「セイウチおばさん」、世界で認めてくれたのでは?! 並々ならぬ情熱に「アハァ!」と

話の肖像画 鴨川シーワールドの獣医師・勝俣悦子<15>

ムックと最初の子、チャッキー(鴨川シーワールド提供)
ムックと最初の子、チャッキー(鴨川シーワールド提供)

《平成6年6月、ある日の早朝、鴨川シーワールドで「ひれあし類」を担当する荒井一利氏から緊急電話がかかってきた。明け方の電話には良くない知らせも多い…》

寝ぼけまなこで電話に出ると、「(セイウチの)『ムック』が産んだよ」と言う。何を言っているのか分かりません。で、「何を産んだの?」と聞いたんです。すると荒井さんは「赤ちゃんを」と。ようやく事態を把握しましたが、その瞬間、「ええっ、ムックに赤ちゃんだって!」となった。もう確認するしかありません。職場に飛んでいきました。

ムックのところに行くと、確かに傍らに、昨日まではいなかった小さなセイウチがいるではありませんか。ムックが妊娠していたことを、このとき初めて知りました。

定期的な体重測定でムックの体重が一度に100キロ増えていたことがありましたが、「よく成長しているな」と気にしていませんでした。後で思えば出産の前日、乳頭から母乳らしいものが出ていた。しかし、専門書には「セイウチの性成熟はオスが10歳、メスは7歳」と書いてあったのです。このときのムックの相手のオスの「タック」は9歳で、妊娠はもう少し先だと思っていました。鳥羽山照夫館長はあきれていました。

このムックの出産で当館は日本動物園水族館協会(JAZA)の繁殖賞(飼育動物で国内初繁殖に成功した水族館や動物園に贈られる賞、現在は「初繁殖認定」)を受賞しましたが、妊娠に気付かなかった獣医師の私は恥ずかしくて仕方ありませんでした。

《ムックはその後も、3頭の子供を産んだ》

セイウチは主に3年に1度子供を産むと聞いていましたが、こちらは専門書通りでした。ムックの子供は上から順に「チャッキー」「キック」「ミック」「ロック」です。アザラシは「超」がつくほどの安産で、席を外した30分の間に生まれていたこともあります。セイウチもまた安産のようで、3頭目までは夜中に出産し、朝には授乳していた例もあります。

平成15年5月、4頭目のロックを出産したときは、日中に破水し出産が始まりました。ところが私はこの貴重なシーンを怖くて見ることができませんでした。このころのムックは体調を崩すことがあり、ちゃんと赤ちゃんを産めるのか心配だったのです。無事に産んだという知らせにようやくほっとして、ムックに「おめでとう」と言いにいきました。

チャッキーは5歳で亡くなりましたが、ムックとタックは水族館で暮らすセイウチの中でも世界一の子だくさんファミリーとなりました。ある海外で開かれる海獣類の学会でのこと。イルカ研究の第一人者に「アイ アム ア ワルラス(セイウチ) ウーマン(私はセイウチおばさんです)」と自己紹介すると、同じ海獣類に関わる者として、並々ならぬ情熱でセイウチに関わっていることを瞬時に理解してくれ、「アハァ!」と反応してくれました。

ムックがこれほどまでに子だくさんになったのは、やはりあのときにちゃんと牙を抜き、その後、健康に過ごしてきたからに尽きます。セイウチは本来、オス、メスともに牙があります。ムックは牙のないセイウチになってしまいましたが…。

《ロック出産後の平成15年冬、ムックの体調が思わしくなくなった》

12月8日、ムックの調子が悪く採血したところ、胆道閉塞(へいそく)という重い病気を疑う数値を得ました。その後、数値は改善しましたが食欲は戻らず、プールから上陸するのを嫌います。これでは注射もできません。ムックが一瞬、上陸したのを見逃さず、扉を閉めてくれたのは、機転の利く中野良昭さんでした。しかし、ムックは大好きな氷にも関心を示さなくなっていきました。(聞き手 金谷かおり)

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