湖の周りは沢山の人で賑わっていましたが、ちょっと高めの岩に乗せてもらって良い写真が撮れました
お隣にある立派なホテルの中のカフェでホットチョコを飲みながらホテルの中を散策したりして
とても楽しい1日になりました
それにしても寒かった〜
周りの人たちはニット帽にダウンジャケット着てちゃんと準備して来てたみたい
わたしはTシャツにちょっと厚手のジャケット、Billyさんに関してはTシャツとフーディだけ
見てるこっちが寒くなる
そんな冬がもうすぐそこまできているカルガリーです
話は変わりますが
先日、可愛いアンティークショップがある南の方、Nantonという町に1人で行ってきました
目的はただ気分転換にドライブがてら、Nantonにたまたま用事で行ってるお友達に会いに行こうという計画だったのですが
車内で色んな感情が出てきて
寂しい気分になったり、嬉しい気分になったり、浮き沈みしながらNantonに到着
Nantonではお友達とカフェをして
沢山話をして
スッキリして
お友達と別れて
家に帰ってきた時にBillyさんが
『早く帰ってきたんだね 寂しい思いをしたんじゃないかって心配してた』
と心配してくれたから なんか車の中で色んな感情が湧いては消えてUpsetまでいかないけどちょっとunstableになった という話をしました
心の中の小さな動きを言葉にするって
わたしにとってとても大事なこと
それは相手がいてもいなくてもよくて
独り言で自分に話しかけても、それがよく効くわたしへの気遣いの方法
誰かに聞いてもらうと100倍いいな、とも思う
夫が生きていた頃は
わたしはどこに行くにも一人で 何でもしなくちゃいけない環境に何年もいたわけですが
そうしたくてしていたわけじゃなくて
そうしないといけなかったから自然とそうしていて
でも本当は
なんでも一緒にしてくれたり、いつも一緒にいてくれたり、一緒にお料理作ったりお庭でマシュマロ焼いたりする相棒がいたらな〜と願っていて
でもそういう環境にいない時、人は自分の状況に順応していくよね
その内それを何とも思わなくなっていくけど
願いの気持ちは無くならずにずっと心の底にいて
何かの拍子にポンと出てくる
夫を亡くして
いつも何でも手伝ってくれて一緒にいてくれるBillyさんに出会って
それはそれは毎日幸せに過ごして
久しぶりに一人でドライブをしたら
夫が生きていた時の最初の頃のこの寂しい感情が飛び出てきた
慣れようと思って慣れたわけじゃなかった
というより
慣れたと思っていたけど慣れてなかった
自分の気持ちを言葉で自分に説明して
ああ そうね
わたしは1人でいることに鈍感にならざるを得なかっただけだったんだな
そして
もう終わったよ もう大丈夫よ
の言葉を自分に伝えて...
という話をBillyさんに聞いてもらってその日はゆっくり過ごした
無くなったとか
消えたって思っていた感情は
ちゃんといつも自分の生きる糧としてそこにいて
生きるために自分が身につけた感情や考え方でわたしの人生を造って支えてくれる
出てくる感情を否定せず
正す必要もなく
わたしはそれ全部、全部、大事にしていこうと思う
みんないつも一生懸命頑張ってるよね
それって素敵だよね
