Stability AIの犯した大罪は権利侵害ではない
まず、権利侵害そのものの是非は置いとこうじゃないか。
ウォーターマークが出ちゃってるよねというようなのは、そもそも拡散モデルという成果物として質が低く、トレーニング方法が未熟であったと言う話なので論外だし、結果的に有罪となるであろうことは予想できる。
ぼくが言いたいのはそういう話ではない。
そういったものをオープンソースのモデルとして公開し、そのモデルのライセンスを変更不可能な形でリリースしたことにある。
多くの画像生成AIのベースモデルとなっているSD1.5, SDXLは学習データに様々な問題を抱えている。ぼく自身は最終的な成果物に依拠性が認められないのであれば問題ないというスタンスなので、どういった方法で作ったかなどということは一切興味はない。
しかしだ。誰もが比較的容易に追加学習可能で改変できるモデルをフリーで公開してしまったと言う事実だけが、どうしようもないレベルで問題だ。
この問題は「では削除すればいい」というような簡単な話ではなく、不可逆な変化をもたらすものだった。その理解があるからこの問題に触れないというのであればわかるのだけれど、どうも世間様はそうではないように見える。
Stability AIへの訴訟はいくつも起きているが、Stability AIがこれらのモデルの公開を取り消し、現在利用されているモデル、およびそこから派生したモデルの使用をやめてくれとアナウンスしたところで、それは成されない。
そして、多くの実害を受けた(といえるのだろうか?)データセットに作品を利用された権利者達は派生モデルすべてに対して無力である。
こう言うと、頭のおかしい輩が「AI推進派が法と現実論をベースに現状の問題を無視して画像生成AIを肯定している!」などと言い出しかねないのだろうなぁと思うのだけれど、意味のないことに対して意味がないと言っているだけだ。そこは意味がないから、じゃあ他にできることってなんだろうねを話したい。残念なことに、そういった感覚で対話できるヒトというのは少ないように見えてならない。
それどころか、感情と現実の二元論として議論を停滞させる輩の多くが、描きもしなければ書きもしないような創作の世界とは直接関係ないところで生きている、経済的に関与しているかすら怪しい人ばかりに見えていて、実際どうなんだろうねぇ。データ取れないもんかなぁと思ったりもしている。
ちなみにぼくは夏のFANZA10円セールで300作品くらいは買ったし、ついでに数百円程度の作品も合わせていくつか買ったし、そこに二次創作は含まれないし、それをAIの学習に使うこともない。
自身が販売した一次創作物を買ってくれるわけでもないような、たまに描く版権エロ画像目当ての反AI的なフォロワーと、作品をいくつも買っているが純粋に楽しむだけで「別の用途」には利用しない生成AIユーザーとでは、恐らく後者が嫌われるのだろうなぁ。一部では先行ブロックもされているのだろう。ぼくは実感ないけど。
君たちは一体どこを見ているんだい?っていうことばかりだねっていう駄文でした。



コメント
3公開されてしまったものに関しては、技術的な側面からさらに長い時間をかけてゆっくり対応していくしかないのかなぁ。とフワフワ考えています
現状に不満を感じている層は技術的な部分にどうしても弱い人が多い(私含めて)ので、情報の共有で止まり、かぼすさんのように一歩先を見ることがどうしても難しいのかなぁと思います。
踏み入ったことは言えないけど、情報を追うしかない、藁にも縋りたい人は多いんじゃないかなと、あくまで私の観測範囲内ですがそう思う人は多いんじゃないかなと思いました。
ぼくは先を見ているよりも過去を見ているのかもしれないですねぇ……
技術的に亡き者にする方法はあるっちゃあるんですよ。
OSレベルで強制的に動かなくしてしまえばいい。強制パッチで。けどそれは多くの企業が行わないだろうし、オフラインで古いOSを動かし続けることもできないわけではないから、やはり現実的には不可能かな。だいぶ減らせるでしょうが。
インターネット黎明期から個人サイトを立ち上げて絵を上げていた、ぼくのような所謂老害にとっては、むしろ軽率な放流がなくなって健全化すると思っしまうのかもしれないですね。
物心ついたときにはSNSが当たり前にあり、そこでチヤホヤされるだけではなくマネタイズまでできていた。
そんな若いクリエイター志望が実質的に公開の場を取り上げられるような状況に拒否感を持つのも当然ではあるのかもしれない。
全然関係ないけど「年収がn倍になりました」みたいな話って、元の数字が小さいと客観的には全然すごくなくて、何もない人が自分を大きく見せたい時にはとても便利なんですよね。でもそこで終わらせておけば嘘はない。
何事も見方一つでどうとでも印象付けられたりする。眼の前にある情報をどう扱うかよりも、その情報の精度自体を疑うと言う癖を人は身につけるべきですが、それを歪めないということも同時に必要になる。
みんなはどこまで見れるかな?ばいばーい!