京都駅前の再開発 商業アートはもういい 「百年の森」こそ未来へ
JR京都駅周辺で、京都市が進める「文化芸術を核としたまちづくり」への開発投資が盛んだ。チームラボが「バイオヴォルテックス京都」を開業し、世界的アート作家村上隆さんのスタジオ建設も動き始めた。ところが、この開発の波に疑問を投げかける人がいる。これ以上の開発はもうやめて、駅一帯に緑の回廊となる「百年の森」をつくりませんか――。松井孝治市長にこう呼びかけたいという京都市立芸術大の小山田徹学長(64)に、そのわけを聞いた。(林利香、日比野容子) 【写真】小山田徹学長=2025年11月、京都市下京区、林利香撮影 ――京都市立芸大が2023年、崇仁地区へ移転して以降、京都の玄関口が大きく変貌(へんぼう)しようとしています。 部落解放運動の拠点だった崇仁地区、そして、在日コリアンが多く住む東九条地区はいずれも駅チカで、京都市中心部に残された、ある意味、最後の一等地です。開発の波によって複雑な過去の歴史が覆い隠され、「浄化」されていく。「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象が、起きつつあると感じます。 ――再開発で地域が活性化する一方、旧来の住民が不本意に転居を強いられる現象のことですね。都市の「富裕化、高級化」「社会浄化」とも訳され、日本でも関心が高まっています。 世界中の都市で起きている問題ですが、まさに今、それが波及しているのが東九条です。今後、経済界が求めているような高さ規制が緩和されると、タワーマンション建設の波が来ないとも限りません。すでに地価が上がり、暮らしにくくなってきたと言う住民がいる。 経済合理性だけに任せていては、この流れは止められない。やはり、行政が将来像を描き、ある種の方針を示す必要があると思うのです。 ――京都市立芸大の移転で、開発の流れが生まれました。 芸術大学というところは、単にアートを制作する場所ではなく、遠い未来を見据えた価値観の形成を学生に託す場所だと私は考えています。大切なのは「長尺の時間」を見つめること。今を生きる私たちの利便性ではなく、将来世代が享受できる資産をアートを通して生み出していく。それこそが、芸術大学の真の役割だと思うんです。 経済論理で見れば、負の歴史とかマイノリティーの声は邪魔なんですよね。でも、人口減少の今はもう、右肩上がりの時代ではない。もうけ主義を貫けば地球資源が枯渇するし、環境汚染も進む。これからはうまく「引き算」をしながら、新しい経済を生み出す時代です。高層ビルを建てずに豊かさを手に入れる方法を考える、ということです。 ――崇仁地区の住民の方々と「対話」を始めておられるそうですね。 このあたりは世界の人々が最初に降り立つ、京都の玄関口です。あくまで私の夢想というか妄想なのですが、京都駅から鴨川まで「緑の回廊」をつくりませんかと呼びかけています。緑が増えれば幼稚園ができたりお店ができたり、新しい豊かさの軸が経済として生まれてくるんじゃないかと。100年後、ここに黒々とした「森」ができたとしたら、京都市は世界に誇る財産を持つことになる。願わくば、東本願寺、西本願寺、梅小路公園とも緑の回廊でつなぎたい。「長尺の投資」を考えましょうということです。 ――「長尺」と芸術は親和性がありそうですね。 生きている間に理解されずとも、死ぬまでモゾモゾやり続ける世界なので。私たちが今着ている服のデザインって、遠い昔の誰かが発明したものですが、誰もが当たり前に着るようになった頃にはもはや誰が作ったかわからない。「よみ人知らず」なんです。でも、それくらい息の長いまちづくりのあり方を考えるのが必要なんとちゃうかなあ。 ――駅前に「森」が出来れば、混んでいる市バスを待たず、歩きたくなるかもしれませんね。 緑に誘われてふらっと歩き始めたら、いつの間にか鴨川にたどり着いていて、あれっ、三十三間堂はもう目の前だ、清水寺まで歩いていけるなあ、ってね。 実は、崇仁地区の方々と一緒に野菜を育て始めています。ジャガイモ、タマネギ、ニンジン。うちの陶芸の先生が子どもたちと一緒に平皿を作って、漆の先生がスプーンを作っていて。これはもう、一緒にカレーライスを作って語り合う流れになりますよね。今月、京都府食育協会さんの協力のもと、そうした集まりを持って、「緑の回廊・百年の森プロジェクト」の実現に向けた第一歩にしたい。 ――「文化芸術のまちづくり」を掲げた京都市が東九条に誘致したチームラボに続き、アメリカの体験型アート施設「スーパーブルー京都」が来年度開業する予定です。 これ以上、体験型のアート施設ができても厳しいなと思っています。「アート施設」と言ってはいるけれど、あれは「エンターテインメント施設」の面が強いですよね。 開発を進める時に便利だから、やれ文化だ、やれ芸術だ、と言う。これまで活用できていなかった場所に客がたくさん来てにぎわっていると喜ぶ。でも「にぎわい」とは経済面でのにぎわいだけが大切なのでしょうか。商業アートはいつかは必ず飽きられる。100年後もそこにあり続けること自体、私は全く想像できません。 それにね、鴨川に近い自然豊かな場所で、なぜ、バーチャル空間で自然を感じなきゃならないのかなあ。目を転じれば、悠久の川の流れがそこにある。鳥もいる。月も昇る。そこにある自然を生かして新しい価値を生み出すのが、私たち芸術大学が目指している、アートの姿なんです。 もう大きなビルは不要です。ニューヨークのセントラルパークみたいに緑があればね、私たちの学生もいろんなことをやり始めるだろうし、真の心の豊かさを手に入れられます。 最近、ガンジーの思想に興味を持ち、勉強しているのですが、インドの古い教えに、一生の間に3本の木を植えなさい、そうすれば世界が豊かになる、という教えがあるそうです。まさに長尺の思想だと感銘を受けました。 ――今は、すぐに成果が求められる時代です。 大学でもてはやされているのは「役に立つ学問」ですからね。でも、ノーベル賞を受賞した方々が口々に基礎研究の大切さに言及しておられる。彼らが30年、40年と研究を積み重ねてきた成果がやっと評価されているのに、文部科学省も世間もそこを見ていない。芸術大学の学びもほとんどは基礎研究なのです。 でも、私は京都という街に希望を持っています。京都は「伝統と革新」の街だと言われます。目先の利益にとらわれず、悠久の時間を信じて待つことのできる人々がいたからこそ、この街はできた。長尺の思想によって築き上げられた街なのです。 私は、京都市の松井孝治市長にこう呼びかけたい。開発の波が待ったなしの今だからこそ、京都の「百年の計」を、そして「引き算の経済学」を一緒に考えていきませんか、と。 こやまだ・とおる 1961年、鹿児島県生まれ。81年に京都市立芸術大学に入学し、日本画を学ぶ。在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「dumb type(ダムタイプ)」を立ち上げた。メンバーのHIV感染とエイズ発症を機に様々な社会活動と表現のありかたに挑戦。98年頃から共有空間の獲得をテーマに活動を行う。2010年に彫刻の専任教員となり、21年10月に美術学部長、25年4月から現職。
朝日新聞社