中国共産党政権は現在、歴史を捏造し、中国全民族を率いて抗戦した“中流砥柱”(苦しく辛い状況でも毅然として動じない集団)と自称している。しかし、1931年の「九一八事変(満州事変)」以降、日本軍やその情報機関と共謀し、蒋介石率いる国民党軍に対抗していたことは歴史的事実である。中国共産党指導者の毛沢東や周恩来はかつて、日本の中国進出に感謝していた。

 

毛沢東は1961年1月24日、日本社会党の黒田寿男と会見した際も、「日本の軍閥が過去において中国の大半の土地を占領した。このため、中国国民は教育を受けることができた。そうでなければ、我々は今まだ山の中にいて、北京で京劇を見ることさえできなかった。したがって、日本の資本壟断と軍閥はわれわれに好いことをした。我々は日本軍閥に感謝しなければならない」と話している。

 

日本社会党委員長の佐々木更三が1964年、訪中して人民大会堂で、毛沢東と面談した。その際にも、佐々木が旧日本の軍侵略を詫びると、毛沢東は「日本は謝ることはない。日本の皇軍は中国に大きな利益をもたらした。日本の皇軍なしには、中国人民が権力を奪取することは不可能だった」と佐々木の謝罪を否定し、「この点で私と貴方の間には、意見の相違と矛盾がある」と返答した。

 

日中国交正常化の際、1972年9月27日に中国政治の枢軸である北京の中南海で、毛沢東は田中角栄と会談した。田中が侵略を謝罪すると、毛沢東は「貴方たちが戦争を起こさなかったら、中国共産党は強大になれなかった。我々は蒋介石を打ち破ることもできなかった」と述べて、「我々は貴方たちにどう感謝すればよいのだろうか?」 「そうだ貴方たちの戦争賠償を放棄しよう」と話した。

 

このような毛沢東の発言を中国メディアが報道する事例はごく稀だが、1950年代の外交文にも毛沢東が「実際には、日本の帝国主義は我々にとって良いお手本となった。まず、蒋介石率いる国民党軍の力を弱めてくれた。第二に、日本軍が国民党軍を敗北させ、我々共産党の拠点と軍隊を発展させた」と語った事実が記録されている。毛沢東は「日本が我々を助けた」と常に高く評価していた。
 

記録文の「(日本が)中国共産党の軍隊を発展させた」とは、日本軍が中国共産党軍に空軍を創設したことだ。それまで、中共軍に空軍はなかった。終戦の2か月後、奉天から引き揚げてきた林弥一郎少佐率いる日本陸軍第4錬成飛行隊に林彪将軍らが空軍創設への協力を願い出た。第4錬成飛行隊の隊員らは「隼」や「99式高等訓練機」を使って160人あまりのパイロットを養成した。
 
これが中国人民解放軍空軍の始まりであり、王海元空軍司令官や林虎元空軍副司令官など多くのエリート軍人を輩出した。その後、1950年に勃発した朝鮮戦争では日本軍によって訓練された中国人パイロットがソ連から供与されたミグ15に搭乗して米空軍と戦った。さらに人民革命軍事博物館には、共産党軍が国民党軍と戦った当時の兵器が展示されているが、その多くは日本製である。

 

97式戦車をはじめ野砲や機関銃など中共軍の主力兵器は日本軍が敗戦後に中共軍に譲渡したものである。中共軍は日本製の兵器を使って国民党軍を打ち破って行ったのだった。日本製の兵器がなければ中共軍は蒋介石の国民軍に勝つことはできなかった。これらのことから分かることは旧日本軍と中国共産党軍が血で血を洗うような闘争を繰り返していたわけではないということである。

 

中国共産党にとって日本軍は正式な味方ではなかったが、日本軍が国民党軍と戦うことは歓迎していた。だから、毛沢東は「日本が謝る必要はない」と言ったのだ。その後、中国共産党は国を統治する正当性に「日本軍からの人民解放」を主張するようになる。ここから「日本は悪逆非道」のプロパガンダを始める。悪逆非道の日本軍から人民を解放した共産党が国を治める当然というわけだ。

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