”手短よしおさん” からの『質問』に対する 777からの『返信』
”手短よしおさん” からの『質問』
手短に返信したいのですが・・・
実際のコメント欄よりも 少~し 長くなります (^^)/
① 『質問』・・・
「「アブラハムによるイエスの典型路程」は、これまで統一教会では全く聞くことがありませんでした。家庭連合でも聞きません。 この理由を手短にお願いします。」
① 777からの『返信』・・・
韓国での「アブラハムにいよるイエスの典型路程」と「妾摂理」は、原理講論がない時代に敢行されました。これが文先生からお母様と弟子たちに敢行された為、弟子たちが簡単に堕落したことが御言葉から容易に理解できます。
これが理由で、韓国の古い信徒たちの多くが、日本と比較して、世俗的欲望を隠さない信徒になってしまったのです。
何故そうなのか?
日本統一教会は原理講論が発表された1967年辺りから始まった為、また、原理教育を徹底して献身制度を取った為、韓国統一教会の世俗的な雰囲気とは大きく違っています。これは、誰もが自覚していることです。ですから、日本では創造原理に違反している「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」に対しては抵抗がありました。
韓国の弟子たちは「アブラハムにいよるイエスの典型路程」と「妾摂理」によって堕落したにもかかわらず、堕落したという自覚がなかったのです。問題はここです。
ですから、世俗との分別を強くした日本信徒たちに対して、韓国の弟子たちはこの堕落を悔改めできなかったのですから、この堕落を隠しきるしかなかったのです。これが現実です。
この為、日本の男性女性信徒たちの中には、宗主国であった韓国の弟子たちが持っている世俗的な雰囲気に飲み込まれたのです。この影響を受けて堕落した信徒が実に多くいたのです。男性も女性もです。特に、事業担当者や世界宣教者たちです・・・。
当然、韓国、日本の両統一教会では、「アブラハムにいよるイエスの典型路程」と「妾摂理」は世間体的にも隠さざるを得ない立場に立っていたのは当然です。ですから、当然、平信徒たちは、結果として、騙される立場に立っていたのです。
古い祝福家庭は「アブラハムにいよるイエスの典型路程」と「妾摂理」を語ることができず、いまもって、隠し続けているのです。分かりますね。
これは、最初のアダムとエバが堕落して腰を隠したことの世界的展開となっていると言えるのです。そして、ここから世界的再臨時代の終末時代になっているとも言えるのです。
文先生はご自身が引き裂かれる立場に立たれたとしても、怯むことなく敢行されたことが御言葉から分かるのです。ですから、文先生は生涯、内部から、特に、お母様と弟子たち、そして、子女様たちから辱めと蔑みと否定を受けて迫害の道を行かれたのです。
その時が、1992年です。
最後の天宙的立場に立たれた文先生が、なおも、そのような世間的に恥ずかしい道をお母様と弟子たち、さらに子女様たちに対し、主命的に敢行された時、この時、お母様も、子女様たちも、弟子たちも、文先生を捨てる立場に立ったことが御言葉から容易に分かるのです。
これによって文先生は、待ちに待った基元節を四ヶ月前にして、たったお一人で、誰も理解者がない立場で、同情的な僅かの理解者に囲まれて、清平病院の密室で、イエス様と同様に、自ら死をなす聖和をなされました。そして、総蕩減を完了されたのです。
今にこの聖和の死の意味を御言葉に尋ねれば、文先生が16歳の時の天意によって起こった大事件(https://sin-heiwanosyujin-kettounosyujin.muragon.com/entry/314.html)を清算する為の死であったのです。これが文先生のアルパとオメガです。
古い弟子の方たちは、何も知らない平信徒たちに対して自分たちの堕落を隠したこと。そして、自分たちこそ名誉ある偉大な弟子だとして、日本を、世界を闊歩したのです。その方が自分にとって都合がよく、簡単に日本から尊敬を強要できたのです。いまもこの延長線上にあると言えるのです。
ですから、古い弟子たちが書いた自叙伝の内容は、どれも、文先生とお母様を崇めこそすれ、罪の自覚がないことと、自慢話と名誉心にあふれているのです。これは、近い将来、イエス様の弟子同様に、自らの無知を証明する資料になるものです。
残念ながら、このような弟子たちは、日本では名誉を与えられ、さらに、文先生とお母様を神格化させた罪の功労者となったのです。今のお母様は文先生の功績はもちろん、弟子たちが日本から与えられた名誉の上に立って尊敬を得ているのです。非常に危うい立場です。
ですから、お母様も弟子たち同様、日本が自分たちの堕落を隠す逃避城となってしまったのです。今までも、これからも、弟子たちは宿命的に天意によってお母様と分裂します。同じ罪であっても罪の格位が違うのです。
まさに、お母様が奥義を知らないで言っている「空前絶後」は、いま、黙示録18章の悲壮な劇場として展開しているのです。
ところが、文先生の御言葉を読むと、お母様と弟子たち、そして、文先生の立場がまったく違っているのです。
一体、どちらが正しいのでしょうか。
もちろん、御言葉が真実です。堕落したお母様の信仰指導に絶対服従を強要されている弟子たちの信仰指導は、御言葉に反している堕落の結実となっているのです。
だからと言って、私たちが堕落した弟子たちとお母様と子女様たちをバッシングすることは、決して、天意ではないのです。これは非常に難しい観点です。
② 『質問』・・・② 「お母様の堕落問題を激しく下品な言葉で揶揄する信徒たちが多くいますが、777さんは揶揄しないのですか?ここらあたりも手短にお願いします。」
② 777からの『返信』 ・・・昔のブログではバッシングしました。しかし、間違っていました。
私には、揶揄する資格は微塵にもありません。何故なら、文先生がお母様に「アブラハムによるイエスの典型路程」を敢行してお母様を堕落させたのは、興進様を犠牲にしたことと同じ、愛の次元こそ違っていても、サタンを愛するという蕩減法からして同義的な犠牲であったのです。
そして、文先生がお母様を堕落させた犠牲によって、統一教会の運勢が引きあがり、そこから子女様たちが生まれ、私たち、第三イスラエルが生まれたのです。ですから、誰一人として揶揄する立場では、まったくないのです。
ならば、どうすればいいのでしょうか?
御言葉によると、一人一人が自分の罪として悔い改め、もう一度、再臨主を待ち望むことなのです。再臨時代は横的三代の延長途上です。ですから、誰もが信仰を失ってしまう終末が、いま、家庭連合全体に来ているのです。
そのようなお母様から自分が生まれたことを知らずに、自分の罪を棚上げにして自分の母をバッシングする方たちが多くいますが、このままでは、その方たちが危うい立場に立ってしまうのは間違いないのです。