マンガも読まれなくなってきている現状で小説はどうあるべきかをAIに聞いてみた。
マンガを読むことに関するインターネット調査を見た。
それについてちょっと深堀してみようかと思って、AIを使って壁打ちしながらやってみた。
細かいデータは上記リンクから見てほしいが、調査母数が148人とあまり多くなく、偏りがないとは言えないので、そのあたりは割り引いてみる必要はあるが、マンガをよく読むのは40代~50代で、10代~20代はあまり読んでいないということが見て取れる。
何に時間を使っているかと言えばわかりやすいのはTikTokやYoutubeなどの動画だ。
総務省の調査によれば、10代で動画共有サービスの利用時間は、平日112.1分/休日174.0分。次点で音リンゲームの平日66.5分/休日91.2分で、圧倒的に10代、20代は動画が多い。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000976455.pdf
アニメはサブスクなどを親が契約していて、感覚としては無料で見られる。のでそちらは結構見ているっぽいが、それでもVODは26.4分とかだ。
マンガや小説は無料で見られない(アプリで何話か見られる程度)のでそこまではいかないというのも1つのポイント。
圧倒的に可処分時間の競争ではYoutubeやTiktokに軍配が上がる。
では、昔に比べてマンガなどに使っていた可処分所得は何になっているのかというと、明確にどういった用途に月にいくら使っているかの調査結果は探し出せなかった……。
ただ、消費者庁の下記調査によれば、アイドル、Vtuber、アニメキャラのグッズ、ライブチケット、コラボカフェなどの推し活などに掛けているお金が増えているらしい。
実際狭い範囲に話を聞いてみると、似たような答えは返ってきた。
不思議なのはアニメキャラグッズにはお金を使うのに、原作は買わないという部分。そのキャラをより深く知りたいということにならないのかな?と思った。そこを手掛かりとして、AIにいろいろと聞いてみることにした。ちなみに相手はCopilot君です。
Q、アニメキャラグッズを買うということはそのアニメ作品、そのキャラクターが好きだということだと思うけど、それをより深く知りたいという動機でなぜ原作に行かないんだろうか? 不思議だ。
とても鋭い観察ですね。その「不思議さ」には、現代の若年層のメディアとの関わり方の変化が深く関係しています。以下に、なぜ「好き=原作を読む」にならないのか、その背景をいくつかの視点から考察してみます。
🧠 1. 「知る」より「感じる」重視の消費スタイル現代の10代は、作品を「深く知る」よりも「感情的に共感する」「推しを応援する」ことに価値を置く傾向があります。
つまり、キャラの背景や物語の全貌を知ることよりも、今この瞬間の“好き”を表現することが重要なのです。
🎁 2. グッズは「共感の証」や「自己表現」キャラグッズは「このキャラが好き」というアイデンティティの表明であり、SNSや学校での共通言語にもなります。
原作を読むことは個人的な体験ですが、グッズは他者とつながるためのツールでもあるのです。
⏳ 3. 時間と集中力のコスト原作(特に小説)は読むのに時間がかかり、集中力も必要です。
一方で、アニメやSNSは短時間で感情を動かせるため、原作に戻る動機が相対的に弱くなっています。
📱 4. 情報の断片化と「まとめ文化」TikTokやYouTubeの「まとめ動画」や「考察系動画」で、原作の内容を要点だけ把握できるようになっています。
そのため、「原作を読まなくても知った気になれる」環境が整っているとも言えます。
💡 5. 「原作=正解」ではない価値観昔は「原作こそ本物」という価値観が強かったですが、今は**アニメ・二次創作・ファンアートも“正解の一部”**と捉える柔軟な文化があります。
つまり、「原作に戻る=深く知る」ではなく、「今の自分の楽しみ方で十分」という考え方が主流になっているのです。
このように、「好き」の意味や表現の仕方が変化していることが、原作にさかのぼらない理由の一つです。
これ、根拠はあるのかと思って突っ込んで聞いてみたけど、どうやら根拠はあまりなさそうな回答だった。ので、正直言って本当か? という感じだが、ただ、キャラクターグッズはむしろ「このキャラが好き」という自己アイデンティティの表現であるという意見には納得感ががあった。原作を読むことは個人に帰結するが、グッズはむしろコミュニティの中での共感の道具なんだと。
これが本当であれば、という但し書きはつくが、なるほど、アニメは本当にオタク趣味から一般化したんだなとしみじみ思う。
その昔、アニメ、ゲーム、漫画好きがまだ少数派(?隠れ多数派?)であった昔のオタク時代、世間ではオリンピックや、ワールドカップはメジャーコンテンツだった。新聞や雑誌を賑わせ、大画面テレビを買う動機にもなっていた。
普段はサッカーなんて全く見てない人が、Jリーグのチーム名だってうる覚えな人たちが、こぞってワールドカップを観戦し、翌日には職場や学校などで「見た?」「見た見た!」と話題にしていたものだ。
その消費の仕方は、コミュニティの中での共感の道具だったのだと今では思う。アニメもそういった消費の仕方をされているということであれば、なるほど納得で、昔ワールドカップを見ていたそんな人たちがJリーグや高校サッカーを見るかと言われたら、きっと見なかったであろうことは容易に想像できる。
小説に生かせる方法はあるか?
では、そうだと仮定して、その状況を小説というコンテンツでうまく生かすにはどういう方法があるだろうか。と思い、もう少しAI君と深堀してみることにした。
Q、要点での作品把握は、ストーリーというものを味わえてないようにも感じるけど、ストーリー的満足感はあまり重視していないということ?
とても本質的な問いですね。結論から言うと、現代の10代の多くは「ストーリー的満足感」を以前ほど重視していない傾向があると言えます。ただし、それは「物語がどうでもいい」という意味ではなく、ストーリーの“味わい方”が変化しているということです。
📌 なぜストーリー的満足感が相対的に重視されなくなっているのか?
1. 「断片的な感動」で十分物語全体の構造や伏線回収よりも、**感情が動く瞬間(名シーン・名セリフ)**に価値を感じる。
たとえば「泣ける回」「推しが活躍する回」だけを見て満足する人も多い。
2. 「ストーリー=情報」ではなく「体験」ストーリーを「理解する」よりも、「共感する」「共有する」ことが目的になっている。
そのため、要点だけ把握しても“体験した気持ち”になれる。
3. SNS文化による“切り取り消費”TikTokやYouTube Shortsでは、ストーリーの一部だけが切り取られてバズる。
その結果、**全体を知らなくても“知ってる気になれる”**構造ができている。
4. 「ストーリーの深さ」より「キャラの魅力」重視キャラクターのビジュアル・性格・関係性に惹かれる人が多く、物語の構造やテーマ性は二の次になりがち。
これは「推し活」文化とも深く関係しています。
🧭 ただし、ストーリーを重視する層も存在する一部の読書好きや創作志向の若者は、原作を読み込んで世界観や構造を深く味わうことに喜びを感じています。
彼らは「考察」「二次創作」「レビュー」などを通じて、物語の奥行きを楽しむ傾向があります。
つまり、「ストーリーを味わっていない」のではなく、味わい方が“全体から部分へ”から“部分から共感へ”に変わってきているのです。
Q、それを踏まえて、小説はどうあるべきだと思う?
とても深い問いですね。「今の10代がストーリーを断片的に消費する時代」において、小説はどうあるべきか。これは単に「若者向けに短くすべきか?」という話ではなく、小説という表現形式がどう進化し、どう役割を果たすかという問いでもあります。
以下に、現代の文脈を踏まえた「これからの小説のあり方」をいくつかの視点から提案してみます。
📘 1. “読む”ことの価値を再定義する小説は「情報」ではなく「体験」であることを強調すべき。
断片的な感動では得られない、時間をかけてしか味わえない感情の深みを提供する。
例:読後に「この世界から戻りたくない」と思わせるような没入感。
🧩 2. 断片的な入り口を用意する本編に入る前に「キャラ視点の短編」や「世界観紹介のショートストーリー」など、断片から入れる導線を設ける。
SNSやWeb連載で「つまみ読み」できる構成にし、興味を持った人が本編に進めるようにする。
🎭 3. キャラクターとの“感情的な関係”を重視するストーリーの構造よりも、キャラの感情や関係性の変化に焦点を当てる。
読者が「推し」を見つけられるような設計にすることで、推し活的な読書体験を提供できる。
📱 4. 読後の“共有可能性”を意識する名セリフ、印象的なシーン、感情のピークなど、SNSで共有したくなる要素を意識的に配置する。
読者が「この一文に救われた」と言いたくなるような、共感の核を持たせる。
🔄 5. 他メディアとの連動を前提にするアニメ化・ボイスドラマ化・イラスト連載など、マルチメディア展開を前提にした設計。
小説が「物語の核」でありながら、他メディアでの体験を補完・拡張する役割を果たす。
🌱 6. 「読むこと」自体が癒しや自己肯定感につながるように現代の若者は不安や孤独を抱えやすい。小説が「自分を肯定してくれる場所」になることが求められている。
例:読者が「この物語の中では、自分の感情が大切にされている」と感じられるような構成。
✨ 結論:小説は「深く感じる」ための最後の砦になれる速く、軽く、断片的に消費される時代だからこそ、小説は**「ゆっくり、深く、ひとりで感じる」体験**を提供するメディアとしての価値を持ち続けられる。
ただし、そのためには入り口の工夫と、読者との新しい関係性の構築が必要です。
というわけで、共感の核になれる感情的なシーンを切り抜きにして断片化し、それをフックに攻めろ的なことらしい。
一方でゲームはストーリーも結構「読まれ」ているよなと思った私は追加で聞いてみた。問答は長くなるので割愛するが、Copilot君の回答の中に、ちょっと気になる記述があった。
配信者のリアクションが“共感のガイド”になる配信者が泣いたり驚いたりすることで、視聴者も感情を共有しやすくなる。
これは「一人で読む小説」とは違い、感情のナビゲーションがある物語体験です
感情共有のナビゲーション役、導線があるのですんなり入れると。この回答には納得感があった。先の問答でもわかる通り、消費者が求めているのは感情の共有であって、コンテンツの楽しみ方がそちらにシフトしているとするならば、物語もそれができる仕組みが必要なのだと。
ひとりで黙々と物語を読むのではなく、ストーリーの山場やドキドキするシーンなどでの感情をリアルタイムで他人と共有できる仕組み……。
そんなこと可能な仕組みはあるだろうか? ニコニコ漫画でコメントが流れてきたりアイコンが動いたりするけど、それは絵が主体だから成立するモノだろう。
とここまで書いていて思い出した。昔、何かのサービスで、文章にマーカー引いて、コメント共有できるサービスがどこかにあったような……。
よくよく思い出してみるとそれは、昔自分で考えてたアイデアノートだ……。今見ると恥ずかしいつくりだがアイデア供養の意味も込めてここにおいておこう。
もともとは雑誌の落ち込みに対して、デジタルでどういうメリットが作り出せるかを考えていた時のアイデアだ。
残念ながらアイデアは実現に至らず、似たようなサービスは出ず。でも紙面情報の感情を共有するための手段ではあるので、これも今回の考察の1つの回答なんだろう。
他にも2011年にリコメンドシステムのアイデアをメモっていたやつの中に、名言リコメンドというのも書いてあった。
これは読者に作品中に出てくる名言・迷言を(文字数制限ありで)ピックアップしてもらって、それを作品リコメンドとして作品の表紙画像と共に、時系列で切り替えながら、複数表示させるというアイデアだった。
あれも上記にある、「切り抜かれた断片的な感情の要点」の集合体なのだから、自分でも現状の小説というサービスに足りてないものは、感情として理解できていたということになる。
感情共有のナビゲーションという意味では、朗読会などがあげられるのかもしれない。朗読劇も徐々に増えてきているし、朗読風動画も増えては来ている、これらはつまり演者が入れ込む感情や、イベントの顧客の反応が、リアルタイムの感情共有のナビゲーションをしてくれているということだろう。
何のことはない、もうすでにいろいろと萌芽はあるのかもしれない。あとはそれをどうやって市場として成長させていくかだけかなのかも。
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