職場で「エース」と呼ばれていた人が、ある日あっさり辞めると言い出したことがある。
売上も取れる。
発言も多い。
存在感もある。
誰がどう見ても、会社の柱みたいな人だった。
上司はぽつりとこう言った。
「これから大変になるな…」
周りも少しざわついた。
「あの人いなくなったら回らないよね」
「正直、きつくなると思う」
正直なところ、私もそう思っていた。
でも現実は、少しだけ違った。
確かに最初はバタバタした。
引き継ぎも雑だったし、周囲も慣れなかった。それでも、数週間もすると、不思議なくらい仕事は回り始めた。
誰かが役割を引き継ぎ、
誰かが代わりに前に出て、
現場は思ったより普通に動き出した。
ああ、組織って、こうやって適応するんだなって。そのときは、そんなふうに思った。
そして数ヶ月後。
今度は、あまり目立たなかった人が辞めると言い出した。
会議で発言することも少ない。
評価面談でも、派手に褒められるタイプじゃない。正直、上司も心のどこかで思っていたはずだ。
「まあ、この人が辞めても、なんとかなるだろう」
ここから、本当の地獄が始まった。
納期がズレる。
ミスが増える。
なぜか小さなクレームが一気に増える。
「あれ?この作業って、誰がやってたんだっけ?」そんな声が、あちこちで聞こえ始めた。
気づいたときには、もう遅かった。
その目立たなかった人は、
トラブルの芽を先回りして潰し、
誰かのミスを、誰にも言わずに補正し、
仕事の穴を、静かに埋め続けていた人だった。
誰にも気づかれない場所で、
現場のバランスを、たった一人で支えていた。
私はこう感じた。
これは、職場でよく起こる逆転構造なんだと思う。
仕事ができる人ほど、
問題を見えないところで処理する。
できない人ほど、
問題を外に放り出す。
だから結果として、
騒ぎを起こす人は「迷惑な人」に見える。
静かに処理する人は「何も起こしていない人」に見える。
でも会社が、本当の痛みを感じるのは、
いつも後者がいなくなったあとなんだよね。
目立つ人が辞めても、案外まわる。
でも、静かな支柱が抜けた瞬間、
組織は音もなく崩れ始める。
ここだけの話、
こういう人ほど、文句も言わず、限界まで耐える。
「大丈夫です」
「やっておきます」
「問題ありません」
そう言い続けた結果、
本当に限界が来たときには、
もう誰も引き留められない。
そして会社は、決まってこう言う。
「なんで、誰も教えてくれなかったんだ」
でも違う。
教えられなかったんじゃない。
見ようとしなかっただけ。
この話は、特別な会社の話じゃない。
どこの職場でも、何度も繰り返されている構図。
だから私は、こう思っている。
辞めるときに一番静かな人こそ、
本当は、いちばん大きな仕事をしていた人なんだと。