ハラハラおじさんと注意すること
少し昔に居酒屋で顔をよくあわせたハラハラおじさんという人の話をしたいと思う。
(本来のハラハラ=ハラスメントハラスメントは、正当な行為をハラスメントだと主張する嫌がらせ行為のことですが、ここではハラスメントが多い人の意味でハラハラです)
ナチュラルにハラスメント発言をしてしまう、普通に考えればあまり関わり合いになりたくない類の人物。でも、店の人には受け入れられていて、僕もわりと好んで関わっていた。
その理由として「言えばわかるし、ちゃんとやめてくれる」ところが大きいと思う。
そんなおじさんの話を通して、最近思ったことをぼやきたいと思います。
エピソード
始めておじさんが店にきたときには、(主に胸部の膨らみについて)店員にセクハラ発言をしてて、
僕はカウンターから強面の店主から鉄槌がいつ降ろされるのか、ハラハラドキドキしながら眺めていたのだが、なぜかこちらに話を振ってきて、
ハラ「にいちゃんもそう思うやんな?」
僕 「え?…いや、全く思わんし、そう思ったとして言う意味はわからんが」
ハラ「冷めてるね、最近の若者って感じ」
僕 「別に冷めてないけど、店員さん引いてるからさ。
どうせならみんなハッピーな話題にしない?セクハラとかやめてさ」
ハラ「ええ!?今のセクハラやった?」
店主「そやで!!相手がウェルカムじゃない時点でアウトやし、後で一杯奢ってあげて」
ハラ「えぇ~ごめんやん」
それ以降も何度か店で見かけて、毎回、ナチュラルにハラスメント発言をしてきて、マタハラ、パワハラ、モラハラ、アルハラなど(書いてて思い出したけど、よくあれほど大量のハラスメント発言できたものだ)わりと日常会話で出てきそうなものをフルコンプしてきたけど、そのたびに誰かに注意されてて、それが恒例行事みたいになった。
途中から呼び名がハラハラになって、本人もなぜかそれを気に入っていた。
僕の知る中では、1度注意したものは覚えていて2度としないようにしていたと思うし、(へべれけではなければ)相手の主張はちゃんと聞いて理解しようとしてくれるので、言えばわかるし反省もするから、わりと常連から愛されるキャラクターでした。
でも、近くの店で派手に揉めたらしく、それ以降見なくなった。
又聞きだが、どうやら他の店で、他の客にセクハラ発言していたガテン系の集団に、ハラハラおじさんが注意した形で、喧嘩になったみたいだ。当たり前だが、おじさんがボコボコになったようだ。
まぁ、酔っ払い同士冷静に話ができなかったんだと思うけど、あのハラハラおじさんが他人のハラスメント発言を注意するような日がきたんだなって感心した。
ちゃんと相手の注意を聞くことができれば、いくつになっても人間って変わることができるんだと思った。
その後、今日までハラハラおじさんを見たことはない。
感想的なもの
この話をしたのは、最近思ったことについて、自分のために吐き出したかったからです。まぁ、ちょっと愚痴っぽい、説教っぽいかもしれませんが、暇なら読んでください。
筆者のスタンス
別に誤解があってもいいんだけど、一応こういうスタンスを持ってることを前提として読んでもらった方が、誤解も少なく読みやすいかなっと思って書きます。
僕はたいていのことは謝れば済むと思っています。取り返しがつかない、とてつもないことでない限り(全てのことが不可逆なんだと言われたら、返す言葉はないのですが)、少なくとも尽くすべきことをし謝罪すればある程度で終わりにすべきだと思います。
基本的にハラスメントは無い方がいいものです。他人を傷つける可能性のあることはしない方がいい。
ただ、意図せずに他人を傷つけてしまうことはある。どれだけ気を付けても、その可能性は誰にでもあります。ハラスメントへの意識をどれだけ高めて、世間一般の常識的な価値観や行動を身につけてもありえます。
正しいとされることを学び、身につけること自体は素晴らしいと僕も思います。ただ、その正しさを信じて疑わないこと、振りかざすことはどんなに正しくても他人を傷つけるハラスメント行為と何ひとつ変わらないと思います。
どれだけ常識的な一般的なことで推し量っても、他人の数だけ価値基準も、信じていることも違うんだから。
ハラハラおじさんは、不用意に他人を傷つけることをしてしまう正しくない存在です。ただ、それを誤りだと認めて、謝ることができる人です。
謝ることができることの方が、正しいことよりも(適当な言葉ではないが)実用的だと思う。
そして、その手前に気付きがあると思うし、そのために注意されることが必要だと思っています。
最近思ったこと
SNSの普及によって、いい部分も悪い部分もあるけど、他人との摩擦を極力ゼロにしようという流れを最近強く感じるし、その中でも、他人を見限るスピードの速さが異常に早くなっていると思う。
すぐにブロックして、隔絶する。当然、自己防衛もしなければならないし、気持ちはわかるけど、注意すればわかってくれる相手にも注意ひとつせずに関わりを断つ姿がなんだかなぁと思います。
他人はあなたのために生きていないから、そんなに何でもかんでも合うわけないし、合わないことやわからないことを拒否しなくてもいいんじゃないかな。ちょっとしたすれ違いくらいあるじゃんよ。
「全部はおまえにゃ合わせられないよ」ってB'zも歌ってたよ。
仮に最終的に決別するとしても、その前に注意くらいすればいいのに、「あいつ言えばちゃんとわかってくれるのに」って思ったんだよね。
失敗することも、考えが及ばないことも人間だから当然あるよ。
(勝てる勝負しかしない僕がいうのもあれですが)全戦全勝とはいきません。いつかは必ず負けるし、失敗もします。
問題はそこからどうするか、注意されてどうするかだと思うんです。
ハラハラおじさんは、注意すればわかってくれる相手でした。
(初見ではヤバいなって思いましたが)失敗を糧(ネタ)に成長して、最後はハラスメントに注意するほどになりました。
ハラスメントを意図的にしているわけではなく、そういう属性のまわりの人間関係から知る由のなかった人間だったのではないでしょうか、想像ですが。もしかしたら、今までそういう注意をしてもらえなかったのかもしれません。
そういう意味で、注意してくれる身近な人ってとても大切だなって思うよ。
注意してもわかってくれない相手、わかる気がない相手はいます。
でも、だからって他人との摩擦をゼロにしようとするのは、(もったいないというか)やりすぎな気がします。
全然話まとまらないけど、好きな映画の記事から引用して終わりたいと思います。
物理の問題にはしばしば「ただし摩擦はゼロとする」という仮定が登場します。もちろん、そんな状況は基本的にはあり得ません。わかりやすく単純化するために、なかったことにするわけです。ところで、日々の生活の中でも「ただし摩擦はゼロとする」瞬間がありませんか?
(中略)
「複雑なことを無視して、世界を簡単にしたくないんだ」
(中略)
人間はわからないものを恐れます。その恐れを乗り越えるために必要なのは「こういうものだから」「こういう人だから」と世界を単純化することではなく、相手に正面から向き合って寄り添おうと想像する力なのではないでしょうか。
駄文にお付き合いいただきありがとうございました。


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