20251216
今回は日記的な内容ではなく、書くかどうか本当に迷ったけど音楽と大衆性についての話です。
ドラマ「火星の女王」に関する、菅田将暉さんと君島大空さんのインタビューにて、主題歌である「記憶と引力」の共作した歌詞について、こう語っていた。
君島 : 僕は変なことをしたがるんです。歌詞も変なところで行をまたいだりして、そうでありながらメロディには乗っているような感じで作りたがるんですよね。そんな型破りの詞を文月先生が整えてくださいました。作曲も作詞も刺激的な制作現場でした。
私はこれを読んでひどく悲しくなった。
歌詞の音やメロディへの乗せ方が独特なのが君島大空さんの音楽の魅力の1つなのに、それをわざわざ直されたようで、権力とかアカデミック的なものとか、なんというか大きなものに表現の自由を奪われたように感じた。
文月悠光さんは言葉のプロだし、その上今回はNHKの100周年ドラマの主題歌なので、わかりやすくして大衆に寄り添うようにするのが仕事として正解なのだろう。でもだったら音楽の芸術性を無視してもいいのかと考えてしまい、君島大空さんと共作する必要性が全く感じられない。
何が言いたいかというと、今回わかりやすく君島大空さんで例を挙げたけれど、こうやって(タイアップやレーベルの意向なども含めて)変なおもしろいことをしてるミュージシャンがどんどんつまらない方向に向かって行ったことなど、山ほどあるのだろうなと思うと本当に残念で悲しい。
そんなこと知ってたけど、なぜか今回の件で改めて感じた。
ちなみに「記憶と引力」という曲がつまらない、君島大空さんの音楽がつまらなくなったと言いたい訳でも、文月悠光さんを批判している訳でもないです。
うまく書けなくてすみません。


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