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【無料公開】『ジェンダーの終焉』第一章「性別学的性別はスペクトラムである」という神話から一部抜粋【性別vsジェンダー】

本書に掲載している一部を無料公開します(本書掲載時と表記が異なる点があります。引用文献は割愛します)。基本的に本文中の()は原著に応じて訳しています。〔〕は訳註です。

性別セックスvsジェンダー

 まず性別セックスとジェンダーのような基本的用語を定義することから始めよう。これらの用語は互いに関連していると同時に別個のものであるため、多くの混乱が生じている。
 生物学的性別は男性(male)か女性(female)のどちらかだ。一般に信じられていることとは異なり、性別は染色体や生殖器、ホルモン像〔体内で分泌されるホルモンの種類や量、またそれらのバランスを総合的に評価したもの〕によってではなく、成熟した生殖細胞である配偶子によって定義される。配偶子には、男性によって形成される精子と呼ばれる小さな配偶子と、女性によって形成される卵子と呼ばれる大きな配偶子の二種類しかない。卵子と精子の中間の配偶子は存在しない。したがって、性別は二元的バイナリーだ。スペクトラムではない。
 対照的に、性自認(ジェンダーアイデンティティ)とは、私たちが自分の性別に関してどのように感じるのか、つまり自分を男性的と感じるか女性的と感じるかということを意味する。ジェンダー表現とは、自分の性自認を外的に表示すること、つまり服装や髪型の選択、独特の仕草などの外見を通じて、自分のジェンダーを表現する仕方を指す。
 性別と同様に、ジェンダーはアイデンティティと表現の両面で生物学的なものだ。それは社会的構築物(個々人の社会的環境や学習の産物という意味)ではなく、解剖学的構造や性的指向と切り離されたものでもない。現代の学者がどのように信じさせようとも、これらのことはすべて密接に結びついている。私たちが典型的なジェンダーか非典型的なジェンダーか、生まれつきの性別を自認するか、そしてどのような相手に性的魅力を感じるかは、社会ではなく、生物学が決めているのだ。
 受精時に精子と卵子が結合すると、赤ちゃんは女性か男性のどちらかになる。この生物学的特徴は、子宮内でのホルモン曝露と、結果として子どもの性自認にも影響する。約七週間で、胎児が男性(オス)の場合、精巣はテストステロンを分泌し始め、脳を男性化する。胎児が女性(メス)の場合、このプロセスは起こらない。
 出生前のテストステロンが脳の発達に及ぼす影響を示す研究は何千件も存在する。実際、このテストステロンへの曝露が起こるかどうかで、男性と女性の脳の成長方法に強力な影響を及ぼす。二〇一六年に『ネイチャーズ・サイエンティフィック・レポート』に掲載された研究において、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究者たちは、テストステロンへの曝露が脳の成長を担う神経幹細胞のプログラミングを変化させ、子宮内で脳の発達が完了する前に男女の性差を生じさせることを発見した。
 科学的な観点から見ると、性自認は基本的に生物学的性別と同一だ。もちろん、原則には例外がある。インターセックス〔性分化疾患のこと。日本ではDSDと一般に表記される〕の人々やトランスジェンダーの人々などがそうだ(これらの人たちについては後ほど説明する)。
 女性は数学が苦手で、台所がその本来の場所だと主張するために、生物学的な説明が利用されてきたのは、それほど昔の話ではない。女性の唯一の価値は、子どもを産み、夫の成功を助けることだった。ありがたいことに時代は変わったが、生物学は依然として汚名を着せられたままであり、かつての悪評を払拭できずにいる。生物学は本質的に性差別的であるとみなされ、生物学に基礎づけられた方法を用いた現代の研究でさえ、深く考えられることなく時代遅れだとして退けられている。
 過去の過ちを正そうとして、科学団体、新しい学術研究、およびその分野の専門家たちは逆の極端に走った。生物学との関連性を積極的に消し去り、科学的コンセンサスとは正反対のことを、それがまるで科学的コンセンサスであるかのように主張している。生物学は差別と同一視され、次にはその存在が抹消されようとしている。流行りの文化的用語で言えば、生物学はキャンセルされたのだ。
 この科学否定論ーー生物学的に男性(male)や女性(female)というものは存在しないとか、「生物学的性別」は首尾一貫した概念ではないといった主張ーーが広まるペースのあまりの速さには目を見張るものがあった。今日の風潮では、ジェンダーは一時的で実体のないもの、個人の経験や自認(self-identification)を超えて説明できないものだという烙印を捺されている。憂慮すべきことに、今では生物学的性別までもがその後を追っている。
 しかし、こうした試みは不必要で近視眼的だ。生物学を否定しても、私たちがより生産的で有意義な生活を送る助けにはならないからだ。むしろ、生物学的事実を隠蔽することは、私たちを暗黒時代へと逆戻りさせ、すでに知っていることを手探りで再発見することになるだけだ。次の章で説明するように、問題は科学が何を教えてくれるかではなく、その知見がどのように利用されるか、だ。
 性別とジェンダーはどちらも生物学に基づくものだが、これらを互換可能なものとして使用するのは不正確である。今日では、実際には性別を指している場合でも、ジェンダーという言葉がほぼ独占的に使用されている。トロントの公立動物園でゴリラの赤ちゃんが生まれたとき、ジャーナリストたちは、このゴリラのジェンダーがまもなく発表されるというニュースを嬉しそうに伝えた。しかし、ゴリラのような知的な動物も含め、動物にはジェンダーはない。あるのは性別だけだ。この区別をつけることがなぜ重要なのかを説明する逸話として、大手の研究機関でワークショップの司会をすることになったときのことを思い出す。非政治的なイベントに招待された際、主催者が直接私に依頼してきた場合でさえ、私は、聴衆の人々がみな友好的に見えても、私の記事を読んで私のことを悪魔だと内心では思っているのではないかとつい疑心暗鬼になってしまう。
 到着するなり、研究者の一人が私を脇に寄せ、自己紹介したうえで自分の経験を話してくれた。驚いたことに、彼女は自分の得た研究結果のうち、どの種のものが公表できるのかに関してジェンダーイデオロギーが影響を及ぼしていることに、大いに不満を持っていたのだ。著名な科学ジャーナルでは、投稿された研究論文が掲載される前に他の専門家による査読を義務づけている。彼女の論文の一つは、動物モデル、つまりマウスを使用したものだった。標準的な手順の一環として、彼女はマウスをオスかメスかに基づいて説明した。するとそのジャーナルは、この論文を掲載するためには、動物の「性別セックス」に言及している箇所をすべて「ジェンダー」という言葉に置き換える必要があると言ってきた。
「マウスのジェンダーなんかわかりませんよ」と彼女はため息をついた。「マウスは教えてくれませんから」。
「ジェンダー」という言葉の使用は、この場合、科学的観点から見て誤っているので、なぜこのような変更が必要だとジャーナル側が考えたのか彼女には理解できなかった。それは、イデオロギー的ことなかれ主義に陥っている一例のように思えたーー「性別」は生物学的なものであるがゆえに禁句なのだ。それが正しい言葉であるかどうかは関係ない。「ジェンダー」が一般に認められた学術用語となったのである。マウスのようなげっ歯類に言及するときでさえ、この種の文化政治(カルチュアル・ポリティクス)は重要であるらしい。
 もう一つのよくある例は、両親が喜び勇んでいわゆる「ジェンダーお披露目パーティー」を開く場合だ。彼らは実のところ赤ちゃんの「ジェンダー」をお披露目しているのではなく、赤ちゃんの「性別」をお披露目しているのだ。この二つの違いを知っているかどうかにかかわらず、それを「性別(セックス)お披露目パーティー」と呼びたくない理由は理解できる。子どもに関して「セックス」という言葉を使うのは、気が引けるからだ。
 性科学者という私の元の職業を聞いた人々は、実にさまざまな反応をするが(「へえすごいね、とても興味深い!」というお世辞的なものから、気まずさや不快感から無言のままその場を立ち去ることまでいろいろだ)、そういうのを目の当たりにしてきた私としては、「性別セックス」ではなく、「ジェンダー」という言葉を使うのもいたしかたないことだとは思っている。「セックス」という言葉は性行為を連想させるし、人間のセクシュアリティが依然として汚名を着せられたままであるからだ。だが、それと同時に、「セックス」は臨床用語でもあり、他の言葉と同様に、それを使用することをタブー視したり、眉をひそめたりすべきものではない。
 性的指向はジェンダーに影響を与えるが(第四章参照)、ジェンダーはその人のセクシュアリティと同義ではない。これまでの研究が示しているところでは、ジェンダーが非典型の人(同じ性別の他の人よりも異性に似た外見や行動をする人)は同性愛者である可能性が高い。ただし、トランスジェンダーであることは、その人が同性愛者であるか異性愛者であるかを示すものではない。また、ジェンダー非典型であることは、その人が必ずしもトランスジェンダーであることを示すものでもない。
 定義上、トランスジェンダーの人は、自分の自認する性別が出生時の性別ではなく反対の性別の方に一致していると感じている。「トランスジェンダー」という言葉には、ラテン語の接頭辞「トランス(trans-)」が付されており、これは「反対側の」という意味だ(「シスジェンダー」という言葉は、トランスジェンダーではない人々、つまり、出生時の性別がその人の自認する性別のままである人を指すために使用される。これも同様に、ラテン語の接頭辞「シス(cis-)」が付されており、「こちら側の」という意味だ。つまり、おおよそ自分の自認する性別と出生時の性別とが同じ側にあるということ)。
 トランスジェンダー女性は、同性愛者だとみなされがちだ〔この場合は、男性を性愛の対象としていること〕。これはおそらく、女性になりたいという欲求を持つぐらいだから、その人が女性的であるのは当然であり、女性的な男性は男性に性的魅力を感じる傾向があるからだろう。性科学(性別とジェンダーに関する科学研究)では、誰かが反対の性別に移行した場合、その人の性的指向は、〔自認する性別に基づいてではなく〕出生時の性別に基づいてその人の惹かれる性別との関係を指し示す。たとえば、男性に惹かれるトランスジェンダー女性(男性として生まれたが、女性であると自認している人)は、出生時の性別が男性で、性的に惹かれる対象の性別と同じであるため、性科学的には同性愛者とみなされる。もしその人が女性に惹かれているなら、異性愛者とみなされるだろう。しかし、トランスジェンダーであることは、その人が女性に惹かれるのか男性に惹かれるのか、あるいは両方の性別に惹かれるのかについては何も語られない。同様に、異性愛者であることは、トランスではないことを意味するわけでもない。

この続きは本書でお楽しみください。


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