異色の経歴でプロを目指すも指名漏れ。早実の元エースは球団スタッフとして野球に向き合う
アメフトの経験も活かして可能性に挑戦
4年ぶりの再会となった吉村優さん(以下、敬称略)は、横浜DeNAベイスターズの球団スタッフとして充実した日々を送っていた。2022年のドラフトでは名前が呼ばれることはなかったが、プロ入りを果たせなかったことも糧にしているようだ。
吉村のアマチュア時代の経歴は異色の部類に入る。
名門・早稲田実業高では2年夏、背番号「16」の控え投手ながら、甲子園ベスト4を経験。1学年下には怪物スラッガーとして騒がれていた清宮幸太郎(現・北海道日本ハムファイターズ)がいた。3年夏は目標だったエース番号「1」を背負って、西東京大会ベスト8に進出した。
早稲田大学に進むと、アメリカンフットボールに転向。アメフト部(正式名称:早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ)に入り、3年時は「甲子園ボウル」に出場した。野球とアメフトの2つの競技で「甲子園の土」を踏んだわけだが、そこまでの道のりは平坦ではなかった。挫折感を味わったこともあった。
大学卒業後は早大の大学院(基幹理工学研究科 修士課程)へ。すると、高校でやり切ったはずの野球への思いが再燃する。社会人クラブチーム「REVENGE99」に所属し、アメフトの経験をプラスにしながら、プロを目指した。
ここまでの経緯は2021年5月の記事で詳しく書いた。
早実の元エースは目標達成能力が武器。早大アメフト部での活躍を経て、プロ野球に挑む(上原伸一) - エキスパート - Yahoo!ニュース
比較されたのは社会人の投手
吉村はその後、プロ入りの夢を現実に近づけるため、2022年1月に徳島インディゴソックスに入団。徳島インディゴソックスは、四国4県を活動地域とするプロ野球独立リーグ「四国アイランドリーグplus」の1つだ。今年の2025年のドラフトまで13年連続で指名選手を輩出している。
ただ、1年限りと決めていたこの挑戦は描いたようには進まなかった。吉村はこう振り返る。
「はじめは調子がよかったんです。その頃は僕の挑戦がメディアで取り上げられたのもあり、NPBのスカウトもよく見に来てくれたんですが、毎日野球をするのが高校時代以来だったのもあり、調子を維持できませんでした」
年齢がプロへのハードルを高くしたところもあったようだ。
「当時は大学院の学生でしたが、24歳で迎えるドラフトなので、比較対象が社会人投手になるんです。ストレートは最速で150キロに達していたので、一定水準はクリアしていたと思いますが、変化球の精度が社会人のドラフト候補レベルに達していなかった。2、3球種は武器となる変化球が求められるなか、投げ切れなかったんです。練習はしてましたけど…もっと変化球にフォーカスした1年にしてもよかったかなという悔いもあります。でも、そこに重きを置くと、ストレートの球速が落ちることもあるので、そこはちょっと難しかったですね」
野球とは距離を置いて就職活動
結局、12球団のどこからも「ドラフト調査書」は届かなかった。ドラフト調査書とは指名される可能性がある選手に対し、球団から送付される書類だ。プロ入りの意志があるかどうか確認する意味合いもある。選手は自身の経歴、成績などを記入して、球団に提出する。
そんななか、1球団だけ吉村に関心を示してくれた球団があった。吉村はその球団のテストを受け、ドラフトで名前を呼ばれるのを待った。
だが、告げられることはなかった。
「自分としてはプロでもできると思っていたので、現実を突きつけられたときはショックでしたね。1年間、野球に懸けていた分、燃え尽き感もありましたし、自信もなくなりました」
自分のなかにあった大きな柱が、音を立てて倒れていくような感じだったのだろう。一方で「現実」も待ち構えていた。就職活動である。野球を生業にできなかった以上、どこかで働かなくてはいけない。
吉村は大学院の卒業を半年間遅らせ、就職活動を開始した。働きたい世界は決まっていた。
「もともと、お笑いや音楽など、人を喜ばせることができる職種に関心があり、エンタメの仕事に携われたら、と」
プロ野球の世界も広義な意味ではエンタメだが、全く考えていなかったという。
「野球からは1度、距離を置きたいと思っていたのです」
エンターテインメントの追及を軸の1つとする株式会社ディー・エヌ・エーの就職試験を受けた時もそうだった。ディー・エヌ・エーが横浜DeNAベイスターズのオーナー会社であるのはむろん先刻承知していたが、面接でも野球に関わる話は一切しなかったという。
そして、その気持ちはディー・エヌ・エーから内定を得たときも変わらなかった。
「なんとなくですが、配信系の仕事ができればとその時点では考えていたんです」
一方で、野球は依然として吉村の深いところで息づいていた。就職活動が終ってから取りかかった大学院の修士論文のテーマも野球に関わることだった。
「野球選手が書いている野球日誌の内容をポジティブなのかネガティブなのかAIに分析してもらい、それを数値化して、その時のチーム状態との関連性を測定していきました。サンプルとなる野球日誌は徳島インディゴソックスの選手たちから借りました」
プロでなくても野球を仕事にできる
距離を置いていた野球に再び接近したきっかけは、あるアルバイトの仕事だった。吉村は入社までの約半年間、縁あってスポーツ事業を展開している会社でアルバイトをしていた。
「その会社はプロ選手による野球教室や、元陸上選手による教室などの運営をしていたんですが、アスリートが持つ力を引き出しながら、子どもたちを笑顔にする仕事に魅力を感じまして。自分はプロ野球選手にはなれなかったですが、こういう仕事ならできると思ったんです」
2024年4月にディー・エヌ・エーに入社した吉村は、配属先が決まる前の面談で、採用試験の面接では1ミリも触れなかったスポーツ関係の仕事を希望。高校時代に甲子園に出場し、独立リーグでもプレーしていた経歴もあり、横浜DeNAベイスターズに出向となった。
ビジネス統括本部のチケット部に配属されて2年目になる。今年はチケット部のチケット企画グループで、ホームで行われる全試合を満席にするための企画や販促活動に従事した。
そのなかには吉村のアマチュア野球への思いが詰まった企画もあった。裏ベイチケ第9弾「最強投手育成シンポジウム付チケット」がそれである。
裏ベイチケ第9弾「最強投手育成シンポジウム付チケット」抽選販売のお知らせ | 横浜DeNAベイスターズ
「対象はアマチュアの選手や指導者、あるいはデータ活用を勉強している方などで、ベイスターズの各部門のコーチやチームスタッフから、日々何を考え、どんなことをしているのか、といったことを伝えてもらいました」
吉村は「プロがやっていることでアマチュアにも役立つ情報はたくさんあります」と言う。
そこには自分を育ててくれた野球界への恩返しの思いもあるようだ。
「僕はいろいろなチームに身を置きました。大学でアメフトを経験したから、あるいは大学院でもう1度野球に挑戦したからこそ出会えた人もたくさんいます。いろいろな価値観に触れられたことはいまの仕事にも役立っています」
完全に見切りをつけたのは最近
プロでの現役生活を終えてから球団スタッフに転身する例は多いが、ドラフトで指名漏れになってすぐに球団スタッフになる例はあまり聞かない。自分が目指していた世界でいきなりスタッフとして働くことに抵抗はなかったのか?
「はじめの頃は複雑でしたね。特にファームの施設に行くと、モヤモヤしました。自分のなかでは見切りをつけた気持ちでいましたが、こういう恵まれた施設を使ってじっくり練習できたら、もっと成長できたのでは…と」
吉村はそう明かすと「実は完全にふっ切れたのはわりと最近なんですよ」と続けた 。
いまも毎日のジム通いは欠かさない。多忙な業務の合間を縫って、体を鍛え続けている。
「たまに草野球に呼ばれるんです。そのとき、独立リーグでもやっていたのに大したことないな…って思われたくないですからね。それと、いつかは指導者になりたいと思っているんです」
立場は球団スタッフでも、吉村の心はいまも「野球人」であり続けている。