか脱ぎ去る。ぽてぽてと落ちる二足が遠ざかっていく。
 首に手を回すと、そのまま一度ついばむように唇を奪われて。
 部屋に連れ込まれてすぐ、わたし達は電気もつけずにコートやジャケットを脱ぎ払った。

「おいで」

 すぐに遥ちゃんに抱き着けば、遥ちゃんはまたキスを捧げた。ほんの少しの身長差のせいなのかな。遠慮も容赦もない大人のキスにまた蹂躙される。遥ちゃんだって経験がないはずなのに、何でもそつなくこなされてしまう。体温と唾液を注がれて、喉をこくこく鳴らしながら必死に応じて。
 ふは、と唇が離れた瞬間だった。
 二人の口から伝った銀色の線を拭った遥ちゃんに押し倒されて、ベッドにぽすんと背中が沈んで。
 手首を押しつけるように覆い被さってきた遥ちゃん。逃げないよ。遥ちゃんの腕の中にいるよ。そんな意思を示したくて、こくりと頷き返す。
 情欲を青い瞳に灯らせた遥ちゃんは、何度もキスを降り注がせた。

「好き、ん、好きだよ、みのり……んんっ!」
「ん、ふぁ、はるか、んぅ! すき、わたしも、大好きっ」

 ……ずっとずっと我慢していた想いが、溢れて止まらなくなる。
 遥ちゃんへの〝好き〟がとめどなく溢れ出す。
 空いた隙間には、遥ちゃんからの〝好き〟が容赦なく注がれる。
 二人とも決壊寸前のダムみたいにギリギリで張りつめていたから、当然と言えば当然だったんだ。それが一瞬で同時に壊れた。だからこの行為には一ミリも余裕がない。愛莉ちゃんの言う通りだった。こんなにも膨大な想いを抱えていたのに、一度も交えずに自分の中で留め続けていたら……もっとひどい形で決壊していたかもしれない。
 それに────

「……ねぇみのり、いつまで私を許してくれる?」
「……夜が明けるまで、かな」
「……わかった。みのりが私の家を出たら、そこでおしまいにしよっか」

 ────偽りの恋人ごっこには、タイムリミットがあるから。
 それがわたし達を焦らせていた。約束が果たされた後で初めて、こういうことをするんだと思っていたから。舞踏会を抜け出すシンデレラがガラスの靴を落としてしまった理由が、今ならなんとなく分かった。
 少しずつ、一枚ずつ、二人の肌を隔てる布を脱ぎ去って。
 肌を重ね合いながら、ドロドロに溶け合って。
 子供みたいに〝好き〟を繰り返すのに、指先は大人の真似事を始める。

「……遥ちゃん、綺麗……」
「みのりの方が綺麗だよ……」

 わたしの衣服を取り払った遥ちゃんの手が、下着だけを残した素肌を撫でる。そんな遥ちゃんもブラとショーツ以外は脱ぎ去っていて、わたしのお腹の上で美しすぎる体を晒していて。視界の端で畳まれもしない服が積み上がって山を作っていた。
 細い指先が鎖骨を撫でて、びくっと体が震えてしまう。
 真っ暗な部屋に慣れてきた瞳は、遥ちゃんの完成された肢体をはっきりと映していた。美しすぎる白肌に曲線美を描いたくびれ。引き締まった腕やわずかに割れた腹筋がわたしの肌と重なるたびに、短く声を漏らしてしまう。
 熱い。熱いよ。
 遥ちゃんに触れるたびに、火傷するんじゃないかと錯覚する。
 でも、こすれ合うわたしの肌の方が、それよりも熱を発している気がして。
 真冬の部屋の空気との差で、頭がおかしくなってしまいそうだった。
 逃げ場がない。熱の、逃げ場が。
 それでも遥ちゃんの腕の中で、わたしは熱に溺れた。

「好き、好きだよ、みのり、好き」
「は……ぅ、ぁ、はるか、ちゃん……んぅ……!」

 肌が触れ合うのを気持ちいいと思うなんて、自分が自分じゃないみたいで。
 優しいはずの手つきが、段々と艶めかしいものに変わって。
 遥ちゃんの手が、舌が、わたしの輪郭を確かめながら肌の上を滑っていく。

「みのり、みのり……んっ」
「ん……んぅ、ふぁ……!」

 気持ちよさに腰が浮きそうになって、我慢する為にシーツを握りしめて。

「────んぅっ!」

 ぎゅっと、胸の真ん中に遥ちゃんの唇が押し付けられる。
 赤い痕がわたしの体に刻まれたかと思えば、遥ちゃんはそのまま舌を肌につぅ……となぞらせた。咄嗟に口を塞ぐけどもう遅い。鎖骨、脇腹、二の腕、おへそ。遥ちゃんの指が、舌が、唇が、手のひらが、わたしを味わうみたいに肌を撫でまわしていく。不意に触れる前髪がくすぐったい。それでもあと一歩が足りないじれったさに、わたしは初めて前戯という言葉の意味を知った気がした。

「……触ってほしい?」
「……う、ん」

 ブラの上から遥ちゃんの両手がわたしの胸を包み込んだ。ふわふわと持ち上げるように遊んだかと思えば、ふにっと形を変えられて体の奥で何かが弾ける。だけど直接は触ってくれない。もどかしさに神経が張り裂けてしまいそうになった、そんなタイミングだった。

「外すよ」
「────ぁっ!」

 遥ちゃんの手が背中に滑り込んだかと思えば、ぷち、とホックを外される。無防備に晒されたわたしの柔肌に直接手が触れて、甘い刺激に今度こそ嬌声が零れる。

「んっ……ん、あっ……!」
「痛かったり変だったりしたら、すぐ言ってね」
「……ん、だいじょうぶ……ふぁ、んっ!」
「声も、我慢しなくて大丈夫だから。気持ちいい?」
「……す、ごく、嬉しいよ……遥ちゃんとこんなの、夢みたいだから……」

 そうしてわたしが右手を差し出すと、遥ちゃんはキュッと左手を結んでくれた。

「……ふふっ、そっか。嬉しいなんだね」
「ん?」
「ううん、みのりらしいなって思っただけ」

 ふわっと微笑んだ遥ちゃんは、自分も背中に手を伸ばしてブラを取り払った。……不意に晒された無防備な姿に、わたしは視線どころか意識を釘付けにされてしまう。
 あ、もしかして。
 今から、わたしは。

「────私にしてほしいこと、言って?」

 とろんと、妖しく溶けた遥ちゃんが囁く。
 右手が下腹部を這って、中指が添えられる。
 わたしは呟き返した。
 遥ちゃん、お願い。


 許されたのは一晩だけ。
 朝日が昇ったら、おしまい。
 だからわたし達は、何度も何度も肌を重ねた。
 ベッドの上で。シーツの中で。
 抱きしめて、押し倒して、何度も何度も入れ替わりながら。
 何万回もの〝好き〟を伝えあった。
 気付いたら、冬とは思えないくらい、汗をかいていた。
 月さえも知らない、二人きりの夜。
 朝の日差しが頬を撫でるまで、わたしは遥ちゃんの腕に抱かれていた。


「誰か一人を、こんな風に〝好き〟になる日が来るとは思わなかったんだ」
「……そう、なの? ……んっ」
「愛莉や雫にもよく言われるけど、私って四六時中〝アイドル〟でしょ? 自分でそんなに意識したことはないけど……私が応えるのはファンだし、ファンの中に特別を作るのは許されない。仲間も大切で、学校の友達も大事で──それでも私の中に〝特別〟はできないと、そう思っていたみたいで」
「ふ、ぁ…………今はわたしが、そこにいるの?」
「今は、じゃない。これからもずっと、みのりだけが私の〝特別〟。
 ステージの上から手を引いてくれたあの日から、私の〝特別〟はみのりだけだよ」


「……わたしはね、ずっと遥ちゃんが〝特別〟なんだ」
「んっ……知ってる」
「えへへ、そうだよね。でも……遥ちゃんのことは〝好き〟でも、こういう〝好き〟になるなんて思ってなかった」
「そうだったんだ………………っ、ん」
「……ねぇ遥ちゃん。声、がまんしないで?」
「み、みのり、もう……! ……みのりはいつから、私に恋をしていたの?」
「……きっと最初から。テレビで見つけたあの日、わたしは遥ちゃんに恋をしたの。憧れも友情も恋心も全部、ぜんぶひとつに繋がっている。少しずつ形を変えて、少しずつ意味を変えて、もっともっと遥ちゃんを〝好き〟になっていく」
「……みのり……」
「わたしから遥ちゃんへの〝好き〟はね、他のどんな〝好き〟とも違うの。
 この世界に一つしかない〝特別な好き〟だったんだ」


 次に伝えるのは、十年後か二十年後かな。
 世界中に希望を届けたその後で、もう一度、伝えるね。

明日はきっと晴れ模様


 ステージに置かれた四本のマイク。
 ファンの間で伝説と語り継がれる、四つ葉のクローバーを残して。
 ユニット結成から十三年と九ヶ月。
〝MORE MORE JUMP!〟は、アイドル活動の休止を宣言した。

   ♪

「今日もニュースでやってるね、みのりちゃん達の解散のお話」
「アイドル活動をやめるだけで〝MORE MORE JUMP!〟っていうユニット名は残すみたいだけどね。お姉ちゃんはデザイナーで、桃井先輩は事務所のトレーナー。桐谷さんなんて女優として芸能活動を続けるみたいだし」
「みのりちゃんはアイドルのマネージャーかぁ。ふふっ、みのりちゃんらしいよね」
「引退するかどうか散々迷っていたのに、進路は結局アイドル関係だもんね。会った時からずっとそうだったけど、本当に〝アイドル〟が好きっていうか」
「みのりちゃんがステージから降りる日が来るなんて思わなかったけど、最後のライブもすっごく素敵だったし……最後の最後まで楽しそうで良かったなぁ」
「泣くかと思ったら全然だったね。流石、トップアイドルだよ」
「うん。……志歩ちゃん、そろそろ相談始めよっか」
「そうだね。当日のカメラはこはねに任せちゃっていいんだよね────」

   ♪

「ん? そうですよ。あの二人、アイドルでいる間は恋愛しないって決めて、ずっとファンに希望を届けるんだーって頑張ってたんです。アハハ、まぁ遥とみのりちゃんの活躍については私がわざわざ説明する必要ないか!
 ……いや、本当は一回だけデートしたんですけどね?
 その一回を最後に、両想いを封印して十年以上なんですよ。ねー、信じらんない。……さっきのデート云々? 使ってもらって大丈夫ですよ、この動画が公開される頃には遥自身が公表しているはずなんで!
 でも、そう。
 遥とみのりちゃん、十四年間も〝アイドル〟として真摯に頑張っていたんです。
 説明が下手な私が何か言うより、二人がステージの上から届けた〝想い〟が何よりの証明だから。だから私にできるのは、頭を下げることだけ。
 ファンの子達からすると、裏切りと思う人もいるかもしれない。
 同性愛を、そう簡単に受け入れられない人もいるかもしれない。
 でも、遥はやっと〝女の子〟になれたんです。
 どうか……どうか私の親友の初恋を、応援してあげてください」

   ♪

「そうそう。わたしと雫のマンションの間取りいいなーって二人とも言ってたでしょ? オーナーに聞いてみたら、わたし達の一個上の部屋が今月末に空くらしいのよね」
『ホント!? よかった、おうち見つかりそうだぁ』
「じゃあ話進めちゃっていいかしら? 遥にも承諾取ってからにする?」
『一応遥ちゃんにも聞いてから……あ、でも……』
「ん? みのり?」
『……わたし達は同棲で、愛莉ちゃんと雫ちゃんはルームシェアでしょ? その、愛莉ちゃん達気まずくなっちゃったりしない?』
「──ふふっ、アンタね、ユニット内恋愛しておいて今更その心配?」
『そ、それはそうかもしれないけど……』
「引退後の騒動の諸々にも付き合ったんだし、気まずくなんかならないわよ」
『その節は本当にお世話になりました!!』
「はいはい。それにわたしもそろそろ、雫と前に進もうと思うのよね」
『…………へ? えええええっ!?』
「やっぱりみのりは気づいてなかったのね。……確かアンタが悩んでいた頃、少し話したでしょ? 無意識のうちにセーブしているだけで、誰かさんを〝好き〟になりそうなタイミングは沢山あったって」
『そ、そういえば!』
「……セーブするものが無くなった瞬間、ストンって恋に落ちちゃった」
『……愛莉ちゃん……。わたしにできることがあったら、何でも言ってね!』
「ありがと。ま、流石にアイドル活動休止から一年でユニット内から二組~なんて話になったらまるでそうする為に活動休止したと思われそうだし? わたしと雫はしばらく鈍行で進むことにするわ」
『あ、あはは……』
「それで、式の準備は進んでる?」
『うん。今日も遥ちゃんと雫ちゃんがね──……』

   ♪

「格好いいなぁ、みのりちゃん。
 本当に、最後の最後まで〝想い〟を諦めないで、初恋を叶えちゃったんだね。
 ……よし! 私ももっともっともーっと、頑張りますよ!」

   ♪

「はい遥ちゃん。これがドレスの完成品よ」
「わ……すっごく綺麗! これ本当に雫が作ったの?」
「ううん、私が作ったワケじゃないわ。私はデザインの素案を起こしただけで、制作自体は専門の方が中心に進めてくれたの」
「デザインしてくれただけでも十分だよ。……クローバーの刺繍も、ありがとう」
「私たちは最初は三つ葉だったけど、みのりちゃんが受け入れてくれて四つ葉になって、それからも長い間活動していたでしょう? 二人のことを想いながらデザインを考えていたら、クローバーはどうしても外せなかったの。〝アイドル〟を引退した後に着るドレスなのだけれど……」
「みのりが着るドレスだもん。クローバーがない方が不自然だよ」
「……遥ちゃん。気に入ってもらえてよかったわ」
「ああ、でもなんか、これで一気に実感が湧いてきちゃうなぁ」
「ふふっ、もう来月だものね──────遥ちゃんとみのりちゃんの結婚式」
「……うん」
「私の方がソワソワしちゃうわ。でも遥ちゃん、タキシードでよかったの?」
「もちろん。まぁドレスと迷ったけど、みのりには私の格好良さでドキドキしてほしいなと思って。だからもう少しだけ力を貸してね、雫」
「ええ、任せて! 私が魔法をかけてあげるわね!」

   ♪

 ────約束を結んだ日から、ちょうど十二年。
 私は溶けだした雪を踏みしめて、宮益坂をのんびりと歩いていた。
 学生の頃に歩き慣れた風景もすっかり様変わりしてしまったな、と我ながらアラサーらしいことを考える。
 街中でミク達に声をかけても違和感がないくらいホログラムが当たり前のものになったし、雫のデザインした服を着ている女の子たちと何度もすれ違うし、オーロラビジョンでは私たちの次の世代のアイドルが笑顔を咲かせている。
 まあ、私は女優だからまだ眼鏡も帽子も欠かせないけど。
 そういえば、伊達眼鏡ではなく度数入りの眼鏡をかけるようになった。

 希望を届けたその後で。
 あまりにも不確かで、子供みたいに信じる事しかできなかったけど。

「……消えなかったなぁ」

 その〝想い〟は姿を一切変えることなく、私の真ん中で鼓動を響かせていた。

 雪に足を取られているうちに、待ち合わせ時間ほぼ丁度になってしまった。
 だけど私はレストランのあるビルの下で腕時計を見下ろす。いつもは十分前には到着している彼女の姿が、珍しいことに見当たらないのだ。
 自分がアイドルだった頃より今の方が忙しい、と会うたびに口にしている彼女。目を回したり、書類と向き合ったり、担当の子の悩みを解決しようと奮闘したり。それでも楽しそうに仕事をしているから、私にできるのはお泊まりをした夜にぐずぐずに甘やかすことくらいだけど。
 今日も忙しいのかな。
 私の家に来る余裕はあるのかな。
 なんて思っていると、スマホにピコンと通知が一つ。
 顔を上げれば──背中まで髪を伸ばした彼女が、小走りに駆け寄る姿が見えた。

「お待たせ遥ちゃん! ごめんね、待たせちゃったよね!?」
「うん、三分待った」
「……へっ!? あ、えっと、ご、ごめんなさい~!」
「ふふ、冗談だよ。みのりが忙しいことは知ってるもん、怒らないって」
「な、なんだ……もう遥ちゃん!」

 でも遅れたのはごめんね、と表情をコロコロ変えながら笑うみのり。
 容姿はすっかり大人びたし、学生の頃と比べるとお淑やかな振る舞いが増えた彼女だけど、出会った頃から変わりないこういうところが好きだなぁ。

「じゃあ行こっか! えへへ、遥ちゃんとのディナー三日ぶりで嬉しいなぁ」

 なんて思っているとみのりはレストランへ向かおうとしてしまう。
 まぁ待ち合わせ時間は予約の十分前だったし、急ぐのが正しいんだけど。
 私はそんなみのりの手を引いて引き留めた。「遥ちゃん?」と目を丸くするみのりに、バッグに忍ばせていた小さな箱を差し出す。

「みのり、はいこれ。バレンタインのプレゼントだよ」

 掬うような両手に、ぽて、と箱を落とした。
 約束を結んだ日からちょうど十二年。
 決戦はバレンタインデーだったんだよね、なんて懐かしさを噛みしめる私の前でみのりはますます目を丸くしていく。
 それもそのはず──

「…………これ、チョコじゃない……よね?」
「やっぱり分かる?」
「……だ、だってこのお店、先月、一緒に行った…………!」

 みるみるうちに顔を赤くしていくみのり。
 それもそのはず。先月一緒に覗きに行って、あなたがそれを羨ましそうに見ていたブランドのロゴが刻まれている箱だった。

「もう式の準備を進めて、同居先を探していて……そんな私たちの間じゃ今更だとは思うんだけど、渡すタイミングをずっと考えていたんだ」
「……いつ、サイズ測ったの?」
「ごめん。先月のあの日、うちに泊まった時にこっそり」
「…………遥ちゃん待って、まって、心の、準備が」
「もう……何の準備がいるの?」

 箱を開けて、と囁く。
 その中身は────まあ、言うまでもないよね。

「あの日の続きを、今するね」

 瞳を潤ませたみのりの手の中から、銀色の指輪を手に取って。

「私、桐谷遥は、花里みのりを愛しています。
 この世界の誰よりも、みのりのことが好きです」

 左手の薬指に指輪をはめる。
 ぼろぼろと零れ落ちる涙を拭いながら、私は告げた。

「────私とみのりが世界中で待っているファンに希望を届けた、その後で。
 アイドルを引退した後、もし、まだみのりが私のことを好きだったら。
 その時は、私と結婚してください」

「……はいっ」

 そうして、腕の中に飛び込んでくる彼女を、私は思いっきり抱きしめた。

 私の〝想い〟は変わらなかったし、みのりは〝想い〟を諦めなかった。
 もしかしたら、十二年前に交わせたはずの言葉の続きをようやく交わして。
 私たちは、雪解けの季節にようやく結ばれる。

 もし高校生の頃に付き合っても、未来は変わらなかったかもしれない。
 もしかすると、これからの私達に後悔が待ち受けているかもしれない。
 そんな〝イフ〟を、私は相変わらず積み重ねてしまうけど。
 そんな不安をかき消してしまうほどに、みのりのことが好きで好きで、大好きだから。

 この道が正しかった、なんて保証はない。
 だけど、間違いだと決まった訳でもない。

 だって、誰も明日を知らないでしょ?

 だから私たちは、信じてる。
 二人なら、どこまでも進んでいける。


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