東京都立呪術高等専門学校二年転校生早川那由多 作:同じ顔の別人
【side:夏油傑】
夏油傑は自他共に認めるチェンソーマンのファンだ。
グッズを集めているわけではない。あれをオマージュしたドラマや映画をわざわざ見ることもない。だが毎朝新聞をチェックしている理由の大半は、ここ数年活動を休止しているチェンソーマンが復帰していないかの確認のためだった。
夏油傑は、チェンソーマンに命を救われたことがある。
傑たちが生まれるよりも前。
1984年11月14日午前10時、
──推定特級複合呪霊『銃』。史上最大規模の力を持つ近年最大の呪霊である。
被害は日本だけに留まらず、全世界で合計120万人以上の被害を出した。
規格外の呪いは歴史を紐解けば多く存在する。強力すぎる呪霊、悪質すぎる術式、今なお完全に葬り去ることが出来ていない呪物──だが銃の呪霊の特異性は全世界を射程距離に収めた点にあった。アメリカ、ソ連、中国、日本、その他全主要国家に単独で同時多発的被害を出した呪霊はおそらくこいつだけだ。
呪霊は人間の負の感情が生み出すもの。元となった感情の世界観に依存する。だから部屋や地下のような閉鎖空間を好むし、原則生まれた場所から移動することを好まない。施設名や家などの非物理的な認識の境界が重要になってくる──はずだった。
銃の呪霊はその固定観念をぶっ飛ばした。
国際化社会において、土地と文化の隔たりはもはや絶対的な制限ではない。
現在主流な説は『銃という世界共通の恐怖の概念を楔にネットワークを形成し膨大な呪力を蓄えてなお器を得なかった力の流れが、何らかの原因で一気に凝固し顕現した』というものだ。既存の呪霊とは異なる性質から、新たに推定特級複合呪霊という名称さえ作られた。
全世界を射程圏とする『銃』の呪霊の領域には内外の区別が存在しない。津波のように広がる呪力が死亡者数を大きく上回る規模の人間を飲み込んだ。その結果生まれたのが、術式も持たず呪力も僅かしかないというのに呪霊を視認できるようになってしまった大量の人々だ。非術師でも、余程才能がない場合を除いて直接襲われれば呪霊を目視できるようになるケースは多い。それが平時に顕在化されてしまった。
最悪だった。
見えないものが突然見えるようになった人間が増加し、呪霊全体への恐怖が強まった。疑心暗鬼が強まり、社会はますます不安定になった。
『銃』の呪霊がどのような条件で人間を襲っていたかは呪術界ですら解明しきれていない。非呪術師にはいっそう不可解に映っただろう。同時刻同じ場所にいたのに、生存者と死亡者がいる。生年月日や性別、出身地、言動。何が生死の境目になったのかが常人には理解できない。
呪術界は最善を尽くした。銃の呪霊の調査に加え、社会全体の負の感情が増大したため力をつけた無関係の呪霊や、ここぞとばかりに活動が活発化した呪詛師への対処も行った。
しかし結果として、非呪術師は『銃』の悪魔という共通認知を持ってしまったし、その他の呪霊は『銃』の眷属なのだという素人考えが蔓延するのを止めることが出来なかった。
……現在、『銃』の呪霊は特級仮想怨霊としても登録されている。
いつまた『銃』の呪霊が現れるかと怯えながら過ごす日々。
そんな暗黒期をうち砕いたのが、
頭部と両腕にチェンソーを生やした、見た目だけなら呪霊に近い国民的ヒーロー。
正体不明のチェンソーマンは、多くの強い呪霊を倒し、祓い、とうとう『銃』の呪霊さえ打ち倒した。
その時の世間の浮かれ具合は当時は小学生だった傑も覚えている。
……そんなチェンソーマンは六年前から行方不明だ。
銃の悪魔を倒してから、主な活動期間はおよそ三年。以降はめっきり姿を見せなくなった。死んでしまったのだと語る者も多い。もしくは最初から人間でも怪異でもなく、台風や火山のような自然現象だったのだとほざく者すらいる。
そんなもの、全てくそくらえだ。
一般家庭出身の傑が呪術の呪の字も知らなかった頃。通学路で通行人が呪霊に食い殺されているところに遭遇してしまった。
必死に逃げたが所詮は小学生の足だ。簡単に追い詰められてしまった。
もうダメだと観念した瞬間だ。
──ヴヴンッ……
鈍いモーター音が響く。頭部と両腕にチェンソーを生やした異形が突如間に割り込んだ。
そして、あんなに恐ろしかった呪霊を簡単に二つに切り裂いた。
当時の傑にはそれがとてもかっこよく見えたのだ。
異形には呪術師の仲間がいた。彼らの会話に『銃』という単語が登場する。幼い子供の前で無闇にその名前を呼ぶなと嗜められた異形の男は、傑に振り向いて軽く手を振った。
歪な顎門、目も鼻もないというのに。ニヤリと不敵に笑ったように見えた。
──ま、ビビらず待ってろ。『銃』の呪霊は俺が倒してやっからさあ。
宣言通り、その一年後に『銃』の呪霊は祓われた。
ファンになる理由など、それで十分だ。
「で、会ってどうすんの?」
高専に入学してすぐにチェンソーマンの話題を出したのは、彼は呪術師だったに違いないと考えたからだ。一般家庭出身の傑はとにかく情報に飢えていた。だから呪術師家庭の生まれだという
「ひとまずは感謝を伝えたい。あの時はろくに礼も言えなかったから」
「お前ぇ、まともすぎィ……0点だァ…!」
「なんだその妙な声色」
「岸辺の真似」
「誰?」
……ここから夏油傑と五条悟が入学初日から窓を14枚割り運動場を半壊させた伝説の大喧嘩が始まるのだが、それはまた別の話だ。
※
早川家お宅訪問から帰ってすぐ、悟は帰宅申請用の書類を手に入れ必要事項を記入した。そして朝一番に提出して五条家に顔を出しに行った。
作戦はこうだ。
まず、五条悟が実家に資料を漁りに行く。一方夏油は高専の資料室に忍び込む──フリをして夜蛾の注意を引きつけている間に硝子がこっそり職員室の『早川那由多』の書類のコピーを取る。以上。
五条悟と夏油傑は悪名高い問題児だ。だが家入硝子は常に一歩引いたポジションを保ち続けていた。教師からの警戒も薄い。隙を突くには適任だった。
囮役の傑が夜蛾の説教から解放された時には、すっかり夜になっていた。寮の自室では悟と硝子が待ち受けていた。
「早いね。てっきり帰ってくるのは明日だと思っていたよ」
「あんなカビ臭えとこ、長くいても楽しくねえよ」
「それもそうか」
まずは硝子がコピーした早川那由多についての資料に目を通す。名前と生年月日、身分証明書のコピー、改造制服の申請書類から、入学費や寮食費などの領収書。所有する術式の簡素な説明。身辺調査結果。そして呪霊を生徒として入学させる特例についての五条家と内閣府からの承認書類。
「五条家ぇ? 俺こんな話きいてないんだけど」
「代表は父親になっているね。まあ悟に事前に知らせても首を縦に振らないだろうとでも思われたんじゃないか」
「はぁ〜!? チッ、もうちょっと暴れて帰るんだった」
「こんなのもあったよ」
硝子が取り出したのは、記入中の書類だった。
「何それ」
「那由多の、呪術師の認定試験申し込み書類」
「呪霊のくせにぃ?」
「高専の生徒になったからにはやらなきゃいけないんだって」
「呪霊であることと呪術師であることは両立する……ということか。ルールの穴を突く気満々だな」
傑の発言を、悟は一蹴した。
「知るか。呪霊は呪霊だろ」
早川那由多の高専での扱いを把握したところで、三人は悟が実家から持ち帰った資料にも目を通すことにした。丁寧に紐でまとめられている。
手分けをして読むつもりだったのだが、初手からつまづいた。どれもこれも年代物の写本だったのだ。
「達筆すぎて読めない」
「同じく」
「は? お前らこんなのも読めねえの?」
傑は硝子とこういうところでこいつの育ちの良さを感じるのは不服だな……と感じていた。しゃーねーなあと悟にしては茶化しもせずに読み上げようとしているのが余計にムカつく。
「俺が実家から持ち帰ったのは『支配の呪霊』についてだ」
「にしては、随分年代物のようだが」
そもそも悟の担当は『早川那由多』が討伐対象特別除外指定済人型特級呪霊として認められるまでの呪術界での経緯を調べることだった。ならばここ数年の情報になるはずだ。だが広げられたのはどれも古そうなものばかりだ。
「そっちは記録に残ってなかった。あいつら、下手に当事者が生きてっと逆に資料に残しやがらねえの。重要な話は大体口伝だし、口を割らせようにもちょうど家にいやがらねえし……あ゛〜〜〜〜面倒臭え〜〜〜!」
不機嫌になり始めた悟を宥め、続きを促した。
「ここにある資料は『早川那由多』についてじゃない。これは過去に現れた『支配』への畏怖で生まれた呪霊の記録だ」
「なんだと?」
「呪霊はリポップするからな。伝説のポケモンを倒しても、一回マップでてまた入ったら復活してるじゃん? ああいう感じ」
仕組み自体は特級仮想怨霊等と同じなのだという。
「社会に同じ種類の負の感情が存在するなら、何度でも同じ呪霊が生まれる。だから対処のために古い家系にはこういうカビ臭い記録がいつまでも残ってるわけだ。ま、俺たちは最強だから普段は使わねーけど」
支配の呪霊。かつての呪いの王や、銃の呪霊に比べて知名度は極めて低く、現存する記録も少ない。僅かな記述から特徴を書き出していった。
・高い知能を持っている。
・積極的に人間を殺すことはない。
・下等な動物を支配することができる。
・特徴的な円環型の瞳の形をしている。
一見すればプラスの表現ばかりだ。
だが全ての資料の全ての記述において『最悪』の名を冠し、一刻も早い処刑が推奨されていた。
理由も合わせて書いておけよと悟と硝子はぼやいている。
──『早川那由多』は何故高専に来た?
──それも自分や悟、硝子のような突出した世代に。
──私たちなら、支配の力に対しても自衛が可能と判断されたのか?
思い出すのは、早川デンジの「対等でいてくれてありがとう」という言葉だ。彼女はいったいどういうつもりなのだろう。
思考が同じところをめぐり、いつまで経っても結論は出なかった。
「あーーーくそっ! 分かるか!」
「!」
悟の声で現実に引き戻される。目線をやると、床に寝転んで匙を投ているのが見えた。
「考えれば考えるほど、こっそり普通の学校に通えばいいじゃん! なんでわざわざ頭の硬い上層部に存在バラして、交渉してまで高専来てるんだよ!」
「というか通わせる必要もないよね」
「それはたしかに……その通りだ」
資料もあらかた確認し、それでもなお早川那由多の考えは読めない。あと残っている調査方法といえば──
「聞き込み……とか……」
【早川那由多に関する聞き込み】
■夏油傑
「冥さん、少し伺いたいことがあるのですが」
「なんだい?」
「二年の転校生の早川那由多について少し。先輩の黒鳥操術なら何か情報が──」
「ストップだ夏油くん。私は、今年の春から優先的に報酬の高い任務を回してもらっていてね」
「ああ〜……口止め………」
「ちなみに個人的なプレゼントという体なら、100万円から受け付けているよ」
「……いえ、結構です」
■五条悟
「もしもし、岸辺? 聞きたいことあるんだけど」
『今潜入任務中なんだが』
「そんなことより、早川デンジってさあ、どんな奴?」
『お前より呪術師に向いてる』
「はぁ? んだと……あ、おい、切るな!」
■家入硝子
「那由多、聞きたいことがあるんだけど」
「うん」
「なんでわざわざ高専を選──」
「待て待て待て!!!!」
「絶対聞いたら素直に答えてくれるでしょ。わざわざ遠回りする意味がわからん」
「つまんないでしょそんなの。推理小説を後ろから読むくらいありえない。というかなんであいつもう学校戻ってきてんの?」
「呪術師の認定試験申し込み書類関係だってさ」
「はぁ〜? 家でやれよ」
「無茶言うな」
──結局。
判明するのは『早川那由多を高専に通わせるための尽力』だけで『なぜ那由多が高専に来たがったのか』は分からないまま連休は終わってしまった。
「おはよう」
休み明けに夜蛾と共に教室に入ってきた那由多は、最初に見たセーラー服に近い制服を着用していた。ただし、スカート丈が異様に長い。いわゆるバンカラスタイルである。
ボンタンスタイルの傑と並ぶとここだけ1960年代だ。
「こいつペアコーデしてきたのか。傑、狙われてんぞ」
「すまないね、あんまり趣味じゃないな……」
「岸辺のおじさんの不意打ちで……学ラン泥まみれになっちゃってたから……」
「那由多、こういう時はちゃんと怒った方がいいよ」
「ちょっと女子ぃー! 陰湿じゃなーい?」
那由多は少し考え込む様子を見せてたあと、男二人に宣言した。
「デンジは似合うって言ってくれた」
瞬間、
傑の思い浮かべた、「似合ってんじゃねーか」とニヤリと笑い那由多の頭を撫でる大人なヴィジョン。
悟の思い浮かべた、「俺ン妹がァ! すっげぇ……ハァ……かわいいぃ〜〜……似合ってるゥ〜〜〜………」と床に突っ伏して感涙の涙を流す兄馬鹿なヴィジョン。
どちらが正解かは、いつかわかるだろう。多分。
「お前ら静かにしろ」
「「「「はーい」」」」
いつも通りの騒がしいホームルーム。
いつもと違ったのは、一通りの情報共有が終わった後に夜蛾が傑に声をかけたことだ。
「──夏油」
「資料室に無断で入った件は、もう十分に話したと思いますが」
「十分かどうかは俺が決めるからな? だが今はその話じゃない」
「なら一体……?」
資料を手渡される。かなりの厚さだ。
「お前の
「──!」
そこには、任務についての情報が記載されていた。
———
…………、…………………。
……………………。
これらの特徴より、赤血操術あるいは類似の術式を使用している可能性が高く、対象を特級呪霊と認定。現在加茂家との関連を調査中。
以下、本件の特級呪霊を
———
私たちの関係は、ここで大きな転換点を迎えることとなる。