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持ち出し場所・時期記録も 「那覇市の洞窟」「風葬墓」 東大琉球遺骨保管
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琉球新報朝刊
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「那覇市の洞窟」「風葬墓」―。東京大学が12日に公開した報告書は、遺骨に付属していた「カード」などに持ち出された場所や寄贈時期などが記録されていたことも明らかにした。厨子甕に納められていたとみられる遺骨もあるという。(1面に関連)
報告書によると中城村から持ち出された頭骨18点のうち1点の遺骨表面に「沖縄本島(穴墓ナラン)」と記されていた。人類学者・鳥居龍蔵による1904年の調査で、中城城周辺の「岩陰石囲い墓」から収集したと思われるという。
収集地は(1)城郭東側崖下地区の古墓群(14世紀後半~近世・近代)(2)台グスク地区の古墓群(近世~近代)―に絞られるという。中城村教育委員会が11月に現地調査したが「墓の特定には至らなかった」として祭祀承継者はいないとしている。
今帰仁村の遺骨は東京帝大の研究者だった松村瞭とみられる「松村」との記載があった。持ち出された墓は特定できないが「百按司(むむじゃな)墓か無名の墓の可能性が疑われる」としている。
那覇市は頭骨4点、上腕骨3点、大腿骨1点、頸骨1点。東大の研究者だった鈴木尚氏(故人)が保管していたという。「那覇市の洞窟」などと記録があり、保存状態がよいことから「厨子甕に納められていた可能性がある」とする。石垣市の遺骨は「明治期に作られたカード」に「与那国島大和墓」とあった。笹森儀助『南嶋探検』の記述から石垣由来と判断したという。「石垣島平得村」「森山村」などの記載もあった。
ほか、採集地は不明だが「沖縄」と記載された破損した頭骨があった。「その他」とした遺骨は、箱のラベルに「琉球」と書かれているが欧州人とみられる遺骨2点などだという。
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