東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:吉田ヒロフミ】
吉田ヒロフミは呪術師だ。今回のお仕事は、北海道に待機中の後輩をフォローすること。
もっとも、才気あふれる若者たちは、ヒロフミの手助けなど必要ないくらいに強い。なにせ学生の身で特級呪霊を倒すくらいだ。
「俺はさ、呪術師としてというより、大人として呼ばれたわけ」
五条家の坊ちゃんと、友人の妹と、その同級生たちに表向きの理由を告げる。
「君たち見た目は大人びてるけど、身分証明書を求められたら一発アウト。病院への対応にしろ、ホテルを借りるにしろ、何をするにしろ、俺がいた方が都合がいいって判断」
北海道で特級呪霊と遭遇したという報告を受けてから現場に急行したのがつい数時間前。
「俺は呪術師としては三流だからさ、補助監督みたいなものだ。まあ都合よく使ってよ」
「一級呪術師が何を言ってるんですか」
「君たちと比べれば、誰だって三流だ」
才気あふれる若者たち。
しかし、まだ人を殺したことはない。
呪術師として生きる以上、とっくの昔に覚悟くらい決めているだろうが、それでもその決意を出来るだけ先延ばしにしてやるのが大人の務めというもの。
「蛸」
路地裏の陰から吸盤のついた触手が現れ、目の前の呪詛師の手と足と胴を捩じ切った。
吉田ヒロフミが北海道に援軍に来た本当の理由は、とある理由でこの地に集った呪詛師の処理だ。こいつはその中でも悪名高い、子供の教育に非常によろしくない極悪人だった。上層部から殺害の許可も出ている。自らの相棒に食べて良いよと許しを与えれば、遺体は墨の中に引き込まれていった。
足音がする。巡回を任せていた高専の二人。ナユタちゃんと、もう一人は夏油傑といったっけ。
「なんてことを……」
「あーあー、見られちゃったか」
「なんてことをしてくれたんだっ!」
夏油傑が冷や汗をかいている。すぐ後ろに控える友人の妹は相変わらず無表情で、何を考えているのかよくわからない。
「学生が手を汚さないようにって気遣いだったんだけど、余計なお世話だった?」
「そうですね」
「……五条家の坊ちゃんの学年は問題児の集まりって聞いてたけど、そうでもない? まさか呪詛師を殺したくらいで……」
「そういう話じゃない」
ズルりと、呪力で編まれた3メートルを超える巨体が顕れる。
――特級呪霊。その本体。
「なっ……!」
【で、ワシのご褒美は?】
「………今日中に与えるから黙ってろ」
【カァ〜〜〜! 嘘つきじゃ嘘つき! 人間はすぐ嘘をつく! 醜い生き物じゃ!】
「お前本当覚えてろよ……」
夏油傑は人を殺しそうな顔をしていた。
もっとも、死にかけているのは彼の方なのだが。
【本当に楽しみじゃのう! ワシの!
全身にこびりつく、特級呪霊の残穢。有象無象の呪詛師などとは格が違う脅威。
彼は呪われていた。
呪霊憑きの一級呪術師、吉田ヒロフミ。くぐり抜けた修羅場は数あれど、これはちょっと予想外だ。
「…………えーっと、どういう状況?」
ようやく絞り出せた言葉は、それだけだった。
※
【side:夏油傑】
すぐそばに家入硝子がいたために大事には至らないだろうという予想は、本人の「いやもう無理、呪力すっからかん」「四人同時に治療とかするものじゃないわ」というリタイア宣言によりあっさり覆された。
高専経由の任務ではないのだ。補助監督も不在だったため、硝子の判断により公的な手段で救急車を呼ぶことになった。その間に傑は高専に連絡を取る。夜蛾はサボり生徒四人組の現在地を知った時点では呆れた様子だったが、特級呪霊と遭遇したことと悟の容態を伝えると態度を一変させた。病院での待機命令と、北海道滞在延長手続き。その他諸々は任せておけとのことだった。すぐに信頼できる一級呪術師を補助に向かわせるとも。
「なにがあったんですか!?」
「飛び出して来た鹿と衝突して……」
「鹿に!?」
「たくさんの鹿に……」
「たくさんいたの!?」
救急隊員に交通事故と言い訳しかけていた傑は、那由多の口から飛び出した嘘に笑いを堪えるのに必死だった。交通事故じゃダメなのか。動物にしてももっと熊とかあるだろ。後から聞いた話によると公的機関による犯人探しが行われないようにするためというまともな理由があったのだが、その場でのインパクトが大きすぎた。未だに思い出し笑いしそうになる。
「鹿鹿連呼されるせいで鹿肉食べたくなって来た……」
「しばらく病院食だぞ」
「味全然しねーんだけど。ありえない。クソ不味い。旅行に来て食べる飯じゃない」
「吐瀉物を拭いた雑巾よりは美味しいだろ?」
「傑、結構根に持つよな……」
病室のベッドで食事に逐一文句をつけていた悟は、牧場での一件を思い出し顔を歪めた。自業自得だ。
硝子はタバコ片手に一服している。おいここ病院。
病院に搬送されたあと、悟は即座に集中治療室に運び込まれた。ドラマや呪霊退治でしか見たことのない場所だ。なんだかんだ甘く見ていた那由多と傑は、「これ、マジでやばいやつじゃね?」と察し冷や汗をかいた。
どうしよう、寿命を一気に奪われた影響で回復力が低下してたら。どうしよう、このまま死んじゃったら。どうしよう。一睡もできずに夜を明かす二人を尻目に硝子は爆睡していた。
悟が通常の病室に移動した今となっては笑い話である。
「悟くん、意外と繊細なんだ」
「お前がボコスカ頭叩きやがったのがトドメなんだわ」
呪力を回復させた硝子が随時反転術式を使用する。医者の見立てよりは早く回復するだろう。命に別状はない。
お見舞いのメロンをつまみ食いしていた那由多の首根っこを引っ掴み、病室の入り口まで引きずっていく。ようやくサポートの一級呪術師が最寄駅に到着したらしい。名目上は那由多の監視補助だが、本命は別だ。
『五条悟が、死にかけている』
その情報は、あっという間に日本全土に広まった。
呪詛師、呪詛師、呪詛師──五条悟という呪術界のバランスブレイカーの存在により息を潜めていた無法者達が、北海道に集結した。今が殺すチャンスだと分不相応な望みを抱いて。
……この事実を、悟に知らせる必要はない。今は回復に専念すべきだ。全て私が処理をすればいい。密かに決意を抱いて、病室を後にする。
「ああ、それから傑」
「なんだい」
味の薄い粥と格闘する悟がついでのように告げた。
「お前、今日死ぬから」
「は?」
夏油傑は呪霊操術の使い手だ。
取り込んだ呪霊を問答無用で制御下に置く筈の術式は――血の呪霊の破綻した性格の前に機能不全を起こしていた。そんな状況で無理矢理命令を聞かせるために結んだ縛りが、呪いとなり傑の命を脅かしていた。
縛りを破れば罰を受けることになる。そして他者と結ぶ縛りの恐ろしいところは、その代償が未知数であることだ。
真面目な話になるとすぐに茶々を入れるあの悟がマジ顔で「詳細は省くがお前は死ぬ」「楽しい青春だった」「アーメン」などと言い出すあたり相当にまずい……いや完全にふざけてるなあいつ。絶対に許さない。
(こういう時だけは記憶を歪めないとは、さすが呪霊らしいひん曲がった根性だな)
【は〜? 偉大なるワシに何か文句があるのか? ワシが本気を出せばこの病院は一瞬で血の海じゃが?】
「黙れ」
傑の判断ミス、と言い切れないのも苦しいところだ。
特級仮想怨霊『Angel』との戦い――あの時は一刻を争う状況だった。短期決戦で討伐できたのは傑が早期に
――【生きた呪術師の血を丸ごと一人分飲み干したいのォ!】
正直これ以外の条件で奴が動いたかと言われれば微妙だ。
現在時刻午後八時。
あと四時間以内に殺しても構わない生きた人間を準備できなければ夏油傑は縛りを違反した罰として――死ぬ。
「……マジ?」
「マジ」
「えっ…………死ぬの? 代償重くない?」
学生に手を汚させるべきではないという彼の配慮は大人として真っ当な行為だった。
ただ、その真っ当さが傑の命を追い詰めているだけで。
「事情を教えてくれればちゃんと対応したのに」
「初対面の相手に弱みを見せろと?」
「あはは、正論だ」
吉田ヒロフミは軽薄に笑う。
「そいつ、血の呪霊だろ。祓ったなんて嘘の報告して、こっそり呪霊操術で確保してたなんていけないんだ。だからこんなギリギリの状況になっても大人に相談しないわけだ」
「貴方に何か不都合でも?」
「別に。だけど、知っちゃったからなあ……あと1時間だ。あと1時間以内にどうにかできなかったら、俺から上に連絡する。特級候補を上も失いたくないでしょ。終身刑以上の死刑囚の準備なんてすぐだよ」
……その後。
夏油傑は那由多と共に対策を考えたが、どれも結果は奮わなかった。
ある呪詛師たちの拠点では――
「くっ、私もここまでか………」
「この中で一番偉くて一番悪いことをしたのは誰か教えてくれるかな」
「くっ……私だ! 私が全て指示したのだ!」
「オジキぃ! 違うんです! これは! 俺が彼女と揉めたのが原因で! オジキはそんな俺を助けてくれだだけで! なにも悪くないんですぅ!」
「じゃかやしい! 全部私のせいっつってんだろ!」
「あの」
「パパ〜!」
「なっ、ここから出るなと!」
「パパ大好き」
「どうか、娘だけは! 娘だけはぁ!!」
「「………………」」
「念のため確認するけどさ、君たち本当に呪詛師?」
「何ですかそれ」
「本当にただのヤクザみたいだね」
「うん、帰ろうか」
そもそも非術師の集団だったり。
またある拠点では――
「どうじで私ばっかりこんな目にぃぃぃぃぃぃ…………やめよう………もう、こんな仕事………やめよう………」
傑たちが突入する前に一般人の女性がナイフ片手に呪詛師を全員制圧していたり。
全てが徒労に終わる。
こうしてあっという間に1時間が過ぎたのだった。
※
【side:早川ナユタ】
ハズレばかり引いて、あっという間に1時間が経ってしまった。現在時刻午後九時十分。ナユタと傑は、病院の自販機前の椅子で机を挟んで休憩していた。ホットコーヒーでかじかんだ指を温める。
さっさと適当な人間を殺してしまえばいいのに、と『私』は考える。大抵の人間は夏油傑よりも国家に貢献していない。正式な手順をふんで上層部を利用することに、なんの迷いがあるのだろう。
悪人以外の人間を生贄にするという選択肢がそもそも彼の中に存在していないところは、尊敬するなあと『ナユタ』は思う。
それとも、まだ人を殺したことがないのだろうか。そういえば呪詛師討伐任務はみんな捕縛した段階で引き渡していた。ナユタの同級生たちはなまじ実力があるので殺すか殺されるかのレベルにまで戦いが発展しないのだ。
それだけじゃない。きっと夜蛾先生や吉田さんは、若者が出来るだけ手を汚さないように立ち回ってくれている。優しい大人たちだった。
「支配の呪霊はなんて言ってる?」
【今すぐ戻ってさっきの犯罪者集団のうち比較的呪力量の多い人間に血を分けてもらいましょう】
「使えないな……」
傑はダメ元でナユタの『支配の呪霊の感性』にアイデアを求めたが、即時却下された。それが出来れば困っていないと言いたげだ。
【呪術師として優秀な夏油傑の生存の方が、あの非合法的組織の人間よりも優先されるべきでは?】
「そう言う問題じゃないんだよ。呪術師は弱者を救うためにいるんだ。弱者に生かしてもらうのは、因果関係が逆だろ」
「そういうものなんだ……」
夏油傑は理屈っぽい。なんとなくで行動することを好まない。呪術師としての彼なりの信念があって、ナユタはそれを信頼出来るものだと感じていた。
「……日本に現在特級の名を冠するものがいくつあるか知っていますか?」
だからだろうか。こんな話をしようと思ったのは。
「呪物は変動が大きいが……私が耳にしたことのあるものだけでも二百はあった。呪術師は……悟と、あともう一人いたはずだ」
「呪霊は?」
「不勉強でね、知らないな」
「四十四体登録されていました」
「……過去形?」
「チェンソーマンが十七体にまで減らしたのが今の日本です」
『天使』は海外特級指定の密入国呪霊なので別ですが、と補足する。
「銃だけじゃなかったのか」
「なの……かな。私も詳しいことは知らないや。そのうちの一体が
「!」
「そして、今の
これが、早川ナユタの知る確実な情報の全てだった。
「……チェンソーマンは、特級呪術師なのか?」
「分からない。悟くんの言葉を借りるなら、私がデンジになにも聞いてこなかったから」
私には分からないことだらけだ。だからみんなを巻き込んだ。ナユタは、ナユタが己の過去に興味を示した時のデンジの雰囲気が嫌いで、居心地の良い無知に甘えて来た。けれどそろそろ傷つく勇気もついてきた。
「だからね。この旅行が終わったら、デンジを質問攻めにする。早川家とどんな関係なのか、アキって誰なのか、天使の呪霊はどうして私を襲って来たのか。怒られても叱られても嫌がられてももういいや。最初に自立を学べって言ったのデンジだもん」
夏油傑は黙って話を聞いてくれた。
「でも、こういうことするの初めてで不安だから――どうか、一緒にいて欲しい」
「……もちろんさ。私だけじゃない。絶対に悟も硝子もついて来てくれる」
「ありがとう」
「家族との喧嘩は、誰もが通る道さ。反抗期というやつだ」
嬉しかった。こんな話ができたのは初めてだったから。「下手に面白い言動をしたら悟は一生ネタにするだろうから気をつけたほうがいい」だの「しぶられた時用の実力行使計画はもうある?」だのノリノリで賛同してくれる。
「あのね」
早川那由多は、彼らを好ましく思っていた。
「──もしも私が悪い呪霊になったら、私のことちゃんと食べてね」
ナユタはデンジを愛している。デンジはナユタを愛している。
だから、デンジはナユタを食べることはないだろう。
ナユタはずっとデンジの失恋に嫉妬していた。
ずっとずっとデンジの口の中に入る夢を見て、抱きしめてもらう暖かさと比べて、やっぱりいいやと結論づける日々。
満ち足りていたけれど、それだけじゃ今の私にはきっと物足りない。
デンジがいないと寂しかった。入学前は寮生活と聞いて緊張していた筈だ。
なのに、今は何だか毎日が楽しいのだ。
「私のことを食べて、傑くんたちの好きに使ってよ」
「それは、監督者としての信用?」
「それもあるけど、
嘘はない。
「できればあの黒くて丸いのにしないで、そのまま食べて欲しいなあ……」
傑がそういえばこいつヤンデレだった、と頭を抱えている。知らない単語だが、碌な意味じゃないだろう。無言で脇腹を叩くが、はいはいと軽くいなされる。
「そうならないのが一番なんだけどね。一応覚えておこう。悪い呪霊を退治するのは呪術師の仕事だからね」
学校、楽しいよ。デンジの言ってた通りだった。
早くこの発見をデンジに伝えたくてたまらない。
「デンジ以外に食べられてもいいと思うなんて思わなかった。これが学校に通うってことなんだ」
「絶対違う……」
満足げに缶コーヒーを飲むナユタに夏油傑はげんなりしていた。
「じゃあそろそろ頭を下げに行こっか」
「そう……だね……」