「愛する能力がない人」に愛してもらおうとしてませんか
以下の記事の前編がこの記事です。
あれはいつ頃だったか。数年前のたしか秋だったと思います。テレホン人生相談を聞いていたら、加藤諦三さんがこんな感じのことを言っていて衝撃でした。
「愛する能力のない人に愛を求めるのは無駄」
ああ、そうか、と思いました。同時に、ちょっと悔しいような気持ちも。
わたしはずっと、ある関係の中で愛を求めていました。もっと頑張れば、もっと我慢すれば、いつか変わってくれるんじゃないかって。でも何年経っても変わらなくて、気づいたら自分の心がすり減っていた。
心理学者のエーリヒ・フロムが『愛するということ』でこう書いています。
「たいていの人は愛の問題を、『愛する』という問題ではなく、『愛される』という問題として捉えている」
まさにわたしがそうでした。どうすれば愛されるか、ばかり考えていた。でも本当に問うべきは「その人には愛する能力があるか」だったんですね。
フロムは愛する能力をこう定義しています。
「愛する人の成長と幸福を積極的に求めること」
つまり、相手の幸せを願って、成長を支えようとする力。
これは誰もが等しく持っているわけじゃない。育った環境や経験で、その人の「できること」と「できないこと」が決まる。善悪じゃなくて、そういうものなんだと。
で、冒頭のことばをTwitterで共有したら、100万以上の方に届いて、いろんな反応をいただきました。ある方がこう書いていて、ハッとしました。
「愛せない人は愛する代わりに何をするかと言うと、人を『支配』するんだよね」
振り返ってみると、わたしが愛を求めていた相手は、わたしの幸福を願っていたんだろうか。それとも、わたしをコントロールしようとしていたんだろうか。
わたしの選択を尊重してくれたことがあっただろうか。わたしが成長することを喜んでくれただろうか。答えは、ほとんど「いいえ」でした。
「もっと頑張れば変わってくれるはず」と思っていたけど、「愛する能力のない人に愛を求めるのは、焼いた魚がおどりだすことを求めるのと同じ」(こっちが加藤諦三さんのオリジナルの言葉でした)
そう気づいたとき、諦めることに取り組もうと思いました。諦めることは、逃げじゃなかった。自分を守る選択でした。
有料部分では、以下をお話しします:
・諦めた後、関係性をどう扱ったか(期待の手放し方)
・「愛されなかったわたしも愛せないのでは」という不安とどう向き合ったか
・損切り後に訪れた回復のプロセス(心の余裕、自分の感覚、新しい関係)
・わたしが実際にやったこと
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