Post

Conversation

なぜぼくらは人の価値を給料で査定してしまうのか。年収が高い人に一目置いてしまうのはなぜか。それらを分析した『給料はあなたの価値なのか』は、あの成果主義大国ですら成果で給料を決められていないという現実と、その陰で一部特権者が報酬を占有的にしていることを暴露する。じゃあ、何によって私たちの給料が決まるのかというと、→ ①権力=報酬額を決定し、受け入れさせる力 ②慣性=これまでの報酬額の推移 ③模倣=他社における同種の仕事の報酬額 ④公平性=自分と周囲の報酬額の関係 の4点である。 端的に言えば「成果によって報酬が決まる」という社会は理想に過ぎない。そもそも成果で報酬を決めることは原理的にほぼ無理ゲーに近い。 たとえば、ある個人が営業で素晴らしい成果をあげたとしよう。特異的にそうやって活躍した人に対し、限定的に報酬で報いることはできる。しかし、それを全社員に適用するのは難しい。なぜなら、個人の成果といっても、それは厳密にはチームプレーの成果だからだ。 営業成績ナンバーワンの人も、完全に個人の力量のみで成果を出せた訳ではない。営業的な語り口の学習機会、クオリティの高い営業資料の準備、クライアントへのアクセスのしやすさ、会社の名前で仕事ができること、同僚からの刺激、相談者として上司がいることの利点、会社から提供された業務的なインフラなどなど、さまざまな要素がその人をナンバーワンに押し上げている。それを個人の成果としてまとめて評価するのは、フェアではない。フェアではないし、そもそも、チームプレーで成り立っているものを個人の成果に集約して評価すると、その個人の評価は実際の何倍にも高まってしまう。 そのような評価を、社内のわずかな人にくだすだけなら「まだ」報酬体系は成り立つかもしれない。でも、それを全社員に適用しようとすると、報酬体系は崩壊する。成果主義で評価した全社員の成果の総和は、実際の会社の利益の総和の何倍にもなるからだ。仮に全社員に成果主義で報酬を与えるとしたら、おそらく会社は潰れてしまうだろう。 この意味でも、成果主義でフェアに報酬を決めることは難しいといえる。 著者は語る。 「(成果主義という)モデルは三つの間違った前提の上になりたっている。すなわち、労働者の限界生産物というものが存在する、それは計算できる、それにもとづいて給与を払うのはいい考えだ、という前提だ」 もちろん、その「三つ」はすべて誤りである。本書はその誤りを社会学的な見地から提示している。読んでいて、楽しい。 ちなみに著者は、私たちの多くが信じているこの神話をうまく利用し、一部の権力者が莫大な額の報酬を受け取ることを正当化しているせいで、今日のアメリカでは誠実に働いてもまともな生活を送ることができない人が急増していると指摘している。いわゆる「偉い人」だけが、「俺がいなけりゃこの会社は成り立たないからな」という謎の成果幻想によって自分の報酬を桁違いに見積もって報酬を受け取っているのである(たぶん、きちんと分析したら、その「偉い人」の仕事もチームプレーの産物だということがわかるはず)。 ローゼンフェルドは上記を踏まえて、フェアな報酬体系について3つの提案を行っている。 気になる方は、本書を手に取ってほしい。 ゼイク・ローゼンフェルド『給料はあなたの価値なのか』みすず書房
Image