東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
北海道旅行①
【side:早川ナユタ】
東京の奥地にひっそりと存在する呪詛師の収監施設。そこに拘束された者たちが次々と血を流して変死する事件が発生した。事情を知る者はすぐに察した。ナユタが血の呪霊との戦いで大量の命を消費した影響だ。顛末を知ったデンジにナユタはしこたま叱られた。
「でも、悪い人たちだし」
「それでもだ。わざわざ別ん奴にダメージ肩代わりさせなくても、俺と契約してんだろうが。いいか、悪ぃ奴に遠慮はいらねえ。ぶん殴ってやれ。でもそれだけはやっちゃダメだ」
「どうして?」
「俺は……ナユタに、美味いもん食った時に美味いって思える生き方して欲しい」
デンジは不思議な言い回しをよくする。きっと誰かの受け売りではなくデンジが己の人生の中で見出した考えだからだ。
「きっと、こんなこと続けてたら……ナユタはみんなで食卓を囲めない大人になっちまう」
真摯に伝えられた言葉。
ナユタには共感できなかった。『支配』の呪霊が持って生まれた本能にとっては、当然の行為だったから。ぼんやりとした様子のナユタに、デンジは根気よく言い聞かせ続けた。
「俺はそうなって欲しくねえ」
「でもデンジに迷惑じゃ」
「そこ気づかえるなら、俺との約束も守れんだろ。偉くて怖い人に頭下げんのに比べたら一回や二回死ぬのがなんだ。──なにせ、俺は不死身だからな」
デンジはニヤリと口角を上げる。
ナユタはデンジが大好きだ。だから出来るだけお願いは叶えたいと思う。素直に頷くと、なら良しとナユタの頭を撫でてくれた。
「説教なんてつまんねえもんなあ! 今日はもつ鍋にしようぜ」
「また肉料理……」
「ナユタが肉食べれるってもっと早く気づいてりゃなあ」
デンジの料理は美味しいので、結局はおかわりをしてしまうのだけれど。
こうして早川那由多は他人に死を押し付けるのを禁止されたのだった。
※
【side:五条悟】
少し前。
早川那由多は、人間に死を押し付けることを早川デンジから禁じられた。所詮は縛りではない口約束──けれどこの特級呪霊が馬鹿正直にお願いを守る気質だということを、悟たちはよく知っていた。
だから、血の呪霊との戦いのようなゴリ押し肉壁戦法はもう二度と使えないのだと那由多は告げた。
(つまんねえの)
雑魚呪詛師を利用した不死身さと複数の術式の同時使用。支配術式での戦法をいくつか思いついていたところだったので、ひどく拍子抜けした。
何より禁止してきやがった奴の態度にムカついた。
悟は早川デンジが嫌いだ。
事あるごとに大人の立場を振りかざし、ポジショントークで悦にいる。そのくせ呪術師ですらない。
そんな奴が、那由多経由とはいえ悟に隠し事をしている。不快さも倍増だ。
「暇だ……」
2006年初夏。今年は気温が上がるのがずいぶん早い。五条悟は机に突っ伏しながら溶けていた。
暇といっても、裏では秘密結社による国家転覆作戦だの、凶悪呪詛師の連続変死事件だの、京都市鴨川周辺で異常発生した特級仮想怨霊による騒動だの、無下限持ちが生まれたらしい五条家分家の虐殺事件だの、二時間映画の題材には十二分なイベントが多発しているわけだが──呪術界ではよくある些事である。直接関わった訳でもなし。学生生活を謳歌する悟たちにとっては教室に未だにエアコンが設置されないことの方が一大事だった。
扇風機で凌ぐにも無理がある。去年は傑の冷気を操る呪霊を借りていたが、そいつは先日遭遇した血の呪霊に潰されてしまった。なんてひどいことしやがる! 許せねえよなあ!
湿度もひどい。日本の梅雨はどうしてこう不快指数が高いのか。無下限は便利なバリアというわけではない。解釈の拡大次第ではエアコン代わりにもできるのかもしれないが、今の悟には難しかった。
やる気がどんどん失せていく。桃鉄は99年設定で徹夜プレイをしたばかりで「しばらくはもういいかな」って気分だし、デジモンもポケモンも一通りクリアしてしまった。通信対戦は白熱するうち傑が
「合併号の呪霊がいたら念入りにボコってやる……」
「どうせでんじゃらすじーさんいくらいしか読んで無いんだろう?」
「傑うるせー、それはコロコロだっつの。ジャンプはボーボボだ」
「結局ギャグ漫画じゃないか」
「──今日の議題は
人差し指をピンと立てる。このGLGのとびきりのキメ顔への学友たちの反応は薄い。強引に話を続ける。
「……」
「ハジケを術式と定義した場合……魂を解放しなければ死ぬってのは術式の必中化じゃないか?」
「その話、長くなる?」
「飽きるの早すぎ」
「最初から興味がないんだよ」
傑は我関せずと眉を顰めて考え事を再開した。最近はずっとこんな様子でつまらない。そうめんの食べすぎで腹でも壊したのかな。
硝子は那由多にそもそも領域展開とは何かという説明をしていた。そうか、こいつ転校生だから一年で習うような基礎の座学すらボロボロなんだった。一通り聞き終わった那由多はふんふんなるほどと頷いた。
「そっか。デンジが使ってたのって領域展開だったんだ……」
「────待て待て待て待て、マジで?」
「まじで」
椅子から転げ落ちるかと思った。
領域展開とは、術式を付与した生得領域を呪力で具現化する技だ。
術式順転、術式反転、あらゆる秘技の先にある至高の領域に辿り着いた存在だけが成し得る神業。この五条悟ですらまだ会得できていない、歴史を紐解いても使用者は両手の指で数え切れる程度しかいないのに。
……それを、呪術師ですらないというあの男が?
「高校生の時に色々あって使えるようになったんだって」
「その
クソ映画以外の何物でもない、らしい。なにも分からん。以前蘇生のタネを明かさせた時にも思ったが、さてはこいつ説明下手だな?
思わぬ方向にぶっ飛んだ昼休みの雑談は、本人に直接尋ねてくれという那由多の投げやりな返事で締め括られた。
ならばそうさせてもらおうと、悟と傑はドキドキ襲撃計画を立て放課後に実行したが、結局早川デンジの後頭部を陥没させかけただけでなんの情報も得られなかった。初動が悪かったのもあり、お前らに話す筋合いはねえとご立腹だ。後ろからいきなり殴りかかるなというガチめの説教を聞き流す。
「ったく、突然高専に呼び出しやがってこれかよ。また何かあったんじゃねーかって焦って損したぜ」
「大丈夫、即死じゃなければ治せます」
「そういう問題じゃねえんだけどぉ!?」
硝子のフォローになっていないフォローがトドメになったのか、早川デンジは涙目だった。俺の会う女こんなのばっか……と泣き言が聞こえる。女運が悪いようだ。
「冗談はひとまず置いておいて」
「撲殺未遂を冗談で済ますなよ……」
「早川さんはご存知だったんですか?」
「何が?」
「那由多が高専に通いたがった理由です」
俺たち三人を散々振り回した
「制服で行きたい高校決めんのはよくある話だろ。うちの学校もそういう生徒多いぜ」
「それで高専に行きます?」
「俺も廉直女学院に履歴書出したきっかけは制服が可愛かったからだ」
(この人よく女子校教員に採用されたな…)
傑が軽蔑の目を向けた。いいぞもっとやれ。
ついでのように明かされた、わざわざ那由多が二年に転入してきた理由もろくなものではなかった。そもそもこいつは悟たちと同時期に入学予定だったらしい。だが特級呪霊の高専入学という異例の要求に対し、方々への説得が間に合わなかった。なんとか話がついたのが去年の冬。夜蛾から留年手続きを踏んで新一年として入学することも勧められたが、
結局、那由多の語るクソ映画だのカラフルな臓物だのの正体を暴くことは出来ないまま、デンジは帰って行った。
※
悟は旅行パンフレットを掲げて宣言した。
「──そうだ、北海道行こう」
「特級の悟が出動要請されるレベルの呪霊の発生報告はないよ」
「マジレスやめろ〜〜」
三連休を控えた金曜日。呪術界は絶賛繁忙期だった。環境の変化や気候変動で大衆の負の感情が増大し、呪霊が増加する季節だ。雑魚の尻拭いばかりで嫌になる。灼熱のコンクリートジャングル、名前も知らない虫がウヨウヨしている雑木林、取り壊しが決定した廃ビルの屋上──ここ最近の任務は歴代でもトップのクソさ加減だ。
快適かつ魅力的な避暑地的スポットには呪霊は滅多に出現しない。そういう場所は人口密度も低く負の感情も抱かせにくいので当然とも言える。呪術師は出張の多い仕事だが、旅行のような楽しさを見出すのには向いていないのだ。
──要するに悟は娯楽に飢えていた。
「北海道……乳牛……六花亭の……レーズンサンドが食いてえ……」
「美味しいよね。私も好き」
「おいおい呪霊に味が分かるのかぁ〜?」
「いつにも増してウザいな」
悟の独り言に反応したのは那由多だった。硝子が面倒くさそうにツッコミを入れつつ「無視した方がいいよ」と那由多に耳打ちする。やだやだ、もっと構え。
「というわけで次の連休は北海道で遊び尽くそうぜ」
「つまりサボりか」
「馬鹿いえ、ちゃんと代打頼んだわ」
「うわー、嫌な先輩」
悟たちは絶賛ゆとり世代なので土日は休みだが、呪術師はブラックなので休日は存在しない。
つまり、
一年坊どもと、冥さんに、それぞれ快く引き受けてもらった。無愛想な方の後輩からは凄まじい目線を向けられ、冥さんからは相応の金銭を求められたが、あくまで『快く』である。
「今のところ来てるの高くて三級案件、三日くらいならどうにか出来るっしょ」
「はあ、全く……」
傑は呪術師としての意識が高いが、決してノリは悪くない。今回の反応は結局折れるパターンだと悟は踏んでいた。こちとら生まれて以来横暴な要求を通し続けてきたわがままのベテランである。舐めないで欲しい。
行き先に北海道を選んだ理由は二つ。一つは単純に涼しいから。もう一つは──
「北海道に墓があってね。デンジと毎年里帰りするの」
「へえ、実家はそっちなんだ」
「わからない」
「ん〜? どゆこと?」
早川那由多の飛行機利用記録が多く残っていたからだ。
那由多も暇だったのだろう。ぽつぽつと身の上話を始めた。
毎年盆に行く北海道には早川家の墓がある。だがそこで眠っているのは早川デンジの血縁では無いらしい。旅館に泊まるので他に身内がいるかどうかも定かではないそうだ。ではどういう関係なのかと質問したが、那由多の返事は「知らない」と「わからない」が半分以上を占めていた。
「お前さ、俺がいうのもなんだけどもうちょっと
「……尋ねても教えてくれないから」
「は〜?」
「デンジは、昔の話をしたがらない」
「それで大人しく引き下がってんのお前。ないわ」
早川デンジの素性は謎に包まれている。領域展開ができるという那由多の証言を鵜呑みにしたわけではないが、何かしら切り札は持っている筈だ。特級呪霊である彼女を監督できると上層部からみなされている時点である程度の実力は保証されている。
その上で非呪術師としてぷらぷら過ごしているのだから訳が分からない。
「早川……早川ね……やっぱ聞いた事ねえな。呪術師の家系じゃねぇのは確定」
だから調べてやることにした。
『早川家』『早川デンジの素性』『那由多を育てた理由』──桃鉄、デジモン、ジャンプに続く娯楽。丁度良い旅のスパイスだ。
調べるためだといえばきっと那由多は乗ってくる。硝子も惰性で賛成すれば、週末は旅行決定だ。
「早川家と、早川デンジと、早川那由多の来歴について調べつつ──あと俺のマルセイバターサンド入手をまとめてこなすわけ」
「絶対最後のが本命だろ」
那由多は戸惑っていた。デンジが過去について自分からあまり喋らないということは、教えたがっていないということ。それを勝手に調べるのはどうなのかと言いたげだ。
「でも……」
「大体さあ、ムカつかねえの? 俺が何質問しても知らないだの分からないだのばっか。お前自身に興味ないんじゃなくて、聞いても教えて貰えないからとかねーわ。お前の兄ちゃん、ちょっと過保護なんじゃねえの?」
「それだけ大切に思っているということだろう」
傑の発言を、悟は鼻で笑った。悟自身五条家の秘蔵っ子だが、自分が何も教えてもらえない時は大抵
「支配の呪霊の感性はどう言ってる?」
【……情報の統制は安全管理の基本です。無知は首輪に。力は柵に。罪責と敬愛と恋慕は都合良く動かすための手綱になる。
早川デンジは……支配の呪霊の管理者として妥当です。人格、実力、共同体への影響力に問題がないのなら、私から言うことは何もありません】
「で、那由多の本音は?」
「ちょームカつく」
「「雪まつりだーーーー!!!!」」
二泊三日、北海道旅行、開幕──
「雪降ってねえじゃん!」
「夏だからね」