最後の日曜日。この日はある人々にとっては特別な日になった。高田馬場駅前の立ち食いそば屋「吉田屋」が46年の営業を終える日なのだ。この店は、昼がそば屋、夜になると寿司屋になるという独特の経営をしている店で、どちらの店のファンもこの高田馬場という街の心の拠り所としてきた場所なのだ。
そういう意味では、早稲田通りと駅前ロータリーを挟んだところに聳え立つBIGBOXと対局的な高田馬場のシンボル的存在であるといえる。BIGBOXが開業したのは1974年、吉田屋は1976年創業。両者とも立場は違えど、活気ある高田馬場を見つめてきた存在なのだ。言うなれば、太宰治「富嶽百景」の名言「富士山には月見草がよく似合う」を思い起こさせる関係かな。・・・お店の人はそうは思っていないと思うが・・・。
この店が7月31日を最後に閉店するというニュースを聞いたのは5月だったか6月だったか。とにかく、ずっとそこにあるから何時でもいける思っていた店がなくなるというのは、衝撃的である。もうあの味は食べられなくなるのか・・・。そんなに頻繁に利用したわけではないが、寂しさが襲ってくるのは不思議なものだ。
この店のそば屋としての営業時間は朝6時10分から昼の13時30分ごろまで。朝早く出てくる自分にとっては開いている貴重な店だ。時には6時前から開いている時もある。この店の一番の思い出はある冬の朝のこと。その朝は本当に凍えるような寒さで。身体がガタガタ震えて止まらなかったのを覚えている。温かいそばを食べてから出勤しようと開店間際の暖簾をくぐった。月見そば(月見草だからではない)を注文し、カウンターのおにぎりも追加した。そばが届いて、温かいツユを啜り、ああ心まで温まるなあなどと思いながらおにぎりを一口・・・凍ってる・・・。それほど寒かった。そんな日に店を開けて待っていてくれるなんて、と感動した。従って、おにぎりはツユに浸しながら食べたのだが、それもまた元気づけられる味だったと思う。
6月ぐらいから、マスコミにママさんのインタビュー記事が載り始め、朝のワイドショー的な番組にも取材を受けていた。地元早稲田大学出身のマスコミの方は多いと聞くので、学生時代にお世話になったこの店を取り上げることになったのだと勝手に解釈していた。そして、その頃からママさんの体調が良くなく、休みがちになり、店が閉まっていることも多くなった。ご主人が応援に入り、若女将と呼ばれている金髪の美人お姉さんも頑張って、閉店を惜しむ客が徐々に増え始めた6月、7月を乗り切っていった。
7月のある日のこと、ママさんとお父さんが店にいた。ママさんは相変わらす体調は良くなさそうだったのだが、大きな声で「いらっしゃいませ。」と迎えてくれた。髪の毛は青く染めていて独特の雰囲気だ。注文は天ぷらそば470円+味玉子70円。一口食べて、やっぱり美味しいなあと感慨に耽る。そこに入ってきた中年男性客が「今月で終わりになっちゃうの~」と独特の言い方でママさんに訴えかける。ママさんは、「そうなの、よよと泣いてちょうだい。自分もだけど、お客さんがかわいそう」などと答えている。
「後ろの飲み屋もすぐになくなるよ、ただの坂道になる。人間より坂道が大切なんだとね。」とも言っている。「最初は寿司屋だったの?」「寿司屋はお父さんとお母さんがやっていて、それでお蕎麦屋をやらないかということになって、赤ん坊を背負って働いたんだよ、ご飯が食べられないから。今の寿司屋は弟がやっているのよ。」・・・思い出が詰まった店。やめたくないのにやめなければならない。再開発のための立ち退きなんだな。
ママさん無念の7月31日。普段は日曜日は定休日だが、最後の日だけに営業するという。店の壁にもその旨の紙が貼られ、ネットでも最後の営業日が話題になっていた。朝7時50分、駅前の横断歩道を渡る。その途中で暖簾の向こうの若女将と目が合う。会釈すると向こうも頭を下げてくれる。暖簾をくぐる。子ども連れの客がいる。最後の日、子どもにもこの店の味を伝えたかったようだ。その子も美味しい、美味しいと言っている。中年のおじさんもいる。しみじみという感じでそばを啜っている。青い髪のママさんは外で訪ねてきてくれた常連客と話し込んでいる。
若女将が何にしますか?という顔で自分の方に顔を向ける。「天ぷらそば(470円)に味玉子(70円)、それからきつね(100円)をのせてください。」と注文し、カウンターに用意してきた640円ちょうどを置く。最後だから、好きなものをのせて食べるのだ。手慣れた動きで、おそばを作ってくれる。「どうぞ。」「いただきます。」

美味しい。美味しいのだが・・・、いつもとは違う。寂しいというのでもない。ここでこうしてそばを食べるということの特別さが、ずっしりと重いのだ。あっという間に食べ終える。若女将と目が合う。「長い間ありがとうございました。」と頭を下げる。笑顔で「ありがとうございました。」と答えてくれる。見ると。奥のお父さんが深々と頭を下げてくれている。「お元気で。」と言葉そ添えてくれる。「ありがとうございます。どうぞみなさんもお元気で。」と答えて外に出る。
こんな小さな店にも魂がこもっている。赤ん坊を背負って懸命に慣れない仕事を頑張る若いママさんの姿が見えるようだ。その姿は、やはり可憐な月見草のようだったに違いない。
Posted by hisashi721 at 09:00│
Comments(2)
浜田さん、こんにちは。この店も、ああ二毛作の店ね、なんて話題にしてましたが、中ではいろいろなドラマがあったんですよね。馴染みの店が次々閉店している今、一つ一つのドラマを見届けたくなりました。