東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:夏油傑】
最初に動いたのは傑だった。大型の呪霊を呼び出し、すぐさま硝子と那由多(の死体)を離脱させる。
女子二人を追いかけようとした
「――命を捧げろ」
【わっ!?】
底上げされた呪力が呪霊を取り囲み一斉に弾けた。
かつて那由多が模擬戦で見せた戦術の模倣。
操術で手持ちの呪霊に命を賭けるという縛りを強制し、極限まで呪力と威力を底上げさせる。力及ばなければどうせ潰されるのだ。損害などあってないようなもの。コストパフォーマンスの高さと不意をつく性能が高いという二点において傑はこの戦法を気に入っていた。
『支配』と『操術』は別物だ。見えている世界が違うらしい。六眼を持つ悟が語るのだから正しいのだろう。
事実、傑は手持ちの呪霊に己の死を押し付けることなどできないし、那由多も支配下に置いた存在を己の中に格納することなどできない。
だがこれらの違いを差し引いても、彼女から学ぶところは多くあった。
那由多の見せた『弱小呪霊の強制自死特攻命令』──あれは素晴らしかった。
使い勝手がよく、対価も低く、何より思いつけばすぐに実践できる程度の難易度というのが良い。
この戦法を採用したことで気軽に火力が出せるようになった。傑自身が成長したわけではない。ただ発想を転換させただけ。それは夏油傑の呪霊操術にはまだまだ可能性が秘められているという証でもある。
歴史の長い家には相伝の術式のマニュアルが備えられている。戦術としての研究も進んでいるし、今自分がどの程度のレベルなのかも、今後伸ばすべきスキルツリーも明確だ。
一方の傑は両親ともに非呪術師の突然変異の呪術師。手本らしい手本は無い。環境の差を言い訳にするつもりはないが、呪霊操術の研鑽には難航していた。一つ上の学年の『黒鳥操術』の冥さんと操術について相談する機会はあれど、鳥のみを操る彼女と多種多様な呪霊を使役する傑では戦術が根本から異なってくる。必然的に基礎的な話や小技が話題の大半を占めていた。
那由多とは、術式について議論したことはない。だが彼女の呪霊としての在り方が、言動が、夏油傑に新たな発想を与えてくれた。
呪霊と人間の持つ術式の差は、本能的理解度だと夏油傑は考えていた。呪霊の術式は在り方に直結しているが、人間の術式は必ずしもそうではない。そして呪霊である早川那由多は最も効率の良い『支配』を本能的に知っている。
たとえば傑は基本的に取り込んだ呪霊の自我を必要最低限まですりつぶしているが、那由多が呪詛師に披露したように知性や人格を残したまま都合の良い行動指針を付与する――なんてことも、将来的には可能だと確信している。もし知能の高い呪霊にある程度自己判断をさせた上で遠隔に展開することができるようになれば、夏油傑の戦術は一気に広がる。
他にも、彼女が呪詛師の術式を拝借していたように、【夏油─呪霊─呪霊の術式】という指示系統を【夏油─呪霊の術式】と一本化して振るえるようになるかもしれない。己にはまだまだ成長の余地がある。その確信は、漠然とした万能感の源になっていた。
呪霊の特攻攻撃は、それらの試行錯誤の一つだった。戦術として昇華しきれてはいないが、単純火力としては上々。命をかけた一撃というのは呪術の世界では案外馬鹿にできない。格上相手に戦況をひっくり返すことすら可能なのだから。
もっとも――
「まあ、流石に相手が特級じゃどうにもならないか」
【びっくりした……今の何……】
鳥型の呪霊たちの破片を、呪霊の背中から生えた羽根が薙ぎ払う。無傷だった。そりゃそうだ。いくら命をかけようが、特級と三級では勝負にならない。
時間稼ぎにはなったのでよしとする。
「あの羽根、あの輪、人間に近い外見──」
「間違いないだろうな」
――特級仮想怨霊『Angel』
日本ではなく海外、特に■■■■教圏において特級指定をされている呪霊。
三大宗教に密接に関わりすぎていて、政治紛争の種にしかならない。祓うのにも許可と手続きが必要な厄介者だ。高専の講義で触れられた際に、勝手に祓えばいいじゃんとボヤく悟に非呪術師の心の平穏を保つために必要なことだと説いた記憶は新しい。
どうしてこんな呪霊が北海道の田舎にいるのか。
「術式――」
【それ、怖いからやめてよ】
特級仮想怨霊Angel――もとい天使の呪霊が呪具を振るう。
また悟の術式が発動する前に潰された。出力を上げれば押し勝てるかもしれないが、周囲への影響が大きすぎる。悟の術式はとにかく派手だ。非呪術師に目撃されないためにも、一刻も早く帳を下ろさねばならない。
弱い攻撃をいくら続けても羽で防がれる。悟の術式は妙な呪具で対応される。足止めだけなら今のままでも問題ないが、またあの『緊張を弛緩させる植物』を出されても困る。
接近戦を仕掛けるべきか、遠距離から対応するか、それとも向こうが本気を出していない今のうちに
傑が思案していると、悟から手で制止された。
「傑、あいつに直接触れられるなよ」
「へえ、そんなに」
「ヤバイね」
【……その瞳、ボクの力が分かるんだ】
すごいね、とどうでも良さげに呪霊が会話に入ってくる。
【そうだよ。僕に触られたら寿命を吸われて死んじゃうんだ。だから抵抗しないで
そしてそのまま術式を開示した。
術式の性能を底上げするための縛りか、言葉通りの威嚇なのか。後者だとしたら相当舐められている。
「ジョークにしてはセンスがないな」
「そんなことで俺たちが引くと思ってんの?」
【だよね……はあ……やだな……】
特定宗教圏において天使は死の間際に迎えにくる存在としても認知されている。そこから因果関係が逆転して触れた相手を死に導く術式になっているのだろう。神聖さも畏怖も何もない悪質さ。全く、呪霊という存在の底が知れるというものだ。
直接触られるとヤバい。
悟がああも断言すると言うことは、即死レベルの出力を秘めている可能性が高い。ここは素直に距離を取る。大型の呪霊を呼び出し、上空へと移動した。
天使の呪霊は傑を追いかけなかった。あの羽では飛べないのか、それとも那由多を追うことに集中しているのか。
(意図が読めないな。呪霊の言葉に耳を貸すべきじゃないとは分かっているんだが──)
早川那由多の影響か、目の前の呪霊が人とほぼ変わらない姿をしているからか、妙に人間らしい仕草をするからか。
傑はどうにも目の前の呪霊の一貫性のなさにひっかかっていた。わざわざ緊張を弛緩させる呪物を持参した用意周到さと、理性的に見える言動。それらと襲撃計画の杜撰さがうまく結びつかないのだ。
自分とてその道のプロというわけではないが、もう少しマシな計画は立てられる。
那由多を殺したいならいくらでも隙はあったはずだ。例えば牧場で襲っていれば守りも薄かった。そも飛行機で襲っていれば逃げ場はなかった。市街地ならば私たちは非呪術師の保護に意識を割かねばならず、より隙を突きやすかっただろう。
だが実際の襲撃地は郊外に位置する人気の無い霊園。四人が万全のコンディションで連携できる上に暴れやすい──呪霊にとって不利な条件ばかり。
(まさか、無関係の人間を巻き込みたくないからなんて言い出さないだろうな……)
どうにも意図が読めない。
だが、悠長に構えてもいられない。
悟の斜線上に入らないように気をつけつつ、十分な高度を取った傑は帳を下ろすために呪力を練った。
※
【side:五条悟】
――闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え
黒い膜があたり一帯を覆い尽くす。呪霊操術で飛行している傑が帳を降ろしたのだ。
「悟! もう遠慮は必要ない!」
「分かってる!」
……実の所、帳が無いから手加減をしていたわけではない。むしろ存在を完全に忘れていた。口に出すと面倒なので黙っておこう。
傑が『悟が手加減をしている』と誤解した理由は明らかだ。
「術式順転『蒼』」
【懲りないな、キミ……】
まただ。少しでも大きな一撃を繰り出そうとすれば即座に潰される。無限の引力『蒼』。それが成立する前に呪力の起点を断ち切られた。
天使の呪霊の近くで発動すれば、発生前に潰される。遠くで発生させ過ぎれば当然回避される。発生速度を優先させ威力を抑えれば当たることには当たるが、致命傷には至らない。呪霊のくせに、五条悟対策はきちんと用意してきたらしい。
(あの呪具、面倒だな)
異質な呪力を帯びた剣。特級では無さそうだが──六眼を持つ悟が、こんなものを抜身で持つ奴を奇襲可能な範囲まで近寄らせるはずがない。
あの呪具は、襲撃直前に
直接触れた相手の寿命を奪う。奪った寿命を呪具に変換する。ここまでがあの特級呪霊の術式の正体だ。
(次弾が来ねえってことはあの植物は使い捨て。問題は追加でどれだけの質と数の呪具を生み出せるか)
天使は剣と羽を上手く使い分けて悟と傑の連携を捌いていた。呪霊の自爆特攻を交えても即座に対応される。
傑はストックしていた呪霊の大半を血の特級呪霊との戦いで失ってしまっていた。悟のサポートのための仕込みはうまく行っているが、なかなか使うタイミングが掴めない。
(ったく、那由多がさっさと生き返らねえせいで制限が増える)
死体というのは重い。いくら小柄な那由多でも、硝子一人で運ぶのは無理だ。
なぜだか目の前のこの呪霊は那由多にご執心のようで。悟が目を離せば即座に追いかけにいくだろう。傑の手持ちに飛行できる呪霊はいても、飛行した上で目の前の呪霊に発見されない呪霊はいない。どうにも二人を戦線から離脱させきれられないでいた。
数度の撃ち合いの後、天使の呪霊は攻撃の手を緩めた。
【キミたち、北海道には旅行で来たんだ。ずっと見てたよ。仲良いんだね】
「ストーカーかよ」
天使の呪霊は悟の皮肉を意に介さない。
【──で、どこまでが君の本当の記憶?】
「は?」
天使の呪霊の目は冷たく、静かだ。深い怒りを抱えていた。
【胸に手を当てて考えるといい。
静寂が場を支配する。
時間にして数秒だが、体感ではずっと長かった。
「お前……ふざけんなよ………!」
史上最大にムカついた。あの血の呪霊以上に、こいつはふざけた発言をしやがった。
乾いた笑いしか出てこない。
(決めた。こいつは今ここで確実に祓う)
どいつもこいつも舐めやがって。
「俺たちが……」
あーあーと、上空から傑の呆れた声が聞こえた気がした。冷静ぶりやがって。お前も相当ムカついてたくせに。
五条悟は青筋を立ててキレていた。
「あんな
【へ?】
呪霊は虚をつかれた顔をしている。あーそう、素面で、本気で言ってたわけ。
目の前の呪霊は、悟たちを那由多個人より
前言撤回。下調べが甘い。世間知らずにも程がある。
【勘違いしてるみたいだけど、あれはただの特級呪霊じゃない。かつて日本国民全てを――そして、たくさんの人間を踏み躙った最悪の……】
「そーか、そーだな、そーかもなあ! さてはお前、支配されてた口か。犬の鳴き真似でもさせられたか? あんな未だに口元汚さずに飯も食べられねえ程度の奴にビビって奇襲仕掛けてくる程度の小物だ! そりゃ簡単に支配されるだろうな!」
【──お前】
天使が、呪具を強く握りしめる。
明らかにこちらを見下していた舐めた態度に比べれば少しはマシな顔になったものだ。
五条悟は冷静だった。
この呪霊に心底ムカついているのは本当だが、そんなことで判断を誤ることはない。
呪術師は真っ先に感情を支配する訓練を受ける。
生まれた時から最強であると定められていた『五条悟』は、この程度で術式を乱さない。
「
呪力を
「──呪霊操術」
「ナイスアシスト、傑」
地面に潜んでいた呪霊が奇襲を仕掛け、眼前の天使を拘束する。完全な不意打ちだ。
おかげでゆっくり狙いを定められた。
発動と同時に確信する。万に一つの失敗もない。
「術式
【なっ──!】
五条悟は、血の呪霊との戦いで体内での無下限術式の使用をものにした。
座標指定型の攻撃への対処にしか役に立たない、汎用性の低い応用技だが──その真価は別にある。皮膚の外と中。二重に無限を展開する感覚そのものだ。少しでも制御を誤れば自らの骨と内臓を砕く荒技は、生死の狭間で反転術式の使い方を五条悟に叩き込んだ。
反転術式によって生まれた正の力を、無下限術式に流し込む。
無限のエネルギーの発散。空間が直線上に弾け飛ぶ。
回避など許さない。
最大出力での一撃が、天使の呪霊に直撃した。
※
【side:天使の呪霊】
遠い昔の記憶。
生まれる前よりなお古い。
とっくに忘れてしまった筈だった。
僕に言葉を教えてくれた人。
僕に家を建ててくれた人。
僕に海の潜り方を教えてくれた人。
みんな、呪霊の僕に優しくしてくれた。
僕が好きになった人。僕を好きになってくれた人。
触らなければいいんだろとハンカチを貸してくれた人。目の前で死なないでくれと手を握ってくれた人。両腕を失って使い物にならなくなった僕の命を助けようとしてくれた人。
僕の大切な──
【君たちは、同じだ】
危険な呪霊と、危険と知ってなお笑って共に過ごすことができる人たち。そんな人たちと過ごす日常はきっと、暖かくて、しあわせな日々だ。
それがどれだけ得難い奇跡かを、
覚えている。
もう二度と忘れたくないと、死の間際に己自身を縛ったから。だから僕は生まれる前のことをほんの少しだけ覚えている。
みんな、死んだ。
【どうして】
幸せだった。決して満ち足りていたわけではないけれど、大切な日々だった。何に変えても守りたかった。
──全部
【どうして!】
なのにどうして。
どうしてお前がその名前を騙る。
どうしてお前が幸せに生きている。
【どうして……そこにいるのがお前なんだ……】
許せない。何もかもが許せない!
血が吹き出す。全身が熱い。痛くて痛くてたまらない。でもきっと、彼らはこんな痛みすら感じる間もなく死んでいった。怒りが、悲しみが、呪力となって身体を突き動かす力になる。
【どうして、そこにいるのが………じゃ…ないんだ……!】
「どうした、僻みかよ呪霊く──」
【──どうしてそこにいるのが
五条悟の挑発を、天使の叫びがかき消した。淡々とした調子を崩さなかった呪霊が、初めて露わにした激情だった。
天使の呪霊は泣いていた。
もうどうなってもいい。首を刎ねても死なないなら、死ぬまで切り刻んですり潰す。命を全て奪い取る。自分の力ならそれが出来る。負傷した肉体を引きずって、
「行かせると──」
【10年使用!】
本当は使いたくなかった。
花御と過ごした森で遭遇した自殺者たち。その寿命をほんの少しだけ借りる。
生み出された呪具を、白髪の子供に向かって投擲した。
効果の分からない未知の呪力に、彼は一瞬硬直する。受けるべきか避けるべきか攻撃すべきか──その一瞬の迷いさえあればいい。
視界に、
呪具を追加で生み出して投擲したところで、おそらくこの場にいる誰かに防がれる。だが、座標さえ分かれば問題ない。
僕のせいだ。
僕はいつも判断が遅い。だから何も守れなかった。
「本当に、ごめん」
背後の白髪の彼。上空の黒髪の彼。
きっととても優しい子供たちだ。かつて呪霊の自分に優しくしてくれたあの人たちのように。
【ごめんね。巻き込んで……本当に……ごめん……】
もう二度と、彼らの死を見たくない。
みんなを、あの子を、彼を。そして同じく踏みにじられるかもしれない、この子供達を。
自分が今からする行為は矛盾の塊だ。
それでも、手遅れになってから後悔するのはもう嫌だった。
指を組み、目を瞑る。それは敬愛な信徒の祈りの形に似ていた。
美しい、男にも女にも見える羽の生えた存在は、静かに涙を流していた。
※
【side:五条悟】
はねが ふる
ひかりが ふる
「マジかよ……!」
発動を、止められなかった。
言語が違えど、文化さえ異なる異邦の呪霊であろうと、たどり着く究極の地点は同じだ。
悟の無下限すら貫通して、何かが削られていく音がする。
目に見えぬ攻撃。けれど魂が、本能が理解する。
術式の必中効果――紙面上で学んだだけの理屈が実体験として襲いかかる。
【──Domain Expansion】
これは
凪いだ海。美しい砂浜。空から降り注ぐ強い日差し。
──肌を刺す強烈な死の予感。
これが呪力で具現化された天使の呪霊の生得領域。
【■■■, ■■■, lema sabachthani
──Amen】
天使とは、命の終わりに降臨する者。
五条悟、夏油傑、家入硝子、早川那由多の四人は、己自身のこの世に存在できる限界時間──