謎の商人ロールプレイ 作:誰かさん
大仰な言い方をしているが、実のところ現在ではたいしたことなど話していない。成立当初はあれこれと忙しく、また
しかし。その日の
重々しい空気で、誰も迂闊に口を開けない。とりわけ顔をこわばらせているのは、普段なら余裕の微笑を絶やさない女神フレイヤであり、いっそ悲痛なほどに顔をしかめている。
「あー……今からウチが舵を取らせてもらうわ」
沈黙の中、そう宣言したのはロキだ。
現オラリオの二大派閥が片割れであるフレイヤ・ファミリア。彼女らがその気になれば、ファミリアの一つや二つ、この世から完全消滅させることだって難しくない。彼女の恨みを買っても発言ができるという意味で、ここで口を挟めるのはロキしかいなかった。
(クッッッッソ嫌な役回りなんやけど!)
表面上は平静を保ちつつも、内心で思いきり愚痴を吐く。いくらそうするべきであり、かつそうできるのが自分しかいないからと言って、好き好んで対立したい訳ではないのだ。ファミリアが大きいというのもいいことばかりではない。
仕方が無い、と割り切る。そもそも今回の一件、ロキを含むいくつかのファミリアだって無関係ではないのだ。
とりあえず怨念すら籠もっていそうな恨みがましいフレイヤの視線からはなるべく逃げる。ちなみにイシュタルがやたら嬉しそうな顔をしており、ひっぱたきたくなった。ああ胃が痛い。それでも話は続けるしかないのだが。
「話は一番重要な議題……人間の
「はっきり言ったらどうなの」
即座に言葉を飛ばしてきたのは、恨みがましい目をしているフレイヤだ。声も聞いたことがないほど冷たい。ロキは、誰にも気付かれぬよう腹を押さえた。
彼女がロキに向ける感情はきっぱりと八つ当たりだし、それを自覚していない事もないだろう。分かっていてなお飲み込めない。そんな暗い怒りが、フレイヤの瞳に宿っている。
(あー嫌や! 帰りたい! 今すぐ帰って酒かっくらったあと
こんな圧力、自分以外の誰かに向けているのであってもいたたまれないというのに。己が晒されるなど冗談ではない。
「私のオッタルを、モンスターとして処刑するって」
(むっちゃこええええええぇぇぇぇぇ!)
開ききった瞳孔でそう呟くフレイヤの周囲は、温度が下がっている気さえする。ましてやそれに直接縫い止められているロキは、たまったものではなかった。
そう、今回の問題は、『オッタルの処分をどうするか』および『オッタルのモンスター化について』である。
神達にとって「能力を得られる果実」というのは、下界の子ほど無邪気に受け取れるものではなかった。うまい話には裏があり、欲望の向こう側には罠がある。子供を、力を与える実から守り切れなかった結果が――人の
そういった意味では、フレイヤ、ひいてはオッタルの責任も十分にあるのだが……それを指摘したところで、怒りに燃料を注ぐだけだろう。
現在オッタルは拘束こそされていないものの、
(どこの馬鹿やねん、こんな真似しくさったアホは!)
今でこそフレイヤに気圧されているロキも、少なくない怒りを感じていた。いきなり怪物になったのがオッタルというだけで、今まで果実を食べた子がいつ怪物になるかなど、分かったものではないのだ。
当然、オラリオは混乱している。
情報統制が行われているので、民衆には影響がない。あくまで今のところは、だが。しかしさすがにファミリアまでには隠し立てができず、恐怖している者は少なくなかった。
オッタル抹殺派の神は少ない。明日にでも自分の子がモンスターになる
(真の狙いは冒険者のモンスター化による内部崩壊ってか? やることが的確すぎて胸くそ悪いわ、ホンマ)
反吐が出るほど悪辣で、同時に、それが可能ならば有効な手だと言わざるを得なかった。すでに手遅れなほど、多くの冒険者が毒牙にかかっている。
はっきり言って、ロキも心情的にはフレイヤの味方だ。しかし、そうするのは立場が許さない。それがせめての、かつての最強ファミリアを追放した者ができる手向けだ。
フレイヤも同じように思っているはずだが、今は理性を感情が上回っている。気持ちはとてもよく理解できた。
(アイズたんが同じ状況になったら、ウチかてそうならん自信はないけどな)
だからこそ、どうにかして形だけでも軟着陸させたいのだが。無理だろうなあ、とほとんど諦めている。
フレイヤの逆鱗に触れる――場合によっては全面抗争だ。それこそ
その寸前に、扉が強く開かれた。
「神様方!」
飛び込んできたのは、ギルドの職員だ。
ここで、彼女に眉をひそめるような者はいない。普段なら怒声くらい浴びたかも知れないが、皆が一様に「助かった……」という顔をしていた。
当然、気が進まなかったロキも、これ幸いと乗じる。
「無作法を失礼します! ですが、緊急に伝えるべきかと思いまして!」
「ええわええわ。こっちも行き詰まっとった所やし。それで、どんな要件や?」
「街では現在、こんなものが出回っているんです!」
言いながら彼女が掲げたのは、奇妙な装丁をした本だった。
『ONE PIECE』、どうやらそれが本の題名らしい。
奇妙な書式をしていて、絵本よりも絵の割合が多い。それが一ページに複数分割され、躍動感ある形で読み進められる……といった、全く新しい本の表現方法だった。
ストーリーはとても面白く、何度も微に入り細を穿つように読みたくなる。だが、今重要なのはそこではなく。気を抜けば熱中してしまいそうな誘惑にあらがって、ロキは重要な部分だけを取り上げていった。つまり、『悪魔の実』という存在である。
まだ安全が確定したという訳ではない。が、急を要する事態でなければ、ましてや
まあとりあえず一安心という所である。
「ロキ、お疲れ様」
そう言ってホットミルクを持ってきてくれたのはフィンだ。
椅子の上にぐでっと座る行儀の悪さも、今日だけは注意されない。それだけの激戦を越えてきたと、彼も分かってくれているのだ。
「その様子だと、フレイヤ・ファミリアはなんとかなったみたいだね」
「ああ。ほんま肝を冷やしたわ。ギリッギリでこれが届いて助かった」
とんとん、と指先で机の上に置いてある本を叩く。そのすぐ横に、フィンがホットミルクを置いてくれた。
用意してくれたそれを飲むと、とても優しい味と共に五臓六腑に染み渡る。改めて、どれだけ自分が疲れていたのか分かった。
「来る時は視線だけで人を殺せそうな顔しとったフレイヤが、帰りはにっこにこでスキップしとったからな。穏便に済んでよかったわ」
「
『能力者』は現在、オラリオに数十人も在籍している。冒険者の総数からすれば一握りだが、その中には少なくない第二級冒険者以上がいるのだ。これを一度に失うとなったら、洒落にならない。下手をすれば暗黒期の再来だ。
さらに言うなら、アイズの問題がある。
彼女には状況まで詳しく伝えていないが、それでも部屋にほとんど軟禁させざるを得ず、ストレスが溜まっていた。ひとまず解放できるという安堵がある。ちなみにアイズは、外出が許されたと知るや否やダンジョンにすっ飛んでいった。
「で、フィンはもうこれ読んだんか?」
「ああ。理解……というか想像力の及ばない所は多々あれど、単純に物語として面白いね。正直に告白すると、大分読みふけってしまったよ」
少々格好をつけて苦笑する彼の姿はしかし、大分様になっている。
「せやな。ウチもむっちゃおもろいと思うわ。こんな状況でなかったら、部屋に引きこもってでも熱中してたやろ」
それこそ、享楽より義務が勝ったのが奇跡と言えるほど。それほどまでに『ONE PIECE』なる本は刺激的で、そして革新的だった。
「他の子達はどうや?」
「ガレスは部屋の外に響くほど「儂も能力ほしィー!」と叫んでるよ。リヴェリアは口にこそしないものの、夜の街を出歩こうとしてる」
「
まるで
正直、若干羨ましいなあと感じる。ロキだって主神としての責務がなかったら、思う存分『ONE PIECE』にのめり込めたというのに。
「で、実際の所、この『悪魔の実』とやらは大丈夫なのかい?」
フィンが表情を真面目に作り替えて、質問してくる。
「あーっ! ジブンすでに隅から隅まで読んだから、先に仕事終わらしてまおうって魂胆やな!? ずっこい!」
「ははは、これも眷属特権だよね。普段団長にしかできない仕事にかかりきりなんだから、多少のことは許して貰うさ」
「ぐぬぬ……」
卑怯やん、と叫びたかったが。普段から割と仕事をさぼっているロキのフォローをしているのは間違いなく彼であり、文句を言いたくとも吐き出すことはできなかった。
深呼吸をしてなんとか頭を仕事モードに切り替え(といっても視界の端に映る『ONE PIECE』に、いちいち気を取られていたが)、質問を投げかける。
「まず、本はどうやって広まったんや?」
「とんでもない力業だよ。今朝の時点で、オラリオ中の本屋に箱詰めされておかれていたんだ。それこそ、本を申し訳程度にしか置いていない古物店でもお構いなしに。一度噂が出回れば、あっという間だったらしい」
「ちなみになんぼか分かるか?」
「正確な数は調査してみなければ分からないけど……様子を見る限り一万冊に近いんじゃないかな」
「うーん。「なりふり? 何それ知らない子ですね」とでも言いたげなほどの物量やな。ほんまに力業やわぁ」
そりゃあ何十カ所からも噂が広まるし、昼になればギルドも把握する事態になろうというものだ。
「
「ちゃうやろ。広義にはそう言ってええかもしれんけど、少なくとも現時点では、ウチらが
「だろうね」
同意しながら、フィンが親指を擦った。これを行った組織に対して、まったくうずかなかった為だろう。
フィンが
フィンはある種の予知能力者と言っていいほど勘が鋭い。特に「悪い予感」はほぼ100パーセント事前に察知していた。さすがに危機の内容まで分かるほど便利ではないが、このおかげで何度もピンチを回避している。間違いなくロキ・ファミリアが躍進できた理由の一つだ。
当たり前に、ロキは彼の勘を信頼している。だからもしもは考えていても、それほど強い危惧には至らなかった。
「これは趣味神とその眷族の仕業やろなあ」
「神が? いや、確かにここまで大それた事をできるのもやろうとするのも、神くらいしかいないだろうけど……地上で
神は全知全能であるが、だからこそ地上に降臨する時は、その力をほぼ全て封じている。
この
「神にはできんやろな。でも、眷属なら分からん」
「スキルでも魔法でも、さすがに大げさすぎるよ」
「こう言ったらあれやけど、オラリオの眷属――ここはあえて眷属っちゅう言い方をするけど、子供らは戦闘に偏りすぎとる。例えばオラリオの外、創造でもってステイタスを上げ、創造でのみランクアップの偉業を重ねるファミリアがあったらと考えたらどうや? Lv.6で何かを生み出す事に特化した自分、それを想像してみい。少なくともウチは、絶対にありえないとは言い切れへん」
勘違いしている者も多いが、別にモンスターを倒さなければランクアップできない訳ではない。必要なのは
つまり、場合によってはただの一度も戦った経験がなくとも、ランクアップは可能なのだ。あくまで理論的には、という話だが。
「いや……うん……。なるほど……。僕ほどとは言わずとも、例えばLv.4で戦闘経験がなく、戦うという意識すら皆無なステイタスの成長。そう考えると、一概に否定できるものでもないのか」
周囲が狂っているのかと思うほど何かに熱中するのは、何も神の専売特許ではない。
信念と才能がかみ合ったとき、どれだけの熱量を生み出し、どれほど常識外れなものが生まれるかというのも。
人はそれが可能であり、だからこそ神が肩入れしている。人類とは下界最大の未知なのだ。
「せやから、これの目的は至ってシンプル。「どうや、ウチの作品は面白いやろ? 凄いやろ?」そんだけや」
「だからって、無料でばらまくものなのかい?」
「勘違いしたらあかん。例えばソーマんとこが拝金主義なのは、あくまで眷属の意向や。本神は、酒の開発に困らんだけの金があれば、あとはそこまでこだわっとらん筈やで。こいつらは別に資金稼ぎの部隊がおるか、それとも大きなパトロンでも見つけたんか。なんであれ、姿も見えん相手の資金源なんぞ気にしてもしゃーないわな」
「……まあそうだね、今は様子を見るしかないか。人騒がせだとは思うけど」
「せやな。一発殴ったらな気が済まん。ウチがどんだけ気をもんだか。めちゃくちゃ怖かったんやぞ、フレイヤとかフレイヤとかフレイヤとか」
「よっぽどだったんだねえ」
当然だ。フレイヤは美の女神であるが、戦神としての側面も持っている。つまりむちゃくちゃ血の気が多いのだ。初手殺し合いでなんとかしようと考える相手と正面からにらみ合う恐怖は、実際にそういった場に立った者でなければ分からない。
「まーともかく、今回はほぼ間違いなく馬鹿馬鹿しい布教の結果や。悪魔の実か『ONE PIECE』か、どっちを広めたいのかまでは分からんけどな」
「どちらもというのがありえそうで困る」
のりと勢いで生きている者は、そういう所がある。フィンの言葉に、思わず苦笑した。
「後は『悪魔の実』についても、
まあ、困ったらその時に改めてぶっ飛ばしに行けばいいだろう。天界へ送還する程の事でもなし。制御下にさえ置いてしまえば、いい仕事をするだろうし。ロキの勘では、放っておいてもそれなりに役に立つ。
さすがに独占してしまえば、反感が大きいだろうが。まあそこも、策略如何による。幸いにして、それはロキの得意分野だ。
話を終える頃に、丁度ホットミルクも飲み干して。
「さーて、ほんじゃウチも『ONE PIECE』読もかな!」
楽しみにしていた大一番に手を伸ばした。
つまるところ、ロキも神であり。目の前にあるこれは、下界の新しい可能性そのものなのだ。求めない訳がない。
「僕は邪魔しないように、これで帰らせて貰うよ。後はごゆっくり」
そう言って、フィンは空のカップを持って立ち上がる。
実のところ、ロキは内容があまりにも楽しみすぎて、別れ際の言葉はほとんど聞いていなかった。