東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:五条悟】
北海道旅行、初日。
空港に着いた直後から、なんだかんだで全員が多少なりうかれていた。
「しゃけ! しゃけ!」
「おかか!」
「見ろ! コンビニに『とびっこ』おにぎりが置いてる!」
「チェーン店の品揃えからして違うのか……」
「さっさと寿司屋行こうぜ」
「食事の前に、寒い地方に出る系の呪霊を探しても構わないか? 寿司は後味にしたい」
「そんな葛根湯服用感覚で祓う?」
「食前だし別の漢方で例えろよ」
「そういう細かいのいいから」
「はあ、三人ともはしゃぎすぎ」
「「「硝子が一番土産買ってるのに?」」」
反転術式の使い手、家入硝子──能力の希少さと直接戦闘能力の低さから、実は高専から外出するのに逐一書類の提出が必要な人材である。旅行の機会は稀有なのだ。
「想像以上にはしゃいでない? 土産なら俺たちが任務行くたびに買ってるだろ」
「お前らに任せてると甘いものしか買ってこないでしょ」
硝子はカニの冷蔵便の手続きを真っ先に終わらせ、ホワイトコーン、鹿肉とクマ肉の缶詰……北海道らしい食品を軒並み制覇していく。凄まじい行動力だ。次はインカのめざめというブランドもののジャガイモがターゲットだと意気揚々と進む後ろを、那由多がいそいそとついて行った。
一方の悟は早々に目当ての菓子類を確保し終え、ベンチでダラダラと時間を潰していた。売店で購入したカット済みの夕張メロンをつまみ食いする。適当に買った割には美味しい。
「逆じゃないか?」
「なにが?」
「いや……なんというか……」
同じベンチに座って携帯をいじっていた傑がボソリと呟く。要領を得ない言葉を適当に聞き流しながら、ロイズの生チョコレートの箱を開封した。
「そういうチョイスがだよ……」
「だからなにが?」
鮭のルイベを確保して帰ってきた女子勢と合流し、次の目的地へ向かう。
やはり北海道の名産は美味い。目当てのマルセイバターサンドは格別だが、ついでに購入した花畑牧場とやらの生キャラメルが予想以上の味だったのは嬉しい誤算だ。時は2006年。白い恋人の賞味期限先延ばし問題発覚の影響でお土産界への進出が進み一躍に知名度が上がる、わずか1年前のことである。
電車やバスを乗り継いであちこちを巡る。本当はレンタカーを借りると便利なのだそうだが、あいにく全員未成年だ。最初は傑の呪霊に乗ればいいじゃんと軽く考えていたのだが、妙に肌寒かったために没案となった。
日本唯一の冷帯、北海道。夏の癖に寒いとはさすがである。悟はここに来てから汗を一滴もかいていない。旅行に来た甲斐があったというものだ。
めぼしい観光所を制覇していく。特に、青い池は銃の呪霊が倒された1997年に発見された観光地ということで、幻想的な風景も相まりホラースポットとしても人気があった。何か面白い呪霊でもいないかと期待していたのだが4級程度の雑魚しか見あたらない。現地の呪術師が定期巡回して警戒しているらしい。拍子抜けだったので、人工的な明るい青の水面を背景にとびきりの変顔を披露した写メを仏頂面の方の後輩に送りつけてやった。ちなみに返事はない。
牧場で乳搾り体験を満喫した後は、ソフトクリームに舌鼓を打つ。美味い。那由多も口の周りをべとべとに汚しながら食べていた。いつまで経っても食べるのが下手な女だ。
硝子と傑はどこかにふらりと消えてしまった。ずいぶん時間がかかっている。トイレではないのか。別れる前に何やら言っていた気もするがアイスクリームの味を何にするか悩んでいたので聞き流してしまっていた。
(──はっ!)
瞬間、悟の脳裏に浮かぶ名推理。
まさか、あいつら付き合ってんの? 昼間っから外でとか飛ばしてんな。
「二人なら、あっちに行ったよ」
「あ、一応室内は室内なわけ……」
那由多が指さしたのは、少し離れた場所にある目立たない外装の建物だ。お土産屋でもレストランでもない。入り口の看板になにが書いてあるかと目を凝らす。
──『精肉所』
「牛の解体をしに行った」
「なんで???????????」
アイスクリームを取り落とさなかった俺を褒めて欲しい。
冗談半分で予想した色恋沙汰とは全く異なる方向で、妙な展開になっている。
硝子はわかる。反転術式の使い手である彼女は講義の半分弱が悟たちとは別カリキュラムだ。その大半が人体理解を目的とした生物系の解剖演習。理科室と呼ぶにはいささか本格的すぎる高専の設備は彼女の城である。旅行先に来てまでするなよとは思うけど。なんで傑までついて行っちゃったの?
「歳をとった牛を加工してソーセージやハムにしてるんだって」
「牛の方の事情を知りたいわけじゃねーんだよ」
最初は旅行に反対していた癖に、ちゃっかり俺より満喫しやがって。なんか悔しかったので意趣返しをすることにした。
「俺たちもするか……」
「なにを?」
悟はニヤリと笑って那由多の肩を抱いた。
「
※
【side:夏油傑】
傑と硝子が二人の元に帰ったのは数時間後だった。
「遅っせえ、暇すぎて死ぬかと思ったわ」
「なんだ、ずっとここにいたのか?」
悟から非難の声が上がる。予定はあらかじめ伝えていたはずだが、別の観光地で時間を潰したりはしなかったようだ。もっとも北海道は自動車であろうが移動に数時間単位を要する広大な土地。選択肢は狭かっただろう。
【──、─────! ──!】
(あー、はいはい。うるさいよ)
牧場主との交渉には手間がかかったが、目当ての『牛一頭分の血液』が手に入ったので傑は上機嫌だった。
硝子の医療知識には随分助けられてしまった。この現代日本で合法的な手段による血液の大量入手はなかなか難しいのである。
「じゃ、プレゼントお披露目タイムだな」
「私も準備を手伝った」
「は? 準備?」
悟のみならず、那由多が満面の笑みを浮かべている。
嫌な予感がする。
(これロクな話じゃないパターンだ)
(勝手にやってろ、クズども。私帰っていい?)
(えー、やだ)
那由多は基本的に表情の変化が薄い。数少ない例外は相手を嘲笑する時。『嘲笑う』というのは呪霊の本能に近いらしく、人間で例えると三大欲求に近しいものらしい。負の感情を糧とする存在の本能など碌なものではない。この顔を見る時は大抵『常識的に考えて超えてはならない一線を超えた悪ふざけ』が発生している。血の呪霊との戦いの後の死亡ドッキリが良い例だ。
ババーン! とお出しされたのは多種多様な異臭を放つ──汚物。
「「何これ」」
「傑さあ、呪霊操術で呪霊取り込む時さあ、クソみたいな食レポするじゃん。あれがどこまで正確なのか気になったんだよね。というわけでこちらに実物を用意しました」
「イエーイ」
「歴代食レポ抜粋──吐瀉物を処理した後の雑巾(真)、一週間くらい風呂に入ってない人間の下着(真)、そして農家から拝借した肥溜めの底の方にあった固形物(真)でぇーす!」
「好きなのからどうぞ」
「集めるの結構苦労したわ」
「ねー」
那由多から箸を手渡された。悟は触るのキモかったから準備するのに無下限使っちゃったー! などと騒いでいる。脳裏に響く件の呪霊の不快な笑い声がいっそう大きくなった。
硝子が静かに避難するのを見届けた後、傑はにっこり笑って呪霊を呼び出した。
「お前らが食べろ」
※
【side:家入硝子】
「私、この絵を知ってる」
バスが来るまでの時間潰しに立ち寄った美術館。那由多はとある絵画の前に張り付いて動かなくなった。
先に進んだ私と夏油が展示を一周見て回った後も同じ場所に居座り続けていたのには驚いた。目を離すわけにはいかないからと付き合っていた五条はあまりのしつこさにイラついている。放り出してしまえばいいのに。なんだかんだ真面目に任務をこなすあたりが、あいつが岸辺さんとやらの採点で100点を取れない理由なのだろう。多分、あれは性格の希少性よりも予想のつかない言動をするかどうかが基準だ。五条はこれでいて結構分かりやすい。
「以前にもこういった展示に来たことが?」
「初めてだと思う」
「本やニュースで見たの?」
「わからない……でも……『私』はこの絵が好き。玄関に飾りたいくらい」
那由多は展示品の前に張られたロープにギリギリまで近づいて、大きな絵画を視界に焼き付けるように鑑賞し続けている。
螺旋を描く瞳──声が出てはいけない場所から、言葉が発せられていた。
早川那由多は人型特級呪霊だ。
一般人にも見えるしカメラにも映る。食事も排泄もするし、汗もかく。美味しい料理とかわいい洋服が好き。趣味は映画を見ることで、同じ趣味でも嗜好違いの悟とはよく言い合っている。テストはうっかりミスで失点するのが恒例だ。得意教科は歴史で苦手科目は道徳。友人と悪ふざけもする。どこにでもいそうな高校生で、私たちの友人。
友人であろうと、否、友人だからこそ、履き違えてはいけない。
北海道宗教画展示会、作品ナンバー112、■■■の黙示録──この絵は、きっと早川那由多の根源に近い場所にある。
「こんな馬鹿みたいに大きい宗教画を飾ってる家とか、嫌すぎ」
「……そう? 硝子ちゃんがそう思うなら、貯金してるお小遣いは別のことに使おうかな」
「本気で買うつもりだったんだ?」
穏やかに微笑む横顔は、牧場での破顔に比べるとずっと上品だ。けれど硝子は好きになれなかった。自分の学友である彼女の側面ではないからだ。
学友『早川那由多』と『支配』の特級呪霊。どちらも彼女の本質で、だからこそ早川デンジは必死に教育を試みている。そして、彼女が社会の一員として愛し愛される存在のままでいたいのならば今表に出ている部分は矯正しなければならない。
五条は呆れ顔で那由多の美的センスをこき下ろした。
「で、支配の呪霊の本音は?」
【家入硝子の感性など些細な問題です。彼女の反転術式は有用ですが、彼女を縛るのなら、情よりも都合の良いものは星の数ほどあります】
「那由多の意見は?」
「友達に部屋可愛いねって思ってほしいから飾るのは別の絵にする」
「でも支配の呪霊の本音は?」
「えっ」
「……」
「……こっ」
「こ?」
「心が二つある〜……」
思い詰めた表情でうずくまる那由多を爆笑しながらケータイのカメラに収める五条と、それを止めもせずに失笑する夏油。
「困らせんなバカ」
スパァン、といじめっ子二人の頭部をすっぱたく小気味いい音が鳴り響いた。
※
【side:五条悟】
「うわっ、俺が前から気になってたB級じゃん! 今夜これ見ようぜ! ムカつくカップルとうざいナードとやたら霊感のある子役が出るんだけど最後全員内臓ぶちまけて死ぬのが超ウケるんだって」
「クソ映画……」
「それは面白いのか?」
今日宿泊する予定の旅館の女将と那由多は顔見知りだった。盆の時期に毎回世話になるらしい。お得意様と友人一行ということで、色々と声をかけられた。こういうの好きだったでしょうと渡された映画のDVDもその一つ。話題作だったが、それはあくまでクソ映画としてだ。クオリティの低い映画を嫌悪する那由多ばげんなりしていた。
早川家の墓はここからかなり離れた場所にあるそうだ。歩けない距離ではないがかなり時間がかかるらしい。だがひとまずは、徒歩で出発することにした。いざとなれば傑の呪霊に乗る。女子勢からは寒さを理由に嫌がられたが、ちょうどいい大きさのものを調伏したばかりだ。
「そういえばあんたたち、五人連れじゃないのかい?」
「何言ってんの女将さん。ボケてる?」
「こら悟、お年を召していられるんだから些細な記憶違いはスルーするのがマナーだよ」
「あははははは、君たち夕餉の量減らしますね」
このおばさん、結構気がキツい。しれっと毒を吐くあたりが悟の教育係のお局とよく似ていた。
「いやね、さっきも墓の場所を聞かれたものだから」
「さっきも?」
この寂れた旅館には先客がいた。セミロングで可愛い顔をした若者。この辺りは目立った観光地もないので一人旅にしては妙だからと、悟たちの同行者だと早合点したようだ。
「まったく、みんな東京から来たんでしょう? 都会っ子はハイカラだねえ。髪染めたり、変わった服装だったり」
「俺のは地毛だよ」
「染めてる子はみんなそう言うのよ」
「あん?」
「悟、落ち着いて。老人は目が悪いし話もろくに聞かないものだろう。あと数年くらい適当に優しくすればいい」
「本当に失礼だねこのクソガキども!」
傑の失言のせいで危うく今日の宿を失うところだった。全く、勘弁してほしい。
※
【──ようやく、市街地から離れてくれたね】
※
北海道旅行もいよいよ大詰め。悟たちは早川家の墓参りをしにきていた。
デンジは毎年盆に来るらしい。あの女将曰く最初に来たのは約10年前。銃の呪霊が再び世に顕れ、倒された年だ。当時は若い女と黒髪の青年が同行していたそうだ。もちろん那由多ではない。
次はそいつらの素性でも探ろうかと適当に算段をつける。
適当に花を買って、お供えを買って、霊園に備え付けられた桶で水を汲みにいくかとなったタイミングで、傑がそれを制止した。
「待て、妙だ」
傑が警戒している。悟は周囲を観察した。
──別段おかしなところはない。
「
「……あ」
おかしなところは何もない。残穢も、呪霊も、何一つ存在していない。
──負の感情が溜まりやすい筈の墓場が、そんな状態であることがおかしいのだ。
道中ですら、弱い呪霊を目撃した。なのに最も人々が負のイメージを抱くであろうこの場所になにもいないというのは明らかな異常だ。
「青い池の時みたいに、直前に呪術師が来たとか」
「まさか、ここは呪術師が定期巡回するレベルの心霊スポットじゃないよ。北海道にいくつ墓場があると思う?」
「偶然って可能性は……」
「にしても残穢を残さず処理する理由が」
ブツリ
明らかに異常な状況。明らかに異常な現象。
だというのに、
「わぁ〜綺麗なお花畑!」
「…………ってほのぼのしてる場合か! 術式順転──」
「わっ!?」
「──『蒼』!」
この植物は、精神干渉の術式だ。それもこの場にいるレベルの術師を問答無用で制圧できるレベルの。
傑が硝子を庇うのを確認しつつ、悟は襲撃者に向け術式を発動した。
術式順転『蒼』──呪力で現実に再現される無下限の『収束する力』が襲撃者に牙を剥いた。だが、周囲への影響を考慮し手加減していた一撃は、刀の一振りでねじ伏せられる。凄まじい切れ味だ。
「ここは秋葉原じゃねーぞ、コスプレガール」
【首が再生しない……でもまだ地獄にも堕ちてない。どんなカラクリ……?】
那由多の首と、首から下を傑がすぐさま回収する。こいつどうせ死なねえもん。防御より襲撃者への攻撃を優先するのは当たり前だ。
──襲撃者は人型呪霊だった。幼さが抜けきらない見目麗しい相貌。天使の輪と羽根がついていて、呪具まで持ってやがる。
間違いなく特級だ。
そして、かなり高い知性を持っている。つい最近戦った血の呪霊よりも。
「最近、特級呪霊の安売りひどくない? 全然特別じゃないじゃん」
「言えてるね」
軽口を叩きながら、臨戦態勢に入る。せっかくのバカンスが台無しだ。
──さあ、仕事の時間だ。
墓場の雑魚呪霊は天使くんが早川家の墓石を洗うついでに掃除しました