東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:夏油傑】
午後九時二十分。
約束より二十分遅い到着だ。
「おかえり、どうだった?」
吉田ヒロフミは、最上階の休憩スペースで待っていた。見送った時と同じ軽薄な笑みで二人を出迎える。結果は言うまでもない。
夏油傑は反骨精神に溢れた問題児だが、同時に優等生でもある。五条悟の悪ふざけに対しても半分ぐらいは止める側の立場を保っている。ここは素直に頭を下げておこう──
そう考えた瞬間だった。
「謝罪できたら助けてあげる」
「――は?」
「たくさん、いろんな人に迷惑をかけることへの謝罪がまだだよね?」
「……こいつ」
眉間に皺が寄ったのを自覚する。殴り掛からなかったのは相手の主張に正当性があるからだ。ここでキレたら悟と同レベルになる。だが己の優位性を盾にマウントを取る人間は友人同様に傑も嫌いだった。
背後の那由多がさっさと謝ればいいのにと言いたげな目を向けてくる。こういう時女性は薄情だ。硝子もきっと同じ反応をするだろう。悟がいれば代わりに噛み付いてくれるだろうが、残念ながら不在だ。そもそもこんなところを見られたくない。
吉田ヒロフミはニヤニヤ笑っている。暴力の気配が色濃い顔立ちだ。胡散臭いと評されがちな自分を棚に上げて、心の中でいちゃもんをつけていた。
現在時刻午後九時二十五分。
五分間の悪あがきを経て、夏油傑は開き直った。
「……この度はご迷惑をおかけしました」
「うん、じゃあこれあげる」
吉田ヒロフミは簡易テーブルの下から長さ1メートルはある大型のクーラーボックスを引っ張り出した。
中には大量の血液が袋詰めされて入っていた。医療用の輸血パックではない。もっと一つ一つの容量が大きく、手作り感溢れる――
「あの、これは、」
「血。呪術師まるまる一人分。一滴残らず搾り取った。ついさっき抜きたてホヤホヤだ」
まだ暖かいと思うよ、と聞いてもいないのに補足する。
時計を見る。終身刑以上の死刑囚を準備するだとか言っていた筈だ。それにしては早すぎやしないか?
「俺、そこそこ顔は広くてさ。快く協力してくれる子が居たよ」
「その言い方だと、死刑囚の血ではないように聞こえるのですが」
「うん、
人殺し。
脳裏をよぎる嫌な単語。彼の纏うアングラな気配も合わさり、警戒から一歩下がった。那由多を庇うように位置を取る。
あからさまに向けられた警戒を受け流し、吉田ヒロフミは大人としての振る舞いを崩さない。
「ダメだよ、ちゃんと言葉の裏の裏まで考えて動かないと」
「随分といい性格をしていらっしゃるようで」
「俺じゃなくて、夜蛾先生の指示だよ」
「……何? っおい、那由多」
一触即発の状況で那由多は平然とクーラーボックスに近づいた。鼻をヒクヒクと動かす。
「血だ」
「そんなこと見れば分かる」
「チェンソーマンの血」
「…………えっ?」
吉田ヒロフミはヒラヒラと手を振る。
「君を是非助けたいって人からプレゼント」
快諾してくれたよと笑っていた。
チェンソーマン。不死身のヒーロー。かつて夏油傑の命を救い、銃の呪霊を倒した人。
つまり――目の前の男は悪人ではない。
肩の力が抜ける。からかわれていただけだった。
「どうして、こんな回りくどい演出をしたんですか」
「後輩と仲良くしたくてさ。サプライズ」
「過去最悪の態度ですよ」
脳内で騒ぐ血の呪霊を、呪霊操術で呼び出した。すぐさま文句を喚き出す。
【嫌じゃ! 生きた人間から直接飲む約束じゃ!】
「夏油くん、ホント?」
「……いいえ、縛りの内容は『生きた呪術師まるまる一人分の血』で、飲み方に指定はありません」
「なら大丈夫だね」
【嘘じゃ! 嘘つきじゃ! 人間はすぐ嘘をつく!】
「君の魂がそう確信していても、呪術師側の認識とズレているのなら縛りは成立しない。それともこの血は捨てた方がいい?」
【……】
血の呪霊は黙り込んだ。
【ワシのじゃ……ワシの血じゃ!!!!】
身体が軽くなる。解呪がすんだのだ。
血の呪霊は輸血パックをがぶ飲みしている。ほっと息をついた。騒がせやがって。これが終わったら即刻呪力でねじ伏せてやる。しばらくあの鬱陶しい声も出させない。
「君の状態が判明した時点でとっくに高専に連絡は取ってたよ。『素直に謝ったなら手伝ってくれ』だってさ。夜蛾先生って優しいね」
「あの教師……」
「安心しなよ。別件でトラブルを抱えてるってくらいしか伝えてないからさ。血の呪霊については今後もナイショにしなよ。一般家庭出身で、呪術界への後ろ盾が少ない君が加茂家と揉めるのはオススメできない。
報告を誤魔化すのは悪いことだけど、判断自体は間違ってはいないと、吉田ヒロフミは肯定する。血を提供したチェンソーマンにも詳細は伏せているそうだ。那由多の反応から考えても、嘘はない。
(本当に、知り合いなのか……)
夏油傑と同じ一級呪術師──だが、面倒ごとに遭遇した経験はずっと多いのだろう。
「それと、今の交渉のやり方は真似しないでね。血の呪霊相手だと上手くいったけど、基本的に特級呪霊ってのは知恵がある分プライドが高い。人間如きが交渉の席に立とうとしていると怒って襲いかかってくる可能性がある」
「覚えておきます」
「いくら馬鹿でも呪霊は呪霊。安易な縛りは危険だ」
今後気をつけるようにという警告には実感が伴っている。吉田ヒロフミは耳に開けられた大量のピアスを指で弄っていた。
「俺、呪霊憑きだからさ。こういうトラブルには詳しい方だし、また問題が起きたら声かけてよ。君の呪霊操術じゃあまり起きない問題かもだけど、気をつけてね」
吉田ヒロフミは大人だった。夜蛾の『信頼できる一級呪術師』という評価はおそらく正しい。
ただ、何となく会話のテンポやタイミングが合わない。からかわれるのは好きではなかった。
※
【side:早川ナユタ】
「デンジは? 来てるの?」
「うん。今ホテルチェックアウトしたって」
呪詛師を制圧し終わった頃、五条悟は退院した。医者も驚きの回復力――もとい硝子の反転術式のおかげだ。
新千歳空港で生チョコレートの箱を開封する。悟の退院祝い兼、傑の解呪祝いのささやかなパーティ代わりだ。面倒な手続きを
ナユタが傑と呪詛師の対処に駆け回っていた間に、悟と硝子は反転術式について語り合っていたらしい。別行動中の近況報告からそのまま議論が再開した。
「反転術式って何?」
「今更すぎる」
ナユタの疑問に悟が冷ややかに返す。一応説明はしてくれた。
そもそも呪力は負の力だ。攻撃には応用できても、人間への治療行為には不向きなのだという。そこで生み出されたのが呪力を同時に2つ練り正のエネルギーとして扱う――マイナスにマイナスをかけてプラスにする技術――反転術式だ。
天使の呪霊との戦いで反転術式を物にした悟だったが、肉体を癒す感覚が掴めず難航していた。他人への反転術式の使用など、どういう挙動なのか見当もつかないらしい。
「でも、プラスのエネルギーを術式に流すと攻撃にな……る……?」
「赫のことか? あれはエネルギーとして扱うのとはまた違うというか……あー、んーと、そもそもお前ε-δ論法って分かる? 正の実数δが存在するときに、|x−a|<δとなるxに関して、|f(x)−b|<εになるってやつ」
「悟くん頭まだ治ってないの? ボーボボ読む?」
「悪いのはお前の頭だ馬鹿。くそ、絶対理解できない奴に解説するの面倒くさいな……」
ナユタは教員免許持ちのデンジから直々に指導を受けている。高校数学に苦手意識はなかったが、今回はそもそも指導要領外の話をされている気がした。
「私からしたら全員センスないよ」
硝子がバッサリ切り捨てる。
反転術式の奇才にとってはナユタも悟も五十歩百歩だとでも言いたげだ。傑はというと、私は文系だからと早々に理解を投げていた。
支配と操術は文系で
「私、呪霊だけど反転術式が効いてたよ。呪力での肉体の再生も出来たことない」
「お前は写真にも映るし例外が多すぎ。心当たりはねーの?」
「うーん……?」
「お、術式談義? いいね」
うんうん悩んでいると、吉田さんが戻ってきた。飛行機のチケットをそれぞれに手渡す。四人のやりとりをしみじみと眺めた。
「四人もいるんだよな。俺の在学中は同期も一個上も一個下も誰もいなかったから寂しくてさ。交流会なんて二日とも実質個人戦だった」
「京都校とのやつか」
「そんなことあるんだ」
「呪術界は万年人手不足。とはいえ同級生がいるってのは羨ましいな」
吉田さんはデンジと同級生じゃなかったっけ。なにか事情があるのかもしれない。……私は知らないことだらけだ。
「ところで交流戦は勝ったの?」
「うん」
「団体戦も?」
「うん」
話から察するに団体戦は一体多数になっていただろう。
「「「……」」」
「自慢か? かまってちゃんかよ」
「所詮三流同士のいざこざだ。君たちには『もっと上を目指してもらわねえと』──ってのが岸辺さんの思惑。実は、次の交流戦に試験監督として参加する予定だからさ。活躍を楽しみにしてるよ」
悟の煽りはさらりと受け流された。
京都校との交流戦。はたして『早川那由多』は参加できるのだろうか。私もやってみたいと思った。彼らと一緒ならきっと楽しい思い出になるに違いない。
「──なんだ、元気そうじゃねえか」
待合室に人が入ってきた。
金髪で高身長の男。
デンジだ。
緊張する。無意識に背筋が伸びた。
「や、昨日ぶり。もう元気?」
「ホテルの朝食のウインナーお代わりする程度にゃな」
デンジは吉田さんと大人の話をしている。
タイミングを伺う必要はない。今だ。今聞けないようでは一生何も分からないままだ。
「那由多」
「……うん」
皆に促される。事情は昨日のうちにみんなに伝えた。これから何をするのかも。硝子ちゃんはタバコを片手に見守ってくれている。悟くんは仏頂面でデンジを見つめていた。
「デンジ」
「ナユタ! 無事でよかったぜ。あんま心配させんじゃねえよなァ〜」
「あのね、聞きたいことがあるの」
「……どうしたよ、突然」
問い詰めたいことは沢山ある。
昔組んでた血を操れるバディってどんな人だった? 傑くんの契約した血の呪霊と関係あるの? 受肉してる? それとも人間の呪術師? ……デンジが食べたのと同じ人?
デンジはナユタより一六年も長く生きているから、私の知らない思い出もたくさんある。そのほとんどを詳しく話してくれない。子供は大人が思うよりずっと聡いから、色々と察してしまうのに。でもこうして過ごす今を心底から大切にしているのもまた本音だと理解できるから、毎回これ以上問い詰められなくなってしまっていた。
だけど、今は違う。
今日は途中で逃げ出したりなんかしない。居心地の良い無知に甘えるのはもうやめだ。怒られても叱られても嫌がられたって構わない。早川ナユタは今日から自立してやるのだ。意を決してデンジと向き合う。
後ろにいる友達が勇気をくれた。私は反抗期だ。どんな顔をされても聞き出してやると覚悟は決めた。
「支配の呪霊が何をしたのか、知りたい。早川アキって誰のこと? デンジと……どういう関係?」
デンジは目を見開いた。
すごく驚いた顔をして、目を瞑ってうんうん悩んだ。たっぷり数十秒は唸った後にようやく言葉を絞り出す。
「……悪ぃ、ナユタ」
「お前……」
「俺、お前に甘えてたわ」
この後に及んでまだ隠し事かと、デンジにつっかかりかけた悟が手を止める。
デンジは、ナユタに謝罪した。
「気ぃ、使わせちまったな」
どうしよう。どう返事するのが正解なのだろう。
怒るだろうか、嫌がるだろうか。そんなことばかり考えていて、謝られるなんて思わなかったのだ。
「そりゃ、知りてえよなあ。俺ん都合で、妹に顔色伺わせて。聞いてこないから教えないなんてのはねえよなあ。なのに……」
「意外と素直じゃん」
「素直も何も、子供に遠慮させてる時点で最悪なんだっつの。ナユタも大きくなったなあ……」
悟にクソガキめと追い払う手振りをした後、デンジは膝をついてナユタと目線を同じ高さに合わせてくれた。
「悪い。俺ァ馬鹿だ。歳ばっか食ってさ。上手にお兄ちゃん出来てなかった」
──ああ。
私に反抗期は難しい。
だって、デンジは私のことをいつだって大切にしてくれる。それが分かってしまうから。
「はあ……アキはすごかったんだなあ……」
「……その人の話も聞きたい」
「いいぜ。なんでも聞け。なんでも答えてやっからよ!」
デンジはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。ナユタの大好きな顔だ。
ただ、外で話す話題じゃねえなとも言われた。家でゆっくり暖かい飲み物でも飲みながら時間を気にせず話したいと。それまでに考えを整理するからとお願いされた。
ナユタはデンジの提案を了承した。途中で遮られるのも嫌だったし、デンジはもうなにかを誤魔化したりしないだろうと思ったからだ。
誤魔化されたらすぐ言えよ、ぶん殴ってやるからと、味方してくれる友人がいる。それだけで、もう迷わずにいられる気がした。
「何か食いてえもんあっか? 買って帰ろうぜ」
「明太子」
「北海道旅行で寿司でも食いまくったんじゃねえの? 魚卵はプリン体がいっぱいらしいぜ」
「君、栄養バランスを考えられるなんて成長したね。昔は地面に落ちたおにぎり食べてたのに」
「いつの話してんだ」
「また飲みに行こうよ。来週空いてるんだよね」
「なんで追加でプリン体摂取しなきゃなんねえんだ。大体野郎と二人きりで居酒屋なんてゴメンだね」
「君さては最近プリン体って単語覚えたろ」
デンジはすっかりいつもの調子で吉田さんと世間話をしていた。
※
デンジは宣言通り、全てを教えてくれた。
ナユタは知る。
およそ九年前に、一体なにがあったのか。
支配の呪霊がなにをして、どうして私が生まれたのか。
血の呪霊との約束。天使の呪霊の正体。早川アキとの思い出。ポチタとの出会い。
……そして、
早川デンジの失恋――その全貌を。
驚きと、納得が入り混じり、不思議な気持ちになる。きっと、まだ受け入れられていない。
デンジは話の最後に友達にいつ、どのタイミングで、どこまで教えるかは自分で考えて自分で決めればいいと締めくくった。
――もう、ナユタには出来んだろ?
その信頼が嬉しかったから、渾身のピースサインで返事をした。
チンとトースターの音が鳴る。少し焦げたがまあ良い。
バターとジャムを好きなだけ塗りたくって、皿に乗せた。
電気ケトルで沸かしたお湯で、インスタントコーヒーも準備する。
「質素」
「悟くんは舌が肥えてるから」
「肥えてなくても物足りねえわ」
「これが女子高生の平均的朝ごはんだよ」
「こちとら成長期の男子高校生なんだけど?」
寮の自室まで迎えにきた悟くんにも振る舞った。
散々な評価だが、全部残さず食べてくれた。
寮生活も四半期が終わる。
自炊生活初日。早川ナユタの渾身の朝ごはんだった。
※
天使の呪霊編 完
※
【side:???】
都内、ビジネスホテル。
一人の男が、いくつもの武具を並べ、手入れしていた。鍛え上げられた筋肉が、ホテルの備え付けの衣服の上からでも見てとれる。
携帯電話が鳴る。ワンコールで対応した男は、要件を聞いて額の皺を濃くしていった。
「……ああ? 領域展開が使える生徒がいるだぁ? 五条の坊じゃなくて?」
『――――――、――』
「ふざけんな、報酬は最低十は上乗せしろよ。ったく、契約成立後に開示する情報じゃねえだろ……」
黒髪の男は面倒くさそうに頭をかいた。
二、三、会話を続けた後に電話を切る。一連の流れを聞いていた相手に声をかけた。
「まあ、お前の性能を確かめるには丁度良い」
ホテルの簡素なベッドの隅で、武器庫代わりに飼っている呪霊と戯れる子供。
「因縁の五条のガキにも会えるだろうよ」
白い髪。長いまつ毛。整った容貌。
それら全ての印象を上書きする、異形としての姿形。
幼子の返事から意図を汲み取ることは男には難しかった。
「……はあ。
その子供の
つい最近、まとめて殺害されたとある五条分家の生き残り。いや、
約十年前に発生した海外呪術師による東京襲撃事件で回収された曰く付きの品。特級呪物『
陥没した頭蓋骨からは脳みそが溢れ出し、眼球も不安定に飛び出していて、筋繊維でかろうじて繋がっている。剥き出しの粘膜が不規則に音を立てていた。
致命傷にしか見えない傷を抱えて、平然と笑う呪霊の肉塊。
それが今のこの異形の正体だ。
「ま、役に立つなら文句は言わねえ。良い拾い物をしたもんだ」
【――ハロウィン!】
五条家分家殺害事件の下手人と、その被害者はニヤリと笑う。
次なる依頼――星漿体殺害計画の実行日は近い。
次回 懐玉編
参照:天使の呪霊編 領域展開ー壱ー
【キャラ紹介】
吉田ヒロフミ(よしだ ヒロフミ)
性別:男性
年齢:24歳
好きなもの:仕事
職業:一級呪術師
出典:チェンソーマン
蛸の呪霊を使役する。呪霊憑き。俗に表現すると雌蛸にモテモテ。姿を表すのは吸盤のついた足の部分に限定される。
アングラな気配を出しまくるが普通にいい人。学生編でデンジと仲良くなった世界線から来た。後輩に頼られたくてちょいちょい高専に顔を出しているが残念ながら懐かれたことはない。