東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:■■■】
信じられなくて、横たわる体を揺さぶろうとして、すんでのところで手を止める。行き場を失った腕が宙を揺れていた。
そうだ、こう言う時、叩いちゃダメなんだ。
北海道で教えてもらったことだった。
みんなに教えてもらって──
ああでも、これって、まだ生きてる人への場合なんだっけ。
【なんか、どうでもよくなっちゃったなあ……】
土と血で汚れた髪
蒼く光る瞳を直視できず、静かに瞼を閉じさせた。
奇妙なほど残穢はない。
すぐそばに、呪霊混じりの子供も倒れていた。知らない匂い。その他に痕跡はほとんどない。
硝子の時と同じだ。血の渇き具合からして、こちらを先に始末したのかもしれない。
考える。
早■那■■は考える。
彼らはどうして死んだんだっけ。
どうしてこんなことになったんだっけ。
任務のためだ。天元様の、結界を、日本を守る。
【行かないと】
どうせ星漿体はもう死んでいる。
これほどの手際だ。今から応援に行っても間に合わないだろうね。
星漿体が死ねば、天元の肉体は初期化されず、あらゆる結界が無茶苦茶になってしまう。
社会秩序が乱れてしまう。
【行かないと】
彼らの遺志を継がねば。
天元の暴走を止めなければ。
結界を制御しなければ。
……そんなことのためだけに頑張る人たちだっ【行かないと】
そうだ、行かないと。
私にできることを、精一杯頑張ればいい。
下等生物の耳と鼻が私の感覚を広げていく。
天元までの道を見つけるのは、簡単だった。
【行かないと】
友達のために。■■■にできることを、精一杯頑張るために。
※
【side:夏油傑】
「……理子ちゃん?」
乾いた音が響く。天内理子の頭部から血が吹き出し勢いよく吹っ飛んだ。事態を理解できないままでいる傑を、今度は早川さんが突き飛ばした。胸元を探ろうとした彼の手の先が切断され、何もない場所をからぶる。目の前で再び血が噴き出す。
「ァ──」
「っ!?」
ようやく正気を取り戻す。夏油は即座に手持ちの中で一番硬い外皮を持つ呪霊を呼び出した。
「っ、ツぁ゛ァッ!」
「あ? あー、なるほど。呪霊操術か」
ギリギリ初撃をしのぎ切った。凶器には呪力が込められていなかった。だから気配に気づけず、ここまで接近を許してしまった。
ただの刃物の一撃だというのに、受け止めた反動だけで右腕が芯から震える。防げたのは、呪霊は呪力なしでは祓えないというルールのおかげだ。早川さんに庇われなければ召喚が間に合わず腕ごと持っていかれたかもしれない。
追撃される弾丸も防ぐ。……銃だ。銃の呪霊の顕現以来、全世界で生産が禁止されているはずなのに。
理子ちゃんを銃撃し、早川さんの腕と首を切り落とした襲撃者は、つい先程目にした男だった。
「なんでオマエがここに居る……!」
「なんでって……ああそういう意味ね。五条悟は俺が殺した」
「悟は、殺しても死ぬような奴ではないよ」
「北海道の件か? あの五条の坊が瀕死の重症からすぐ回復したってので有名だぜ」
面倒くさそうに男は頭をかいた。
「
「──っ!?」
お前らが同化の前に無駄話をしてくれたおかげで間に合った、などと軽薄な笑みを浮かべている。そうして理子ちゃんの願いを、早川さんの情を、私たちの決意を全て茶番だと踏み躙り続ける。
私たちのせいだ。ここ数ヶ月は四人での任務ばかりだった。私たちが、硝子を外に連れ出しすぎた。……だから彼女まで狙われた。頭が冷えていく。自分でもこんな感情を抱けるのかと驚くほどに、純粋な殺意が全身を満たしていく。
「そうか、死ね」
「焦んなよ」
殺してやる。腹の底から負の感情が際限なく沸いた。
どうやって薨星宮の場所を特定したかだの、呪力の喪失を代償とした肉体強化の天与呪縛だの、エレベーター前で私たちと別れた黒井さんをどのように手をかけたかだの。聞くに耐えない話を続ける男を黙らせるため、呪霊を呼び出し攻撃を仕掛けた。
宣言通り男の身体能力は凄まじく、生半可な攻撃は意味をなさなかった。牽制も本命も、全ての攻撃が区別なく呪具で叩き落とされる。攻撃の数も質も、この程度では話にならない。弱小呪霊の自爆特攻でフェイントを仕掛ける隙すらない。今の手札の中から、襲撃者を殺すための手段を模索する。
天使の呪霊は今は使えない。今私たちがいるのは薨星宮、国内の主要結界の基盤だ。天元様を巻き込みかねない領域展開はなしだ。
まずはあの男が体に巻いている武器庫代わりの呪霊を呪霊操術で抑える。呪具の後出しを防ぐのだ。あとは物量で押し切る。簡単に作戦を立てて再び呪霊を呼び出した。
数度の攻防を経て、呪霊操術の圏内にまで接近する。武器庫の呪霊に手を伸ばす。そして──失敗した。
「なっ……!?」
早川那由多の『支配』とは違い、夏油傑の『呪霊操術』ではすでに成立した主従関係に割り込めないのだと今更知った。そんな無知が、致命的な隙を生む。腕をハジかれ、無防備に急所を晒した瞬間を男は見逃さなかった。新しく取り出した呪具で傑は右肩から胴にかけて斜めに袈裟斬りにされた。……手加減されている。致命傷ではない。それでも意識を飛ばすには十分な傷を刻まれる。
(ふざけるな)
これで勝負はついたと言わんばかりの態度で、襲撃者は理子ちゃんの遺体に近づいていく。
「ふざ、けるなッ……!」
許せなかった。これ以上彼女の尊厳を踏みにじらせてたまるか。
私はもう一方の特級呪霊を呼び出した。
(呪霊操術──『血の呪霊』)
【なーんじゃ、ワシに指図す──】
(
屈辱を、恥辱を、全てへの怒りを呪力に変換する。血の呪霊を呪力量で強引にねじ伏せた。夏油傑の呪術師としての力量がダイレクトに反映される最低最悪の計測器。そいつを、今持てる最大の出力で運用する。傷口の血液を凝固させ、止血をする。すでに溢れた血液を圧縮させて男の背中に撃ち出した。
「あ?」
全て回避される。今はそれでいい。回避行動を取らせた隙に、理子ちゃんを守れる位置を確保した。
悟が持ってきた資料の記述と、硝子に教わった人体の内部構造を思い出しながら自分自身の全身の血液を加速させた。酸素濃度と体温を強制的に引き上げる。目元が充血し、肌に痣が浮かぶ。赤血操術──赤鱗躍動。そのもどき。
「そいつは、加茂家相伝の……? どういうタネだ」
「オマエが知る必要はない」
要はドーピングだ。もっとも、肉弾戦でアレに勝てると思うほど慢心はしていない。目で追えないレベルの敵の動きを、最低限追えるようにするため己のスペックを引き上げる。これで身体能力にものを言わせた不意打ちはかなり防げるはずだ。
さあ第二ラウンドだ──というところで、違和感に気づく。
(……?)
侵入者は傑を見ていなかった。傑のさらに背後を見つめ、虚をつかれた顔で手を止めていた。
戦闘中に相手から意識を外すなどあり得ない。
……あり得ないことをしてしまう様な異常事態が発生している?
(……は?)
つられて私も振り返る。男の視線の先を確認する。信じられないものを見た。
目は虚で、首が据わらず、頭部から血を流したまま直立している。死んでいる。死んでいるのに立っている。心臓から伸びた鎖が、薨星宮の入り口まで伸びている。
逆光で顔は見えないが、自分のよく知る相手がいた。鎖のもう一方の端が、早川那由多の下腹部に繋がっていた。
「那由多、なのか……?」
少女はにこりと穏やかに微笑んだ。
【
襲撃者は即座に那由多を始末するために動いたが、たった一言で制圧された。力無く那由多の足元に崩れ落ちた……らしい。
断言できないのは、それを目で確認することが出来なかったからだ。傑もまた襲撃者と同様に、膝を突き、地面と頬を擦り合わせることとなっていた。
どうして、思い出してしまうのだろう。
──もしも、早川那由多が一般人を傷つけて、討つべき悪になったらどうするつもりだ ?
かつて己が問うたはずの言葉が目の前に立ちはだかる。
──ま、お前らがいるならそういうことにはならねえだろ。頼りにしてるぜ
出会った当初から早川さんに向けられてた信頼とその論拠。……あの侵入者は、誰を殺したと言っていた?
彼女は、本当に私の知る早川那由多なのだろうか。
「那由……!」
【傑くん、それ、やめてくれる?】
「──ッ!?」
『呪霊操術』が、己の意識の制御から外れる。呼び出していた複数の呪霊も、血の呪霊によるドーピングも、何もかもがかき消える。
その力を直接向けられたのは初めてだった。
(こんなものを、悟は平然とハジいていたのか……!?)
──仮称『支配術式』。それが特級呪霊『早川那由多』の術式だ。
対象は呪霊、犬猫ネズミ鳥その他色々、そして
発動条件は
それが今、薨星宮にいる全てのものに向けられていた。
天内理子の遺体を弄び、侵入者を制圧し、夏油傑をねじ伏せた。そしてそのまま、天元様へと──
【やっぱり、直接支配するのは難しいみたい】
「ふざけるな。何をするつもりだ……!」
肉体に呪力を巡らせ、支配術式に対抗する。力の入らない体を無理やり起こした。呪言への対処に近い。抵抗を感じ取った那由多はなぜか満足気な様子だ。
【天元は日本の主要な結界の要です。しかし、五〇〇年に一度星漿体と同化し進化を止めなければ、国家を守護する行動指針が失われてしまう】
『早川那由多』は国家から正式に認められた唯一の『討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊』だ。日本で唯一、人間に対して友好的だと認定を受けた呪霊──だった。
──もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね
つい最近かわしたばかりの約束が、生々しく甦る。
どうして、こんなことばかり思い出すのだろう。私はあの時何と返事をした?
【国家の防衛の要としては、あまりに不完全です。より適切に厳重に管理をすべきです】
目の前の呪霊は、もはや夏油傑の友人ではない。
特級呪霊『■■■』。数々の文献に記載されているとおりの、呪術師が倒すべき敵だった。
【私は今から天元を支配します】
※
【傑くん、日本の社会秩序を守るために協力してくれますか?】
依然、支配の力を使用したまま■■■は傑に語りかける。脅迫ですらない、大人しくすれば力を解いてあげるという支配前提の慈悲。……冗談じゃない。
「断る。悪い呪霊を退治するのが呪術師の仕事だからね」
【そう、残念。共に務めを果たす仲と思っていたのですが】
「私たちの任務は星漿体の護衛と抹消だ。結界の私物化ではないんだよ」
「──ベラベラ話してんじゃねえぞ」
瞬間、■■■の首が飛んだ。
■■■の足元で倒れ伏せていたはずの男の仕業だった。首が飛ぶ。頭蓋を切り裂き、脳を刺す。合計四箇所の致命傷。一切の手加減も油断もない、完璧な仕事だった。
「俺の肉体は特別性でな。随分法外な出力してるようだが、ようやく慣れた」
襲撃者はニヤリと笑う。どういう理屈なのかわからない。あの男、どこまで規格外なんだ。
だがまだ足りない。
「今すぐ腕を切れ!」
「……!」
宙を飛ぶ級友の生首。
傑が叫んだ直後には、襲撃者の刃は再び振り上げられていた。だが間に合わない。切断された首と、首から下が、平然と動き出す。下腹部に掌が重ねられる。掌印が結ばれる。螺旋状に渦巻く瞳がこの場にいる全てへ死を宣言する。
【──領域展開】
能力の大半を良識と常識と教育で縛り続けていた特級呪霊は、深い悲しみを理由にそれら全てを放棄した。
『元』最悪の呪霊が、最悪の術式を無差別に展開する。
刺客の男も、天元様も、夏油傑も何もかもを巻き込んで。鎖の擦れる音がした。
※
「領域展開──!」
かつて見たものとは違う、完璧な領域だった。
空から顕れる包丁を握りしめた巨大な手。地上を埋め尽くす貌の無い人、人、人。ネズミ。犬。鳥。人あらざるもの。四方八方を埋め尽くす無数の影。そのどれもが心底から幸せそうに笑っている。見覚えのある呪詛師。見覚えのない姿。数えるのが馬鹿らしくなるほどの数だ。
もはや一刻の猶予もない。傑は即座に温存していた呪霊を呼び出した。
「呪霊操術──天使の呪霊!」
──■■■, ■■■, lema sabachthani
領域展開により威力を底上げされた『支配』をくらえば終わりだ。天元様への影響に配慮している場合ではない。天使の呪霊を呼び出して、領域展開を命じる。高い知能を持つ呪霊だったが、今は意識を最低限まで削り取ってある。命令のままに、領域同士の主導権の奪い合いが始まり、生得領域に付与された術式の必中効果が失われた。
「が、ァ………?」
「そこの猿! 一時休戦だ!」
「痛ァ!?」
■■■の領域に巻き込まれ、術中にハマりかけていた刺客の男を後頭部を引っ叩く。暴走する那由多の対処に加えてこいつの相手までするのは流石に無理だ。
力づくで手持ちの天使の領域の効果圏内まで引き込んだ。
「ガキが、何しやがる!」
「助けてやったんだ。手を貸せ!」
「……あ?」
ようやく正気に戻ったらしい。男は周囲の異常な様子に警戒体制をとる。その際奥に居座る那由多を視線に捉えた。
「これが噂の領域展開できる生徒ねえ……」
「特級呪霊『早川那由多』。支配術式の使い手だ」
「おー、おー。やっぱ人間じゃなかったか。夜蛾正道の呪骸あたりだと予想つけてたんだが、まさか特級呪霊たァな」
傑が呪霊を呼び出し、刺客の男が背中合わせに呪具を構える。非常にムカつくことに、■■■は傑を攻撃対象に含めている。ここを脱出しないことにはこの猿と共倒れだ。一時限りの共闘戦線がここに成立した。
無数の式神が私たちを襲う。かつて彼女が支配したことがある存在全てを式神として使役できる領域。大方そういったところだろう。
雑魚では相手にならないと判断したのか、■■■は一際大きな呪力を練り、術式を発動させる。
不規則に蠢く有象無象から七つの人影が飛び出した。
【■■■さーん! 頑張るから見ててねぇ!】
【勝ったらデートしてくれよ】
【はー? 野郎とデートして何が楽しいのさ。女子会しましょ】
【もー、みんな本当■■■さんが好きだなあ】
剣、鞭、火炎放射器、槍、刀、爆弾、弓──七つの武器を模した男女が立ち塞がる。
【──『私のことが大大大大大好きな七人のデビルマン』】
「「うわぁ……」」
キツい。言動がキツすぎる。
こんなことで理子ちゃんの仇と心を一つにしたくなかった。
「ハーレム願望か? 領域展開ってのは恥晒しと紙一重なんだな」
「友人の性癖を直視するというのもなかなか精神的にくるね」
「呪霊と友人とか、イカれてん、なっ!」
真っ先に突撃してきた弓の女の式神を、男が迎撃する。強敵の処理は男が、全方位への警戒と手数への対応は傑が。自然と役割は分担はなされた。
「半径20mより私から離れるな! それ以上は洗脳を防ぐ保証はできない!」
「無茶言うぜ」
領域展開中の綱引きに、物理的な位置関係がどのように影響するのか夏油傑は理解していなかった。那由多や悟ならば本能的に理解できたのかもしれないが、あいにく傑は術師本人ではない。
傑の目の前で、音すら置き去りにした衝撃波が生まれる。どうやら七つの式神の中では弓を模した姿の女が飛び抜けた強さを持つようだ。
かつて岸辺から全人類が集まって素手で殴り合う競技があれば間違いなく一位だと評された女と、天与呪縛が生んだ規格外の肉体を持つ男。奇しくも、時を超えた肉弾戦の頂上決戦が繰り広げられていた。
不意をついて■■■の背に投擲された呪具を、女が全て叩き落とす。
【私の女に……手を出すな……】
「まさか俺と素手でやりあえる女がいるとはな。呪霊に頭がヤられてなきゃ口説いてたんだが」
「お前もああなるとこだったぞ」
「げえー、気持ち悪っ」
あの女は強すぎる。ほんの少しでもフリーにすればおそらく傑は即死する。あのスピードに追いつける男に対処を任せ、残る六人と有象無象の雑魚に集中する。
「……はは、笑うしかないな。これが弱い方だと?」
残る六人の武器人間たち。一人一人が特級に等しい力を持っている。
ああ、またこうなるのか。特級呪霊には特級呪霊をだ。脳裏に響く無茶な要求を多少受け入れ、超攻撃特化の切り札を呼び出した。
「呪霊操術──血の呪霊」
【ガハハハハハハッハハ! ワシが最強じゃああああ!!】
目の前の武器人間たちの
「成る程、そいつがさっきの赤血操術もどきのトリックか。どうしてこの技をさっき俺に使わなかった?」
「答える義理はない」
■■■の首も、武器人間たちと同時に飛んだ。領域内の式神が一匹弾けて潰れる。たったそれだけの代償で、■■■は即座に再生する。
【──『ゾンビの呪霊』】
「ギャン!」
調子に乗っていた血の呪霊があっという間に叩きのめされた。血を抜かれようが手足をもがれようが動き続ける無数の兵隊。成る程こいつの天敵だ。
【ワシはそこの変な前髪の命令を聞いただけじゃ! 何も悪くない!】
「あー、なるほど。調伏しきれてねえわけだ」
「うるさい」
【クズ! 性悪! 性格最悪! これじゃから人間は醜い!】
「黙れ」
【私に従えばキミは祓わないでいてあげる】
【仰せのままにぃー!】
「クソ呪霊が! いいから働け!」
このままだと本当に支配権を奪われかねない。血の呪霊の本体を引っ込めて、能力だけの行使に切り替える。
「おい、あの特級呪霊とやらの術式は本当に『支配』なんだろうな?」
「何を………?」
「この呪具で作られた傷は、自然治癒以外じゃ治らねえ筈なんだよ」
「!」
蘇る。
武器を模した七人の呪霊が蘇る。
首を、喉を、瞳を、右腕を、左腕を、指を、脊椎を──肉体のあらゆる箇所をトリガーに、癒えない筈の傷を打ち消し五体満足の姿に巻き戻る。『支配』の領分を超えた『不死身』さだ。
血の呪霊の一撃で巻き返した筈の戦況が振り出しに戻された。
……まずい。このままでは止められない。
かつて早川那由多だった■■■は、鎖で繋がれた理子ちゃんを引き連れて、結界の最深部へ突き進んでいく。あそこに入られたら終わりだ。
許せなかった。
この春からの、ほんの少しだけの関係だった。だが間違いなく私たちの青春の一部だった。それを全て裏切られた気がして、強く拳を握りしめる。
武器人間の攻撃を捌き、防ぎ、受け流す。一瞬でいい。一瞬の隙がほしい。
「――命を捧げろ!」
【【!?】】
小鳥型の呪霊を呼び出して、自殺命令を下す。底上げされた呪力が私のすぐそばで一斉に弾けた。
かつて彼女が披露し、それを参考に編み出した新たな戦術。
呪霊を二層に配置し、それぞれに異なる命令を下す。防御と自爆──混沌とする戦場を一旦リセットし、操術使いにとって一番有利な距離を確保するのが目的の技。狙い通りに武器の呪霊達が離れていく。
最初にいた場所に、駆け戻る。領域展開に巻き込まれた遺体を抱き上げ回収する。
「那由多が、あんなことになっているのに……」
夏油傑は己の腕の肉を呪霊に噛みちぎらせた。脳内で喚く呪霊を無視して、流れる血液を、遺体──早川デンジの口に注ぐ。迷わず胸元に手を突っ込んで、
「……どうして、貴方は、寝てるんだ!」
──ヴヴンッ……
鈍いモーター音が響く。
早川デンジの額から回転する刃が突き出して、異形の顎門が形成される。
かつて憧れて、今でも尊敬している存在。日本で最も有名なヒーローの名を叫んだ。
「──チェンソーマン!」
※
デンジは飛び起きた。
「あ〜〜……」
鎖に繋がれる天内と、その先にいる支配の呪霊。襲撃してきたはずの男が味方として協力している。最後に腕から血を流す夏油傑を確認して、意味をなさない声をこぼした。
「……お前、いつから俺がチェンソーマンだって気づいてたわけ?」
「とっくの昔に」
吐き捨てるように答えた。あれで隠し切れているつもりだったのだろうか。
悟も、私も、おそらくは硝子も、彼の正体にはとっくに察しが付いていた。チェンソーマンと契約している早川那由多の唯一の肉親にして保護者。領域展開ができる謎の男。正体に気づくなという方が難しい。
私は彼に三度も命を救われた。幼い頃と、北海道での血の提供、そしてついさっき。そうでもなければバカにするなと悟のごとく怒っていただろう。
「舐めないでください。ファンなんですよ」
「ならサインくらいねだりゃいいのによ。野郎のファンなんざゴメンだが、ナユタん友達ってんならサービスしてやったぜ」
「貴方は、正体を隠していました。それなりの事情があるんでしょう。部外者の私が無闇に暴く理由はない」
「お、お前いい奴すぎねえ……?」
場違いな呑気さで、早川さんは「ファンの鑑じゃん……」とつぶやいた。
「俺ん生徒でも気づいた奴いるけど、学園祭にジャニーズ呼ばなきゃバラすって脅してきやがったぜ」
「可愛げがあるじゃないですか」
「そうかぁ〜?」
弓女との攻防で吹っ飛んだ……いや、衝撃を減らすために意図的に強く吹き飛んだ男が立ち上がる。この男はおそらく早川さんがチェンソーマンだと知っていたのだろう。特に驚く様子もなく声をかけた。
「状況が変わった。共闘だ」
「あ〜……そうだな……」
……彼は、どうやって感情に折り合いをつけたのだろう。チェンソーマンは迷わず襲撃者の男に背中を預ける。そのまま■■■を止めるために突撃した。七人のデビルマンの攻撃を次々と捌いていく。傑はその背中に声をかけた。
「気をつけてください! この領域は、那由多のことを大大大大大好きにさせます!」
「お前言ってて恥ずかしくねえの?」
「恥ずかしいに決まってるだろ!」
傑はキレた。この猿が。さっきから揚げ足ばかりとりやがって。他に的確な表現が思いつかなかったのだから仕方ないだろう。
「おお〜じゃあなにも問題はねえなァ! だって俺は最初からナユタんことが大大大大大好きなんだからなァァアアアア!!」
チェンソーマンは刀の男を真っ二つに切断した。支配の呪霊の領域に住まう式神を次々と切断していく。返り血を撒き散らして突き進み、瞬く間に距離を詰めていく。
支配の呪霊が振り向いた。清潔感のある白のシャツを赤く染めて、風もないのにネクタイがゆらゆらと揺れている。黒のハイウェストのパンツが身体のラインを強調していた。
「へえ、新しい制服似合ってんじゃねえか。けどよォ、まずは……」
洗練された殺仕草。穏やかな微笑み。揺れる三つ編み。
■■■の面影を隠さない支配の呪霊を目の当たりにして、早川デンジは断言した。
「
クイズ:いつから気付いてたでしょう