【若松勉氏が明かす'78V秘話】大事件の裏で大騒動 ベンチが水びたし(1/2ページ)

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日本シリーズ第7戦の六回、ヤクルト・大杉の飛球が本塁打と判定され、阪急・上田監督が猛抗議した(1978年10月22日撮影)
上田監督(右)は左翼フェンス際でポールを指差してアピールした(1978年10月22日撮影)

20日に開幕する日本シリーズで、オリックスとヤクルトが対戦することが決まった。前身を含め、両者の対決は1978年、95年に続き26年ぶり3度目。78年の対戦は「神宮球場が使えない」「パ・リーグ(阪急)が連勝中」と、今年のシリーズとの共通点が。当時ヤクルトの3番打者だった「小さな大打者」、本紙専属評論家の若松勉氏(74)が、球界を揺るがした大事件の裏でひっそり起きていたエピソードを明かした。

よく似ている。クライマックスシリーズ・ファイナルステージを「完投完封→完封リレー→引き分け」で突破し、ともに2年連続最下位からの再起を遂げたヤクルトとオリックス。20日から始まる日本シリーズは、両者初対決となった1978年の状況に酷似する。

❶神宮が使えず巨人本拠地の後楽園(東京ドーム)での開催 78年は東京六大学野球の日程が優先され、今年は明治神宮大会と日程が重複した。

❷パ・リーグが連勝中 当時の阪急は前年まで3年連続日本一で、今年もパが2013年の楽天以降8連勝で迎えるシリーズになる。

「俺たちは阪急に勝てるなんて思っていなかったよ。広岡さん(達朗監督)だけだったな、『君たちは巨人に勝った。阪急にも勝てる』とね。高津監督の『絶対大丈夫』みたいだね」

こう振り返った若松氏は、当時31歳。正捕手の大矢明彦、エース松岡弘、安田猛と投打の主力は1947年度生まれの同い年で、脂が乗りきっていた。3番・若松からベテラン大杉勝男、マニエルと続くクリーンアップは強力だった。

ヤクルトは下馬評を覆す健闘を見せた。第1戦こそ痛恨の逆転負けを喫したが、第2戦の打撃戦を制して1勝1敗。敵地・西宮での第5戦を勝ち、王手をかけた。この試合で若松はシリーズ初本塁打を放った。

「ホームランの記憶が全くないよ。なぜかって、デーゲームが終わって、帰りは〝ごほうび〟で大阪から飛行機だったんだけど、これが最悪でね。乱気流に巻き込まれて揺れっぱなし。船田(和英)さんや井原の慎ちゃん(慎一朗)が通路にひっくりかえっていた」。10月20日付本紙に「阪急より怖かったなあ」という若松氏の名(迷)言が残っている。

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