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SideM10周年のツアーと765AS単独公演を経て、この度の合同ライブを終えて──燃え尽きた心と、ずっとずっとその先へまだ続く余韻 自分を叶えるために生まれた証とは?

転載・引用・転用についての注意

本記事は、私自身の経験と心の整理を目的として執筆したものです。
内容の一部を切り取ったり、文脈を離れて拡散したりすると、誤解や曲解を招くおそれがあります。
そのため、記事の無断転載・要約・スクリーンショット・SNSやまとめサイト等への転用および引用を禁じます。
また、恣意的に言葉を切り取って意図と異なる内容として広める行為も固くお断りいたします。

はじめに

2025年夏のSideM10周年ライブ、その直後の765AS単独公演を終えてから、しばらく時間が経ちました。
相変わらず運営のヘマや商品のエラーなどは無くならないばかりか増えていく一方で、プロデューサーとしての活動を休止したのにも関わらずストレスの針は私の精神をちくちくと刺し、心を蝕んでいきました。
それでも、あの日の光景や音、空気の震えが、今でもふとした瞬間に蘇ります。あのステージを見届けた瞬間、自分の中の何かが燃え尽きたような感覚を覚えました。
それは悲しみでも後悔でもなく、全力を出し切ったあとの静かな安堵でした。
そんな中でこの度京セラドームで行われた、アイドルマスターシリーズ合同ライブ「M@STER OF IDOL WORLD 2025」に、私は「一人の客」として向かいました。
プロデューサーとして気負わずにライブを見ると言うことは、とても気が楽なものでした。
プロデューサーとして燃え尽きても、アイマスというコンテンツが好きならライブも楽しめるということを身をもって体感しました。

10th横浜で8年半を振り返って思ったこと

愛媛、熊本、大阪、幕張とプロミツアーを渡り歩き、最終公演地の横浜の会場であるKアリーナの客席に腰掛けてステージを見つめたあの日のことが今も反芻されます。
ステージの照明がゆっくりと落ち、客席のペンライトの海が静かに揺れたとき、心の奥で小さく響いた言葉がありました。
──「ずっとずっとその先へ」。

SideMに出会い、プロデューサーとして活動していく中で、私は自分の内側に変化を感じました。
もともと人と話すのが苦手で、休日は家の中で過ごすことが多い、いわゆる、コミュ障と呼ばれるような人でした。
けれど、このコンテンツを通して少しずつ人と関わる勇気をもらい、初めて「世界は動き出す」という感覚を実感しました。

それまで他人との距離を測りかねていた自分が、「もう迷うことなんてないさ」と心から思えたのです。
「自由にもっと輝いて」──まさに、自分の世界が広がっていくのを感じました。
アイマスに出会ってからの人生は、まさに「きらめく星のように」輝いていたのだと思います。

そして今、少し距離を置いた場所から振り返ると、あのきらめきの中には確かに情熱がありました。
その情熱が私の中で燃え尽きた今も、静かな光として残っています。
それでも思うのです。
「今始まるストーリー」があるのだと。
「未来はそこにあるよ」と、あの頃の自分に言い聞かせるように。


燃え尽きる直前の感覚

あの頃、私の心はまさに「燃えて」いました。
けれど、どんな炎にも終わりがあります。
光を放つためには燃料が必要で、その燃料はいずれ尽きるものです。
ガソリンがなければ車は走らず、灯油がなければストーブも灯りません。
あの夏の10thアニバーサリーライブの歓声に包まれた夜、私はその「ガス欠」や「灯油切れ」にも似た、静かな「終わりの兆し」を感じ取っていたのかもしれません。

SideMを通じて得た熱は、確かに私を変えてくれました。
けれど、その熱を保ち続けることは、いつしか「義務」のように感じるようになっていったのです。
まるで、ガスバーナーの火を青く保つために、限りなく空気を送り込み続けるようでした。そうして、燃料よりも先に心の酸素が尽き、火が燃えなくなっていたのです。
「自分の心の安寧のためにアイマスに触れたい」という気概と、「金と時間をかけた以上、続けなければならない」という義務感。
その二つの間に生まれたジレンマが、心のどこかで小さな痛みとなって、静かに積もっていきました。

だからこそ今振り返ると、あの横浜の光景は「これまでの燃焼」と「これからの余韻」を分ける境界線のようでした。
そこから、私の「燃え尽きる」という感覚が、ゆっくりと始まっていったのだと思います。

SideMのプロデューサーたちに「揉まれる」ということ、そして齋藤社長への「NO」

私は、アイマスPとしての自分を、川を流れていく石のようなものだと思っています。
石同士がぶつかることは、「他のプロデューサーたちとの意見やゲームに対する価値観の相違による衝突で揉まれること」に喩えられるでしょう。
石は、川の流れや石同士の衝突によって角が削れ、やがて丸く、軽くなっていきます。
かつての私は、その流れの中で激しくぶつかりながらも、しがみつくようにSideMを追い続けていました。
けれど、角が取れた今の私は、しがみつく覚悟も、すがりつく余裕もなく、手を離したまま流されていくような感覚です。

「SideMにしがみつく」ことと、「SideMにすがりつく」ことは異なります。
しがみつくとは、意志を持って自らそれに関わること。
すがりつくとは、ただ惰性でその場に留まること。
その違いに気づいたとき、私はようやく手を離すことができました。
もし手を離さないでいたら、私はどこかに流され、自分自身がライブ会場──いや、アイマスというコンテンツそのものを彷徨う「亡霊」になっていたかもしれません。
なぜ「幽霊」ではなく「亡霊」なのか。
「幽霊」と「亡霊」は、似て非なるものです。
幽霊はただ現れて消える存在ですが、亡霊は怨念と未練を抱え、今もどこかに留まり続ける。
だから私は「亡霊」と書きました。かつての熱を手放せず彷徨う姿こそ、あの場所に見た影だったのです。

SideMという流れは、時に激流のように人の心を揺さぶり、時に穏やかなせせらぎのように癒してくれます。
その中で私は、他のプロデューサーやアイドルたちと出会い、衝突し、すれ違いながらも確かに形を変えてきました。そう、さながら激流に飲まれる石のように。
誰かに支えられ、時には傷つき、また傷つけられ、それでも流れに身を委ねて進むうちに、自分の輪郭が少しずつ変わっていったのです。
まさに、先述の比喩の通り、ある時は真冬の玄界灘の荒波に揉まれ、ある時は四万十の清流に身を委ねているようなものでした。

そんなとき、ふと脳裏に浮かんだのが、かつて一世を風靡したドラマ『家なき子』の主題歌、中島みゆきさんの「空と君のあいだに」でした。
そのサビの歌詞には、「空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る」とあります。
そして、その後に続く歌詞は、「君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる」。

その一節を思い出したとき、私はSideMのアイドルたちの姿と重ねていました。
彼らもまた、誰かの笑顔のために立ち続ける存在です。
たとえ冷たい雨が降り注ぐ日でも、笑顔を見せるために舞台に立ち、時に“悪役”を演じる覚悟を持っている。
そして、その背中を支える私たちプロデューサーもまた、彼らの笑顔に救われ、時として周りに流されながらも形を変えていく石のような存在だったのだと思います。

今の私は、その流れの中で角が削れ、丸くなった一つの石です。
冷たい雨を避けることはできなくても、川底で静かに光を反射させることはできる。
それで十分だと、今は思っています。

──そうして私の中で静かに形を変えていった思いは、SideM10th横浜公演の帰り道、あの長い余韻の中でひとつの答えにたどり着きました。

それは、「続ける覚悟を示すことよりも、辞める覚悟を受け入れることのほうが、はるかに難しい」ということでした。

あの日、Kアリーナを後にして夜の風を受けながら電車に乗り込み、車内の窓に映った自分の顔を見た時には、それが自分の顔であることがわかっているはずなのに、それがどこか遠い他人のように見えました。
けれども不思議なことに、その時の私の耳の奥ではステージの歓声と音が響き、照明の残像が瞼の裏であたかも自分がまだ会場にいるかのように瞬いていました。

その中で、ふと頭をよぎったのは齋藤社長の言葉でした。
「これからもよろしく頼むぞ!」──SideMというブランドを率いる者の力強い言葉。
これまでの私なら、迷わずペンライトを掲げ、全力で「はーーい!」と返事をし、「パーーーーッション!!」と叫んでいたはずです。

けれどもその瞬間、私は口では「パーーーーッション!!」と叫びましたが、初めて心の中で「NO」と呟きました。口に出さなかったとはいえ、それは今までで一番重い覚悟であり、また、重い決断でした。
それは反発ではなく、終わりを受け入れる静かな合図のようなものでした。
燃え尽きたあとに残る光のように、その「NO」は決意ではなく、安らぎに近いものでした。

もちろん、もし会場でその言葉を叫んでいたなら、きっと周囲からは冷たい視線が注がれたでしょう。
そんなことをしてしまったら、私はたちまち針の筵です。

だからこそ、私はあの日、ただ静かにうつむきながら、その「NO」を自分の胸の奥にしまいました。
それは、私がSideMと向き合った8年半の終わりを、自分自身の手で静かに締めくくるための儀式だったのかもしれません。

その時の決意等については、前回の記事に詳しく書いてありますので、そちらを参照してください。

3週間後、再び横浜へ

しかし──奇しくも、同じKアリーナのステージにもう一度足を運ぶ機会が訪れました。

それが、「THE IDOLM@STER 765PRO ALLSTARS LIVE 〜NEVER END IDOL!!!!!!!!!!!!!〜」です。
SideM10thツアーを終えて間もない時期に、私は再びあの場所にいました。その間隔はわずか3週間という超短期間でした。
同じ会場、同じ空気、同じような照明の中にいながらも、
そこに立つ私は、もう「プロデューサー」としてではなく、「ただの一人の観客」のはずでした。でもなぜか心のどこかでは「プロデューサーの思念」が残っていたのです。

不思議なもので、ほんの3週間前まで「自分の物語の終点」だと思っていた場所が、今度は「他者の物語の続きを見守る舞台」に変わっていました。
ステージに立つ765プロのアイドルたちを見つめながら、私はSideMを通して学んだ「応援すること」の意味と「プロデューサーとしての距離感」を、改めて噛みしめていました。

この日のライブは、私にとって「燃え尽きた後の静けさ」が、ただの空白ではなく「新しい余韻」として形を持ち始めた瞬間でもありました。

765ASの皆様のパフォーマンスも素晴らしいもので、「アイドルマスターのセンターポジション」として、聞き応え、見応えのあるものでした。

かく言う私は元々765ASからアイマスを知り、『アイドルマスター プラチナスターズ』からコンシューマー機のゲームをしています。また、初めて足を踏み入れたアイマスイベントも765ASのイベントでした。だからこそ、彼女たちには特別な思いもあり、今も大きな信頼を置いているのです。

燃え尽きるということ

では、「燃え尽きる」とは一体どういうことなのか。
その感覚を、自分なりに言葉にしてみたいと思います。

「燃え尽きる」という言葉には、どこかネガティブな響きがあるかもしれません。
高校受験や大学受験、あるいは国家資格に受かった反動で一気に緊張が解けて気力が抜けてしまい、何に対しても心が動かなくなる──そうした状態を「燃え尽き症候群」と呼ぶことがあります。
このように一般的には、「燃え尽きる」とは「やる気をなくして気力が出ない状態」を指す言葉として使われます。私もSideM10thツアー全11公演を完走した時は、確かに似たような感覚を覚えました。
けれども、私にとってそれは「やる気の喪失」ではなく、「完走から来る達成感」でした。

プロデューサーデビューから10thツアー完走までの8年半という、SideM、延いてはアイドルマスターと共に過ごした時間は、まさに自分の青春の延長であり、何かを追い続け、信じ、心を動かされ続けた、「かけがえのないもの」でした。
10周年という節目のステージで、私の中で何かが「終わった」のではなく、「一区切りを迎えた」と言う方が近いのかもしれません。
よく、よりを戻す時の表現に「焼け木杭に火がつく」というものがありますが、私の場合は完全に燃えてこれ以上火を近づけても燃えない状態に至っていると言えるでしょう。だから私の場合、再びアイマスに触れることがあるのなら、「新しい木に火をつける」と言う方が正しいのかもしれません。


余韻の中で

SideM10周年ライブと765AS単独公演の後、私はアイマスの公式SNSを開くことも減り、何をしても心が満たされない無気力期間を過ごしていました。そんな中で部屋の棚やCDラックなどを整理しながら、これまで手にしてきたCDやBD、グッズやパンフレットを手に取って眺めました。
ここから私は「身辺整理」と称して、自分に必要なアイマスブランドを見極めるため、見なくなったBD、聞かなくなったCD、衝動買いしたグッズなどを売却し、一度燃え尽きた自分を落ち着けることにしました。
特に、現地に行ってもいないのに衝動買いしてしまったライブグッズやそのライブのBDがたくさんあり、私は当時「なんでこんなに買ってしまったんだ」と気づくことができずに、ただ勢いだけで後先考えずに買ってしまっていたと分かったのです。
かつてSideMと同じくらい熱量をかけた他のブランドに関しても、「熱量もほぼ今はないし、今の自分には必要ない」と判断し、思い切ってBDなどの売却に踏み切りました。
しかし、それらのグッズやBDなどにもそれぞれに記憶や記録があり、手放すには惜しいけれど、同時に「ありがとう」と言って送り出したい気持ちもありました。それらも私にとっては大切な「歴史」なのです。
また、ライブなどでの経験も、時間が経つほどに、あの日あの時あの場所で感じたものが静かに形を変えていくのを感じます。それは燃焼による「熱」から明るく燃えて輝く「光」へ、そして今は燃えかすのような「余韻」として心の奥に沈んでいます。

得られたものとこれから

私の中で燃え尽きた感覚を、少し中学校の理科の言葉で説明してみたいと思います。
水素が酸素と化合して燃焼すると水になり、炭素を空気中で燃やすと酸素と化合して二酸化炭素になります。
つまり、元の材料は全く別の性質を持った物質に変わります。

しかし、ブタンはどうでしょう。
酸素が足りなければ、水と二酸化炭素になるだけでなく、煤や一酸化炭素を出してしまいます。これが「不完全燃焼」と言われる、危険な状態です。

私の中で燃えていたものも、きれいに消え去ったわけではありません。
その中には確実に、黒い煤のような未練と、一酸化炭素のような苦しさが心の中に残っています。
それは、「もっとできたかもしれない」「なんであんなことをしてしまったのか」という後悔や、「ここまで来たのに終わらせていいのか」という葛藤の形をしていました。
それでも、その不完全燃焼さえも、これまで歩いてきた証なのだと思います。

閑話休題。

私がアイマスPを続けた結果として燃え尽きた後に残ったのは、一時的な虚しさと、永続的な穏やかな余白でした。得られたその虚しさと余白は、次の景色を探すために必要な静けさなのだと思います。

私は今、SideM、延いてはアイドルマスターという大きな物語の外側で、これまで支えてもらった感情や思いを抱えたまま、少しずつ日常に戻っていこうとしています。
完全に辞めるわけではないのは、私にとって大切な「アイドルマスター」というブランドが存続する限りは、「プロデューサー」ではなく「一人の人間」としてたまにライブに行ったり、仲間と駄弁ったりしたいからです。

齋藤社長は、SideMライブの業務連絡コーナーで「ここは道半ば!」「歩みの途中!」「通過点だ!」「ここはゴールではない!」などと言い、私たちを鼓舞してきました。しかし、横浜公演でほぼ熱意を失っていた自分には、それらの言葉が重荷になっていました。それが心に響かなくなった時、「ああ、無理して続けなくてもいいんだ。ここで辞めてもいいんだ。」と気づくことができました。それがあの時に感じた「NO」という選択なのです。

その気づきは決して後ろ向きではなく、自分の歩みを受け入れられた瞬間でした。

SideM10周年記念ライブを終えたあの夜、それは私にとって「プロデューサー活動の終点」であり、また、「静かに立ち止まることを許された瞬間」だったのです。

完全燃焼した水素や炭素のように、何も残さず消える人生もあるのかもしれません。
けれども、私は煤や一酸化炭素を残しました。
それは決して美しくはないけれど、確かに生きた証でした。

実際問題、SideM10thツアーと765ASライブ、さらに言えば、SideM10thツアー幕張公演の2週間後に開催されたハッチポッチ2を含めた行程を終えてしばらくした頃、胸の内にぽっかりと穴が空いたような感覚に苛まれました。

その原因は明白でした。
一つは、「変に気負いすぎてアイマスを純粋に楽しめなくなった」という落胆。
もう一つは、「運営に対する信頼が薄れてしまった」という不信感です。

前者は、ライブの場数を踏むうちに「もっとあの時を超えるようなライブが見たい」と、自分の中で求めるものがどんどん倍々ゲーム感覚で増えていった結果、知らず知らずのうちに心の余裕の糸が細くなり、SideM10thプロミツアー、ハッチポッチ2、SideM10thアニバーサリーライブ、765ASライブを終えた瞬間に、その糸がぷつりと切れてしまったのかもしれません。

後者については言うまでもなく、グッズのイラストのエラーやテキストの誤植など、度重なるミスによるストレスが原因です。SideMだけでなく、すべてのブランドで起きている事であり、それぞれのブランドのプロデューサーさんたちも辛い思いをしていることと思います。
活動休止の決定打となったSideM10thツアーの大量のグッズ不具合はもちろん、直近で言えば315プロファンフェスのアクリルカードの図柄エラー、今回の合同ライブのキーホルダーのエラーなど──
昔から今に至るまで、数多くのミスを目の当たりにしてきたことによる失望が、少しずつ心を冷まし、私の中に冷たい空洞を作っていったのだと思います。


終わりに

SideM、延いてはアイドルマスターという存在が、私の人生の中で果たしてくれた役割は計り知れません。
そして、今もその温度は心の中に残っています。
この余韻が完全に消えることは、きっとないでしょう。

でも、それでいいのだと思います。
余韻が長く続こうと、自分にとっての一区切りなどの明確な終わりがあるからこそ、あの日の輝きは永遠になる。
そう信じながら、今日も静かに、あの夜の続きを胸に生きています。

私にとってアイドルマスターはとても大切な存在であるため、今後もライブなどに顔を出すことはあり得るとは思いますが、再び熱意を持って動き出すまでは、少し鳴りを潜めて、静かに活動していく所存です。

人生のどんな瞬間も、「生きるために走る」と思い立った時こそが「出発地点」。
まずはその「原点」に立ち、「夢の向こう側」にある「輝く道」に向かう「理由」を知るために、さまざまな「世界に会いにいく」ことが大切です。

「世界の宝」を探し、「あなたの笑顔のために生きる」──そんな「夢の旅」は、もしかすると絵空事なのかもしれません。
それでも私は、「誇りの星」を目指して歩き続けていました。

いつの日かたどり着く「次の舞台」で、「新しい舞台の逸話」や「成長の信号」に導かれながら、「成長する笑顔」に出会い、これまで支えてくれた「49の要素」を背に「切り株を降りる、もとい、挑む」ことを恐れずに「真の地平線」を目指しながらも、その道中で「頑張れ!!」と激励され、邁進して向かった舞台で、「手拍子と拍手」とともに「楽しみの輪」に「みんな集まれ」と言えるように。

そして、いつの日か──その「素晴らしい組み合わせ」が、ひとつの「至高の星」として輝くことを信じる。──それが、私の「DRIVE A LIVE」です。

あとがき

『SideM』や『アイドルマスター』という「終わらないマラソン」を走るということ。
それは言うなれば、「すべての自然数の中にあるすべての素数を数え上げよ」という命題を解けと言われるようなものです。
結論から言えば、それは「終わらせることが不可能な命題」です。
なぜならば、自然数も、そして素数も、無限に存在するからです。

「無数に存在する」のではなく、「無限に存在する」。
この違いこそが、「到達できない果て」の正体であり、私にとっての疲れの源でもありました。

「双子素数は有限かもしれない」──そんな予想を立てる数学者もいます。
けれど、SideM、延いてはアイドルマスターへの思いは、そんな仮説のように境界を設けられるものではありません。
それは、可算無限のさらに先に広がる「想いの集合」のようなものであり、世界のどんな天才数学者でさえ、その全容を証明することはできないのです。

そこで私は、自分の意志で「リタイア」を選びました。
言うなれば、1億までの素数を拾い上げて、そこで筆を折ったのです。
もう燃料は尽き、これ以上走り続けても、自分の心にも体にも良い結果をもたらさないと悟ったからです。

例えるのであれば、徳川慶喜が大政奉還によって政権を朝廷に返上し、その後の明治政府に道を譲ったように、自らの手で江戸幕府に「終わり」を決めた瞬間でした。
慶喜は大政奉還ののち、カメラマンを志したといいます。
私もまた、アイマスから離れたあとに何か新しいことを始めようかと考えました。
けれど、今の私はあえて、一度立ち止まることを選びました。
無理に走り続けるよりも、静かに立ち止まることもまた、覚悟のひとつだと思うのです。

けれど、立ち止まったからといって、すべてを手放したわけではありません。
心のどこかではまだ、あの日々の続きを見届けたいという気持ちが残っていました。
だからこそ、この度の合同ライブに、あえて「プロデューサー」ではなく「一人の客」として足を運んだことには、きっと何かしらの意味があったのだと思います。

そして──最後にひとつだけ、私の中で確かに残った思いがあります。

「辞める覚悟」と「辞めない覚悟」、どちらが強いのか。私は迷わず、圧倒的に前者だと思っています。

その理由は、「続けることは、慣れや流れに身を任せてでもできる。けれども、辞めることには、自分の歩みを受け入れて手放す勇気がいる。」と考えているからです。
「辞める覚悟」には、静かで、穏やかで、それでも確かな「強さ」がそこにはあります。

故に、「辞める覚悟」と「辞めない覚悟」を両方経験した上で言えるのは──「辞める覚悟」、もっと言えばそれを受け入れられる人が、静かで強く、潔いのです。

それでも私は「今までにもらったライブからの勇気」や「今までの経験」を否定してはいません。それを受け入れた上で「プロデューサー活動の縮小」を決めたのです。しかし、今までの不満に加えて、グッズのミスという、私にとっての直接的なダメージが触媒となって、じわじわとメンタルが蝕まれていったのでしょう。今後のアイマスがどうなっていくかは分かりません。その先の景色を私は少し離れたところから見つめようと思います。

転載・引用・転用についての注意(再掲)

本記事は、私自身の経験と心の整理を目的として執筆したものです。
内容の一部を切り取ったり、文脈を離れて拡散したりすると、誤解や曲解を招くおそれがあります。
そのため、記事の無断転載・要約・スクリーンショット・SNSやまとめサイト等への転用および引用を禁じます。
また、恣意的に言葉を切り取って意図と異なる内容として広める行為も固くお断りいたします。

内容の一部を切り取って拡散することは本意ではありません。
どうか一つの個人の歩みとして、静かに読んでいただけたら幸いです。

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