八戸で遭遇した震度6強の恐ろしさ
2025年12月8日午後11時15分頃、青森県東方沖を震源とするマグニチュード7.5、震源の深さ45㎞の地震が起きた。八戸市は震度6強。折しも、八戸に出張中だった私。大筋は、先行して「AERA」(AERAデジタルと2025年12月15日発売号の両方に掲載)に書いているが、文字数の制限で書けなかった細かなこともあるので、noteにも書いておこうと思う。(カバー写真は翌朝のJR本八戸駅周辺)
AERAの記事はこちら。
風呂上がりに遭遇した震度6強
私が宿泊していたのは、JR本八戸駅前のビジネスホテル。翌日の仕事に備え、夕方から前乗りしていた。夕食を済ませてホテルに戻り、1階にある大浴場で疲れを癒したあとのことだった。ほんわかした湯上がり気分でエレベーターに乗り、スマホを眺めていたときだ。
「ギュイン!ギュイン!地震です!地震です!」
スマホから大音量で緊急地震速報が流れた。その瞬間、エレベーターのドアがバンッと開いた。地震を感知したエレベーターが最寄りのフロアで止まったのだと思ったが、ちょうど私の部屋がある7階だった。「緊急のときのエレベーターは、本当にバンッと一瞬で開くんだなぁ。『最寄りの階で開きます』と注意書きがあるのは、こういうことかぁ」と余計なことを考えながら、慌てて廊下に出た。揺れている感じがしない。震源は別の地域かと思ったくらいだ。
地震が本当かどうか確認するためにスマホを見ていると、建物が揺れ始めた。数秒間の揺れは、そう大きくなかった。「これくらいで収まるか」と思っていたら、どんどん揺れが大きくなる。気づいたときには、廊下に座り込み、建物が右に左に揺れるたびに「キャー!」と叫んでいた。5、6回は叫んだろうか。揺れの激しさに体を持っていかれることはなかったが、声が出てしまうのを止めることはできなかった。
地震の割には八戸市内に被害が少なかったことを考えると、私が体感した揺れが大きかったのは、建物の耐震構造と7階にいたせいもあったと思う。7階でもコレだから、耐震構造とは揺れ方が違う免震構造とはいえ、高層ビルや高層マンションにいたら、どれくらい揺れるのだろうとゾッとした。(そういえば、都庁の展望台にいたときに地震に遭ったことあったな)
廊下の壁紙が破れ、部屋の家具が倒れてごちゃごちゃに
ようやく収まったときには、正面の棚に飾ってあった造花やプレートが床に落ち、壁紙には縦に裂け目ができていた。壁紙から落ちた白い粉が床に散らばっているのが、地震の大きさを感じさせた。
でも、誰も廊下に出てこない。沈黙が地震後の恐怖を増幅させる。震源地はどこかとスマホで情報を探している間に、エレベーターの隣にある部屋から、女性の宿泊客が出てきた。「部屋がめちゃくちゃなんですーー!」と、その顔は恐怖で青ざめていた。デスクが倒れ、テレビが吹っ飛んできたという。幸いなことにケガをした様子はなかった。
私は真っ先に津波を心配した。Googleマップで今の位置を確認してみた。海からは4㎞ほど離れている。津波が川を遡上してくる心配はあるが、7階にいるし、建物も頑丈だ。津波の直撃を受ける可能性は低いと判断した。
私は廊下に出てきた女性客に「津波もこの高さならたぶん大丈夫だと思うけど、余震が心配だから、倒れたものはそのままにしておいたほうがいい」と話し、フロアの一番奥にある自分の部屋に戻った。
文学フリマ東京41で販売したZINE「サキイカ」でも書いたのだけど、事故や災害のトラブルに遭遇したとき、私は悪運が強いのか、スレスレで難を逃れていることが多い。今回は廊下にいて、家具が吹っ飛んでくる状況を目の当たりにしなかったこともあり、地震の大きさを把握し損ねていた。
部屋のドアは、カードキーですっと開いた。唖然とした。デスクがベッド側に倒れ、椅子が支える格好になっている。その奥には謎の木の板が見える。開けていたスーツケースの上には、空気清浄機と思われる黒い箱が乗っかっていた。デスクの上にあったパソコンや電気ケトル、テレビはどこにあるのか、まったく見えない。確かにめちゃくちゃだ。
写真を撮り、しばし呆然と眺めていた。家具の重なりを片づけないと、奥に入れない。どこから手をつけるか、まるでパズルゲームだった。まずは一番手前の空気清浄機を起こした。次は、大物のデスクを起こすのが手っ取り早そうだ。デスクを起こしてみると、その下にあった謎の木の板は、鏡とルームライトを壁に固定していた板とわかった。デスクの正面によくある鏡である。壁に小さな金具で固定されていた板が揺れで外れ、落ちていたのだった。幸い鏡もルームライトも割れていなかった。
固定板は恐らく上層階のほとんどの部屋で落下したのではないだろうか。今回の出張の同行者2名の部屋でも落ちていたし、翌朝、チェックアウトするとき、ドアが開いていた部屋をのぞいたときも、全部の部屋で落ちていた。
固定板をずらすと、テレビやパソコン、電気ケトルが出てきた。ちょうどデスクのすき間に落ちたのか、21型テレビは無事、パソコンもケースに入れたままだったので無事だった。一番、壊れたのが電気ケトルだ。プラスチック部分が割れ、どこの部分かわからない金具が散らばっていた。他の部屋の人は、「お湯がこぼれなかったのは、象印製だったからかも」と話していた。象印製は転倒湯こぼれ防止機能がついている。私の部屋は割れなかったが、カップが割れてしまった人もいた。
バラバラになった備え付けのメモ紙やティーバッグ、ホテルの館内案内などを拾っていくと、デスクとベッドの間の床が見えてきた。散らばったものを片づけるだけだったら、そう時間もかからなかったと思う。やっかいだったのが、デスクに置いていたコーヒーがぶちまけられてしまったこと。床はびしょびしょに濡れるし、スーツケースの中にもこぼれてしまい、荷物を一つひとつタオルで拭かなければならないのが面倒だった。
じつは私、風呂上がりだったので、ホテルの作務衣を着た状態。髪の毛も部屋で乾かそうと濡れていた。服を慌てて着替え、髪を乾かしてから本格的に部屋を片づけ始めたのだが、大きな余震がなくて本当に助かった。翌日に会った地元の人は入浴中で、浴槽のお湯がものすごい勢いで左右に跳びはねたそうだ。地震はホントにいつ何時、起こるかわからない。
バスルームも水びたしだった。トイレタンクの蓋が外れたのと、トイレにたまっている水がこぼれたのだと思う。アメニティ類やシャンプーのボトルも床に転がっていて、震度6強になると、棚に置いているものは全部、落ちると思っていた方がいいんだなぁと教えられた。
余震に備えつつ、深夜2時過ぎに就寝
一通り片づけ、ベッドの上で落ち着くまで、1時間以上はかかったと思う。こんな狭い部屋でさえ大変だったのだから、自宅や職場を片づける人たちの苦労をほんの少しでも実感した時間だった。
余震が心配だったので、テレビをデスクに戻したくなかったが、ケーブルが短く、床に伏せておくことができない。情報が欲しかったので、テレビを戻し、NHKをつけた。余震に備えて、リュックの中味を持ち出し用に入れ替えていた頃、ホテルからの館内放送が流れた。
「3メートルの津波が予想されています。2階以上に留まってください。部屋のドアが開かないお客様は、※※※※(携帯電話の番号)にご連絡ください」
ホテルの館内電話は不通になっていた。テレビをなんとか床に置けないか、フロントに問い合わせしようとしたとき、不通になっていたのを私も確認していた。そのため、ホテルも携帯電話で宿泊客と連絡を取るしかなかったようだ。今回の出張の同行者1人もドアが開かなくなり、部屋に閉じこめられた。その人はホテルのホームページから電話番号を探して連絡したそうだ。通信網が生きててよかったが、ネットがつながらなければアウトである。
廊下に出てみると、3、4人の宿泊客がドアが開かずに困った様子で雑談していた。部屋から出られなかった人もいたと思う。その後、バールを使い、ホテルのスタッフ男性が3人がかりでドアの鍵を壊していた。開かなかった理由は、聞いた話を総合して考えると、鍵のラッチボルトとデッドボルト(開閉時に出たり入ったりする部分)に不具合が出たらしい。私は地震でドアが開かなくなるのは枠が歪むせいかと思っていたが、鍵の影響のほうが大きそうだ。
私はドアを閉めて寝てしまったのだが、翌朝、廊下を歩いていると、U字型のドアストッパーで半開きにした部屋がけっこうあった。「余震を考えたら、部屋のドアを少し開けて寝るべきだったか、いや、それはそれで誰かが侵入してきたら怖いし」と、なかなか悩む問題も考えてしまった。
今回の地震で助かったのは、電気も水道もトイレも使えたこと。恐る恐るトイレを流してみると、正常に使えるようだったので、その後も使い続けた。テレビや暖房が使えたり、スマホの充電ができたりしたこともありがたかった。
余談になるが、TVを見ていて、力が抜けたことがある。高市総理が「自らの命は自らで守って欲しい」と話した会見を見たときだ。高市さんの真意が、「身を守る行動を最優先に」であることはわかったが、首相の立場の人に言われると、「あー、国は守ってくれないんだなぁ」というキモチにはなった。仕事柄、どのような言葉を使って話すかを注意深く聞いてしまうし、前任の石破さんは、がっかりさせるような言葉をまず使わなかった首相だっただけに、高市さんの舌足らずの言葉づかいにトホホとなった夜でもあった。
午前2時頃、ドアをノックする音がした。ドキドキしながら開けると、ホテルのスタッフさんだった。安全確認のため、全部の部屋を回っていたのだった。人手が少ない時間帯の地震だっただけに、スタッフさんも疲れた様子で気の毒だった。
翌朝、予定通り仕事ができるのか不安だったが、やることがないし、大きな余震もなかったので、眠って体力温存することにした。「津波で浸水したら、しばらくホテル(八戸)から出られないかもなぁ」などと思いながら寝た。
就寝にあたり、私が枕元に置いておいたのは、持ち出し用のリュックとダウンコートだ。リュックには、ペットボトルと手持ちのお菓子、常備薬、使い切りカイロなどを詰めた。日頃から防災グッズとして持っていたミニサイズの懐中電灯、ホイッスル、携帯トイレ、防災用アルミシートも一緒だ。
簡易タイプの携帯トイレと防災用アルミシートは、薄くて邪魔にならないので、日常使いのバッグに入れておくといいと思う。懐中電灯もベッドの下に入り込んだ私物を探すのに役立ったし、就寝時のお守り代わりにもなってくれた。ホテルに備え付けの電気ランタンは、電池が切れていたのか、使えなかった。
私が持っている懐中電灯はコレ。コンパクトで軽量、値段も安い。スマホのライトは充電を温存するためにも、あまり使いたくないものだし。イベントか何かでもらったホイッスルと一緒にカラビナにつけている。
防災アルミシートは、こういうの。
携帯用の簡易トイレ。実際には使いにくいだろうけど、ないよりはマシ。
テレビを消してデスクに倒し、他の小物類はすべて床に置き、空気清浄機も窓とベッドとのすき間に移動した。すべて余震に備えての移動だ。地震情報は、スマホのradikoでNHKを流しっぱなしにした。こういうときは、やっぱりラジオが頼りになるなぁとしみじみ思う。ちなみに深夜になるまで、リラックスさせるためなのか、館内放送でスムースジャズが流れていた。ふだんはないサービスが逆に怖かった。
余震は明け方に2回、感じた。2度目の震度4は、「さらに大きくなったらどうしよう」とさすがに怖かった。震度6強に遭遇したときより恐怖感は強かったと思う。じつは東京に戻ってからも、なんとなく体が揺れている感じが数日、続いた。東日本大震災のとき、余震が多すぎて、地震酔いが続いたのと同じだ。過去の経験があるせいなのか、1回でも大きな地震を感じると、蘇るものなのだなぁと思っている。
翌朝は拍子抜けするほど、ほぼ正常に
翌朝のホテルは、拍子抜けするほど、ほぼ正常に戻っていた。朝食は十分に用意されていたし、地震の影響を感じることはなかった。スタッフさんも心配があるだろうに、ホテルのプロ意識には頭が下がった。
取材先にも被害がなかったので、予定通りできるという。当初の予定では地元の方が迎えに来てくれるはずだったが、さすがに難しいので、私たちはレンタカーを借りることにした。JR八戸線と東北新幹線が不通だったこともあり、最悪、どこか東京に近いところまで移動するにも車が必要だった。
途中、取材まで時間を潰すため、バイパス沿いのカフェが併設されている店に入ったが、そこも通常通り営業していた。ただ、お米の専門店だったのだが、何人も買いにきていたのは、恐らくこれからに備えてのことだったのではないかと思う。
建物や道路も大きな異変は見つけられなかった。唯一、地震の爪痕を見たのは、古いビルの壁面からタイルがバラバラと落ちていたことだろう。大きな地震では起こりがちな道路の断裂も見かけなかった。
取材を済ませ、帰途についた私たちは、新青森〜盛岡間の新幹線の再開が午後3時以降になるというので、盛岡まで移動することにした。時間通りに再開するかどうかわからないし、運行本数が減っているだろう。盛岡まで移動したほうが新幹線に乗りやすいと考えたからだ。すっかり忘れていたのが、八戸〜盛岡間の高速道路が岩手山の近くを通ること。八幡平や安比高原近辺では、雪が降りしきる真冬の山間部を走ることになった。
盛岡からは地震がなかったかのように通常通り。さほど遅延もなく、東京駅に着くことができた。「日本のインフラ技術ってすげーわーーー!」と、日頃、コツコツと守ってくれている方たちに感謝、感謝の八戸出張だった。八戸も地震が多い地域だ。何度も大きな地震に見舞われ、耐震の建物が増えていたことも、被害が最小限に留まった理由だと思う。
帰京後、地震発生から1週間(さらにその後も)は、後発地震の可能性があるので注意が必要ということを知った。東日本大震災のときも、数日前に地震があり、その後、あの地震が起きたことを考えると、余震は本震より小さいもの、というかつての常識は通じなくなっている。
また、帰宅してから部屋を見回してみると、それなりに家具は固定しているが、棚やデスクの上に置いてあるものなど、全部、吹っ飛ぶなぁと思う並べ方だ。この部屋をどう片づけたらいいのか、年末の大掃除を兼ねてやらなければならないなぁと思ったりしているのだった。
ZINE「サキイカ」もよろしくお願いします!
また大ピンチネタが増えてしまったので、ついでに宣伝します。ZINE「サキイカ」第1号は、長年、出版で働いているライター、編集者、カメラマンが遭遇した大ピンチ特集号です。コラムニストの石原壮一郎さんにも「『サキイカ』、最高でした!手に汗握るエピソードが満載で、日本ZINE史に燦然と輝く名著かと。」とお褒めいただいたので、ぜひお手元にどうぞ!損はさせません、マジで!
こちらもよろしかったら、ぜひ。東日本大震災で大切な家族や友人を亡くした方たちが、どんな夢を見ているのか、震災社会学の金菱清教授とそのゼミ生たちが聞き取りをした記録集です。私は構成を担当。夢を語っているので、つじつまが合わなかったり、欠落した部分もあるのですが、目覚めているときに体験したお話を伺うよりリアルな心情が伝わってきます。
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仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。


すごい経験!!貴重なレポ!
はじめまして。地震にあわれて大変でしたね 恐ろしい思いをされたことと思います ご無事でよかったです
コメント、ありがとうございます。そのときはアドレナリンが出てたんでしょうね〜、東京に戻ってから、無事でよかったーと思いました。今はどこも災害が心配です〜、パイロン先生もご安全にお過ごしください。