【若松勉氏が明かす'78V秘話】大事件の裏で大騒動 ベンチが水びたし(2/2ページ)

この記事をシェアする

球団初の日本一を決め、グラウンドを一周する(左から)鈴木康二朗、大矢明彦、若松勉、松岡弘

乱気流に気勢をそがれたか、ヤクルトは第6戦を落とし、迎えた最終第7戦で事件が起きた。六回、左翼ポール際へのヤクルト・大杉の本塁打をめぐり、阪急・上田利治監督が1時間19分に及ぶ猛抗議を行った。「線審を代えろ」という敵将の無謀な訴えを、一塁側ベンチの面々は見守るだけ、のはずだったが…。

「ベンチとバックネット裏の間の通路、ちょうど左翼ポールの一直線上に、大きな排水管があった。その上に2、3人で乗っかって『ファウルかなあ、ポールを巻いているのかなあ』と言って、見ていたんだよ」

大のおとな3人が乗ったらどうなるか。「割れて壊れちゃった。ベンチが水びたしになって、あれには参った、泥くさくなっちゃってなあ…」。球史を揺るがす大事件の裏で、若松氏らが演じていたドタバタ劇。壊した当事者ではなかった大矢氏も「中断どころじゃなかった」とあきれて振り返ったことがある。再開直後、マニエルが左翼席へ2者連続アーチを放ち、さらに大杉が八回に、今度は文句なしの本塁打を左翼席へ。中断を挟んで投げ続けたエース松岡弘が完封し、栄冠を手にした。

Vパレードでの若松勉氏(左)と広岡達朗監督

「俺は現役で日本シリーズに出たのはあの1度だけ。本音は神宮でやりたかった。今年は五輪とコロナ禍でシーズンが延びた結果でしょ。特に初めての青木には神宮でやらせてあげたかったけど、巡り合わせだから。勝てば、良い思い出になる」。乱気流とベンチ水浸しを乗り越えた若松氏は後輩を思いやり、静かにエールを送った。

★1時間19分の中断 ヤクルト・大杉が六回に放った左翼ポール上空への飛球が本塁打と判定され、阪急・上田監督が抗議。上田監督は観客への場内説明に納得できず、線審の交代を要求した。審判団が退場処分や試合再開の宣告など毅然と対応しなかったことも重なり、中断は1時間19分に及び、金子鋭コミッショナーらの説得で再開された。上田監督はシリーズ後、混乱の責任をとって監督を辞任した。

■若松 勉(わかまつ・つとむ) 1947(昭和22)年4月17日生まれ、74歳。北海道出身。北海高から電電北海道を経て、71年ドラフト3位でヤクルト入団。2年目の72年に首位打者を獲得。78年にセ・リーグMVPを獲得し、球団初の日本一に貢献。89年現役引退。19年間で通算2062試合に出場、6808打数2173安打、打率・319、220本塁打、884打点。99年から2005年までヤクルト監督を務め、01年に日本一。09年野球殿堂入り。右投げ左打ち。

シェアする
最新のニュースやお得な情報を受け取ろう
あなたにオススメ