アメリカの大学生は勤勉なのか?
米国の大学生はとてもよく勉強するのに、日本の大学はまるでレジャーランドのようで学生がしっかり勉強していない――そう考える日本の教育政策関係者がいる。
日本の大学がレジャーランドか否かは筆者の専門外なのでここでは論じないが、日本の学生と比較して米国の大学生はとてもよく勉強する、と断言してしまう姿勢には大きな問題がある。
たしかに、アイビーリーグや州立大学旗艦校に代表されるような米国のトップスクールの学生たちは驚くほどよく勉強しており、入学から4年以内に卒業する学生の割合は9割近くに及んでいる。
しかし、米国教育統計センターによると、米国のフルタイムの大学生が6年間で卒業する割合は60%程度に過ぎず、3人に1人は退学しているか、2年以上の留年を経験しており、お世辞にもとてもよく勉強しているとは言えない状況である。
つまり、米国の大学生はとてもよく勉強するのに……という言説はハーバード大学やコロンビア大学の公共政策大学院をはじめとする米国のトップスクールへ留学した教育政策関係者が見た米国大学教育に過ぎない。
筆者がいるミシガン州立大学のような圧倒的多数の大学生を収容する州立の2番手以降の大学などのそれは完全に無視されたものであり、留学帰りの歓迎会の話のネタなら笑って済ませられるが、教育政策議論として語られるべきものではない。
そこで本稿では、米国の大学教育について触れつつ、米国大学教育政策から現在日本で議論されている大学教育無償化について学べるヒントを紹介する。
トップスクールの学生がよく勉強する一つの理由
先ほども言及したが、米国のトップスクールの学生はとても勤勉である。もちろん、なぜそのような大学の学生が勤勉であるのかは、就職や進学の際に大学の成績が重視されるなど様々な理由がある。
しかし、当時ハーバード大学の博士課程の学生であった著者が全米でもトップクラスのエリート寄宿制学校(高校)での2年間の調査で、なぜトップスクールの学生は勤勉なのかの一端を明らかにした『The Best of the Best』という教育エスノグラフィーの本があるので、ここではそれを紹介したい。
米国のトップスクールは、その費用の高さも目を見張るであろうが、卒業生からの多額の寄付金が集まり、さらにその運用益があるので、支払った学費以上に価値のある教育を受けられうる側面がある。
エリート寄宿制学校も同様に多額の寄付が集まるが、大学のようにそれを研究に使うことも無いので、潤沢な資金を使った素晴らしい教育が展開されている。
そのような学校に通う子供たちは、普通の子供たちが受けられない素晴らしい教育を自分が受けられるという特権をどのように解釈しているのであろうか?
もちろん、家庭教育で、生まれながらにして自分が特権にあずかるのは当然であると考えるようになる子供たちもいる。
しかし、少なくない数の入学生は、親の資産力により自分たちがこのような特権にあずかれるということに、戸惑いとも、葛藤とも、何とも表現しがたい感情を抱いている。
だが、そんな子供たちも、このエリート学校を卒業する頃には自分たちは特権にあずかるに相応しいと考えるようになる。入学時に抱いていた複雑な感情を抱くことなく、アイビーリーグに代表される米国のトップスクールへ勤勉な学生として入学していくのだ。
エリートスクールの在り方が、子供たちが、親の資産により受けられた特権を親の資産ではなく自分がそれに相応しいから受けられた特権だと勘違いないしは洗脳されて卒業していくプロセスに大きく影響している。
エリート寄宿制学校は、普段の授業や課外活動のようなフォーマルな教育活動だけでなく、寄宿制という普通の学校ではまずカバーされることが無いインフォーマルな部分でも様々な仕組みを用いることで、親の資産力ではなく自分たちが勤勉で優秀だから特権に値するという考えを植え付け、トップスクールへと卒業生を送り出していく。
トップスクールの学生が勤勉なのは、優秀な貧困層の学生にも奨学金を出すことで、貧富の差に拘わらず優秀な学生を集めているからだという反論もあり得るだろう。
もちろん、そのような学生も存在するが、それは極々少数にとどまる。例えば、ミシガン州立大学は州立の旗艦校ですらないものの、一応は世界のトップ100には入る大学である(と学内の研究助成金に申請する際に延々と書かされた)。
ここの学生に占めるトップ1%家庭出身の学生の割合は2.6%に過ぎないが、トップスクールのそれは20%近くにもなる(詳しいデータはNY Timesの記事やハーバード大学のプロジェクトを参照)。
たしかにトップスクールは制度的には貧富の差に拘わらず優秀な学生を集めるようになってはいるが、実態としてそれは意味を成すほどには運用されておらず、親の資産の影響力が圧倒的に大きいのである。
「米国の大学生はとてもよく勉強する」と日本に伝わってくる所の実情は、自分たちは勤勉で優秀だから特権に値すると洗脳された富裕層の学生たちが多く集まっているトップスクールに、日本の大学云々と論じている日本の「エリートたち」が留学して、それを見学してきたといったところであろう。
私の興味関心は教育政策を通じた貧困削減とより平等な社会の実現であり、具体的にどのような教育・仕組みを使えば、勤勉・優秀だから特権に相応しいと勘違いさせ、上から目線で国や社会を引っ張っていくエリートが作れるのか、という教育には興味が無い。
その詳細については別の識者に譲り、以下では平均的な米国の大学生像について議論を進めていく。
米国の平均的な大学生像とは?
日本の大学生は勉強しないと言われるが、全く同じことは米国でも言われている。
労働統計局のAmerican Time Use Surveyの結果によると、米国の大学生の1週間当たりの平均勉強時間(授業時間を含む)は20時間弱であり、これは高校生の勉強時間の3分の2にも満たない。
日本では全国学生調査や大学生の学習実態に関する調査の結果を基に、日本の大学生は1日1時間も勉強していない、米国(世界)の大学生と比べてダメだいう記事が見られるが、これはデマだと言ってよい。
なぜなら、米国のデータが授業時間を含んでいるのに対し、この手の記事で触れられる日本の大学生の勉強時間には授業時間が含まれていないからだ。
日本の大学生の1週間当たりの平均授業時間は20時間弱であり、これを考慮すると日米の「平均的な」大学生の勉強時間は大差がないことが分かる。
では、フルタイム労働者が週に40時間働いているのに対し、フルタイムの学生は週に20時間しか勉強していないのであれば、一体何に時間を使っているのであろうか?
答えは「娯楽」である。
米国の平均的な大学生は週に約30時間を娯楽に費やしている。米国の大学院に留学した人なら、一度は学部生の乱痴気騒ぎに勉強や研究の邪魔をされて腹を立てたことがあると思われるが、あれである。
後述するが、米国では教育ローンが大きな社会問題となっているが、この問題の解決が進まない理由の一つに、なぜあんな遊んでいる連中を税金で支援する必要があるのか、という論調の存在が挙げられるほどだ。
教育ローンの話が出てきたが、米国の学生も日本の学生と同様に、大きな教育費負担のために少なくない時間をアルバイトに割いている。日本の大学生の週当たりの平均アルバイト時間は約10時間だが、米国のそれは約15時間となっている。
米国の場合は、就職に直結する有給のインターンシップがここに含まれているので、単純な日米比較はできないが、アルバイトの時間に関しても平均で見れば日米の大学生でそんなに大差はないはずである。
ただし、日米の大学生で決定的に違うことは2点ある。
1点目は卒業率である。文部科学省の学生の中途退学や休学等の状況に関する調査によると、日本の大学生は1年間で約2.65%が退学し、約2.3%は休学している。
封筒裏の計算をすると、日本の大学新入生の約8割は4年以内に大学を卒業していることになる。
これに対し、米国教育統計センターによると、米国の大学新入生の中で6年以内ですら卒業している学生は6割しかいない。
2点目は教育費を巡る環境である。米国の適当な大学のHPに行って授業料を調べるとその高額さに驚くはずだ。私も試しに自分の大学の授業料を調べてみたら、州内の学生で年間約270万円、留学生に至っては約650万円と思いのほか高額で驚いた。
この高額な授業料を見れば、現在米国で教育ローンが大きな社会問題になっていることは想像に難くないはずだ。
The Institute for College Access & Successの報告書によると、米国の大学生の約3分の2は何らかの教育ローンを借りており、その額は平均して約400万円にものぼる。
また、教育ローンによる破産が社会問題になっており、Brookingsの調査によると、2000年代に教育ローンを借りた人の3分の1近くが破産を経験している。
このデータだけを見ると、授業料が高額なために多額のローンを借り、それが返せないために破産していると思うのが一般的だろう。しかし、物事はそう単純ではない。
Brookingsの別の議論によると、教育ローンの破産率が最も高いのは意外にも55万未満しか教育ローンを借りていない層であり、一般的に教育ローンを借りた金額が大きいほど破産率が低くなるという奇妙な相関関係がある。
一体どういうことだろうか。
多額の教育ローンを借りる必要が出てくる授業料の高い学部や大学、ないしは大学院への進学は、所得を大きく向上させるため、たとえローンが多額になっても高額の所得から返済していけるので破産に陥らずに済む。
対照的に、それほど教育ローンを借りずに済む中途退学ないしは授業料の安い学部・大学への進学は、所得・雇用向上効果が見込めないため、ローンの額は少額にもかかわらず、低賃金ないしは雇用が得られないために教育ローンの返済が滞り破産するという事態に陥るためである。
教育ローンのデータを額面通りに受け取って日米比較をすることはできない点にも注意が必要である。なぜなら、誰が学費を負担するかは日米で文化的に大きな違いがあり、米国は学生自身が支払いに責任を負っているケースが多いからだ。
また、たしかに授業料の高額さには驚くが、この額面通りの金額を支払っている学生はほとんどいない、という点も注意が必要である。
日本では奨学金という名の教育ローンがまかり通っているが(厳密に解釈すると、市場で資金を借り入れた際よりも教育ローンは利率が低く、その分だけ補助金が入っているので、その補助金の額だけ奨学金の要素があると言える)、米国は本物の奨学金が充実している。
米国教育統計センターによると、米国の大学生の約86%は何らかの奨学金を受け取っており、College Boardのレポートによるとその平均金額は約100万円になり、額面通りの授業料は支払っていないことになる。
これも封筒裏の計算になるが、奨学金の存在と日米の物価差を考慮すると、日米の大学授業料負担は平均してみると驚くほどの大差があるわけではないことが分かる。
ここまでの議論から分かるように、平均的な大学生に絞れば日米の大学生は言われているほど違いがあるわけではないことが分かる。
このことから、米国の大学教育に関する教育政策に関する研究は、一般的に想像されるほどには日本に当てはまりが悪いということもなさそうだ。
以下では、包括的ではないものの日本の大学教育無償化を考える上でも参考になると思われる二つのトピックと研究結果を紹介していく。
奨学金は学習成果を向上させるのか?
米国の平均的な大学生は多くの時間を余暇に使っている一方で、アルバイトにも多くの時間を割いている。
そうなると疑問になるのが、奨学金を与えればアルバイトから解放されて学習成果が向上するのか、それとも奨学金を遊ぶことに使ってしまって学習成果が全く向上しないのか、という点であろう。
2008年にウィスコンシン州で、州内の州立大学に通う大学生を対象に年間約40万円を支給する奨学金プログラムが導入された。
この奨学金プログラムの特徴は、奨学金のインパクトを計測するために、対象者の中からくじでランダムに奨学金をもらえる学生を選んだ点にある。
そしてこれを分析した論文によると、この奨学金によって学生の労働時間は約15%減少した。
特に、週に20時間以上の長時間労働をしている学生の割合の削減や、早朝深夜のアルバイトの削減に顕著に効果が見られ、学習を阻害するような働き方が減少することが分かった。
さらに、オハイオ州で実施された奨学金プログラムや全米を対象としている奨学金プログラム(Pell Grant)は、奨学金が単位の取得や卒業率を改善させうることを研究で明らかにした。
日本でも、大学生への仕送りの減少や、それに伴う学生の長時間アルバイトが問題になりつつある。
米国での研究成果を鑑みれば、長時間アルバイトが必要な学生に対する奨学金、すなわち現在日本で進学機会の文脈で大学無償化として議論されている、年収380万円以下の世帯に絞った大学授業料の減免と270万円以下の世帯に絞った無償化は、学習成果の向上という文脈でも議論された方が良いことが分かる。
奨学金は貧困層の進学機会を拡大するか?
奨学金が貧困層の進学機会を拡大し得ることについては、この代表的な研究をはじめ、様々な研究が明らかにしている。しかし、重要なのはそれ以外にもやるべきことがあるという点である。
先ほど、米国の大学生の85%は平均して100万円の奨学金を受け取っていると説明したが、基本的にはどのような奨学金を受け取るにせよ、そのような奨学金があるという情報と、奨学金の申請書を書く、という二つの前提条件が存在している。
富裕層にとってはそのような情報へのアクセスと書類作業は当たり前の物であろうが、貧困層が貧困層たる理由を考えれば、貧困層にとってはそれが大きな障害になることは想像に難くないはずだ。
残念ながら日本で劇場公開はされていないがオンラインで視聴可能な『Personal Statement』という、NYの貧困層の高校生が大学へ出願する困難を描いたドキュメンタリー映画がある。
それは例えば幼い妹と二人暮らしをする黒人の少年が、薬物依存症のリハビリ施設にいる不仲な母親に会いに行って出願する際に必要な税金に関する書類を受け取るといったものだが、具体的になぜ貧困層にとって情報へのアクセスと書類作業が当たり前の物にならないのか描写されているので、興味がある人には視聴をお勧めする。
実際に、高校卒業間近の子供を持つ貧困層の家庭に対して、いくらぐらい奨学金が貰えるかいう情報を与え、その申請書を書く作業を手伝うという実験を行ったところ、何も与えられなかったグループと比較してそれらを受け取ったグループの大学進学率は60%近くも高くなったという研究がある。
また、ミシガン州立大学とよく間違えられるミシガン大学では、元々授業料免除になるレベルの所得しかない家庭の子供の中で高学力の者を対象に、ミシガン大学に入学すれば授業料は無料でそのための申請書を書く必要もないという郵便をランダムに送ったところ、何も送っていない集団と比較して、郵便を受け取った生徒のミシガン大学への出願率は2.5倍以上にも跳ね上がった、という研究もある。
これらの研究が示唆するものは何か。
それは、現在日本で議論されている大学無償化は、たしかに貧困層の進学機会を拡大する可能性が高いものの、そもそも大学が無償で行けるという情報が貧困層の家庭に何もしなくても浸透するわけではなく、この情報を貧困層の家庭に届けるための積極的な努力も求められる、ということである。
さらに、大学無償化の恩恵を受けるために申請書を提出しなければならないのであれば、たとえ大学へ進学するだけの学力を持った子供であっても、何もせずともその家庭が申請書を提出してくれると仮定してはいけない点も注意が必要である。
日本と米国の「大きな差」
米国の教育政策分野の研究結果を見ると、日本の大学無償化がどのような方向へ向かうべきか大いに参考になる。
しかし、関連資料を見ると、その手の研究結果が踏まえられた形跡は見られないのが残念である。そして、この残念さは米国の大学生と比べて日本の大学生は勉強しないと嘆いて見せる教育政策関係者にもそのまま当てはまる。
日本と米国の間には経済力だけでなく、私が国際機関で体験してきたことに基づけば国際的な潮流を動かす力にさえ、大きな差が存在している。
なぜなのだろうか?
本稿で説明したように、それは日本の大学生が米国の大学生と比べて勉強していないからというわけではなさそうである。
むしろ、データや研究成果を見ることなく、自分の留学経験だけに基づき、日本の大学生は米国の大学生と比べて勉強していないと嘆きながら教育政策を考える、勘と経験に頼り切った不甲斐ないエリートたちの存在に拠るところの方が大きそうである。