セミナー会計・早瀬ユウカにとって、ツネコの件は寝耳に水だった。完全記憶能力を持つ書記の生塩ノアに深刻なトラウマを与えることを恐れ、ある程度ほとぼりが冷めるまで報告を遅らせようとしていた先生の気遣いによるものである。結果としてはセミナーへの秘匿は水泡に帰したが、ユウカ本人は先生の思いやりに感謝しつつ、遅かれ早かれ避けられないことだったと自分を納得させている。
「“ごめんね、ユウカ。今日一日ゴタゴタしちゃって”」
「いいえ、大丈夫です。私もツネコさんの力になりたいですから」
ツネコ救出より一時停止していたシャーレの当番制は、事情を知る一部のミレニアム生とトリニティ生にホシノを加えた形にスケジュールを再編する形で再開。その第一日目の当番としてユウカが選ばれた。シャーレ発足当時から先生を支えてきた彼女には、夕食時まで食い込む仕事も慣れたものだ。
シャーレビル一階のコンビニで弁当と飲み物を買い、先生と二人でオフィスに戻る道中。バスルームの前を通りかかると、少女達の姦しい声が漏れ聞こえてくる。
「いいですか、シャンプーなどの界面活性剤は羽根の脂を落としてしまうのでしっかり洗い流してくださいね」
「ゲヘナの生徒の翼とは違うんですね……」
「確か、油脂を塗って摩擦や水濡れから守るんだっけ」
「ツネコちゃん、痒いとこない?」
「あっ泡が! 泡が目に入ったわ! 沁みる!」
シャーレのバスルームは、D.U.市内の自宅に帰れないことも多い先生が主に使っているが、所属する生徒にも開放されており、ユウカ自身も二、三度使ったことがある。しかし、一人での利用でも脱衣場を含めやや手狭に感じるそこに六人もの生徒が入れば、実際に見なくても窮屈なのが容易く想像できた。バスルームの中にいるのは、件のツネコと、彼女の手足に立候補した便利屋68一同、そして指導役に救護騎士団団長。
「……六人も一気に入る必要ありましたか? 大浴場がメンテナンス中とはいえ……」
「“あはは……皆張り切っていたからね”」
何故こうなったかを知るには、時計の短針を左に半周させる必要がある。
研究棟からの爆発音をユウカが耳にして、最初に思った一言は「またか」だった。エンジニア部の活動が、セミナーに度々迷惑をかけてきたのは言うまでもない。彼女達の創作意欲の暴走が数々の被害をもたらし、ミレニアムの財政状況を逼迫させ、会計担当としてのユウカの悩みの種になっている。
だが、怒鳴り込むつもりで現場に来てみれば、騒ぎは既に収束した後だった。他校の生徒が七人もいて、手足のない身重の生徒をロボットのコックピットから運び出そうとしているばかりか、その生徒は転入前後に行方不明になっていた者で、復学直後にエンジニア部に入部し多額の追加予算申請を出している――その情報量の多さにさえ目を瞑れば、
問題は、詳細不明な兵器に乗ったミレニアムの生徒が、三大校の一角たるトリニティの、しかも一組織のトップを攻撃し気絶させていること。そして下手人の生徒、山野ツネコが転入から復学までの間に
「大変申し訳ございませんでした」
戦いからおよそ三時間後に、前者は意外な形で解決した。目を覚ましたミネが、その場にいた面々の前で平身低頭に綺麗な土下座を繰り出したのだ。
「此度の私の行動は明らかな勇み足であり、患者であるツネコさんのQOLを著しく低下させようとする行いで、医療従事者として恥ずべき行為です。全ての責任は私にあり、セリナは私がツネコさんの居所を特定させる目的で同行させたに過ぎません。どうか――」
「わ、わかったわかった、わかったよ……こちらからも謝罪しよう。無理に機体を止めることを恐れて何もしなかった我々にも、あなたを負傷させた責任がある」
危険だとわかっていた武器の使用を止められなかった責任もね。小さく付け加えられた、そんな文句と共に横目でじとっとウタハに見られて、やや俯き加減なツネコは無表情ながら、どこかばつが悪そうに見えた。目の笑っていない笑顔で隣に立つホシノと、その後ろで苦笑いする先生の存在もそれを助長している。
自業自得とは言わずとも、双方共に事態を深刻化させるつもりはないようだ――ユウカはその点についてひとまず安心し、追加予算申請書に書かれた名前と使途の欄をもう一度確認してから口を開いた。
「……とにかく! 言いたいことは色々あるけど、ツネコさんはどういう状態なの?」
「結論から言えば大きな問題はない。ワイルドキャットを神経接続で動かす際の神経系への負荷はあるにはあるが、ツネコは驚異的な回復力でこれをカバーしている。持続的或いは瞬間的なブースト移動による母胎や胎児への影響も無視できるレベルで、これも即座に回復されている。つまり、十分な休息を取るという前提に於いて、ツネコが今後ワイルドキャットを好きに乗り回しても、安全は保障されているということだ。コックピットを抉じ開けられて直接お腹を攻撃されでもしない限りはね」
「いや、それはそうでしょうけど……まずもって、ツネコさんが‘健康で文化的な最低限度の生活’を送れるのかってことよ」
質問の意図が伝わっていなかったことに若干苛立ちながら、ユウカはツネコを見遣った。ハルカに差し出された吸い飲みからスポーツドリンクを飲んでいる様子からして、嚥下機能の低下は起きていないか、非常に軽微なのだろう。胃瘻を閉鎖しても問題ないように見えるが、そうなると別の問題が生じる。
「有線接続すればデバイス上で文字を打ち込むことができるにしても、ツネコさんは今自分で飲食もできない体なのよ。車椅子を押して貰わなくちゃ移動もできないし、着替えは勿論お風呂だって入れない……仕事をしてお金を稼げるようになったって、そんなの……」
意味がない、という言葉を、ユウカは直前で吞み込んだ――否、それ以上言葉を続けられなくなってしまった。自分で口に出して改めてツネコが置かれた状況を認識し、その過酷な運命への悲嘆で肺が押し潰されるようだった。
「……ああ、わかっているさ。ツネコの筋電義肢のプロトタイプを作ろう。ワイルドキャットの接続方式を流用すれば、然程時間はかからない筈だ。それが完成するまでは――」
「私達がツネコの身の回りの手伝いをするわ。社員の福利厚生を欠かす訳にはいかないもの」
「それには私も参加しましょう。医療的側面からのサポートも必要な筈です」
「“ブラックマーケットまでツネコを連れていくのは大変でしょ? シャーレの空き部屋とバスルームを貸すよ。色々あって大変だったろうし、アル達も今はゆっくり休んで”」
あれよあれよという間に話がまとまっていくのを、ユウカは見ていることしかできなかった。
時は戻ってシャーレのオフィス。ローテーブルを挟んだソファーに先生と向かい合って座ったユウカは、食事に手を付ける前に話を切り出した。ツネコ達が揃ってから食べ始めるつもりだったのもそうだが、話すべきことは多いのだ。
「……今回の件は、連邦生徒会も無視できないことだと思います。シャーレが出した便利屋への依頼料もすぐ補填される筈です。依頼料というより、多分……慰労金とかの名目で」
「“危ない目に遭ったのは確かだからね……ツネコは、これからどうなるかな?”」
「あの状態の人を矯正局に放り込むなんてできませんよ。自棄になるどころか精神崩壊してもおかしくない、十分過ぎる事情がありますし……きっとトリニティも、私達と同じ対応でしょう」
情状酌量を敢えて無視するならば、ツネコが出した依頼は再手術の阻止を隠れ蓑にした拡大自殺という、シャーレに対する騙し討ちだ。未遂に終わってこそいるものの、正当防衛の形を取らせてでも自分を殺させようとしたこともあり、参加する生徒に命の危険のあるミッションだったことには違いない。これだけならまず矯正局行きは免れないが、二重学籍という状態からくるミレニアムとトリニティの責任の所在に関する問題や、極めて危険な手術による精神面の影響、そして特に四肢を持たないツネコが矯正局に送られた場合人道的な扱いが期待できないことから、ミレニアム同様に、トリニティからも連邦生徒会からも処分は消滅または猶予されるだろう、というのがユウカの見立てだった。
「それで、例のムラクモ――正式社名『ムラクモ=ウェンズデイ』についてですが……」
「“やっぱり、研究所の場所はわからないかな?”」
「はい……ヴェリタスが総力を挙げて情報を集めていますが、ブラックマーケットで治験バイトの募集をかけていること以外は詳しい情報がありません。公式サイトにあるオフィスの所在地も、恐らくは実態のないペーパーカンパニー。やはり、本拠はアビドス砂漠奥地のどこかなんでしょうが……」
「“近いうちに、もう一度行ってみるよ。ヘヴンズロックから線路を辿ればきっと見つけられる。ツネコの自立支援と並行して進めていこう”」
改造手術の為の機材や資材を一挙に失ったにも関わらず、ムラクモに動きは見られなかった。そもそもをしてムラクモに関する情報の多くは噂話の類に過ぎず、有り体に云えば謎だらけの会社だ。ツネコの存在は彼らの犯罪行為の明白な証拠だが、取り締まろうにも肝心の居場所がわからない。それはツネコが研究所ではなく列車を襲ったことにも表れている――線路の先がどこにどう繋がっているのか知っていて、尚且つシャーレに協力を頼めるのなら、わざわざ移動する列車を待ち構えるより直接研究所に仕掛けた方が
「……」
会話が少し途切れ生まれた、数秒の間。限りない包容力に溢れた先生の瞳が、穏やかに自分を見つめている。それにいたたまれなくなって、ユウカは視線を落とし、己の無力を嘆いた。
「――先生、……私、悔しいです。ムラクモを捕まえられないのも、あんな酷いことをされたツネコさんの心を癒してあげられないのも……」
脳を弄り、手足を切り落とし、兵器の部品にするに飽き足らず、必要もないのに(ツネコに関わった誰も合理性を見出すことができなかった)妊娠させる、非倫理的を通り越して猟奇的とすらいえる悪逆無道。一時はツネコに死を望ませさえした、その想像を絶する苦しみを癒す術が、ユウカにはどうしても思いつかなかった。
「元はと言えば、私達セミナーの責任なんです。行方不明になったツネコさんをもっとしっかり捜索して、早い段階で見つけることができていれば、こんなことにはならなかった筈なのに……何もできなかった、何もしなかった私達がツネコさんを今更助けようとしたって、却ってツネコさんを傷付けることになるんじゃないかって、私、何も言えなかった……」
何よりユウカの心を苛んだのは、自身の属するセミナーの無能だった。ツネコの転校がユウカの入学と同時期であり、当然その時はユウカがセミナー入りしていなかったとはいえ、ミレニアムの生徒会が事実上一人の生徒を見殺しにしていたことは、責任感の強い彼女には到底受け入れられるものではなかったのだ。
現在失踪中の生徒会長・調月リオは、この事態を感知していなかったのか。或いは知った上で些事として切り捨てていたのだろうか。どちらにしても、守るべき生徒を守ろうとしなかったセミナーに、ツネコが信頼を置くことなど出来はしないだろう。その悲しみさえもツネコの境遇を踏みつけにするような気がして、ユウカは膝の上で拳を握り、必死に涙を堪えた。
「“……私が見る限り、だけれど”」
「えっ?」
「“ツネコはきっと、ユウカ達を恨んではいないよ”」
しかし、返ってきた先生の言葉は意外なものだった。
「“ウタハとアルが攻撃された時、ツネコはミネを「俺の敵になった」って言ったんだって。でも今は仲良くお喋りして、一緒にお風呂にも入っている――多分ツネコは、誰かに怒ることはあっても、恨むことはないんじゃないかな”」
「そんな、それだけじゃ――」
「“それからもう一つ。ツネコは依頼のメールに添付したメッセージで、「これ以上手術を」「解放されたい」とは言ったけど、「復讐したい」とかの言葉は、一言もなかったよ。今日に至るまで、口に出したこともない”」
ツネコは自分を助けなかったセミナーを恨んでいない。その根拠は、今までの彼女の行動に表れていた。恩人を撃たれても怒りが長続きしていないこともそうだが、そもそも輸送列車強襲の目的は「手術の阻止と自殺」であって「報復」ではなかった。世界を呪っても不思議ではない悲惨な過去を背負って尚、それを以って他責することはなかったのだ。
「そ、それじゃあ……本当にツネコさんは、何も恨みに思ってないんですか?」
「“うん。ミレニアムもトリニティも、連邦生徒会も、それどころかムラクモやカイザーも……ツネコはきっと、恨んでいない。本当は、誰かを強く責めることができない、とっても優しい子なんじゃないかな。だからこそ、誰かに自分を殺して貰うような、極端な選択を取ってしまった……私は、そう思うよ”」
深い憂いを帯びた先生の表情と声色。多くの生徒を見てきた彼には、僅かな手がかりからツネコの心を推し量ることは容易く、そしてそれ故に辛いものなのだろう。いつの間にか、今度は俯いた先生の顔をユウカが覗き込む形になっていて、顔を上げた先生と再び目が合った。
「“だからね、ユウカ。特別なことはできなくてもいい。ただ、ツネコに寄り添ってあげて欲しいんだ。耐えきれない苦しみを、ツネコが独りで抱え込まなくてもいいように……何かあれば、責任は私が負うからね”」
「……はい!」
生徒の行く末を案じる先生を少しでも安心させられるよう、ユウカはゴシゴシ目を拭って、それから精一杯の笑顔で先生に応えた。
風呂上がりの少女達がオフィスに戻ってきたのは、それからすぐのことだった。案外大喰らいなツネコの為に、先生がもう一度コンビニに行かなければならなくなったのは、また別の話である。
大変お待たせ致しました。
書きたいシーンの間にある話って書くの大変。
実はインストールしたブルアカを全然起動していません。自分で曇らせ設定作るのは大丈夫なのにメインストーリー読む勇気が出ないんだ…