僕は駒木螢になってしまった
気付いたら駒木螢になってた。僕は何者なんだろう。ツイート見た感じトランスジェンダーで、メンヘラで、人文学にちょっと詳しいっぽい。
たぶんみんなも僕のことはそんな感じの認識で、何者なのかよくわかってないだろう。僕は僕のことがわかりたいし、みんなに僕のことをわかってほしい。
これは僕とみんなが僕を知るための駒木螢解体新書。
幼少期編、小学校編、中学編、高校編、夜職編、駒木螢誕生編の六編に別れてます。気になるところだけでも読んでみてください。
〜幼少期編〜
2003年、僕は生まれた。外房の片田舎に、サーファーでイケイケの両親の間に、男の子として。
物心ついたのは3歳とかだと思うんだけど、それより古い記憶は自然にまつわるものが多い。特に落ち葉の山に飛び込んだりして遊んだ記憶。だからなのかな、僕は秋が一番好きだ。
ぬいぐるみと絵本が大好きな子どもで、お母さんに毎晩絵本を読んでもらってた。『うずらちゃんのかくれんぼ』とか好きだった気がする、『14ひきのこもりうた』に出てくる木の芽のスープもすごい好きだった。なんか、その概念が。当時のアルバムを見ると大抵ぬいぐるみを抱きしめてて、お気に入りだったカメのぬいぐるみとトトロのぬいぐるみは今でも持ってる。
食物アレルギーがいくつもあって、他にもいろんな病気になりやすい子どもだったので体のことはすごく気を使われていたと思う。卵が入ってないアイスの詰め合わせとかお母さんが取り寄せてくれてた。
僕は病的な寂しがりやでお母さんと一瞬でも離れると泣いちゃったし、お母さんもはじめての子どもとなるべく一緒にいたがった。だから保育園には年中さんくらいまで通ってなかった。
ふかふかの落ち葉、かわいいぬいぐるみ、お布団のぬくもり、絵本の中のやさしい世界、お母さんといつも一緒、そういうものが僕の原体験だったし、ずっとそれが続いてほしかった。今でも僕の精神はあの景色に回帰しようとする。でもそうもいかない。
4歳の時に弟が生まれた。僕の幸せな世界に闖入者が現れた。僕は毎日保育園に行かなきゃいけなくなって、そこで初めて他者の世界に晒された。お母さんといつも一緒にいられない。保育園では男の子たちはみんなヒーロー物の話をしていて、そういうのが嫌いでゲゲゲの鬼太郎(たしか五期だ)しか見てなかった僕は付いていけない。かけっこではいつもビリになる。
この頃から僕は漠然と病み始めた。台所の包丁でお腹を刺して死のうとした記憶がある。信じられないことだけど初めての自殺未遂は未就学児の頃だったってことだ。あと、初恋も保育園の時だった。園内でもモテてた美人の女の子。僕より背が高くて、肌が白くて、髪はボブで、なんか大人びてた。その後の人生で好きになった人も全部この子の特徴を継承したような子ばかりだった気がする。この時に好きなタイプが決まったんだ。
諸事情で学区外(保育園でこの言い方はしないと思うけど他に言葉を知らない)の保育園に通っていた僕はみんなと家が遠くて、休みの日に友達と遊ぶことができなかったのでずっとテレビを見てた。一番好きだった番組は地球ドラマチック。ニュースとかもよく見てた。世界のことを知るのが好きで、お母さんにせがんで世界史の本を買ってもらってた。こんなふうに今の人格の下地が作られていったと思う。
母の愛への渇望、他者の世界への恐れ、ざっくり人文的な知識への関心。
おっと、忘れちゃいけない(本当に忘れてたので変なタイミングで挿入)性別違和の話をしよう。これは物心ついた時からあった。
趣味が女の子寄りだったと思うし、男らしいって言われるのが嫌で、男の子として扱われると泣いてた。女の子みたいね〜って大人に言われると心がぱあって明るくなったのを覚えてる。まあGIDの自分史に誰でも書くようなありきたりな話だけど、とにかくそうだった。
〜小学校編〜
小学校に上がった。学区が違ったので保育園の友達とは離れ離れになった。ずっと苦しかった。小1から小4までは苦しかったってことしか覚えてない。男の一人称を使いたくなくて小3ぐらいまでウチって言ってた。僕はアッパー系コミュ障みたいな感じで、友達は常にいたけどどこか根本的なところで人と噛み合っていないような孤独感がずっとあった。国語と社会が異様に出来て数学と理科は出来なかった。運動は全然だめ。要するに僕は全てが中途半端だった。どうせ勉強ができないなら全教科出来なければよかったし、コミュ障なら陰キャで友達が一人もいないほうがわかりやすかった。今の自信過剰と劣等感が組み合わさったような人格はこうやって形成されたんだと思う。器用貧乏は人を壊す。社会でうまくやる能力がなくて問題ばかり起こすのでしょっちゅう親に怒られて、父親には殴られるし母親には精神病の親戚に似てるとかおまえは異常だから施設に入れるとか人格否定をされるようになった。これが僕を決定的に歪めた。自分は精神病の異常者なんだと自意識の深くに刻み込まれた。僕が男だからという一点を理由に振るわれる父の暴力は僕の男性性への嫌悪を決定的にした。殴られる性別にして、殴る性別。
小4か小5くらいの時に安全保障関連法案にまつわる一連の騒動があって、この時から本格的にニュースに関心を持ち始めた。やさしいものだけで溢れた平和な日常をなによりも希求していた僕は平和憲法を破壊する法案に激怒していて、親が日教組のクラスメイトにもらった安保反対のビラを自分の部屋に貼り付けてた。
毎日報道に一喜一憂しては画面の前で安倍政権を罵倒したりしてノンポリの親に気味悪がられてた。で、最終的には法案は強行採決で成立して、衝撃と無力感と諦念が僕を満たした。この"政治の季節"の体験は今でも僕の通奏低音になっている。
それからしばらくしていつものように書店をぶらついていると(本は大好きだった)、不思議な漫画に出会った。少年にも見える中性的な女の子の顔面がドアップの表紙。帯には「地球がくそやばい!!」
なんだよこれ。直感がビリビリ痺れた。手にとって裏表紙のあらすじを読む。
─3年前の8月31日、突如東京都に巨大な空飛ぶ円盤、通称「母艦」が襲来。そこから出撃した「侵略者」の攻撃によって多くの死者が出るが、アメリカ軍の攻撃によって母艦は渋谷区の上空で停止。母艦から出撃する侵略者の宇宙船も逐次迎撃された─
なに?これ?すげえ面白そうじゃね?タイトルも見ずにレジに走った。家で速攻読んだ。読み終わった。やばい。やばい。やばい。
そこにはあれ以来頭から離れなかった安保のことや社会のこと、戦争のことが描かれていて、僕の知らない憧れの東京の景色が描かれていて、女子高生たちが僕の知らないスラングで会話していた。
やばかった。ぶっ刺さった。読み終わってからタイトルを知った。『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』。
しばらく衝撃で動けなくて僕は部屋の隅にうずくまってた。何日もかけて感覚を反芻した。やっと飲み込めた。この時僕はもう一度生まれた。神話によくある世界創生以前のカオスみたいに漠然と自我の断片が漂っているだけだった僕の精神に確かな自我が目覚めた。浅野いにおで人格が形成されちゃったんだ。おしまいだ。もう戻れない。僕はサブカルクソ野郎に一直線に突き進んでった。深夜アニメをいくつも録画して見まくった。漫画もたくさん読んだ。『乱歩奇譚』のedでさユりを知って、ゲオでCDを借りて3DSカメラで録音して聴きまくった。さユりの音楽は時代の鬱屈を体現しているけど、ただの病み曲じゃない。苦しいけど戦おうって呼びかけるアツさがあった。ネット環境も与えられず、田舎で書店も少ない中で僕は精一杯サブカル少年をやってた。
〜中学編〜
中学校に上がった。小学校でバラバラになった保育園の子たちとも再会した。好きだったあの子とも。嬉しかった。ずっと好きだった。で、僕は恋愛の仕方なんてわからなかったから、距離感のバグった接し方をして中学初日で嫌われた。終わり。
手に入らなかったことで逆に彼女の神聖性は僕の中で高められ、僕は彼女を病的に崇拝するようになった。早い話がメンヘラになった。
あと中一になったのでスマホを買ってもらえた。僕はLINE民になった。ハンネは「電子の妖精 少年A」。親とも繋がってるリア垢でそれやってた。気持ち悪いオタクの名に恥じず世代でもないくせに『機動戦艦ナデシコ』が好きだったので「電子の妖精」はそこから取った。「少年A」にしても拗らせすぎだろと思う。
当時はLINEのタイムラインでネッ友(死語だろ)を作ることができた。
今時の中学生の例に漏れずネトウヨになっていた僕はタイムラインに嫌韓投稿をしまくって、それで知り合ったメンバーを何十人か集めて論争グル「対韓同盟」を結成した。活動内容はタイムラインに流れてくるKPOPの投稿のコメ欄を集団で荒らして、反論してきた投稿者を論破すること。僕はここで王として崇拝されていて、初めて人の上に立つ経験をした。だんだん有名?になってきて大手のLINE民とも繋がるようになって、一時期はGOD騎士団とかともつるんでたと思う。
そんな中で人文系の友達も出来た。僕に一番影響を与えたのは今でも仲の良いKさん。当時高校生で思想や哲学や歴史のことをなんでも知ってたKさんは僕にとって師匠みたいな存在になった。周りに人文学をやってる同年代なんていなかったから、僕はKさんや彼の周りの思想系の人たちとの論議に夢中になった。
それで中二の秋にKさんと僕と哲学徒のLさんでエンカした。ネッ友と会うのは初めてだった。
めちゃくちゃ楽しかった。Lさんは軍服みたいなコートのポッケに怪しげな手帳を入れていて、東京駅前の広場が「帝都っぽくね?」とか言い出してナチ式敬礼しながら行進の真似を始めた。3人でニコライ堂に行った。靖国にも行った。神保町、アキバ、上野、憧れの東京を憧れの人たちと巡る経験は死ぬほど楽しかった。
ただ、このエンカが親にバレて大変なことになった。ブチギレた父親が僕のスマホを没収して、そのまま高一になるまで返してくれなかった。居場所だったネットを奪われた僕は精神がボロボロになってリスカをするようになった。
父親への憎しみで気が狂いそうになった時、血を見ると涙が溢れ出してきた。白い肌と赤い傷のコントラストが好きだった。
読書もたくさんするようになった。日本史や日本思想を中心に本を読みまくった。小説も読んだ。太宰、三島、寺山。辻村美月の『オーダーメイド殺人クラブ』は今でも大好きな愛読書になった。
この時期になるとだいぶ今の僕の輪郭が出来上がってきたんじゃないかと思う。メンヘラで鬱病で自傷癖のサブカル文学少年。うん。かなり僕だ。
おっと、また忘れてた(本当にまた忘れてた)性別違和の話をしよう。中学生といえば第二次性徴が始まる時期だ。当然僕は耐えられなくて全身の毛を剃ってたし、校則にギリギリまで抗って髪を伸ばしてた。日焼け止めも毎日塗ってた。それでも男性化していく身体と社会からの「男性であれ」という要請に諦めモードに入って男性性に降伏しつつあった。
〜高校編〜
高校に上がった。勉強しなくても受かる適当な学校を選んだ。スマホが戻ってきたので再びネットにのめり込んだ。理由はわからないけど高校に入ると愛着障害が悪化した。僕は誰にも愛されてないし、この先も誰にも愛されないってことに耐えられなくなった。
それでまあ垢抜けみたいなことを始めて、髪型とかメイクとか自撮りを研究した。それで自撮り界隈に入って女の子と寝落ち通話とかオ◯電とかしまくるようになった。僕には性欲があまりない。その証拠にポルノなんて見たこともない変な高校生だった。ただ愛されてる、求められてるって実感がほしくてそういうことをしてた。自撮り界隈で童卒した。24歳のメンヘラのお姉さんが16歳だった僕の童貞を奪った。
居酒屋の個室でお酒を飲まされてキスされて、ネカフェに連れ込まれて不慣れなセックスをした。彼女の舌はスプタンになっていて、スプタンのフェラはなんか変な感じだった。
そんなわけでクラスメイトと深く連まずにネットで人間関係を築いて、教室でODしてフラフラになったりしてた僕はやっぱりちょっと浮いてた。
高二の夏に人生で初めての彼女が出来た。知り合ったのは自撮り界隈だけどたまたま家が近所で、片親で創価四世で、聞いたことない重めの精神疾患をいくつか持ってた。僕は彼女と凄まじい共依存関係に陥った。お互いに尋常じゃない束縛をした。二人とも頭がおかしかった。頭がおかしかったから何度も喧嘩して、三ヶ月で別れた。僕は絶望的に病んだ。それで死ぬことにした。
レスタミンを500錠ぐらい買い込んで小分けにして飲んだ。蟻の幻覚が見えた。幻覚だって気付かずに体に登ってくる蟻を払い除けてるうちに僕は意識を失った。
目が覚めると病院だった。腕には点滴が、尿道にはカテーテルが刺さっていた。
意識が戻ったのは深夜だったけど、隣には両親が寝ずに待っていた。まだ状況が飲み込めない僕にたくさん話しかけてきた。大丈夫か!とか、助かってよかった!とか。
三日ぐらい入院したあと帰宅した僕に突然別れた彼女から電話がかかってきた。
「駒木くんと別れたあと辛くって、片耳ペンで刺して失聴したんだよ」
電話はそれだけ告げて切られた。何度掛け直しても出てくれることはなかった。
メンタルのことも考慮して僕は高校を辞め、通信に転入した。自由な時間がたくさん出来たので一人旅を始めた。日本思想を勉強していた関係で仏教が好きだったのでお寺を巡った。
誰もいない電車の中でヨルシカの「夜行」を聴きながら見た海景は忘れられない。
あと、髪を金髪に染めた。全日時代の女友達が金髪を見たいって言い出したので会いに行ったらかっこいいと連呼され、そのまま個室に入ってセックスした。その子は僕が全日の高校で唯一仲良くしていた男の子の片想い相手だった。なんか、寝取ったみたいになってしまった。そのことが全日の友達たちにバレて僕は随分と嫌われたみたいだけど、別にもう関係なかった。
それからの僕はインスタで近所の学校の女の子たちと仲良くなってはセックスを繰り返した。
そうすることでしか自分が愛されていると実感できなかった。
そんなことを繰り返しているうちにまた彼女ができた。耳も口もピアスだらけで、やっぱり片親の女の子。彼女はとにかく破天荒で情緒不安定で僕はずっと振り回されてた。ものすごいヤリマンで、近隣の学校のイケメンの先輩は大体セフレだった。銀杏ボーイズの「あの娘は中谷美紀が好き」をイメージしてくれたらわかりやすいと思う。あの歌みたいな女の子。
まあすぐ別れちゃったんだけど、その子の友達のYちゃんと僕は親友になった。Yちゃんはなんか大森靖子みたいな見た目で、年上の地雷系のイケメンにやたらモテてた。
僕はYちゃんに地雷メイクを教わって、東京に一緒に行って地雷系の服を選んでもらった。
歌舞伎町にも連れてってもらった。Yちゃんはトー横界隈だったので街中に知り合いがいて、歩いてるとよく声をかけられた。一緒に入ったバーでAK-69の「Bussin’」が流れてた。この街の民になりたい。僕はそう思った。家に帰って歌舞伎町のYouTubeとか見まくってたら冬月っていうホストグループのチャンネルに出会って、冴羽獠っていうホストがかっこよすぎて大好きになった。イベントで売上立ててマイクでなんか語ってる画面の中の獠くんは僕が生まれて初めて見るくらい輝いてた。僕もこんなふうになりたい。ホストになったらみんなに愛されて一人じゃないって思えるのかな。
僕はある時はYちゃんと一緒に、ある時は一人でトー横に通うようになった。あの頃のトー横には歌舞伎町卍會を結成する前のハウルさんがいて、「18になったらホストやってみたいんです」って言う僕に「グルダンの人気店全部連れてったるわ!」って言ってくれた。結局あの人は死んじゃったけど。
終電のボックス席で僕がRaidの「歌舞伎町レイニー」を流しながら興奮気味に語る歌舞伎町の楽しさをYちゃんはやれやれって感じで聞いてくれてた。
高校を卒業する時期が来た。僕は無気力で就職も進学もしたくなかった。だったらホストでもやってみようかな、でも親は許してくれないだろうな、そう思って家出の計画を立てた。ちょうどその時自撮り界隈で仲良くなった風俗嬢のFさんが「匿うよ〜」って申し出てくれた。卒業式の数日前に家出を決行した。僕は早朝に荷物をまとめて家を飛び出した。電車で二時間、東京でFさんが泊まってるホテルに着く。月200万ぐらい稼いでるFさんはかなり美人で、ウーバーでお寿司を奢ってくれた。あとセックスした。そりゃねって感じだけど。
とにかくそんなこんなで僕の家出生活は始まった。
〜夜職編〜
家出中はFさんのお金でホテルを点々としてた。4月になればホストができる年齢になる。それまでの二ヶ月くらいを逃げ回ればよかった。
横浜のホテルでウクライナ侵攻開始のニュースを見た。ゼレンスキーの演説が僕を鼓舞してるように聞こえて奮い立った。
新潟のFさんの家に行った。しばらくはそこで暮らしてたんだけど喧嘩してぶん殴っちゃって追い出された。まあ4月まであと少し。新幹線で歌舞伎町に戻って、歌舞伎の友達たちにホテル泊めてもらったりして暮らしながら4月を待った。そして4月が来た。聞いたこともないカスみたいな個人店に入店した。僕はまあそこでけっこう頑張ったと思う。一応ナンバー入ってたしたまにラスソン取ったりもしてた。それからの一年間はたまに店変えたりしながら夜職を続けてた。友達もたくさんできたし、女性経験もたくさん積んだ。けっこう楽しかったと思う。でもやっぱり僕はメンヘラだ、一人の女の子にガチ恋してしまって、ホスト用語で言うところの色ボケってやつで仕事も手につかなくなった。その子とは何回かセックスしたけど付き合ってはもらえなかった。セフレならいいよとか言われて。それでなんかもう全部嫌になっちゃって実家帰った。失恋すると自暴自棄になる。まあここまでの体験も今の僕を形作ってるものの一つだと思う。ほんとは大学とか行くべきだったって後悔してるけどもう遅いよね。
それからの一年ぐらいは実家で本読んだりアニメ見たりしながらクネクネしてた。夜職でお金が貯まってたので韓国で整形した。つまんない毎日だった。そんなことやってるうちに性別違和が蘇ってきた。中学以来抑圧して忘れ去ってた感情。やっぱり僕は男じゃない。男でいたくない。抑圧されたものの回帰。YouTubeで性別適合手術をした人の体験談を見まくった。青木歌音とか見てた気がする。こういうときに悩まず即決できちゃうのが僕の頭のおかしいところで、すぐに某クリニックで手術を終えて性別変更の手続きを始めた。家裁に面談に行くんだけど、面接官のおばあちゃんにかわいいねって言われて嬉しかった。性別の変更を認めますって内容の通知が届いた。やっぱり嬉しかった。
ありえないことにここまで全部親に内緒で進めてたんだけど普通に書類見られてお母さんにバレた。お母さんは僕の性別変更を受け入れてくれた。「女の子になりたかったなら言ってよ〜!」って頭を撫でてくれた。僕は泣きそうだった。ちなみにこれが20歳の時で、この歳で性別変更を済ませてる人は珍しいらしい。普通はその前にやる声オペとかを僕は全部すっ飛ばしちゃったからなんだけど。
〜駒木螢誕生編〜
こっから本番です。さて、家でクネクネを続けていた僕ですが、僕は愛着障害です。誰かに愛されなければ生きていけません。
僕を見てほしい。僕がここにいるって誰かに知ってほしい。誰にも存在を知られてないなんて耐えられない。
それで長い間触れてなかったTwitterをまた始めました。ていってももう女の子と恋愛する気にもならないから自撮り界隈はやる気しないし、何をツイートしたらいいかわかんなかった。
それでTL眺めてたら芝川愀のツイートが流れてきた。自殺した女子高生云々の、あの大バズりしたやつ。文学界隈みたいなものがあるんだ。面白そうだと思った。芝川の名前を真似て駒木螢ってハンネを思いついた。
文学界隈?ってやつをやるならたくさん本を読んだほうがいいだろうと思って読みまくった。それで文学っぽい(文学っぽい?)ツイートを頑張ってみた。最初は誰にも届かなかったけど、少しずつ。
そんなある日、一作のnoteが流れてきた。某アニメの二次創作小説。内容はBL。何気なく読んでみた。すごく面白かった。同時にこれを書いた人はmtfだろうなって思った。僕もそうだからわかるんだ。
作者がどんな人か気になってツイートを読み漁った。文学や哲学の話をして定期的にバズってて、すごく面白い人だと思った。仲良くなりたいと思った。それでエンカしたいです!ってリプして会うことになった。
その人はすごく可愛くて、面白くて、端的に魅力的な人だった。一緒にいる時間はめちゃくちゃ楽しかった。
家に帰ってもその人のことが頭から離れなかった。ずっと考えちゃう。◯◯さん、◯◯さん、◯◯さんって。おかしいな。なんでだろ。あれ?もしかしてこれって...
好きになっちゃってた。
大好きだった。大好き、大好き、大好き。
◯◯さんみたいになりたい。◯◯さんがほしい。◯◯さんに追いつきたい。
そう思って僕はたくさん本を読んだ。noteに小説も書いた。なぜか伸びて90いいねとかついた。あの人みたいな面白いツイートがしたいって思って頑張った。
だんだん文学?や哲学?の界隈にも友達ができてきてTwitterが楽しくなってきた。
その間もずっとあの人のことが好きだった。あの人みたいになりたい、振り向いてもらいたいってだけのためにTwitterやり続けて気付いたら今の規模になってた。恋の力って怖い。僕はただあの人の真似をしてるだけだよ。
Twitterを始めた最初の目的、みんなに見てもらいたいって願いが叶ってすごく嬉しい。フォローしてくれてる皆さんには感謝してます。
最初はなんとなくやってた文学や哲学も本気で楽しいと思うようになってきた。
もっとすごい文章が書けるようになりたい、今はそれが目標。
目標があって、友達がたくさんいてくれて、みんなに応援してもらえてる。自分の能力の至らなさに病むことはあるけどわりかし楽しくやれてます。駒木螢は厄介なペルソナだけどこいつがいてくれてなんだかんだ良かった。いろんな素敵な人たちに出会えたし。
ありえないことだけど、信じられないことだけど、出会った日からずっと憧れてたあの人はいま隣にいてくれている。僕は高卒で、メンヘラで、躁鬱で、ADHDで、トランスジェンダー。
ここまで読んでくれた人ならおわかりの通り文才だってイマイチ。
でもやれるとこまで頑張ってみるよ。あの人に相応しい人になりたいし。これからも僕から目を離さないでください。
あなたもTwitterばかりしていると「駒木螢」になってしまうかもしれないよ...



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